自分が小学生の中学年頃、両親がセックスしているのを何度も目撃した事がある。 どうせ子どもには分かるまいと、たかを括ってやっていたようで、結構覗き見る機会があった。 一番鮮明なのは、或る夏の夜、7時か8時頃の事。 晩酌をやっていい加減酒が入っていた親父がお袋を、部屋の狭い隙間みたいなところに連れ込んでやっていた時の事だ。 二人は全裸だった。父親はお袋の上に乗っかって、いわゆる正常位で攻めていた。お袋はとても苦しそうに見えたが、今考えると単に ヨガっていただけだ。 親父のチンボは太くて大きかったので、まるで別の粋生き物のように俺には思えた。 もちろん当時の俺はセックスなんて知る由もないので、てっきり親父はお袋をイジメているのだと思い込み、何度も覗きに行った。 心配する妹にも説明しなければならないのだ。 お袋の口癖は「死ぬ!死ぬ!」という言葉だった。あれが「行く、行く」だったら、少しは五回の余地が巣kなくなったのだが、「死ぬ」 と聞いては、お袋を放ってはおけない。 それで俺は、二人の近くに行き、「お母さん、大丈夫?」と何度も尋ねに行ったのだ。知らない事とは言え、今にして思えば大胆だった。 そうすると、二人はその都度ピタリと動きを止め、お袋は「お母さんは大丈夫だから。今、お父さんに直してもらっているから」と普段の口調で 言うのだった。それでも、お袋のよがり声は尋常とは思えず、何回かは聞きに行ったのだ。 お袋の返事はいつも同じだった。 おそらく小一時間はその行為が続いていたと思う。親父はなかなか精力的で、好き者だった。そして、その血は紛れもなく自分にも遺伝していると後年思ったものだ。 今にして思えば、お袋のよがり声は玄関を通って、表の通りにも漏れていたはずだ。何十年も前の事とは言え、両親の行為は大胆だった。 その後、そんな場面は減ったが、今度は夜に俺の隣の布団でやり始めるのだ。これは普通だが、何しろ狭い我が家の事。自分はすぐに目を覚ましてしまい、お袋に「大丈夫?」と尋ねていたものだ。 妹も俺の隣で、只事ではない気配に震えていて、俺は小声で「大丈夫だから。寝なさい。」と言って、寝かしつけていたものだ。 何と健気だったのだろうか。 その後、俺が中学生くらいになると、両親の営みは思春期の俺を意識して昼間(自営業だった)に移行していたらしく、夜にそういう気配は感じなかった。 だが、もう一つ忘れられない事がある。 それは多分、親父が仕事で遠方に泊まりの用事があって何日か不在にしていた或る夜の事だ。 夜中、ふと俺の下半身の逸物が何かに撫でられている気がしたのだ。そして、すぐにそれはすぐ隣の布団で寝ていたお袋の指で行われていた事が分かった。 それは俺にとって驚愕だった。誰だって、母親にそんな事をされたら、じっとはしていられない。 当然、いくら我慢し用途しても、思春期の男の事で、緊張の中にもチンボが膨らみ始めてしまった。 一生懸命ほか事を考えるようにしても、生理的に反応してしまうのを抑えるのは無理だった。 俺は、今考えると残念なことをしたが、寝苦しいかのように装って、お袋と反対の方向を向いて、寝返りをうったのだ。 当然、お袋はそれを追っかけてまで指を伸ばして来るような事はしなかった。 あの時に俺がはっきりと気づいたことをお袋に示し、お袋の布団に入り込めば、誰も邪魔することもなく、お袋とセックスしていたかもしれない。 本当に残念な事をした。 それから成人して、何回かお袋を犯す夢を見た。お袋は可愛く女っぽかったので、異性として見る事もできたのだ。 そうして俺は「親殺し」ならぬ「母親犯し」で、お袋の母性に依存した息子から、男としての息子になったのだ。 こんな経験があるので、母子相姦の手記を読むと、全くの他人事とは思えず、一心不乱に没入してしまうのだ。 俺が40歳になった頃、お袋はガンで死んだ。俺は泣けて仕方が無かった。