2020/03/19 15:37:54
(cFuvOX96)
先月末、妻や間男から法外の慰謝料をせしめて離婚が成立。十数年ぶりに独身になったよ。
俺、46歳(広告会社経営)
元妻 41歳(専業主婦)
当方 子無し
間男たぶん36歳(元市役所企画課主任)
間嫁こちらもたぶん34か5歳(会社員)
先方 3人の子有り
俺が仕事中に我が家で事におよんでやがった。
まずは事の経緯から、我が社は父親の代から、地元のスーパーや商店街の広告やチラシなんかを企画.印刷したりする会社で、時より市の広報なんかを手掛けたりする事もあった。社員は5人と昔ながらの零細企業といった所で、私は大学を卒業とともに父の会社へ半ば強制的に入社。兄弟は妹しかおらず、跡取りとなれば俺しかいなかったし、当時は就職氷河期真っ只中だったから仕方なかった。我が社は基本、企画立案から印刷までをいってに行っているのだが、時より部数の多い案件が有ると印刷を外注に依頼していた、その外注先の事務員をしていたのが、元妻美沙子だった地味だが愛嬌のある子でしたから、何か惹かれて付き合うようになり結婚、それ以降は我が社の事務員をして貰っていた。父も気に入ってくれて喜んでいた。それからは地元のスーパーのオーナーとか商店街の週末のセールのチラシの打ち合わせとか、市の広報なんかの話しがあれば、元妻を伴い参加したいた。仕事は元妻のおかげで順調に推移していた。そんな中、父が地元では有名な大型ショッピングセンターの広告も手掛けるようになり会社は小さいながらも多忙を極めた。私も昼も夜も関係なく働いた。妻との夜の夫婦生活も無い訳では無かったが、結局の所子宝には恵まれる事は無かった。そんな私達夫婦は今まで以上に働いた。元妻はいつしか事務員の域を超えさながら営業企画部長みたいなっており、一人でスーパーのオーナーや商店街の店主さんとの打ち合わせや、市の広報への打ち合わせに出向くようにまでになっていた。その市の広報担当者が間男だった、私が元妻を伴い参加していた時はまだまだ上司のお供てきな、感が抜けない感じの男だった。ただ顔は今風に言うと清潔そうなイケメンタイプだった。皆さんはご存知だと思うがこの市の広報というのはいわゆる入札で、大量な部数のオーダーになると金額もはることから、入札システムとなり我が社のような零細企業では、大手広告代理店に取られ失注を繰り返していた、ですので、私は父と共に地元の大型ショッピングセンターを主体に営業をするように、どうせ失注するのは分かっている市の広報よりは間違いなく金になるそれらの営業をしていた方が良いと父も私も思い、市の広報への営業は元妻を中心にやって貰っていた。そんな中、元妻が市の広報から、大型入札を受注する事になった。父も私も久しぶりの市からの大型受注に喜び、元妻達の労をねぎらった。
その時はたまたまだろうぐらいに思っていたが、それからしばらく、市から依頼が妙に増えて来たように思えた、それに伴いあまり大きな声では言えないが元妻達の接待営業も増えて来たように思っていた。官庁関係は営業接待はNGなんで、むろん打ち合わせの食事会という名目で、それらは行われた。
そんな中、元妻の市の広報担当者(間男)に関する発言も増えた。
「間男さん今度の市の広報のリーダー担当者になるんだって」とか、
「主任に昇進するんだって、凄いよね若いのに」とか
「彼女さんと結婚するんだってでもマリッジブルーなんだって笑っちゃう」とか
「今度、第一子が産まれたんだって」とか
その後も、いろいろと聞きもしないのに間男の話が、ちょくちょく夫婦での話題に出るようになった。
お客様と仲が良い事は悪くは無いが、夫としてはなんだか憮然としなかった。
そんな中、おととしの暮れに父が体調を崩し私が跡を継ぐことになり、社長に就任する事になった。元妻も父の事は気になるものの、私の社長就任を喜んでくれ「これらまた、忙しくなるわよ!あなた、私も頑張るから、あなたも頑張ってね。応援してる。」と言った。それらからは、新たに事務員に私の妹を迎え入れ、元妻は部長とし私ともども営業にかけずり回る日々がつづいた。そんな時に元妻から
「市の広報の関係で姉妹都市への視察研修に間男さんから同行するように依頼があったの、若林君と私で参加して来てもいいかな?公費も出るらしから、他府県への視察行ってもいいかな?」との話しがあった。
それは私達が離婚をする事になる約1年前にさかのぼる。