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出しもの芸

投稿者:典子
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2026/03/21 12:21:36 (yRZlFIwA)
一年程前に話した事ですが、今回詳細に語りたく思いましての投稿です。
数年前に還暦を迎えました主婦です。
今から41年前の1985年は、忘れられない悲惨な事故がありました。
日航機墜落事故という惨劇があった日でした。私が25歳を迎えた年でしたので忘れることも出来ません。
その年の暮れ。大忘年会と称して○豆の温泉旅館を借り切っての社員全員参加で行われたのでした。
現在とは異なり、不参加等は許されない世相でした。会社組織の催しには絶対参加を義務付けられていた封建的な時代なのでした。
各部署に分かれての隠し芸大会の出し物。各部署、工夫を凝らしての出し物で大賑わいになりました。
私は経理部に所属していました。私の部の出し物は「女鼠小僧」でした。
経理部での紅一点の私が、当然に女鼠小僧に扮する他ありません。
舞台上に上がった私。何をするでもなく、役人に扮した数人(上司、役員)から、囚われる役目だったのでした。
浴衣一枚で社員全員が見守る中、繋ぎ合わせた浴衣の紐で、後ろ手に縛り上げられて引き立てらるれといったものでした。
浴衣の裾は乱れ下着も覗ける始末。襟元ははだけ、片方の乳房は丸出しとなりました。
余りの恥ずかしさと屈辱に我を忘れて泣き出した私でした。それをよいことに、悪乗りした上司は、神妙にしろと言わんばかりに猿轡迄も噛ませてきたのでした。
会場は熱気と歓声の渦中にありました。現在でしたら、当然ながらセクハラ行為にて会社もそれに加わった者達は厳罰に処せられることでしょうが、この時代は許されていたのでした。
「これからこの女盗賊をこのまま部屋へ連れ戻り厳しく吟味する」上司、役員の五人の者達に後ろ手の紐を取られて引き立てられれて部屋に押し込められたのでした。
気も遠くなる中、引き立てられて舞台袖から消えてゆく私の耳に、会場からの大きな拍手が、私の惨めさと悔しさが相俟って涙を流していました。
そして、部屋に連れ込まれて、五人の者達の慰み者にされた事は言う迄もありません。
 
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18
投稿者:ミケネコ
2026/04/16 23:10:22    (fQ0hBqEz)
まだ、観る気十分ですが、 
私一人では物足りないかかもですね
典子さんの望んでもいない奴隷生活にも関わらず、女の喜びを感じ、苦しむ姿・・
年甲斐もなく私も男ですね、興奮してきます。
再投稿お待ちしております
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投稿者:ミケネコ
2026/04/15 00:39:15    (HmLJtno1)
お待ちしておりました 典子さま。
お話続けたいです。お願いいたします
心配して居りました、お元気にされて居られましたか??、心配です。
入院とかされていたのでは、と想像してしまいます
或いはまた貸出されていたのじゃないかと。若い時と違い肉体的に、可なり厳しい状況じゃないかと想像します。
差し出がましいことですが、健康の方は大丈夫なのですか、私には想像しか出来ない
事ですが、彷徨う40年間、肉体的には想像も出来ない苦痛を味わされ続け生死を
さまよう環境下で、それ以上の精神的な苦痛。よくど今まで命が続いたものだと感じます。貴女の強さに感服します。
彼らに対する怒りと、貴女が愛おしい思いが私の心を揺さぶります。今もなお続く貸し出し生活。「女は死ぬまで女
女」と言われるように、蜜ツボがある限りそれを必要とする、心無い人間どもが居るのですね。恐ろしい限りです。貴女だけでなく他にも可なりの数の女性達の犠牲者がいるのでしょうね

お話お聞きしたいです、宜しくお願いいたします。
今の生活は、引き続き会長の娘の管理下で、貸出(お金もうけ)されて無い時も自由の無がないのでしょうね。娘の調教下に置かれているのでしょうな。ここに投稿される時間も限られているのだと思いますが
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投稿者:典子
2026/04/11 14:40:18    (tMxB7.oV)
暫くのご無沙汰でした。
お時間が空いてしまったので、投稿するのは、どうしたものかと悩んでいました。
まだ観てくれているのであれば、その旨お伝え下さい。
私も、投稿を再開致します。
15
投稿者:ミケネコ   8492132a
2026/04/03 23:45:17    (CYN9Frl/)
身の毛もよだつ自叙伝ですが、予想はしておりました
貴女も犠牲者に・・貴女と似た経験をしている女性と全く違うサイトでお話しした事があります。
す。その方は海外に売り飛ばされ等て・・交信は途絶えました。

