2019/04/09 13:43:09
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昼飯を食ってから休もうと 昼飯食って 汗を流そうと伯母と風呂場へ。
当時 シャワー何て無い頃、風呂の残り湯で汗を流してると 又勃起!
風通しの良い縁側に布団を敷いて伯母とSEX!
何だかんだで 午後3時の小昼の時間に田んぼに向かいました。
夕方5時過ぎに叔父が田んぼに来て
「鹿肉 貰って来た 光弘も食って行け」
伯母が料理してる間に 俺は風呂焚き!
叔父が一番風呂 俺が入らせて貰い 伯母が最後!
伯母が風呂に入ってる間 鍋を焦がさないように掻き回してました。
夕飯を御馳走になり 帰る時
「光弘 又夜にな」
「うん」
いつもの時間に土蔵に行くと 伯母は布団の上で裸になって待ってました。
日に10回しても 遣り足り無い俺、裸になり直ぐ伯母と抱き合いました。
閉め切った土蔵は いくら伯母が喘ぎ声を上げても 外に漏れ無く 夜明けが早いのも忘れてSEX!
土蔵が出ると すっかり夜が明けてる事も有りました。
農作業を手伝いに行き、日中も夜もSEX漬けの夏休みでしたが寒くなると 掛け布団も伯母は用意して 毎夜毎夜 伯母とSEX!
叔父と伯母の間に子供は無く 兄は後継ぎ 俺か弟が 養子に行く話しが持ち上がり、俺が養子に成る事が決まり 養子縁組みして 叔父と伯母の子として養子に入りました。
子供として養子に入りましたが 土蔵での伯母との夜は毎夜では有りませんでしたが続きました。
23歳の夕飯時 伯母が頭が痛いと言い出し倒れ 救急搬送されましたが 脳内出血で翌朝亡くなり 農業が一気に俺の肩に熨し掛かりました。
伯母と話した末、田んぼの一部と畑を 当時まだ一般的で無い 個人への農地レンタルを始めました。
口伝に流行り空き待ちまで出る人気に!
7年後 今度は伯母が癌を患い 病院で検査を受け 告げられた結果は余命3ヶ月の末期でした。
癌と云う事は伯母には伝えず、それでも いつも通りSEXしてましたが1ヶ月して、
「ごめんよ光弘‥疲れてダメだわ‥」
その時 癌で痩せ萎んで来てた伯母に気づき 入院させましたが、伯母は癌だと気づいてました。
入院半月後
「光弘‥本当に ありがとうね‥」
と 最後の言葉を残し 30歳の俺を残し この世を去りました。
今のように 葬祭ホールも無く 家で葬儀でしたから 身内や近所の人達に片付けや掃除 色々して貰いました。