ナンネットID のアカウントをお持ちですか? ログイン ログイン
ナンネットID
 
1
2018/03/05 12:11:00 (FW.RgMi1)
今から20年前の話。俺は小学校5年だった。5年になってからのクラス替えで、俺はあのめんどくさい、荒木唯から解放されて、「やっと今日から放課後に遊べるぞー!!!」と喜んでいた。

その頃、俺は3年から4年の2年間、ただ家が近いから。という理由で強制的に生まれつき足の不自由な、「荒木さんの車いす係」に任命され、俺は放課後に友達とサッカーやドッジボールも出来ず、俺はいつもブツブツ文句を言いながら荒木を家まで送っていたのだった。

いつも荒木は「ごめんね、ありがとう」と俺に言っていたが、俺は荒木の問いかけをすべて無視し、「行くぞ」と「着いたぞ」の2言しか言った記憶がない。

たまに荒木の親が、俺の家に「いつものお礼」ということでお菓子などを持ってきてくれることもあったが、俺はそんなお菓子なんかよりも、ただ放課後に友達と一緒に遊びたかった。俺の小学校3年、4年はそんな感じだった。

そしてクラス替えによって、荒木から解放された俺は、小学校5年、6年という2年間、俺は自由に放課後に遊べる身分となったのだが、6年生の夏休みが始まる前、俺はこの先の人生に大きな影響を与える出来事と直面してしまう。

それは夏休みが始まる最後の授業の日、みんなが帰りの準備をしているときに、隣のクラス(荒木が居るクラス)の女子から、「ねぇねぇ、酒井君。荒木さんが、今日一緒に帰りたいって」と言ってきたのである。

俺は「は?ふざけんな。きもいんじゃ。お前(隣のクラスの車椅子係)が行きたくないから俺に擦り付けようとしてるんだろ」と、そんなセリフを荒木がいる目の前でその女子に言い、俺はすぐその場から立ち去り、明日から夏休み。ということでテンションが上がっている男友達の輪の中に入っていったのだった。

それから長い夏休みはあっという間に終わっていった。

夏休みが明けた時、俺は夏休み明けの最初の登校日、朝の朝礼の時に先生がいったことはこうだった。

「お前ら知ってるな。隣のクラスの事だけど、荒木がお父さんの仕事の都合で、東京へと引っ越した。隣のクラスでは定期的に手紙を書くそうだが、お前らもクラス替えの前とかは荒木と一緒だったので荒木に手紙を書きたいっていう人は、B組の島田のとこに行ってくれ」

と言ってきたのだ。

俺は(え。。。あの時、最後でもう会えないから、俺と一緒に帰りたかったのか・・・なんで?俺と・・?)と思った。俺はそのあと、隣のクラスの島田(元荒木の車椅子係)に、「なぁ・・・」と声をかけると、「話しかけないでよ。最低男」と冷たく突き放されたのである。

聞くところによれば、荒木は常日頃、島田を始めとする一部の中のいい女子に、小学校3年から4年間は、とても安心して家に帰れた。とか、酒井君がいてくれるから悪い男子にいじめられないで済んだ等、そんな俺への感謝の気持ちを語っていたらしい。

そして夏休みが終わったら転校してしまう。という最後の日に、俺に今までの感謝の気持ちを書いた手紙と、ささやかなプレゼントを用意していたとのことだった。

それは島田とは別の女子が預かっていたらしく、俺は数日経って、その現物を手にすることになるのだが、それは俺が当時ハマっていたアニメキャラクターの、筆箱、ペン、下敷き、消しゴム、等の文具用品だった。

そして手紙にはこう書いてあった。

「酒井君。私、夏休みが終わったら東京へ引っ越しするんだ。もう会えなくなっちゃうね。でも、3年生から4年生までの2年間、いつも一緒に帰ることができて、私はとても楽しかったです。あの時の事、覚えている?一緒に車いすでダッシュして笑いながら帰っていた時、いきなり車いすのブレーキが壊れて、車輪が1個動かなくなった時、あの時酒井君は自分の家に自転車を取りに帰ってくれて、私を後ろに乗せて帰ってくれたでしょ。そして車いすもあとでちゃんと取りに行ってくれた
よね。でも荒木君はあの後、私の車椅子でダッシュして壊したっていうことで、(私の)お父さんと先生にも怒られたけど、私には怒られたこと何も言わなかったよね。。あの時の事は私の中でのかけがえのない大切な思い出です。ほんとうにありがとう。夏休みが終わったら私は東京に行ってます。私も頑張るから、酒井君も頑張ってください。」

