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近親相姦 親×子体験告白 RSS icon
※父母とその子の間柄での体験談

母との夫婦生活

投稿者:mike ◆5hYnlrfgHA
削除依頼
2026/01/11 21:55:08 (YzdQr6Pk)
私は25歳、母は50歳になり、母とは夫婦のような生活を送っています
始まりは私が23歳、大学を卒業して社会人になり1年が過ぎた時です

大学入学で実家を離れ一人暮らし、休みになると帰省していましたが両親がどこかぎこちない雰囲気なのは感じていました
3年になる頃には普段は別居していて私が帰省するのに合わせて夫婦を演じている感じ
この頃からいずれは離婚するんだろうなとは思っていました
大学を卒業しても実家には戻らず会社近くのアパートを借り、自分の給料で生活して仕事にも慣れたこと
両親から離婚すると打ち明けられました
覚悟はしていたので驚くことはなく、その場でどちらについて行くかは保留し
後日、個別に会って今後どうするのかを聞き出しました

父親はすでに新しい女がいて離婚が正式に決まれば近いうちに結婚するつもり、その女性にも会いましたが、母親より若い、私より12歳上の女性
少し離れたお姉さんという感じで、正直父親から寝取ってやりたいと思うほど魅力的な女性でした
実家には父親が残るということやいざという時の経済的な理由から考えれば父親に付くほうが将来は安心だと思います
でも母親に会って母親も少し浮気していたことを聞いた時には父親寄りに傾きましたが、すぐに再婚しようとしている父親やこれから女一人で生きていかなきゃならない母親を考えたら、私は母親を選びました
とはいえ一緒に暮らすほどでもなく、お互いどこに住んでいるかは交換していましたが、行き来することはありませんでした

離婚が正式に決まったことを父親と母親から聞いて、父親とはどうせあの女とやりまくってるんだろうと思うと会う気はなく
母親とは月2,3回会ってお茶したり食事をしていました
頻繁に会っていないせいか、会うたびに痩せているというかやつれている感じが見られます
介護の仕事をしていて夜勤もあり、疲れた日は父親が料理やその他のことも進んでしている仲だったのが、今では自分一人で何もかもやらなきゃならない生活
自分にも非があるとはいえ離婚になったことは精神的にくるものがあったのでしょう
ある日、私は無理やり母親を心療内科に連れて行くとうつ病の診断
その診断書を職場に持っていき休職と傷病手当金の申請を依頼し、母親が住んでいるアパートは解約して私の部屋に住むことにしました
私が住んでいるアパートは築年数は古く隣の部屋の音が聞こえてくるほどのボロでしたが部屋数があり賃料も安かったので男一人で住むには快適な環境、母親と同居するにも問題ありませんでした

問題があるのは、当時付き合ってた女性がいないので性欲を発散させるための寝る前のオナニー
母親とは同じ部屋で布団を並べて寝ているので、先に寝ているとはいえ隣でオナニーする気にはなれません
しかたなく会社のトイレで抜いたりして発散させていました
ある日、トラブル対応で朝帰りし、母親が寝てる隣でそのまま眠りについたあと、目が覚めたのは11時頃
母親は仕事に出かけたようで、テーブルの上には朝ご飯か昼ご飯が用意してありました
洗面所で顔を洗おうとすると結構な量の洗濯物、私も母親も溜まってから一度に洗濯するタイプだったので、天気もいいし洗濯するかと洗濯籠の中身を洗濯機に放り込んでいたら、洗濯ネットを見つけました
中身は母親の下着ということはすぐにわかります、一度はそれを掴んで洗濯機の中に放り込みましたが、悪戯心というか昔の気持ちが湧いてきて再び手に取りました