医者に医者に司法関係者(それも上層部の)、経営者等の富豪者。世間での権力者達に力及ぶ物はないです
貴女は何某かの身元を確認できるものをお持ちでしょうか。恐らくお母さまも身元不明扱いされて、酷いようですが
お墓はないのではないのではと・・貴女には酷いですが、心で冥福をお祈りするしかないかもと・・・酷い事を言う私ですが
お許しください。貴女ご自身の保険証等お持ちですか・・もしかしたら無いかも。
日本の現在の行方不明は公式だけで8万人を超えています。現実はもっと数字があがるでしょう、怖い話です。
その中にお母さんも典子さんも含まれているかもと想像するのですが。関東地方で数年前観光客のフランス人女性が行方不明になった事件も警察はまともに捜査もしてないですから。フランス政府からクレームが付くほど
に。
話がかなり脇道にそれてしまいましたが、医者と司法関係者に弄ばれたら、一人の人間・人格などひとたまりもありませんからね。この世から抹殺されてしまいまうよね。まだ典子さん、使い道(貸出による金儲けができる)
があるから、「会長かとの娘」典子さんの貸出で生活しているのでしょう、もし他に仕事をしていても、贅沢に生活、しているのでしょう。生かす殺さずに典子さんを生かしておかなければね。
医者が絡んでい事ですから、初めの文章で「肉体改造」とのお言葉がありましたが、恐ろしい事に、妊娠すれば面倒ですから、大事な子宮を取られてしまっているのではないですか、そして大事な大事な性器も加工されてしまっているのではと思うのですが。

もう貴女は、その環境から逃げ出したくても長年その環境・運命に従うしかない、長い長い人生道のりから、逃げ出したい気持ちをもぎ取られてしまっていると思いますが、
何の力も権力持たない私ですが、私に何か出来る事がないかと、そして彼らに仕返し(取り返しはつかないけれど)思い知らせてやりたいと

文章からして典子さんは凄く知的で(大学も良いところ)を卒業され、容姿も美形ではと想像します。
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投稿者:ひこばゆ
2026/04/03 12:13:12    (JXiCfAqH)
初めまして、長文読ませていただきました。最初は興味本位で読んでいたのですが読み進めて行くうちにただならぬものを感じました。恐ろしさに体の震えが止まらなくなりました。
40年されど40年、わずか40年前にその様な事があったのですね。日本の色々な場所に貸し出されたなんて、辛かったでしょうね。本当に今日までよく無事でいられたと思います。
25歳の時点から現在のお齢しまでずっと自由がなかったという事なのですね。お話しの最後の方は余りにも悲しい出来事でした。遠く離れた地で亡くなられたのですね。ご遺体に対面することも許されずに、そんな日にも男の人からの折檻を受けていたなんて地獄だったと察します。
辛くなければお話しの続きをお聞かせ下さい、突然のお便り失礼いました、一女性です。
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投稿者:典子
2026/04/01 21:45:00    (BK9l.0UY)
一枚目の投書が記載されなかった為、改めて書き直して投稿したところ、
両方とも載ってしまいました。悪しからず。
二枚目は、少し文章に手を加えてありますが、どちらも、ほぼほぼ同じ様な内容です。
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投稿者:典子
2026/04/01 21:32:00    (BK9l.0UY)
三日程、家を留守にして居りました。
こんな、おばあちゃんでも、未だ需要があるものでして、二泊三日で、コッテリと虐められて参りました。
この歳になりますと、受ける縄目の厳しさには、お許しを乞うのですが、当然に許される筈もなく、雁字搦めに縄掛けされて涙した三日間でした。

さて、お話を進めて行くに連れて、何処から話していって良いものやらと苦慮して居ります。
この先の私の寿命を考えると、過ぎ去りし41年間といった歳月は、人生の半分近くを監禁生活に費やして来たものと思われます。
自分の意思とは無関係に無慈悲にも運命といった歯車が勝手に動き出したのでした。
大袈裟に申せば、死にも直面しました。そういった場面を何度も乗り越えて来た私です。強運だったのでしょう。
でもその強運が、更なる過酷な現実に私を引き戻したのでした。
ひとつの例を挙げます。初老男性に貸し出されて、北海道に渡りました。
最も寒さの厳しい土地柄でした。冬、吹雪襲い来る極寒の夜更け、全裸後手緊縛で庭の立木に縛りつけられて放置されました。
赤々の燃え盛る暖炉の部屋の内からご夫婦の笑顔が見えるのでした。
極限の寒さの中、30分もしない内に眠気が差してきました。
朦朧とする意識の中で、これで楽になれる、死ねるんだ、これであの辛い拷問から解き放たれる。
でも結局は、ギリギリのところで助け出されて、また過酷な調教の日々が待っていたのてした。
それからも何度となく死の淵を彷徨った経験があります。
その男性とは、二年間の人貸し契約という事でした。二年後には、元の旅館に戻されたのでした。
その他、東北、北陸、中部、山陰、山陽、四国、九州といった日本各地に貸し出されて来ました。
数え切れない、ありとあらゆる男達の精液を子宮内に受けて来ました。と、同時に口内でも受け止めて胃袋に収めて来ている私なのでした。
ここに、41年分の出来事を、どんなに集約して話しても、収まり切れません。
其方でお聞きしたい事を言って貰えますでしょうか。その方が私としても話し易いのですが。
どんな質問でも構いません。あらゆる内容のお話しでも、全てお答え致します。