俺はあれほど、自己嫌悪したことはなかった。涙も出てこなかった。正直、小学校6年の俺の未成熟な精神では、この出来事をどう処理していいかわからなかった。携帯もメールアドレスもない世界の事である。今更何をどうしていいのかもわからなかった。

そして俺は、荒木の事は思い出そうとせず、キャラクターの筆記用具は弟に上げ、、そして手紙は学習机に放置し、気が付けば行方が分からなくなっていた(実は母親が保管していた)

それから俺は中学へと進学し、覚えたのは因数分解ではなく、窃盗。原付を直結する方法、ハサミを使って強制ロック解除する方法。それから他校との喧嘩。そして工場へとシンナーを盗みに入り、逮捕。そして鑑別所。

高校は定時制高校へ進学したが、俺の怠慢な性根で1年目で中退。家庭環境も悪くなってきて、両親は別居。特に母親と仲が悪かった俺は、現場仕事などを寮生活をしながら転々とし、そして最終的には持ち前のプライドの高さから、「俺には現場よりも夜の仕事のほうが向いている」などと思い込み、キャバクラのボーイとして末端の社員として働く。そんな転落人生が待っていた。

そして24歳になった時、(今から6年前)俺は(当時、別居したオヤジが東京で仕事をしていた)実家からとにかく出ようと、オヤジのところに流れ込み、そして東京でも生まれ持っての関西弁を使って「関西弁ホスト」という名目で自分を売り出し、歌舞伎町のさびれた店で、ここでも末端のホストをやっていた。

そしてある日、衝撃的な再会に巡り合ってしまうのだった。

その日、俺は客だった厚化粧のケバい女と朝の新宿でナイト明けで眠たそうにコーヒーを飲んでいた時の話である。調子にのってビルの1階にあるガラス張りのコーヒー専門店で、女と店の愚痴などを言いながらサンドイッチとコーヒーを飲んでいたら、ガラス張りから見える店の前の道路に、20組(車いすと、それを押す人)くらいはいる大量の車椅子集団が俺の視界を横切ろうと遠くから接近してきたのだった。

見た感じ、車いすのなんらかのグループの東京見学っていう感じか、そんな風に見えた。俺は女に「なんかゾロゾロきたぞw」というと、女は「なになに?足の不自由な人の旅行?なにあれ」てな感じで言っていた。

そしてその団体が遠くから店の前に近づいてきたとき、その20組はいる車いす集団の先頭に、自動車いすで自分で運転する、俺と同じ年くらいの、きれいな黒髪で、顔だちの整った美人が、

「今から都庁を見に行きます~!みなさん、邪魔にならないよう、歩道の右側を通ってくださいねー!」と、その車いす集団を指揮(観光案内?)しているのだった。

そして俺は見逃さなかった。その車いすの側面には、名前が書いたステッカーが入っていたのだが、そのステッカーに、「荒木唯」と書いてあるのを!

俺はガバっと!!!席を立ちあがり、思わず店の外に出た。20組の車椅子集団はもう俺の目の前は通り過ぎており、俺からは歩いていく背中しか見えなかった。

ただ、その車いす集団は旗を持っていて、その旗に「自助グループ 〇〇育英会」(仮名)と書いてあるのを見逃さなかった。

(え、、もしかして。。。あの荒木か・・・? まさかな・・・・)と俺は驚愕した。背後で女が、「何急に出て行ってからさー。コーヒー代おごらせようって魂胆だろ。結局はらちゃったけど・・」と背後で何か言っていた。俺は「うるさい」と言って、俺は複雑な、、そんな小学校6年のあの時に似た感覚を持ちながら、俺は一人暮らしの家へと帰っていった。

そして俺はネットで「自助グループ 〇〇育英会」を検索している俺がいたのだった。

つづく



 
1 2 3
レスの削除依頼は、レス番号をクリックして下さい
4
投稿者:酒井君 ◆2LEFd5iAoc
2018/03/05 13:43:56    (FW.RgMi1)
検索ではすぐにヒットした。その自助グループは、その名の通り、車椅子や体の不自由な人たちが、自立した生活ができるように生活サポートをしている団体だった。