それは、私が小さい頃母親のおっぱい離れができず、小3の終わりまで母親と一緒にお風呂に入っていて、そこで母親のおっぱいをおねだりしていました
母親からも父親からも「もう一人で入りなさい!」と言われましたが、父親がいない日は母親に泣いてすがり一緒にお風呂に入って母親のおっぱいを吸ったり揉んだり、今思えば母親も気持ち良くて小さな喘ぎ声を出していたと思います
そんな母親のおっぱいが大好きだった私、好奇心で洗濯ネットのジッパーを開くと、ブラとパンティーのセットが3組と、寝る時にするナイトブラと思われるものが1枚
サイズを見るとE70、でかい胸だと思っていましたがここまでかと思うとチンポが硬く勃起してきます

いつしかブラの内側を舐め、あの頃母親のおっぱいをしゃぶっていたことを思いだしながらオナニーしていました
ブラとセットのパンティーにはあまり興味がなく、ティッシュ代わりにチンポに巻き付けシコシコ
オカズはあくまでもブラから感じる母親のおっぱい
あっという間に一発目の射精を終え、ブラとパンティーを変え二発目もフィニッシュ、少し休憩して三発目も出し、ブラもパンティーも唾液と精液で汚しまくっていました

賢者タイムも終わり、汚した下着を洗濯ネットに戻して他の衣服と一緒に洗濯、洗濯が終わったあと下着を確認して変な染みがないことを確認したが、そのままネットに入れたまま、恥ずかしくて放置したフリをしていました
帰宅した母親が洗濯してくれたことを感謝してくれましたが、私は洗濯ネットの中身は干してないと告げました
「あら、母さんの下着なんてなんとも思わないんだし、干してくれていいのに」と何も気づいていない母親
それから、母親のいないところで下着でオナニーするようになり、母親のこともエロい目で見るようになりました

最初はおっぱいだけですが、しばらく彼女もいなくソープでゴム付セックスで発散していたので母親とはいえマンコにも興味が出て
パンティーのクロッチを舐めてクンニしている気分を妄想していると、もはや母親ではなく一人の女としてみていて
どうにかしてセックスできないかと考えるようになっていました

母親が休職して心療内科への通院がありつつも週末は休みになるので、金曜の夜に一緒にお酒を飲んだり、週末ドライブに誘ったりと今までできなかったことをして距離を近づけていきました
特に一緒に酒を飲むと元旦那の趣味や仕事の愚痴をこぼすので、母親の隣に座って肩を抱くとうれしそうにしてさらに愚痴を吐き出したり
混浴ではないけど日帰り温泉に連れていけば車内では小さい頃私がおっぱい離れできなかった思い出を話したり

