2016/09/08 01:12:12
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まゆさん、ありがとうございます。
ついに20代になって、同級生が「20代になったら女の子は誕生日は、喜んじゃダメ…」って言ってたのが、なんだか理解出来ました。
私って、ダメ人間で、計画では1週間で書くつもりが、こんなに先延ばしになりました。
今日は、コイバナでもなんでもなくて、本当は誕生日に書く予定でしたが、エラー対応に手間取って、1日遅れで書くことになりました。
こういう間のわるいところも、私らしいです。
私の生まれる前の話で、色んな人に聞いた話を、繋ぎ会わせているので、事実と違う話もあると思いますが、あんまり根掘り葉堀は、聞きにくいはなしなので、こんな事たったんだろうと認識しています。
私の母は、昔、姉の父と結婚していました。
ある男の人が、人妻の母の事が好きになり、強引に迫ったらしいのです。
でも母は断ったらしいです。
そこでその男と仲間の人たちが無理やり母とやっちゃたみたいです。
母も一度関係を持ってしまうと、断り切れず、何人もと何度もしてるうちに、私が出来たそうです。
子供ができて、夫である姉の父には相談できず、その人達と相談してて、一番親身に相談に乗ってくれた一人の男性と、情が通じて好きになり、母は姉を連れて家を出て一緒に住みはじめ、その人が私を認知しました。
そして、姉の父とは離婚しました。
その後、私の認知上の父は事故で死亡してしまいました。
離婚後も、姉は、よく姉の父のところに行ってました。
私は、姉にいつもくっついて歩いていたのに、その時は、ほとんど連れて行ってはもらえませんでした。
姉の父は、今でも母の事を愛しています。
無理やり姉にくっついて、姉の父の所に行った事があります。
姉の父は私に優しくしてくれました。
姉の父は、家庭崩壊の元凶である私を見て、何を思ったんでしょうか?
私は、中学の頃、出生の事実を知り、母を軽蔑していた時期があります。
母だけが悪い訳じゃないけど、その後、母が男たちと関係しなければ、私は生まれてこなかったし、姉の父を悲しませる事はなかったと思っていました。
そして、私の淫乱で、押しに弱くて、思い込んだら一途な性格は、母からの血なのだと思います。
その頃、私は自分自身の存在が嫌で仕方がないありませんでした。
いなくなればいいんだと思っていました。
そしてその頃、中学の同級生たちに、やらしい行為を一方的にされていて、ショックを受けていた時でした。
でも、姉の父の嘆きをを考えれば、私が同級生にやられたのは、神様が、私という不浄な存在に下した、試練で当然の報いだと思っていました。
だからどんどんエスカレートしていく行為もしっかり受け止めることによって、私は生きる事を許されていると考えていました。
そして、私も女として、男を愛するようになって、母の悲しみや、男を愛するということが理屈じゃないという事や、女は目の前の愛が一番大事に思えるって事も理解出来るようになり、それからは母を許せるようになりました。
こんな私でも、人から愛されることを知って、生まれてよかった、母が私を無理に産んでくれて、感謝出来るようになりなりました。
そんな時、姉から、姉の父は今でも母の事を思っていて、今でも復縁したいと思っている事、姉はその事を母に伝えて、母は後悔していて、でも、母は自分を許せないのと、私の事を心配してたと聞きました。
それを聞いて私は、「おかあさんが○○さん(姉の父)のこと、今でも思ってるなら一緒になりなよ私は大賛成だよ。私の事は気にしなくていいから。変な、わだかまりや、プライドは捨てなよ…」と私の考えを話しました。
結局、私が高校を卒業と同時に、母は、再婚(復縁)しました。
私が男のままならな、姉も私に話さなかったと思うし、母も再婚はしなかったと思います。
ただし、母が心配したように、私は一人ぼっちになりました。
母と姉とは、名前も戸籍も住む家も別になりました。
姉と母は、姉の父の籍に戻ったんですが、私は「どうせ私は、嫁に行く(その気も予定もないけど)から、その時は、この戸籍から嫁に行くから…」そのままでいいと、いいはりました。
私の存在が、この家族を引き裂いていた、時間が凄いかかったけど、もう一度元に戻すことが出来て、私の肩の荷を下ろすことが出来ました。
そして、短大は、姉の父の家から離れた場所に進学しました。