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義家族との体験 RSS icon
※義父母・義兄弟・義姉妹等との体験

2024/05/17 19:59:38 (DRzIr8NC)
私28歳、妻23歳で結婚、翌年娘が生まれ、幸せいっぱいでした。
子供が産まれたことで、次男坊の私は妻の実家に入りマスオさん、お殿様待遇でした。
ところが、義父母との同居は、義父母の仲睦まじすぎる様子を見せつけられる結果になりました。
妻は、そういう環境で育ったので、人前でイチャつく義父母に慣れていましたが、私は、休日の白昼堂々と夫婦の寝室を開け放って夫婦の営みをする義父母に引いてしまいました。
娘の教育に良くないと、義父母に申し入れしたら、40歳を過ぎた頃から義母の性欲が強くなって、誰かにセックスを見られたい願望があったので、私たちの同居を受け入れたと言われました。
義母は、セックスを見られることで快感がある性癖のようでした。

私は、義父母の寝室のドアを閉める代わりに、義父母の営みを見学させられました。
50歳の義母を抱く53歳の義父、中年夫婦のまぐわいはとても猥褻なものでしたが、お互い愛し合っていることが感じられました。
あんなセックスを見せつけられたら、その後は妻を求めたくなりました。
でも、妻は育児に忙しい性もあるのか、毎日セックスを求められるのは嫌だと言いました。
それを聞いて、義父は、
「母さんも若い頃はあんまりセックスが好きじゃなかったんだよ。やっぱり、40歳を過ぎた頃から、セックス好きになるんじゃないかな。」
と言いました。

「そうなのよ。でも、今度は逆に、お父さんの方が性欲減退しちゃって。そしたら、刺激が欲しくて、セックスを見られたい思いが強くなっちゃって。」
と義母、義父は、
「何なら、俺の替わりにセックス好きの母さんを抱いてやってくれないか?」
と言いました。
妻は、
「お母さんとならいいわよ。ほかの知らない女とされるのは嫌だけど・・・」
こうして、家族公認で義母とのセックスが始まりました。

30歳の私と、50歳の義母は、寝室で裸で抱き合いました。
義母は、なかなかのナイスボディで、50歳というイメージを覆す容姿で、間違いなく美魔女です。
童顔が可愛い妻の母親らしい顔立ちで、熟女とは思えないビジュアルです。
とても優しそうで、若い男受けしそうな甘えたくなるルックスでありながら、熟女としての艶かしいエロさとナイスボディで私も骨抜きにされました。
妻もムチムチのナイスボディですが、妻ははちきれんばかりのパツパツボディ、義母は華麗でやや緩んだ柔らかボディで、オマンコも妻はピンクで義母はドドメ色、味わいが全く違います。

義父が持てあます寂しい五十路義母と、まだ三十路の性欲旺盛な私、最高の組み合わせでした。
娘婿とのセックスは、いけないと分かっていながら、溢れ出てくる性欲に逆らえない義母でした。
オマンコとクンニ好きな私は、義母の太腿を開いて、レロレロな舌使いで義母を満足させました。
ビラビラはドドメ色ですが、具はピンク色に艶光りして美しく、愛液が溢れ出し、淫らな音と喘ぎ声を響かせました。
そして、我慢汁が糸引くペニスを、欲望のままにしゃぶりました。

お互い、交合の準備は万端、正常位で生挿入しました。
「ああ・・彰人さん・・・まだあるから、中には出さないでね・・・」
「お義母さん・・・すごく気持ちいいオマンコです・・・」
若さに任せてガンガン突かれるたび、寂しいオマンコが愛液を拭きました。
華麗で弛んだお腹の肉は、打ち付けるたびに波打ち、妻と違った熟女の味わいを感じました。
妻より濃い色の乳輪が目立つ乳房が、スケベ熟女感を揺れさせていました。
私のそそり立つペニスを、濡れた義母のオマンコが喜んで咥え込み、激しく腰を揺さぶり私の腰の動きにシンクロさせ、今までの欲求不満を爆発させました

