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2016/02/21 02:16:23 (AozYkBZb)
母のTELセックスを見てしまいました。母の秘密を知りました。私の母は痴漢されています。母は痴漢を拒めない女です。拒むどころか、自分から痴漢行為を求めてしまう女でした。母の肉慾は裏切られる事が無くて、それというのも母の姿が官能的だから。もう顔の表情からしてエロなのです。その姿は扇情的で妖艶で、母がそこに居るだけで周囲の男を性的な気分にさせてしまう。母は卑猥な目で見られる事に慣れていて、男の前では無意識に媚態を晒してしまう。誘い目線が癖になっている母は目付きがいやらしくて、いかにも好き者といった風情です。尻を揺らして歩いたり色目を使ったりして男を挑発する女。40女のだらしない肉体は猥褻で、完熟した女体は最高にいやらしい。そんな母ですから視姦されるのも当然で、母はそれが好きで堪らない。淫らな男の視線は母の欲望を刺激して、そんな時の母は得も言われぬ恍惚とした顔を見せるのです。むっちりとした尻の膨らみや、だらしない下腹部は猥褻そのもの。胸は大きく膨らんで、歩く度にプルンプルンと揺れる乳房。母の乳房は大きいけど、それでいて弾力がありそうで、腰から尻のあたりはさらに官能的だ。脂ぎった40女はいやらしい。時として正視出来ない程にいやらしい。そんな母が満員電車に乗ったら周囲の男達は我慢出来なくなってしまうのでしょう。チンコが立った男達が母の肉体に触れると、母の感じやすい肉体は歓喜する。感じている時の母の顔は泣いているようでもあり、それでいて甘美な微笑が顔に表れる。それはもう得も言われぬスケベ顔。私は痴漢される母を見た事がありますが、中学生だった私が側にいても男達は母をやりました。母はきつく目を閉じて、けっして私の方を見なかった。母の顔は真っ赤に紅潮して、肩で忙しなく呼吸しました。やがて「あぁーあぁー」と声を出して。時折、顔を左右に振る仕草をしました。その時の母は複数の男に触られていたに違いなくて、男達のギラギラした目線は母の顔を凝視していました。それ程までに感じまくる母を見ても、不覚にもその頃の私には、それが性的快感によるものだとは気付かなかった。しかし、私は見てしまいました。電車が大きく揺れた瞬間に人が傾れると、母の下半身が見えた。母はスカートを大きく捲られていて、そこには男の手が入っていた。私には母の黒ショーツが見えたのです。この時の母は性器をやられていたのです。母は快感に耐えられなくて、時折呻くような声を出しました。私は私立中学に通っていたので、当時は母と同じ電車に乗る事が多かった。電車に乗ると、何故かは母は私と離れる方向に移動して、やがて周囲を男に囲まれる。そして「あぁーあぁー」と声を出し始めるのです。そして、終点に着いた時の母はいつも顔が真っ赤で、息も絶え絶えでした。

母の外見は一見すると地味だけど、女を官能的に見せる仕草が癖になっています。服装にしても、ブラウスが透けている事など珍しくなかったし、腰や尻の線が出る服を好んでいました。母は冬でも薄生地の衣装を着ています。スラックスなどは尻や股間の膨らみが露わになる穿き方で、そんな母が街を歩けば男達の淫らなな視線を浴びるのも当然でしょう。

自身に向けられた欲望視線は母の肉慾を刺激してしまう。母は男達に見られる事に性的興奮を感じる女です。見られる事による興奮と欲情は、いっそ母の官能度を高めました。男の視線を感じた時の恍惚と陶酔は顔に表れて、それはもう性的興奮を隠せない。いかにも好き者といった母の顔は、常に性的陶酔が宿っていて艶めかしいのです。そんな母だから電車内で触られるのも当然でしょう。年齢が40歳を越えていても、熟して感じやすくなった女体は触られると歓喜してしまう。電車の中で、母は痴漢の指で性器いじられて絶頂までいかされるのです。普通にしていても官能的な母の顔が性的に興奮したら、もう猥褻極まりない。母は自分から痴漢行為を求める女で、そこには抑制の欠片もありません。そんな母ですから、普通にしていても顔や目付きに淫が宿ってしまった。母の顔は、ねっとりとしたスケベ本性を隠せないのです。母は街を歩くだけで卑猥な視線を浴びる女です。どこに居ても男に視姦される女です。