こちらも先にお知らせしておいた方がよろしいと思います。
本当は伏せておくつもりでいたのですが、もう既に亡くなっている方達ですので時効という事で話します。
大学病院医師、政治家、法曹関係者、その他それなりに地位の高い方が挙って足を運んで来ていました。
当時、高級社会人と呼ばれていた方々です。所謂、上流階級の人達でした。

さて、話しは変わり、我が家へと移ります。
会社の上司が我が家を訪ねて、母に言った言葉がありました。
「娘さんは、会社でも何か悩んでいる様子でした。
今後私達、知り合いの弁護士さんとも相談して、娘さんを探しますので安心して下さい」
そう言って、母を安心させては、自分達の方へと引き込んでいったのでした。
そして遂には捕らえられてしまい、私同様の監禁生活を強いられてしまいました。
私同様に色々な地方に貸し出されて行きました。数年後の事でした。九州のある地方での事でした。其処で母は最期の時を迎えたのでした。
未だ59歳という若さでした。私は旅館で、その事実を聞かされたのでした。泣き崩れました。
母の元に行かせて欲しい、母に合わせて下さいと泣き叫んで懇願しました。身体を揺すり踠きました。然し、厳しい縄目から抜けだすことは、到底無理な抵抗でした。
男達の掛けた縄目は緩むどころか更に素肌を締め付けてきました。この時程、縛られている我が身の惨めさと悔しさを味わった事はなかったです。
母が死んだ時くらい休ませて欲しい。せめて今夜くらいは一人にしておいてください。必死の哀願も聞き入れては貰えませんでした。
泣き叫ぶ口には猿轡で固く覆われてしまいました。母親の死に目にも会えない(合わせて貰えない)親不孝者の私なのでした。
「我が儘を言わずに、、さぁ、お客様が待っているんだ。今日は三人を相手にして貰うからな」
縛られた体で部屋に連れ込まれた私の目に、太いガラスのシリンダーを持った男が、怪しく嗤って手招きをするのであった。
天井の梁からは二本のロープが間隔を空けて垂れていた。両足を片方づつ繋ぎ止める為のロープであることが直ぐにわかった。
そうしておいて浣腸することが一目瞭然であった。
こんな日にまでも浣腸されるのかと情け無くて仕方なかった。
母の死を知らされた悲しさの中、母の面影を抱きつつも、汚物を撒き散らす私がいた。
その後、後背位で男と繋がった私。女陰と肛門を交互に貫かれて昇天するに至った。
女の身とは浅はかなものである。母親の死に悲しみながらも、女の悦びには貪欲な私だったのでした。「女は灰まで」とは、よく言ったものです。
そうして私は、刻一刻とマゾヒストへの道をあゆんで行くほかなかったのでした。もうこの頃では、なまじ自由な手がモドカシクさえ思うようになっていました。
さて、母が眠るお寺は何処に有るのか、誰も教えてはくれませんでした。果たしてお墓は存在していたのか、それさえも分かりません。
母の死は永遠の闇に葬られたのでした。
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投稿者:典子
2026/04/01 18:28:11    (BK9l.0UY)
諸事情ありまして、家を留守にして居りました。
このおばあちゃんになっても需要がありまして、未だ貸し出されている私なのです。命令なので仕方ありません。
60を過ぎた肉体に受ける縄目は辛いものです。二日間縛られ通しは、身に堪えます。
さて、お話を進めて行くに連れて、何処から話していって良いものやらと苦慮して居ります。
自分の意思とは無関係に無慈悲にも運命といった歯車が勝手に動き出したのでした。
大袈裟に申せば、死にも直面しました。そういった場面を何度も乗り越えて来た私です。強運だったのでしょう。
でもその強運が、更なる過酷な現実に私を引き戻したのでした。
ひとつの例を挙げます。初老男性に貸し出されて、北海道に渡りました。
最も寒さの厳しい土地柄でした。冬、吹雪襲い来る極寒の夜更け、全裸後手緊縛で庭の立木に縛りつけられて放置されました。
赤々の燃え盛る暖炉の部屋の内からご夫婦の笑顔が見えるのでした。
極限の寒さの中、30分もしない内に眠気が差してきました。
朦朧とする意識の中で、これで楽になれる、死ねるんだ、これであの辛い拷問から解き放たれる。
でも結局は、ギリギリのところで助け出されて、また過酷な調教の日々が待っていたのてした。