義母は53歳で完全に閉経、56歳の義父は、週1回がやっと、33歳の私はまだまだ性欲旺盛、28歳の妻は1歳の第二子の世話でセックスどころではありません。
義母と私は人目も憚らずヤリまくり、キッチンに立つ義母の内股を私の中出し精液が伝うこともしばしばでした。
義母は閉経五十路なのに、素晴らしい美貌と肉体美を持ち合わせていると思います。
そして、義母と中出しセックスに明け暮れているうち、本気で愛し始めてしまいました。
特に、五十路なのに垂れてない美しい形の乳房は、国宝級だと思っています。

現在、初めて義母と関係してから10年が経ちました。
今年、義母は還暦、私は四十路になり、そして、義父と妻は七回忌を迎えます。
6年前、義父と妻は赤ちゃん本舗に買い物に行った帰り、居眠り運転のトラックと衝突して、事故死しました。
私と義母と子供たちは、多額の賠償金を貰いましたが暫くは立ち直れませんでした。
でも、そのせいで私と義母は夫婦同然となり、子育てと夫婦生活を営んできました。
子供たちも、今では義母をママと呼びます。
それほど、私と義母は夫婦なのです。

義母は、今年還暦とは思えない美しさを保っています。
元々素材がいいのですが、それだけではなく、妻亡きあと、妻の替わりになるべく、私のセックスの相手として相応しい女であろうとしているからだと思います。
見た目が40代半ばのような綺麗で美しくいられるのは、努力をしているからでしょう。
二人で街を歩いても、少し年上の奥さんに見られますから、美魔女なのは間違いありません。
20歳差の義理の母子と思われたことはありませんし、妻亡きあと、公然と夫婦として暮らし、もちろん男と女として夫婦愛があります。

私と義母は、20歳の年の差を乗り越えて一緒になった夫婦なのです。
義父と娘婿だったから、婚姻関係は結べませんが、事実婚です。
営みは毎晩あって、還暦の義母はどす黒くなったオマンコを毎晩広げて、
「若いっていいわ~」
と言いながら、蕩けるほどのセックスに酔い痴れています。
私も40歳、10年前のような激しいセックスではないし、凶暴なほどの性欲でもなくなりました。
でも、義母は還暦を迎えてもなお、10年前と性欲が変わりませんが、二人のセックスは変わり、性欲で交わるのではなく、愛し合う男女の交わりです。

60歳の女と40歳の男が、舌を絡ませるキスをしながら、裸で抱き合い、生で交わります。
元々娘婿だった男の生ペニスを堪能しながら、本来娘のオマンコに注がれるべき精液を、亡くなった娘に代わって熟れたオマンコに流し込まれ、耽溺しています。
世間では禁忌の関係でも、心から愛し合う義母と私なのです。
きっと10年後も、70歳の義母は50歳の私に抱かれて、精液を注がれて喘いでいることでしょう。
私は、義母を愛し、義母と生きていきます・・・
56
2024/03/01 19:22:53 (xXuYUtWU)
結婚して20年、私44歳、高1の娘と65歳の義母と3人暮らしです。
昨年、亡き妻の七回忌法要を済ませました。
妻亡きあと、未亡人で一人暮らしの義母が暮らす家に移り住み、娘の面倒をみてもらっていましたが、私も男、美しい義母にムラムラ、義母を見てズボンの前を膨らます私に、
「アキラさん、もし、私で良かったら、娘の替わりに・・・」
義母は、大島さと子さんに似た凛々しい美形で、当時58歳でしたが、当時37歳の私には、亡き妻の面影が宿る美しい女性でした。
妻の仏壇に手を合わせ、義母と交わることを詫び、義母の寝室に入りました。

