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性的虐待体験 RSS icon
※幼少時に受けた体験談

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2018/10/21 04:00:54
うろ覚えのことですが・・・
私が10歳の時、親戚の集まりでお泊まりしたら、寝る前にいとこに
「お酒飲んでみる?」
と言われて、たぶん一口くらいだったとは思いますが興味があったのでこっそり飲ませてもらったことがあります
すぐ酔ってしまったのですが、なんかパジャマの下とパンツを脱がされてた記憶があります。
朝方、ふと変な感じがして目が覚めたのですが服は元通りになってましたが、
パンツがとにかくベトベトする感じで濡れて冷たくて気持ち悪くて、触ってみたらあそこがなんかぬるぬるしていました
痛かったとかはないのでたぶん犯されたまではされてないと思いますが、
今思えばいとこが精液くらいかけたのかなって気がします

591
2018/10/09 12:17:35
小学生の時、実の父親に服を捲り上げられ両手で左右の乳首を弄ばれていました。
わたしは嫌だけどじっと我慢をして堪えていました。
実の父親はひどい人間だったので、
「こんなことされて嫌だろう?」
「お父さんに乳首触られてかわいそうだね」
「お父さんはおっぱい好きだから●●のも触るんだよ。普通はこんなことしないけど、●●はダメな人間にだからしてもいいんだよ」
とわたしに言っていました。
時には鏡の前で触られたこともあります。

592
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2018/09/25 10:54:07
私は30代のサラリーマンです。

16歳の頃
父が再婚し、
11歳と8歳の義妹が出来ました。
私は一人っ子の為、
義妹が出来た事が嬉しかった。

義妹達も義兄が出来た事を喜び
父と義母も喜んでいました。

そんなある日。
父が出張、義母が夜勤の時、
一人寝が寂しかったのか
義妹達が私の布団に潜り込み、
私を挟んで寝てしまいました。

16歳の私にとって
義妹達はやはり女で、
緊張している私は寝付けなかった。

11歳と8歳はまだ子供だが、
私の性欲を掻き立てた。

私は義妹の姉(舞)の方を向き
左手を舞の下腹部に移動させ、
パジャマの上から
恥丘を掌で包む様にすると、
円を描く様に揉み始めた。

舞は「は~~」と甘く喘ぎ、
首を反らしました。
続けていると腰も上下しだし
気持ちが良いみたいだったので
左手をパジャマとショーツを潜り
直に触り始めた。

私は左足で舞の左足を引っ掛けて
足を開かせると、
中指を割れ目に沿わせ、
親指で包皮の上から
クリトリスを擦り始めた。

舞は首を反らし、
腰を上下に振り始め、
数分後には両手で私の左手を
抑えて、全身を痙攣させていた。
全身の力が抜け、
両手が私の左手から離れたので
私は左手を抜いて、
舞の頬を撫でてから
舞の頬にキスをして
トイレに行きセンズってねました。

続きが有りますが後ほど!
593
2018/09/25 10:44:05
小学生、中学生と叔父の性奴隷でした。現在は普通に働いている25歳女です。ようやく心の整理が着いたので書きます。

私は小四の頃に両親を事故で亡くし、父の弟である独身で一人暮らし叔父に引き取られました。幼い頃の微かな記憶ではありますが、最初は祖父母の家に行くことになるみたいな話だったのですが、今まで殆ど会ったこともなかったのですが、私を初めて見た叔父が「引き取る」と言って祖父母もそれに何も言わなかったみたいな感じです。

当時の私が叔父には相当ストライクだったようです。そう、叔父は真正のロリコンでした。

当時9歳の私を引き取った叔父はしばらくは優しく接してくれましたが、ある夜に私の布団に入ってきて、突然私はキスされたり、顔を舐められたりパンツを脱がされました。

私は驚き、泣きだしましたが叔父は「静かにしろ!」と怒鳴り、私の股間を舐めたりしていました。

そしてその後、私の顔の前に叔父は自分のチンコを出して、「舐めろ」と命令。

私は優しかった叔父が豹変して怖かった事、というか助けを呼んでも来てくれる大人、自分を守ってくれる大人がもういないことを強く理解し、大人しく舐めました。

今思えばそれが初フェラですが、私の小さい口には叔父のチンコの先端の丸い部分が何とか入ればいい方で、成長期に入って私が大きくなるまでは舌を出してぺろぺろ舐めたり、先端を口に入れて舐めたりちょっとだけ前後するのが精一杯でした。