それからも何度となく死の淵を彷徨った経験があります。
その男性とは、二年間の賃貸契約という事で、二年後には、元の旅館に戻されたのでした。
その他、東北、北陸、中部、山陰、山陽、四国、九州といった日本各地に貸し出されて行き来ました。
数え切れない、ありとあらゆる男達の精液を吸って。と、同時に口内で受け止めて飲み下す。どれ程の量を胃袋に収めてきたことでしょう。
それな41年分の出来事を、どんなに集約しても、描き終えるには、膨大な時間を要します。
出来ましたら、其方でお聞きしたい事を言って貰えますでしょうか。その方が私としても話し易いのですが。
どんな質問でも構いません。あらゆる内容のお話しでも、全てお答え致します。
それでは、先にお知らせして置きたい事柄がございます。
当時、私を監禁凌辱していた五人の者達の職業は、会社経営者は言うまでもない事なのですが、、。
大学病院教授、政治家、司法関係者。その他諸々、それなりに地位の高い方が挙って足を運んで来ていました。
当時、高級社会の人達と呼ばれていた人間です。
もうこの世の者ではありませんので、時効という事でご理解ください。
一方、会社の上司が我が家を訪ねて、母に言った言葉が、「娘さんは何か悩んでいる様子でした。今後私達、警察も含めて全力で探していますので安心して下さい」
そう言って、母を安心させては、自分達の方へと引き込んでいったのでした。そして遂には捕らえられてしまい、私同様の監禁調教を強いられる身となってしまいました。
私同様に色々な地方に貸し出されて行きました。九州のある地方だったと聞いています。其処で母は最期の時を迎えたのでした。
未だ59歳という若さでした。無理が祟ったとの事でした。元々、身体の弱かった母でした。厳しい折檻と調教に耐えられずに最期を迎えてしまったのでした。
私は旅館で、その事実を聞かされたのでした。悲しさと悔しさで泣き崩れました。
母の元に行かせて欲しい、母の亡骸に合わせて下さいと泣き叫んで懇願しました。身体を揺すり暴れました。厳しい縄目から抜け出そうと踠いてはみたものの
男達の掛けた縄目は緩むどころか更に柔肌を締め付けてきました。この時程、縛られている身の惨めさと悔しさを味わった事はなかったです。
「母が死んだ時くらい、休ませてください、一人にしておいて下さい」必死に哀願した私でした。でも許される筈もなく、頬を強く打たれました。
悔しさで泣き叫ぶ口には、幾重もの猿轡で覆われ尽くされました。
母親の死に目にも会えない(合わせて貰えない)親不孝者の私なのでした。
「さぁ、我が儘を言わずに、、お客様が待っている部屋に行くぞ。今日は三人を相手にしなくてはならないんだぞ」
男二人に両脇を抱えられて、引きずられるようにして、お客の待つ部屋へと入れられたのでした。
既に、客の男も、そうした事情は知らされていたようで、「そんな悲しさなんて直ぐ忘れさせてやるから。
今日の浣腸はグリセリン液だから効くぞ、苦しいと思うけど、お前の口で儂を逝かせる迄、排泄は許さんからな」
母親が亡くなったというのに、男の目の前で汚物を撒き散らしている私がいました。
その後、後背位での結合、男の巧みな動きに翻弄された私でした。
その時点、母親の死の悲しみも忘れて、腰を振り、自由になった口からは、もっと突いて、腰の動きを止めないでもっともっと激しくに、、焦らさないで、、。
そんなふしだらな言葉で昇華を促している私なのでした。
結局、母親のお墓参りにも行かせて貰えず仕舞いでした。
お寺も何処なのか知らせてもらえず、果たしてお墓も存在するのかどうなのか定かではありません。
母の死は永遠に闇に葬られたのでした。
10
投稿者:ミケネコ
2026/03/28 23:41:28    (gD71fEfL)
私共は70代後半ですが、典子さん時代の履歴書も、今では考えられない、封建的な、世界に類のないものでしたね。
全ての家族関係を書かされていましたからね。お母さんまでもがね。辛かったでしょうね。
それにしても最悪の会社に就職されてしまい、運命としか言いようがないですね。噂では女を抱かせてくれる旅館があるとは聞いていましたが、その様な恐ろしい旅館も実際に存在していたのですね。
「口惜しさが、喘ぎ声に」貴女だけではない女のさがですね。苦しい苦しい中の少しの救いかも?