義母は、黙ってパジャマを脱ぎ始めました。
私もジャージを脱ぎ、二人とも全裸になりました。
58歳と言えば、若い頃はババアだと思っていましたが、義母の身体は緩みも乳房の垂れも少なく、まだまだ美味しそうでした。
義母は、私の勃起したペニスに触れ、口に含みました。
「お父さんが亡くなって以来、久しぶり…」
私は、義母の乳房を揉みまくりました。

義母と見つめ合い、濃厚なベロチューをすると、義母の表情が一気にエロくなりました。
そして、シックスナインになって、義母のオマンコを舐めました。
義母のビラビラはとても小ぶりではみ出ておらず、広げないと確認できない美しいオマンコでした。
一方、義母は私のペニスをジュボジュボと音を立てて、本能のままにしゃぶっていました。
クリを舐められた義母は、
「あぁん・・・」
と言いながら、感じまくりでした。

普段凛々しく清楚な義母の淫らな様子に痛いほど勃起した私は、義母にガッツリとペニスを差し込んで腰を振り始めました。
ガンガン突かれ、義母は痙攣しながら、
「あうぅぅ・・・す、すごい・・・イキそう・・・」
パンパンと突かれ、義母は年甲斐もなくヒイヒイとヨガりまくって、ペニスを締め付けました。
亡き妻よりも弛んだ乳房が波打ち、アラ還熟女を感じさせました。

「お義母さん、イキそうです・・・」
「中に・・・アキラさんの精子、中に出して・・・」
ドクドクドクドクドク・・・大量の精液が義母の子宮を満たしていきました。
「ああ・・・娘婿の精子を注がれた・・・」
と言いながら、身体をビクンビクンさせていました。
この日以降、私と義母は、娘の両親としての役割と、娘の目が届かないところでは、夫婦として仲睦まじく暮らしてきました。

現在、義母は65歳、私は44歳、ほぼ毎晩営みがあります。
65歳でも、大島さと子さんに似た義母は美しく、身体は緩んできましたが、乳房の垂れ具合もまだ少なく、女体としては十分魅力的です。
普段清楚に見える義母ですが、65歳になっても女はオンナで、実にエロく、娘婿のペニスでアヘ顔を晒しています。
私も、21歳も年上の義母とのセックスにハマっています。
毎晩私の精液を子宮に注がれているせいか、義母は、町内会の集まりで、同世代のおばちゃん、というか、みんな孫がいるからお婆ちゃんなのですが、圧倒的に若く見えます。

やっぱり、性生活が充実してると、男も女も潤いが出るようです。
65歳の義母は、娘婿とのセックスに夢中になっていますが、ご近所さんはそのことにうすうす気づいているような気がします。
義理の母子という禁断のセックスですが、その禁忌感、それから、21歳年上の65歳の還暦を過ぎた超熟女体を抱いている異常さが、興奮を高めます。
義母も後ろめたさを感じながらも、娘婿のペニスに夢中になっています。

先週、有休を取って、義母とラブホに行ってきました。
65歳の女と44歳の男のカップルが、腕を組んでラブホに入り、ベロチューで抱き合いました。
普段は義母の寝室で布団の上ですが、この日はベッド、二人でお風呂に入り、ベッドでクンニ、義母の小ぶりなビラビラを広げてクリを吸い上げ、皮を剥いて舐めました。
腰をカクカクさせた義母は、ズル剥けにされたクリを責められ、普段は出せないボリュームで、
「ああ~~イクイクイクイクイクイクイクイク~~」
とクリイキしてしまいました。

それから、義母のフェラでギンギン、義母は私に跨って、ズボっと生ペニスをオマンコにめり込ませ、腰をクイクイさせ始めました。
大島さと子さんに似た清楚で凛々しい義母が、垂れかけた乳房を揺らしながら、腰をクイクイささてヨガる様子は、とても65歳には見えません。
義母は、孫娘に気兼ねすることのない久しぶりの大胆セックスに、思い切り感じまくっていました。
さらに、正常位で娘婿の精液をガッツリ中出しされて、両足を突っ張らせてビクビクしながらイキ狂っていました。