ある日「一緒にお風呂に入らない?背中流してあげるよ」というと少し考えたのち「じゃぁ、お願いしようかしら」と
これが母親のOKサインでした

長くなったので続きはあとでレスに書きます
216
2026/01/11 17:05:21 (egyDnouh)
親父は、毎日朝からパチンコをしているぐうたら亭主でした。
私は幼い時から家庭が複雑で、母親は私が小学5年生の時に、私たちの家
庭を捨てて、他の男と家を出ていったまま、全く連絡が取れません。
母親は家を出るとき「あんたのお父ちゃんは、パチンコばかりで生活がで
きんから市役所に行って相談しなさい。」と言われ、そのまま児童施設に
入って中学卒業まで生活していました。
そこで、生活しているとき上級生のお兄ちゃんから、初めて抱かれまし
た。これが見つかったら退所処分になるので、だまっていたら、今度は他
のお兄ちゃんからも抱かれたけど、やはり黙ってました。
中学卒業と同時にやっと家に帰れたので、自由がありうれしかったです。
中学を卒業して、障がい者福祉施設にスタッフとして働き始めました。
ある日、仕事が終わって、家に帰ると珍しく夕方なのに親父が家にいたの
で「どうしたの?」と聞いたら「パチンコで負けて金がないので帰ってき
た」と言いました。
その晩、私が寝ている布団に入ってきて私を抱いて「お願いだから少し金
貸して」と言ったので「パチンコに貸す金はありません。布団から出
て!」と言いましたら、泣き出しましたので、「パパはタバコ臭いから、
タバコを止めたら私と一緒に寝てあげてもいいよ」と言った2~3日後に
「タバコ止めたから一緒に寝てくれるか?」といったので「仕方ないね」
と言って寝るようになりました。
それから三か月ぐらいしたときに、私の体を親父が触っていので目が覚め
ました。「パパ、何やってるの!」と怒りました。
その翌日、親父は「昨日はごめん」と泣くような声で言いましたので「パ
パは女と遊ぶ金がないよね」と言って、私なりに考えて親父に「パパがパ
チンコを止めるんだったら、私を触ってもいいよ。でも、キスとかセック
スはダメ!」と言ったら、「わかった、パチンコ止めるよ」と言ったの
で、その夜から私の体を触らせました。
親父は、とても興奮していて私もペッティングだけでいってしまいまし
た。
私は、小さい時から母親よりも父親が好きでした。世間でいうダメおやじ
ですが、飲み屋で働いていた母親はいつも男を作って、私などほったらか
しで、家で留守番しながら寝ているといつも親父が布団しいて寝かしてく
れていました。食事もよくラーメン屋さんに連れて行ってくれてました。
母親は、付き合ってる色んな男たちに、親父の悪口をいつも言っていまし
た。
親父は本当に、私の言うことを聞いてタバコもパチンコも止めてくれまし
た。私は本当のところ、親父のペッティングだけでは我慢できなくなって
いましたので、夜、ペッティング中に思い切って「パパが仕事探して働い
てくれたら、キスもセックスもいいわよ」と言ったら、「ありがとう、分
かった、いつになるかわからないが、仕事を本気で探すから、今夜抱いて
もいいかい」と聞いてきたので、もちろん「わかったわ、パパ、キスし
て」と言って私たちは初めて結ばれました。
その夜は、セックスの準備をしていませんでしたので「お願いだから外に
出して」と言って、その夜はたいへんでした。
次の朝、お互いに顔を見するが恥ずかしかっように思います。親父に「パ
パ、昨日、どうだった?」と聞いたら、「最高だったよ。これから仕事を
探してくる。」と言って自転車で出かけていきました。
一か月ぐらいして、新聞配達とビラ配布の仕事が決まりましたので、その
夜は私が布団の中で大サービスしてあげました。
親父は仕事にも慣れたとき、飲めない缶ビールと小さなケーキを買ってき
て私の誕生日のお祝いをしてくれました。その時、嬉しくて涙が止まりま
せんでした。そして親父が「お誕生日おめでとう、お前がタバコやパチン
コを止めさせてくれたね。そしてパパを就職させるために抱かせてくれ
て、お礼の言いようがないよ。」と言ってくれたことにまた涙しました。
その夜は、布団の中で思い切っておいしく飲んであげました。そして親父
に「パパはこんな若い娘を毎晩抱けて幸せものよ。」と言いながら、私も
喜んで抱かれました。
私は正直言って、障碍者福祉施設の副管理者と結婚を前提にお付き合いし
ています。親父にこのことを言うタイミングと、やっと世間的にも立派な
社会人になっているのに、私が離れることで、親父の生活が元に戻るので
はと悩んでいます。
217
2026/01/12 04:13:33 (Toi4NRhS)
去年の11月、妻が糖尿病の検査入院で病院へ行ってる時の事!、娘は高校二年、学校から帰ってきて家のこと良くやってくれてる、顔も妻そっくりで、台所で食事の支度してる後ろ姿も、今、家にいるのかって錯覚してしまう位体形
218