母の「見られたがり」は若い頃からでした。古い写真を見れば母の誘い目線は少女の頃から身についていたのだと分かります。母は天然の誘惑女なのです。堪えきれない程の性欲が隠せない母の顔は、もう第二の性器でしょう。そんな母が満員電車に乗ったらどうなるか、母は、これ以上ない極上の痴漢ターゲットでした。

熟女狙いの痴漢は過激痴漢。母は直接マンコやられてしまう。スカート捲られてマンコいじられアナル擽られて、母は男のチンコ握らされたりもしました。拙宅は経済的に余裕がありますが、母が仕事を辞めない理由は痴漢されたくて我慢出来ないからでした!!

女子高生の頃から痴漢されていた母は、四十路になっても痴漢される快楽が忘れられない。母は、私鉄車内で都心の駅に着くまでの1時間近くを触られ続ける。揺れる電車の中で何度も絶頂を味わう。そして、そんな母を狙う男は一人ではありません。

母が電車に乗ると複数の男に囲まれる。体中を触られて何度も昇天させられる。尻の破れ目にチンコ突っ込まれたりクリトリスいじられたり。もうあらん限りの猥褻行為をされる母。電車内では、何人の男にやられているかすらも分からないといいます。身を捩っても背中を仰け反らせても、腰をくねらせても快感の声を出しても、母は痴漢から逃れる事など出来ません。母は高学歴の短大講師ですが、下半身は別人格のスケベマンコ。痴漢されると気持ちよくて、身体中が最高に気持ちよくて、マンコやられる快感に耐えられない母は、毎朝同じ車両に乗って痴漢に触られる。そしてある日の事。母は乗り換え駅のホームで痴漢男に紙片を渡された。そこには痴漢男の電話番号が書かれていました。そして母はTELセックスに狂ったのです。母はTELで痴漢行為の快感を言わされた。電車の中で身体中を触られると、それはもう、気も狂わんばかりに気持ちいいと告白したのです。

母は自慰が癖になっている女。オナニーで想像するのは痴漢の快楽だと、母はTELセックスで告白しました。満員電車内でチンコ立たせた男達に囲まれて、母は尻にも腰にも勃起を押し付けられる。男達は快感を求めてチンコを押し当てる。母は勃起を腰や尻に擦りつけられたり圧迫されたりして、男達は、時として射精に至るまで母をやりました。母の肉体は何人もの男達に撫でられ擦られ揉みしだかれる。スカートを捲られて、ショーツに入った男の指は母の陰部を弄り続ける。淫液で濡れた男の指はクリトリスを擽ったり淫唇の中に入ったり、母はもう最高に気持ちいい。泣きたい位に気持ちいい。そして、母はそれが忘れられないのです。母は自身の淫乱を恥じていましたが、我慢できなくて同じ電車に乗ってしまう。恥ずかしさからホームに並ぶ事が出来なくて、いつも発車寸前の駆け込み乗車。そして男に囲まれる。そして、絶頂に至るまでやられ続ける。

ホームで母にメモを渡した男はチンコが並外れて大きいらしくて、固く膨らんだチンコは母を強く興奮させました。母は男の勃起を尻の割れ目に嵌められた。チンコは先端から粘液が出て、男はは射精するまでやったのです。そして、その男も母が忘れられなくなった。だから男は母に電話番号を教えたのです。