この日は、間に小休憩を入れ、もう一度風呂に入って、ベッドでイチャイチャ、抱き合ってベロチューしているうち、65歳と舌を絡めている事実に勃起、自然にニュルンとオマンコに入りました。
ベロチューしながら二回戦、一度出しているから長持ちして、義母は息も絶え絶えにヨガリ久吸い、清楚の欠片もないほど乱れ、淫らな姿を晒しました。
何度か、義母がイッてたのはわかりましたが、何度もイキまくる義母のオマンコがあまりにも気持ち良すぎて、私の腰が止まりませんでした。
義母は意識が朦朧としてて、本能だけで感じて、身体を喘がせていました。
最後は、白目を剥いてしまった義母にタップリと二度目の中出しして、私も満足しました。

私と義母が、男女の関係になっていることは、おそらく、親戚も気づいていると思います。
中出しを許した男のそばに寄り添う女は、独特の雰囲気を漂わせます。
もしかしたら娘も、うすうす気づいているのではないかとさえ思っています。
おそらく5年後、70歳の義母を49歳の私は抱いていると思います。
70代の女性とのセックスは、実はとても興味があります。
濡れるのか、ちゃんと感じるのか、早く、70歳の義母を抱いてみたいです。
それほどまでに、私は義母を愛し、義母の女体に夢中です。
そして義母も、65歳にして毎晩男に抱かれるほど、私のペニスに夢中なのです。
57
2026/06/11 15:48:47 (BYlzxVXf)
昔就職活動で上京した際に叔父(母の弟)の家に泊めて貰ってた時のことです。
当時いとこは地方の大学の寮に入っていて叔父夫婦だけでした
ある日叔父が出張に行ったんですがその直前夫婦喧嘩をしていて
はけ口のない叔母が ごめんねーっと叔父が浮気してることを愚痴りました
私は20も年の離れた叔母に精一杯背伸びし優しい言葉を掛け
まだチェリーな学生ながら大人な男を演じたところ
「〇ちゃん優しいのね?」っと肩を寄せて来たので
こういう時はと、当時の恋愛バイブル雑誌の通り肩を抱き寄せました
一瞬戸惑いを見せた叔母ですが今思えばストレスを抱えていたのでしょう
更に頭を寄せて来て「今彼女いるの?」
「全然、、」「優しいのにね」っと何か慰め合ってるような雰囲気の中
密着してる叔母に思いっきり女を感じてしまい一瞬でテントを張ってしまいました!
するとそれに気付いた叔母が「女知ってるんでしょ?」
「いやまだ、、」そう言うと「若いから”反応してくれてる”のね」っと
短パンの裾からテントの中に手を入れて来ました!
もう頭真っ白になり叔母に委ねました
短パンとパンツを脱がせた叔母は口に含んでくれ
初フェラ、、数十秒も持たず大量に口の中に出してしまい
全部飲んでくれた叔母はこれじゃまだ卒業してないわねっと
徐に立ち上がりスカートを床に落としパンティーも脱ぐと
私をソファーに倒すと跨るように腰を下ろし私の物を入り口に宛がい
腰を下ろしました
味わったことのない皮ニーとは比較にならないヌメムニュ~っとした感触
快感とともに叔母の腰の動かしで再び ”ぁ、あ、もうイクイク!”と騒ぎ立てる私に
「今日は中で出しても大丈夫な日なのよ心配しないで」
の後を追いかける様に再び大量に!!!

