2019/06/11 04:01:32
(X0nhc/qM)
町から叔父の家に向かって車を走らせると、道路の大半は山道になる
夏の時期でも車の通りは多くない
しばらく走っていると、除雪用の資材が閉まっている倉庫が見えた
夏季はだれも近づかないところだ
従妹にちょっと休憩しようか、と声をかけると、倉庫の陰に車を止めた
彼女の顔は赤味こそ残っているものの、表情は往路よりもさらに
固くなっていた
往路の時と同じよう頭に手を置くと、びくっと反応する
背中に手を回すと、やや身じろぎするようなそぶりを見せたが、
抵抗というには弱い意思表示だった
車のフロントシートはベンチシートのため自由が利く
そのまま腰まで手を回すとほんの少しこちら側へ引き寄せた
両手を腹の前で重ね、身を固くしている彼女の膝に手を置く
そのまま腿まで手を動かし、閉じた両腿の間にやや強引に
指先を潜り込ませて、タイツ越しに内腿感触を楽しんだ
弾力感はなく、抵抗感のない柔らかさだった
当時はまだ一般的な言葉ではなかった援助交際で、小中学生を
買ったこともあったが、その時とはまた違う感触だった
従妹は声を出さないものの、身じろぎをして逃れようとしたが、
じっとして、というと動かなくなった
しばらく内腿をさすった後、スカートの中の股間へ手を伸ばすと
熱気と湿度を感じだ
脚を閉じようとする彼女に、足を閉じるなというと素直に従った
下着とタイツの上から、触れるか触れないか程度の強さで、
隠れた筋をなぞるように指でなぞる
くすぐったいのか、両膝がそわそわと動いていたが、それでも
脚を閉じずに堪えていた
爪の先でカリカリひっかくようにしたり、指の腹でかるく
こすってみたり、時には強く押しながらこすったりなど、
攻め方を変えてしばらく撫でていると、湿り気が強くなって
来たのがわかった
スカートと、中のブラウスの裾をめくりあげ、タイツの中へ
手を入れて直に下着に触れると、明らかに水分を含んでいた
顔や、中のシャツはそれほど湿っていないため、汗以外の
水分と思われた
彼女の腰を浮かせ、タイツと下着を膝近くまで下げる
現れた無毛の股間に直接触れると、再び体を閉じて拒もうとする
やや強めの口調で抵抗しないよう言うと、再び抵抗をやめ、
じっと窓の外を見ていた
いける、判断した自分は愛撫をやめ、場所を変えることにした
このまま一気にたたみかけてしまいたい気もしていたが、
前が使えなかった場合尻を使う算段もしており、
下準備のことも考えると、わずかでも人が通りかかる可能性がある
場所は避けたかった
今いる場所から叔父の家のほうへ向かう途中、横道へそれると
だいぶ前に廃業した小さなスキー場の跡地がある
立ち入り禁止の立て看板はあるが、よけて通ることができるのは
学生のころに地元の先輩の車で肝試しに行った時に見ていた
廃墟もあるが有名どころではないし、当時は今のように廃墟探索
というものもそれほど知られていなかった
肝試しに来る連中も平日昼間には来ないので、近場では車で行ける
範囲では、考えうる限りもっとも人気のない場所だった
従妹の羞恥心をあおるため、下着は下ろしたままにさせて移動した
彼女の分泌物が多くてもシートにつかないよう、念のためタオルを
しいてその上に座らせた
30分くらい車を走らせ目的地に到着した
思った通り、人気はなかった
車のわだちもあったが、昨日今日のものではなさそうだった
念のため軽く周囲を確認すると、日の当たらないところへ車を止めた
日の当たるところで裸身を見たい欲求もあったが、服の下にあるはずの
肌が日焼けしたりすればあとで不審に思われるかもしれない
朽ちた建物もあったが、中は危険だった 物理的にも危険だし、
万一何者かが来た時にも逃げようがない
場所を決めると、まず従妹のタイツと下着を脱がせ、股間の湿った
部分をホームセンターで買った水で洗い流し、車のミラーに引っ掛けて
干しておく
ホームセンターではほかにレジャーシート2枚と子供用サンダル、ロープ
バケツ調達してある
レジャーシート1枚は車のフロントシートに敷く
リアシートのほうが自由度は高いが、万一の際、前に移動しない
と車を出せないためだ
彼女を再び車に乗せると、汚れないように靴とボレロとスカートを脱がせ、
リアシートの上に皴にならないよう広げておいた
この時点で、従妹は言われるがまま、されるがままになっていた
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レスありがとうございました
賛否両論ありますが、続きを書かせていただきます
我ながら下衆で申し訳ない
ちなみに、通夜や葬儀も地域や宗派で異なると思うのですが、
自分の地元は遺体処理と火葬場への搬送以外はほとんど遺族の手製のうえ、
ホールでやるような式次第に沿って行うものではありませんでした
朝早く坊さんが来てお経を読むのですが、そのころはまだ遺族と、早めについた
親族がわずかしかいません
その後順次弔問客が訪れ、昼を食べるころには家中人であふれます
そのまま夜まで宴会になるので、遺族は食事をとる時間もないほどです
子供の面倒を見る余裕もなく、朝の坊さんの説法が終わると仕事のない
子供たちは邪魔にならないよう、夜まで近所の人が面倒見ていたりします
余談ですが、自分の一族では夜になると子供たちは遺体のある部屋で眠り、
蝋燭の火と線香が絶えないように交代で番をすることになっていました