その中の活動実績のコーナーの写真では、あの荒木らしき人物が多くの写真に写っており、おそらくこの団体のスタッフか、あるいは主要メンバーであることは容易に想像ができた。

またその施設のある場所は豊島区。俺の住む家とさほど距離が離れているというわけではない。

そんな検索をしながら、(何やってんだ俺。仮にあれが数年前に小学校で一緒だった荒木だとして、今更何になるんだよ・・w)とそのHPを閉じたのだった。

しかし、俺の潜在意識に入り込んだ、荒木との再会。それは俺のホストでの仕事にも大きな影響を与えていた。(おそらく)荒木であろう人物の、あの颯爽とした爽やかなイメージと、あの団体の中でのはつらつとした笑顔を見てみると、それに比べて、俺の環境は、タバコ臭てうるさい音楽にドンちゃん騒ぎ、ワインやシャンパンの一気飲み、アホの集団がアホな事をやっているのである。

少し前まで俺もそのアホ集団の一員だったのだが、俺はどんな心境の変化があったのか、そんなアホな仕事をアホらしく思えてきて、仕事もやる気がなくなっていってた。(またいつもの怠慢クセが出てきたか)と思っていたが、その時はなにかいつもとは違う感じがあった。

気が付けば毎日、その自助グループのHPを見ている俺がいて、数日後、あの東京都庁見学の活動も写真アップされていたのだった。

俺は冷静に考えた。仮に今、あの自助グループの施設を訪問し、「荒木さん。という方は在籍していますか?以前に町で見かけて、もしかしたら彼女、僕の小学校の同級生かもしれないのです」ということが、そんなにおかしいことかどうか考えた。

それにHPにも「見学はお問合せください。」みたいな部分もあるし、外部との接触を拒んている組織には見えない。

数日は何のアクションも起こせないでいた。

そんな俺はある土曜の朝の9時頃、突然目が覚めて、朝だから夜と意識が変わっていたのか、まるで何かに導かれるように、、(よし。。。行くぞ)と決意している俺がいた。

そして俺は持っている中でも地味なスーツを着用し、髪の毛もホスト風というよりかは、少し長いだけで若者風という感じに仕上げ、無駄にチャラチャラしたブレスレットや指輪などは一切つけず、今風だけど、質素な若者を演じて、俺はその豊島区の自助グループ施設へと足を運んだのだった。

事前になんの連絡もないアポなし訪問。果たしてこの物騒な事件もよくあるご時世で、俺は不審者に思われないだろうか。そんな事を考えながら俺は夏の照りさかる太陽の下を歩いていた。

そしてHPの地図を携帯でみながら、その自助グループに近づいてきたとき、どうやらそのグループは思っていたよりも大きいグループであったようで、施設には運動場がついていた。

正面玄関にはインターフォンがあったが、それを鳴らして、誰かが出た段階で、「荒木さんっていますか?」というべきなのかも迷った。かといって大声で「すみませーん」と、インターフォンがあるのにも関わらず、大声で呼ぶのもどうかと思った。

そんな感じで躊躇していたら、その自助グループのスタッフらしき、エメラルドグリーンのポロシャツを着た40代くらいのオバチャンが、怪訝そうに、「何かご用ですか?」と俺に聞いてきた。

俺は「あ、こんにちは。あの、荒木さんに面会に来たのですが・・」と、そんな言葉がふと出てしまった。オバチャンは、「荒木、、、女性の?」と俺に聞いてくるので(男の荒木もいるのかな?)と思いながらも、「はい、そうです。」と答えた。

オバチャンは「ちょっと待ってね」と中へと消えていき、俺の心臓の鼓動はピークに達しつつあった。

そして一度消えたオバチャンは、また出てきて「あの、どちらさん?名前は?」と遠くから俺に聞こえるような大きな声で聞いてきた。それに俺は「酒井と申します。」と、そのオバチャンに聞こえるように俺も大声で返事したのだった。するとオバチャンはまた施設の中に消えていった。