「若いわねまだ元気ね」そう言うと所謂お掃除フェラをしてくれ
それにも逝きそうになりましたがさすがに刺激が強すぎて何とか発射は逃れました

盆と正月、パラダイスな時間はまだ続き
一緒にお風呂に入った際には「女の体どのくらい知ってるの?」っと聞かれ
目の前股の間で見せてくれ触り方その他諸々のレクチャーを受けました
そして就寝時にはクンニをさせてもらい69、
「じゃ今度はバックでやってみて」っと
ワンちゃんポーズになった叔母の後ろからさせて貰いました
ボケて新婚化した私は翌朝も起きるなり叔母の股の間に顔を突っ込み
正常位を経験、その時は叔母を恋人の様に抱き締めキスを連発しました
そしてお昼からは今まで通り叔母と甥っ子だからね忘れてよっと言われ
お昼までパラダイスさせて貰い筋肉はないはずですがしばらくは筋肉痛で
起つだけで痛かったのを覚えています。
58
2008/07/30 03:42:56 (TFJvWZ38)
息子夫婦が帰省した日、久しぶりなので親子でスナック・カラオケに行って
盛り上がり午前1時頃の帰宅でした。
息子は帰るとすぐ寝てしまい、女房と嫁さんと三人で飲み直しました。
息子と女房は息子が高校2年の時から出来ていました。
私は酔った勢いで今晩は女房は息子と私は嫁さんと寝ようと提案しましたら
きゃ楽しいって嫁さんの一言でそう言うことになりました。
10分もしないうちに、女房は息子を全裸にして触り始めました。
嫁さんと私はそれを見ながら二人で呑んで居ました。
息子は寝ているのに、女房の愛撫で勃起しはじめました。
やだ~私とじゃ月に1回しかしないのにって、嫁さんは身を乗り出して行為
を見ていました。
女房も全裸になりキスから始まり息子の性器をくわえはじめました。息子は
嫁の名前を呼びながら女房の乳房をまさぐり始めました。
えええ私?嫁は戸惑いながらも女房と息子から視線を離しません。
凄いね時江さん(嫁の名前)って言いながら嫁を抱き寄せました。
嫁のパンティに手をさしのべても嫁は夢中で息子達の行為から目が離れませ
ん。もうパンティの下はビチョビチョで私に抱きついて来ました。
嫁のキスはもの凄く舌が痛くなるほど吸われ、裸になるように急がされまし
た。嫁も全裸にになり私の逸物をくわえ始めました。
嫁のおまこは女房と違い新鮮で可愛い閉まったおまこでした。
私と嫁は夢中でセックスをしていました。何時の頃か分かりませんが、女房
と息子が変わってくれと言いだし、私は女房と息子は嫁と相手交換。
私は久しぶりに女房のおまこを激しく突き女房も喘ぎ過ぎるほど喘ぎまし
た。
その後又交換して嫁をめちゃくちゃ突いて突きまくりました。
それからは息子夫婦が来る度に私はすぐに嫁と、女房は息子とセックス三昧
です。今では週に3回も来るようになりました。

59
2026/05/10 07:08:33 (923gjCLv)
今現在も捜査中ですが京都で痛ましい事件がありましたね。行方不明の事件です。
あの事件は私は他人事とは思えない共通点があり、少し自分の身の上を整理したいとも考え本体験談を執筆いたしました。(18禁要素があるのでpixivではなくナンネットを選びました)

まず初めに私と事件の家庭との共通点は以下の通りです。

☝️筆者は中国地方北部にある地主の家に婿養子としてはいっている。
☝️筆者も家内も離婚歴があった。
☝️家内には連れ子がいる。
☝️家には家内の祖父と祖母の他に、妻の弟家族も同居している(家内の弟、配偶者、年頃の娘の3名)

この話をする上で大事なことなので少し面倒にも感じるかもしれませんが、「家」がどのように構成されたのか説明します。

もともと田島地方(仮称)には斎藤家(仮名)という地主がおりました。斎藤家の当主は「祖父」でありその配偶者には「祖母」がいます。祖父と祖母には2人の子供かおり、長女を「美穂」次に生まれた長男には「悟」がいます。