まだ、男性経験も殆どないうら若き25歳の娘、貴女が拉致された当日から、貴女を屈服させる為のあらゆる責めと道具、三か月の監禁生活中、縄を解き放たれる時は、辛うじて、客の男達の精液を注がれる時だけだったのではないかと想像いたします
排泄(常に浣腸では)も入浴も食事(餌だったかも)も縛られた、男の物が入ってない時は、二本のディルドーで塞がれ・・嫌でも「喘ぎ声ごえ」漏れる様に、なりますよ。
そして、40年経った今も、予想通り、役員夫婦の娘との関係が進行中なのですね。
そうですね、貴女の思っておられる様に、「その様な運命」だと思います。貴女だけででなく全ての人は、なにがしかの運命に引きずられて生きている様に、思います。
お忙しい中、又お話しお聞かせ下さい。
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投稿者:典子
2026/03/28 16:43:29    (WFN.EWq/)
今日は時間の余裕がありましたので、もう一章書かせていただきます。
先に記述しました「もっと恥ずかしい目に、、もっときつく縛って、、もっともっと辛い目に合わせて、、」
このことばの真意は40年経った今でも定かではありません。当時のこの環境の中での切実な叫びであったのではと、受け止めている次第です。
余りの激しい責め折檻に耐え忍ぶことが困難になり、苦しさから逃れたいが為の仮の姿で発した言葉であったのか?
もう一人の自分と言う人間が、その行為を甘んじて受け入れるが為に漏らした言葉なのか?
つまりは潜在的な被虐体質が備わっていたのか否かの狭間に佇んでいたのではあるまいか。
次に私の家庭環境は、母一人、娘一人の親娘二人の家族でした。母もこの男達の毒牙にかかり、這い出すことが出来ないアリ地獄に埋もれてもがいているのでした。
此処に、母が登場するには、もう少しの時間を要します。
そして、役員夫妻の一人娘とは、図らずも現在も関わっています。
か何にせよ、上司、役員夫妻、そして私の母親等々、当時の者達は、既に黄泉の者となっています。
旅館の女将が存命で有れば、現在、70歳を超えているものと思われます。
旅館の女将の名前が出て来たところで、話しは当時に戻ります。
その後、その旅館の内では、女将、仲居による厳しい調教をうけた私です。土曜日曜ともなると、
五人の男達が週を挟んで入れ替わり立ち替わり旅館を訪れて、私を嬲り抜いて楽しんで行きました。
さて、話しは変わりますが、昭和60年頃までの履歴書といった物は、今では考えられないものでした。
本人以外の家族全ての記載項目が義務付けられていたのでした。
例えば、両親の住所氏名年齢、電話番号、勤務先の住所電話番号等々、本人同様の記載項目が義務付けられていたのです。
その頃は、個人情報等といった言葉もありませんでしたから。本当に無防備な時代でした。
従って、犯罪目的を以って、その家を探し出すのは事など意図も簡単な事なのでした。
私の母は、そうした無防備な環境の中で、男達のターゲットに成らざるを得なかったのです。巧みに張り巡らされた網に掛かってしまったのでした。
これで、大凡の流れは感じ取って頂けたものと思います。
旅館での調教は、私が置かれた三か月間の調教は過酷を極めました。この旅館は一般の客は受け付けませんでした。
私のように騙されて連れてこられた女達さを調教して性奴隷にし上げることを目的としていたのでした。
私への調教の一環として、その日に宿を取った客に私を充てがうのでした。見ず知らずの男に犯されるのでした。
中には、80歳に近い老人に散々な目に合わされた事も有りました。高齢者故に、尿漏れを起こす始末。ブリーフ等と言った物は着けずに、褌を愛用していたのでした。
運悪く、その老人は「猿轡マニア」であった為。老人が思い付いた責めは、そのフンドシでのサルグツワなのでした。
先に、手拭いで固く口を塞がれていた私。残る鼻腔の上から、黄ばんだ褌を巻き付けられた私は青色吐息でした。老人の体臭と尿臭に目眩を起こしながら犯され続けたのでした。
役員夫人にしろ、老人にしても、私という女は、能く能く、そうした責めに遭わされる運命を辿る女なのだと悟らされました。
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