M母

投稿者:一樹
削除依頼
2026/01/10 14:34:17 (2ExMfpkX)
父親と母親が「ご主人様と奴隷」なことなのは知ってた。
で、やりたい盛りだった俺は、性欲で頭がバカになっていて、父親が仕事で帰ってこない日の夜に母親に襲いかかった。
抵抗されなかったどころか、キスしたら母親から舌を入れてきた。目の前にちんぽ出したら咥えてきた。服を脱がせようとしたら自分から万歳の格好して脱がせやすくしてきた。お尻を叩いたら自分から叩きやすいように突き出してきた。
母親が俺を誘っていたとかっていう話じゃなくて、単純父親による調教の成果だったみたい。母親も多分自覚してないんじゃないかな。
口ではダメとか小さな声で言うけど、挿入しようとしたら自分で足を広げるし、正常位でセックスしている時に俺の乳首を弄れると言えば弄るし。
その後も10回は母親を抱いた。毎回必ず中出しした。
父親から「母さんな、2、3日入院するんだ」と言われて、理由を聞いたら、ちゃんとは答えてもらえなかったけど、中絶手術らしかった。父親の子なのか俺の子なのかはわからないし、どうでもいい。
その後、父親と母親は離婚した。
俺はもう独立できる年になっていたから、どっちにつくとかはなかったけど、父親とも母親とも疎遠になった。
一度母親と飯食ったら、当たり前のようにホテルに行くことになり、セックスした。
母親は離婚してからの方が美人さに磨きがかかっていたけど、なんかその1回で萎えて、それっきり。
そういえば今日が母親の誕生日だったなって思い出したので書いてみた。
219

興奮-3

投稿者:ついに ◆e.vRhEuGyM
削除依頼
2026/01/02 04:22:34 (3ms2RQ0w)
大晦日の夜

夕方から父親は炬燵でTVを見ながら酒を飲んでいた。
母親は明日の支度と年越しそばの支度。
キッチンに立ち一人支度する母親の所にコップ等を取りに行く。父親に見えないように母親の尻を触ったり胸を揉んだりしたが母親は無言で好きにさせてくれた。

年越しそばが出来上がる頃に母親に手伝ってと言われキッチンに行き手伝った。
天ぷらを乗せている母の姿に我慢が出来ず母の下着に手を入れてオマンコを弄った。
母のオマンコは既に熱くヌルヌルに濡れていた。
すると母はさっ美味しいわよ、持って行ってねと自分の目を見て言った。
美味いのは蕎麦か母のオマンコの事を言っているのか勝手に想像して勃起した。

蕎麦を食べ終わり母親は入浴後に炬燵に入り父親と一緒に酒を飲み始めた。
その間自分は父親にバレないように足で母親を触ったり手で太股を触ったりしてアプローチした。
母親は無言で好きにさせてくれたが流石に手を股間に持って行こうとすると自分の手を握り侵入を阻止してきた。

父親は早くから飲み始めたためN○Kの歌番組が中頃まで進むと眠そうになってきた。
いつもならその頃に母親がベッドで寝るよう声を掛けるのだがビールから日本酒に代わった父親に酌をして酒を進めた。
それでも歌番組が終わりに近付いた頃に父親は酔った、もう寝る、良いお年をとフラフラしながら2階の寝室に向かった。
それを母親が後を追いベッドに寝かせたようだ。
戻って来た母親はパジャマに着がえ毛布を持って来ていた。

歌番組が終わりお寺の映像に切り替わった時に、母さんと自分が声を掛けた。
母親は自分の目を見て、うん、年越しちゃうね。言いながら立ち上がりパジャマの下を脱ぎ下着姿になった。この日も母の下着はTバック。
貴方も脱いでと母に言われ慌てて自分も下着だけになった。
母が勃起に手を伸ばし、もう硬いと言った
炬燵に入る母に続き自分も母と並んで炬燵に入った。
すると母親が炬燵布団の上に毛布を掛けた
自分を見ながら母が、大丈夫だと思うけどお父さんが起きて来た時にしてるのバレないように毛布掛けてやろうねと言うと下着を脱ぎ貴方も脱いでと言った。

自分が下着を脱ぐと母は炬燵布団をめくり勃起を確かめ扱く。
母とネットリとキスをして母のヌルヌルのオマンコに手を伸ばし触る。
どうする?もう挿入る?年越すまで我慢が出来る?
年越し10分前だが我慢の限界の自分は、我慢するから挿入れたいと母に告げた。
母が横になりお尻を突き出した。
挿入れてと母が言った。
母の後から勃起を挿入れようとすると母は股間から手を伸ばし自分の勃起を握ってオマンコに誘導してくれた。
自分の勃起が母のヌルヌルマンコに触れると母は挿入れてと再び言った。
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