母は夜毎に自慰をします。疲れて眠るまで自慰をします。行為の最中に思うのは痴漢行為だと母は電話で告白しました。母は巨チンの痴漢男が忘れられなかった。痴漢男はチンコを押し付けただけではなくて、母のマンコを巧みに指責めした。母は泣く程にオマンコ歓ばされた。スカート捲られて後ろからチンコ入れられた母は歓喜しました。マンコにこそ入らなかったが、尻肉に挟まった太いチンコは前後に動いて、遂には激しく射精したのです。男は勃起の先端を母の尻肉に填めて左手でセンズリをやったのだといいます。右手で母のマンコ弄って、勃起の先端は母のアナルを刺激した。そんな事が分かったのもTELセックスからです「だってーお尻のとこが変な気持ちで、あぁー気持ちよかったわよー思い出しちゃうー」「いやょーあんなことー痒いみたいでくすぐったいみたいでーヌルヌルになっちゃったー」「いやょースカートに付いちゃったー貴方のがスカートに付いてたーあたしー恥ずかしいわょーあんなの見られたら恥ずかしい」と言った母は、俯せ自慰の腰の動きを激しくしました。母の尻はクネクネと上下動して、息を切らせて自慰しました。

母は自慰を電話で聞かせました。自分から卑猥な言葉を求めました。「言ってょーいやらしい事を言ってーーっ もっと言ってょー」と、母は言いました。私は、母の電話を聞いたので、母の行状を全て知る事になったのです。私が知った母の行為は、その殆どがTELセックス覗きによるものです。

高学歴で短大講師の母は、普段は取り澄ました態度を見せています。しかし、母のインテリ顔には隠せない淫の相が被ってしまった。そして、母が性的欲望を感じると、この上なく卑猥な顔になってしまう。ただ淫らな事を思うだけで母の顔は変わってしまうのです。痴漢相手とのTELセックス。恥ずかしい告白。その内容は凄まじかった。よくも言えると思う程の猥褻。母は、なんの躊躇いもなく淫言を連発してしまう。そして、淫らな告白は母を強烈な興奮に導いた。母にとって告白は快楽の源で、相手が痴漢男であることからして猥褻言葉に抑制など無かった。母は、最低のスケベ言葉を話しては激しい自慰をしました。

母は言ってしまった。小学生の頃に自慰を覚えた事も、女子高生の時に通学電車内で痴漢されていた事も。それが好きになってしまった事も。祖母の性行為を見た事も母は言ってしまった。「お母さんは先生とやったのよ・自慰だって毎日やってた・あたし見たわよ・太い自慰道具なんか突っ込んで凄かった・お母さんは自慰をして、昼間でもパンツ下ろして自慰したわよ・」と、母は祖母の行為を話した。「母さんの部屋にはいやらしい本や器具がたくさんあったの・あたしもそれを見て自慰したの・」と母は告白した。母の自慰はいやらしくて、もう最高にいやらしくて、布団の上に俯せに寝て右手でマンコ弄り。尻を激しく上下させて「あぁぁーあぁーっ」と声を出してしまいます。淫らな吐息が強く震えて、左手で受話器を握って快楽の声を男に聞かせる母。しかし、そんな母でも一応は貞女だったのだから女は分からない。