長女の美穂は結婚と同時に県外へ移転。長男の悟は地元の交際相手と結婚し、長女をもうけ、そのまま斎藤家の敷地内に家を建てて同居していました。
結婚と同時に県外へ出て家庭をもった美穂は数年後に長男が生まれましたが訳あって離婚。そのまま息子を連れて実家に帰ります。
そして私が勤めていた田島地方の鉄道資材を製造する会社に就職してきた家内(美穂)と私は再婚。そして美穂が連れていた連れ子の事を考え(転居して連れ回したくない)私も斎藤家に婿養子として入る形となったのです。

斎藤家の面々
祖父ー祖母(70代)
美穂(38)ー私(40)ー美穂の連れ子(8)
悟(36)ー悟の配偶者(34)ー悟の娘(12)

以上、読みにくい文章で申し訳ありませんが解説となります。

まず一言で言いますと、、婿養子は非常に肩身が狭いです。結婚には猛反対されましたし今でも狭い肩身が続いています。
祖父、祖母からは遺産狙いと言われ、、美穂の連れ子からは他人扱い。
正統後継者の悟からは邪魔者扱いされています(おそらく年頃の娘や自身の妻の事を考えると血の繋がってない私は警戒するべき人物なのでしょう)
他にもありますが肩身の狭い大きな要因を挙げるとすればこのようなところです。

正直、美穂と再婚するときに強引にでも斎藤家とは別の形で生活しておけばよかったと悔やまれますが全ては後の祭り。当時の私は「義父とも義弟ともうまくやっていける」と根拠のない自信があったのです。そして義弟同様に斎藤家の敷地内に小さな家を建てて生活したのですが今思えば田舎特有の斎藤家の風習は私にとって肌の合わないものでした。

ー辛い朝食ー
斎藤家では仕事であろうと休みであろうと必ず、7時に一家総出で食事をするという風習かあります。
本家の四角い長テーブルを2つ繋げたものに、祖父、義弟、私、連れ子が座り、祖母、美穂、悟の妻、義弟の娘が調理担当し令和の今どきにまるでサザエさんのような形で「男はメシを待つ。女は料理する」みたいな昭和の伝統が続いています。
私の本音ではこんな堅苦しい朝食に参加するより、好きな時間まで寝て起きたら自分の家で美穂が作った前日の余り物やパンを焼いて食べたりするほうが楽なのですが、この朝食は戦略会議ではありませんが、斎藤家の方針が語られる場でもあるのです(いついつエアコンの修理業者がくる、どこそこか壊れていて修繕が必要)など話をするのです。
この朝食に参加しないとただでさえ邪魔者扱いされてる私はますます肩身が狭くなるのは見えているので、朝から身なりを整えて仕事の営業モードにスイッチを入れて家族と顔を合わさないといけません。
まず第一の苦痛が朝食です。

ー不審者扱いー
次の苦痛は日中は敷地内を自由に動けない。ここです。
斎藤家の敷地内には周囲を囲む塀があり、塀の中は完全に外とは区切られています。従って本家の家の前、悟の家の前(私の家の前にも)には庭があり洗濯物を干しているのです。そこに、、祖母の下着や悟一家の下着なども干されていることもあり「他人認定されてる私」がウロウロしていると他の家族が不審に思うとの事なのでした。
事実、私は美穂から「庭でウロウロしないでほしいってお母さんが言ってた」と言われたのですが、実際は悟の家内と年頃の娘が自分たちの下着類を他人の私に見られるのが嫌で言い出したに違いありません。私は(不審者扱いかよ、、)と思いましたが後からきた私にはどうする事も出来ません。私はその日以来、いっさい庭に出る事をやめて日中はコソコソと裏口から出入りし、昼間に家に帰る時も(洗濯物ほしてないだろうな?)と注意観察しなければならない身の上なのです。

ですから京都の事件に関してもマスコミでは報道されない「歪な問題」が家庭内に存在していたのが容易に推測する事ができます。ではここで区切ります。
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