しかし、ロリコンの叔父は女児がチンコを舐めていることが嬉しかったのかそのまま私の口の中に精液をぶちまけました。

叔父は出す瞬間に「飲め!飲め!」と言っていましたが私は泣いていてそれどころではなく、口の中に出されたものはほとんど吐き出して、叔父は途中から私の顔に精子をかけていました。

これは毎回の事だったのですが、出し終わると叔父は私を抱えて洗面所まで運び、顔を洗いうがいをさせ、私の布団に戻して「おやすみ」と言って自分の布団に戻りました。

初めてやらされた日の夜は私は悲しいというかは、訳が分からずに、ただとにかく叔父が怖くて泣いていました。

そのフェラは基本的に毎日続き、途中からは寝転がったり椅子に座る叔父の前に私が跪いてやるスタイルになりました。

また、当時の馬鹿な私はこう言いくるめられていました。

「お前は俺の子じゃない。でもご飯を食べさせたり服を買ってあげるよ。だから、お前も俺に何か返さないとな」

「男は女の子にチューされると嬉しい。それの延長だよ」

当時の私は「生きるためにはこの人にこれをしなければならない。これは当然のことなんだ」と思い込んでしまい、その事を外に訴えたりとかはありませんでした。

私は叔父に何かして貰う度に「おじさん、ありがとう!」と言ってほっぺにチューをしたり、口に直接チューもしたりしていました。そこだけ周辺から見たら微笑ましい親子だったかも。

私は子供ながらにロリコンである叔父の前で「可愛い女児」を演じる事ができ始めていました。何故なら私が可愛くない事をした時の叔父の豹変が怖かったからです。

私が「可愛い女児」である限り叔父は「良い保護者」を演じてくれました。

フェラは基本的に毎晩あり、私は「おじさん、いつもありがとう!大好き!」と言いながら叔父のチンコを舐めていました。心の中ではやめたいと思いながらもそれが唯一の生きる術である私は必死にやっていました。

私は何度も何度もやるうちにコツを掴み、また嫌でしたが精子を全て飲むこともできるようになりました。顔や、特に髪にかけられるよりはマシなので。

最初の一年はそれで済みましたが、5年生の半ばになる頃、ついに叔父が一線を越えてきました。

私がいつも通りフェラをやっていると叔父は突然私の口からチンコを引き抜き、私を裸にしました。

私は「え?え?」という感じでしたが、叔父は私の股間をぺろぺろ舐め始めました。

股間はよく舐められていましたが、フェラが始まれば出して終わりだったので、私は驚きました。

叔父は「もういいだろ……」と言って、「まだ生理は来てないよな」と私に確認し、私に挿入しました。

挿入された瞬間、体が真っ二つになるのではないかという激痛に、私は泣き叫びました。

叔父は私の口にパンツとか靴下とかを詰めて声を出せないようにして、私を犯しました。

私は痛さで気が狂いそうでしたが、叔父は「小学生とセックス!」と喜びながら、何度も何度も腰を打ち付けてから私の中に放出しました。

正直、この日の記憶は「痛かった」と「叔父が気持ちよさそうだった」しか覚えていません。

その後、叔父は私に「ゲーム」を仕掛けるようになりました。

例えば「5分以内にフェラでイかせられなかったらセックス」みたいな感じで、私がフェラを必死にする様な形にしてきました。

しかし、当時の私はどう頑張ってもそんなに早くイかせることはできず、叔父に我慢されたらそれまでで、結局叔父のチンコを大きくして私は自分で自分が犯される準備をしていた様なものでした。

