2025/07/11 19:59:44
(75HeG3eP)
リーマンショックで失業して、バツイチになって、妻子は実家に返して、俺は大学時代を暮らしたある地方都市に行き、昔住んでた辺りにあるカトリック系女子大のそばの教会を頼った。
そこには、大学時代に密かに付き合ってたシスターはもういなかったが、下僕として受け入れてくれた。
そこでは、教会内の掃除などをして、シスターのなあディルドとして下半身を捧げただけでなく、Sっ気のあるシスターにアナルを悪戯された。
双頭ペニバンでアナルを犯され、アンアン喘がされた。
内側のディルドはシスターの膣内に収まり、シスターもアンアン言いながら腰を振った。
でも、ペニバンは所詮無機質な作り物、俺は、ある日、神父さんに貸し出された。
その神父さんは白人で、巨根でアナルを犯された。
初めて生チンポで犯され、血の通った男の器官でアナルを愛されて、俺のアナルで勃起してるのを見ると、俺で欲望のしてくれてる嬉しさを感じた。
入ってくる時、その弾力の違いはペニバンとははっきり血が買った。
粘膜同士が触れあい、こすれ合うことで快感にプラスして愛情みたいなものを感じた。
最後、神父さんに中で射精されるとき、掘られる喜びとともに、男の性欲処理にアナルを使われた汚辱感と屈辱感が交錯した不思議な感動があった。
生ペニスで犯されるとき、他の男の性欲処理のための肉便器にされた絶望と恥辱を感じるが、ペニバンにはそれがなかった。
俺は、シスターがいる教会に3年、神父さんがいる協会に2年いて、ある程度金が溜まったので、神父さんの紹介で、住み込みで働ける場所に移った。
そこは、とても若い、俺より一回りは若そうな、アラサーの男が店主の店だった。
何の店かは身バレするから勘弁させてもらう。
その若い店主は結構いい大学出たやり手で、案の定バイセクシャルだった。
イケメンで、女にもモテるが、おっさんを抱くのも好きだった。
俺も性処理用にアナルを使われたんだが、白人の神父さんよりは小さいけど、硬さがあった。
四つん這いになってアナルを開くのは屈辱だが、生ペニスで突かれると、女みたいにアンアン喘ぐ身体になってしまった。
正常位で前立腺を突かれながら、
「おまえのケツマンコ、女のマンコより気持ちいいぞ。」
とか言われると、嬉しくなって、ついにトコロテンするまでになった。
ずっと年下の御主人様に前立腺調教される屈辱、若いだけあって性欲がすごく、一晩に三回は掘られたこともあった。
いつも生で挿入して、中出し、抜かずの散髪されると下痢になることもあった。
時間をかけて、いろんな体位で掘って開発されて、アナルがグチョグチョになるまで犯され、タラタラタラタラトコロテンしっ放しになってしまった。
若い男の性処理玩具にされて、次第にマゾ化していった。
アナル深く種付けされた時には、舌をこじ入れられてキスしながらで、ペニスがアナルの中で脈動して、子種を放出するのを感じる。
男に種付けされる屈辱、自分の身体を男の性処理道具に使われた恥辱、何も触れてないペニスからトコロテンしてしまう敗北感を感じる。
あの男の店には、10年いた。
あの店を出たのは、8年目にあの男が結婚し、奥様の前でアナルを犯され、トコロテンする姿を動画撮影されながら、ケラケラ笑われるようになり、やがて奥あ¥さまが妊娠、専らアナルを犯される日々が続いたが、奥様が出産したことで、俺がそこにいるべきではないと思ったからだ。
荷物をまとめて、早朝、ひとりあの店を出た。
お世話に居なったことへの感謝と奥様とお幸せにの書置きと、少ないけど、1万円を封筒に入れて、出産祝いと書いた。
俺も五十路を迎え、人生の残りの生き方を考えるときが来たし、金も溜まった。
俺は、元妻の実家を見に行った。
すると、元妻らしき女と、大学生くらいの男が出かけるところだった。
よく見ると、元妻と同年代の男がミニバンのハンドルを握り、ミニバンには元妻が、大学生は俺の息子だろう、中型のバイクに乗ってどこかへ出かけたから、家に近づいて玄関に立つと、元妻が再婚していること、あの大学生が息子であることが分かった。
義父母は、もう亡くなっているんだろう。
元妻が幸せになっていることを知って安心したから、俺は今、遠く波の音が聞こえる町に独り暮らしている。
仕事は、一人暮らしていけるだけあればいいし、人手不足にあえぐ農家を手伝っている。
軽自動車1台あれば十分な暮らし、時々、行き遅れた五十路のおばさんが農作物を持ってやってくる。
その時は、街まで買い物に付き合うために、車を出して一緒に買い物してくる。
4歳年上のそのおばさんは、20年ぶりに見たと俺のチンポを弄って、跨って喜んでいる。
「あんたはバツイチ、結婚したことがあるけど、アタシには縁がなかったよ。20年前に別れたあの人は、元気で幸せでいるかねえ。」
お互い、一緒になるつもりはないけど、こうやって時々行き来して、たまに身体を重ねてる。
一人がきつくなれば、共に暮らすのもいいと思ってるが、再婚はしない。
残りの人生を支え合いながら、自然に囲まれて、農家を手伝って何となく生きようと思う。