そしたらオバチャンはまた出てきて、「今、荒木さん買い物行っててもうすぐ帰ってくるって。中のロビーで待ってて」と案内され、俺はそのロビーのソファーへと座った。

ロビーでは、その自助グループの利用者が作った工作物や、絵画、そんなものが陳列してあった。

待つこと15分、かなり長く感じた。すると奥の職員が使うエリアの通路のほうから「唯ちゃーん、お客さんきてはるよー」と、あのオバチャンの声が館内を響き渡り、「はーい」という返事も聞こえてきた。

俺は(そろそろか・・・・)と、落ち着きかけていた緊張が、またよみがえってくるのを感じた。

そして自動車いすで接近してきた荒木は、ソファーに座る俺を見て、「こんにちは、酒井さん??ですか?」と聞いてきた。荒木はまだ俺の事を思い出せないでいるらしい。
たしかに荒木もそうだが、俺にもあの小学校の時の面影はない。

こうしてみると、確かに荒木は荒木だが、あの頃と比べ、髪は長くて美しく、鼻筋もとおって美しく、、化粧をしていないにも関わらず、俺が夜の業界で見てきたどんな女よりも、はるかに美しい人だった。

どれだけ流行のファッションに身を固め、世間でいう「カワイイ」というメイクで塗り固めた女より、ただ素朴、純粋、そんな澄んだ目を持っている荒木のほうが美しかった。

思わず俺は言った「ごめんね。あの時。。一緒に帰れなくて・・・」

この言葉、まるで神から導かれるような言葉だった。変に、「あの、酒井です。えーと、小学校の時、、〇〇小にいませんでした?」とか、そんな回りくどい事を聞くのではなく、ある意味ストレートだった。

2人は沈黙した。荒木はただ目をぱちくりさせていた。

すると荒木は何を思い出したのか、突然、大量の涙を流し始め、「酒井くん・・?本当にあの時の酒井君なの・・???」と目に指で出てくる涙をふきながら、そう答えてきた。


俺は「うん・・。あの時の酒井だよ」と答えた。

それから5分10分くらい、荒木は泣き続け、心配してきたスタッフが荒木に近寄ると、荒木はそれに「大丈夫。すごい懐かしい人が訪ねてきてくれて・・・!」と嗚咽を交えながらその近寄ってきたスタッフにこたえていた。

そして落ち着いた時、そのロビーで俺たちは身の上を話し合った。でも荒木は、どうやらこの施設の職員らしく、今は仕事中との事だった。

俺は積る話もあたったが、突然の訪問で、彼女の仕事をとめてしまうのも申し訳ないと思い、俺は「また改めて出直してくるよ^-^」といい、そして連絡先を交換し、とりあえずその日は別れたのだった。

その夜も仕事があった。シャンパンを飲んだ、カラオケを歌い、踊りたくった。しかし、(何やってんだ俺)という、そんな自分を否定する気持ちだけが強く残っていた。

そして仕事が終わって携帯を見ると、荒木からのメッセージが入っていた。いきなり訪問してびっくりした、あえてうれしい、などなど、そんな言葉が書き記されていた。

自分が置かれている環境と、この再会のこのギャップ、頭がどうにかなりそうだった。

ただ漠然と、俺は(この出会いは、俺が生まれ変わるチャンスなのかもしれない)と思い始めていた。

そして俺は、荒木にメッセージで、「仕事が休みなのは何曜日?よかったら、会って話さない?^-^」とメッセージを送った。荒木は「うん。日曜日が休みだから、その日にする?」と返事があり、その週末の日曜日俺と荒木はJR大塚駅で待ち合わせ、それからメトロ大塚駅まで歩き、九段下などの靖国神社へデートに行くことになったのだった。

つづく。
3
投稿者:(無名)
2018/03/05 13:19:37    (RpUo.ucT)
小学生の頃の話、うるっときてしまいました。
是非続きお願いします。
2
投稿者:通りすがり
2018/03/05 12:38:59    (BuW/FLy9)
続き期待しています。
1 2 3
レス投稿フォーム
名前
トリップ[]
E-mail
※任意
本文

投稿文に自動改行は行われません、適宜改行を行ってください。 # タグ使用不可
「sage」
※投稿を上げない
画像認証

上に表示されている文字を半角英数字で入力してください。
動画掲示板
画像で見せたい女
その他の新着投稿
人気の話題・ネタ
ナンネット人気カテゴリ
information

ご支援ありがとうございます。ナンネットはプレミアム会員様のご支援に支えられております。