初めて犯された日から、ほぼ毎日そうやってレイプされていました。

たまにフェラだけでイッてくれて終わりの日もありましたが、多分私が頑張ったからとかではなく叔父が抱きたいかどうかで決めていたと思います。

ここまでやられてもまだ、私は「この人に生活させてもらっているんだ」という強い認識で耐えていました。セックスは普通の女の子は処女からだんだんと慣れて痛くなくなるそうですが、小学生の私は叔父のチンコが大きすぎて毎回痛さで泣いていました。

私が泣くと決まって叔父は私の涙を舌で舐めていました。
セックス中は叔父は腰を振りながら、私に何度も何度もキスをしていました。

また、ロリコンの他に少しSも入っていたのかも。叔父は私がテストで悪い点を取ったりすると「お仕置きだ!」と言って私のお尻を真っ赤に、本当に真っ赤っかになるまで叩いたり(多分100回以上)、私を四つん這いにして後ろから挿入してお尻を叩きまくったりしていました。

「これはお仕置きだ。お前がいい子になればされないんだぞ」

と言われ、私は挿入よりもお尻叩きの方が怖かったので必死にテストの前は教科書を見たりしていました。

しかし、叔父がロリコンで助かった…というべきかどうかはわかりませんが、叔父は私が中学二年になるぐらいで私が少しずつ大人になり始めて、私にフェラやセックスを要求しなくなり始めました。

フェラは最後までちょくちょくやらされていましたが、セックスは中一で生理が始まってからはゴムを付けるようになり、だんだんと数が減り、中三の時にはほとんど要求されませんでした。
小五、小六が1番酷かったと思います。休みの日に三回中出しされることもありました。お尻叩きもありましたし。恐らく、その頃の私が最も叔父のストライクだったのかも知れません。

そして、私が進路を決める時に全寮制の高校に行きたいと言えば叔父は一言で「いいよ」と。もはや私に興味はあまりなかったのかも。

叔父は安くはない寮費をきちんと払ってくれました。

この事もあり、私は叔父に怒りや恨みもありますが結局育ててくれたし、可愛い服とかは本当にたくさん買ってくれたし…みたいな煮え切らない部分もあり、微妙な関係です。

未だに思い出すと許せないし気持ち悪くて吐いてしまう日もあれば、私が上級生に泣かされてその子の家に怒りに行った時の叔父さんは優しかったな……でもあなたの方が私に酷いことしてたな……みたいな。

今は帰省は祖父母の家にしており、そこで叔父と会ったりしますが、叔父は求めてくることもなく、何事もなかったかのような顔をしています。
594
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2018/09/24 16:26:36
50代のオヤジです。

私が中学3年の時。
先生の組合のストで
半日で帰る事になり
家に着くと姉の悲鳴が聞こえた
土足のまま家に入り姉を探すと
茶の間で全裸の男に襲われていた。
男は姉に対し、
「大人しくしろっ」と言って
姉の頬にビンタを食らわせていた。


私はブチキレ
男の後ろ姿しか見えなかったが
私は勢いを付けて、
男の股間を蹴り上げ、
悲鳴を上げてうずくまる
男に馬乗りになって
顔面を殴り続けた。

「止めてくれ~」と叫ぶ男に
「ふざけるな」と叫んで
両手で抑えていた股間を
踵でふんずけ始めた。

「もうやめて、死んじゃう」と言う
姉の言葉にハッとして、
姉を見た後、男を見ると
顔は変形していたが、親父だった。

姉は気絶している親父を見て
救急車を呼んだ。

救急隊員は親父を見て
警察にも連絡していた。

警察が来て、私の手の怪我を見ると、
「何があったのか話して欲しい」と
言ったが、
私と姉は何とか言って良いのか
解らす、「親父に聞いて下さい」
とだけ言って黙っていました。

その日は祖母に迎えに来てもらい
祖母の家に泊まりました。

次の日、警察から電話があり、
親父から話しは聞いたらしく、
私と姉には聴取される事なかった。
警察も問題が問題なだけに、
話を大きいしない方が
私と姉の為だと思ったみたいです。

親権は祖母が引き継ぎ、
親父とは親子関係を切りました。

そして親父の怪我は、
全治半年らしいです。
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