これ程にまで性欲が強い母も、つい最近までは父以外の男とのセックス経験が無かった。スケベな母だが、意外にも結婚するまではバージンだったのです。母の欲望処理は自慰と電車痴漢だけだった。もしかして母は、痴漢されていたからこそ処女でいられたのかも知れません。母は結婚してからも痴漢セックスが忘れられない。四十路になった母はいよいよ性欲が熾烈になって、遂には痴漢男とのTELセックス。それは孤独な自慰よりも興奮が強くて、母はそれが病み付きになった。私も母を覗いての自慰が癖になりました。   母の自慰が佳境になると「あぁぁーあぁー」と声を出します。それは微かな声ですが、喉から絞り出す呻きにも似た快感声。母は仰向けになると、薄い布団をはね除けました。薄明かりの下に見えたのは全裸の女体です。開いた股間に母の右手が伸びていて、母の手は深い陰毛に覆われた部分で小刻みに動いていました。脂ぎった母の女体は右に左に悶え動いて七転八倒。母の右手は局部を刺激し続けた。汗が浮き出て全身を紅潮させた女体は強く痙攣して、母は「うぅーっ」と呻き声を出しました。「いぃーきもちいぃーそうょーオマンコーオマンコいぃーもっとょーもっとやってーオマンコいぃー」「あぁー貴方のがいぃー凄いわょーいいわょーやっちゃうーオマンコーいいわょーいいわょーオマンコしちゃうーやるわょーどうなってもいぃわょー」と声を出すと、いよいよ母の自慰は激しくなって、遂に母は腰を浮かして大股を開いて行為しました。「もっと虐めてょーあたしスケベなのーチンコ好きでしょうがないわょーあぁーチンコ好きーチンコ好きーいじっちゃうーチンコいじっちゃうー電車の中ょーいじっちゃうー」と母は言ったのだ。日頃の母は取り澄ました女ですが、その母の口から、あられもない言葉が吐き出されたのです。その間にも母の肉体は悶絶して痙攣して、全裸の女体はうねり続けたのです。母の指は股間から離れません。震える指はマンズリやり続けて、豊満な肉体は悶えて痙攣して、もう右に左に転げ回って自慰は続いたのです。「きもちいいーあぁーあんなことーあぁー明日もやるのねースケベーあぁースケベーー我慢出来ないわょーあたしー淫乱になっちゃうー」と母は呻き声を出して腰を高く持ち上げました。しかし、この時には母がさせられていた行為がどれ程に猥褻な事なのか、私は知りませんでした。    母はこの上ない羞恥の行為をさせられたのです。電車内でマンコいじられて半狂乱にさせられて母は、男のチンコいじらされたのです。センズリ行為をさせられた母は、自身の快楽を寸止めされた。男は母のオマンコから指を放してしまった。その後に男が要求した行為は自慰行為。母は電車内で自慰させられた。男に手を持たれて自分のマンコいじらされた母は、我慢出来なくて指が動いてしまった。そうなったら母の行為は止まらなくて、何度も絶頂を味わったのだと。それだけではなくて、母は巨大駅の死角とも言える場所に連れ込まれてチンコ舐めさせられた。そして母は、それが好きになってしまった。完全に羞恥心を奪われた母は、もはや道徳心など無くしてしまい、無残な肉慾の虜にされたのです。そして、遂には自分から性行為を求めてしまった。痴漢男のチンコは凄まじい威力で、母は何度も天国を味わったのだ。極太のチ ンコは母の理性を完全に奪ってしまい、母は男と逢瀬を重ねては、気を失う程にまでオマンコされてしまった。男の要求は凄まじくて、立ったまま絶頂まで自慰をさせられたりバイブを突っ込まれたり、それはもうあらん限りの陵辱をされたのだ。男が精を放っても母はオマンコ止められなくて、行為の終わりはいつも騎乗位だったという。男の腰に跨ってキチガイのように腰を振る母は、もう性の奴隷と言ってよかった。しかし、痴漢男と母との関係は意外と続かなかった。TELセックスで聞いた内容だと、相手を捨てたのは母の方だ。私が母の性行為を目撃したのは国内ではない。母は南方のビーチで黒人男と知り合い、ココナツの葉陰でセックスした。ビーチボーイとやってしまった。南半球の星空の下で、母は褐色の肌をした男に貫かれた。母の相手だった痴漢男は性技には長けていたが、いかんせん年齢が五十路で体力が無かったのだ。チンコは大きかったが何度も射精できる体力が無かった。しかし、この男は母の性感をとことん開発して、遂にはアナルまで教えた。しかし、女の快感は尽きるところオマンコの快感で、若い男に突きまくられる歓びは母を異次元の快楽へと誘ったのだ。母は若い男との性に溺れた。オマンコの中に何回も射精された母は、遂には孕んでしまった。それでも、淫乱な母はオマンコやめられなくて、堕胎した後に再び男狂い。母がどれだけの男とオマンコやったのか私は知らない。そんな母を私は犯した。オナニーをしている母を見て、私は我慢出来なかった。驚いた事に、母は私を拒まなかった。この時の母は、TELセックスを見られていた事も私が自慰をしていた事も気付いていたのだ。秘密を全て知られていた母は、遂には私に肉体を開いた。母子間のセックスはタブーである。しかし私達は我慢出来なかった。「あぁー母さん気持ちいぃーもっとーもっとやってーお母さんをやってょーもっとやってー」「いいのょー言わなければわからない あの人にはわからない」と言った母は、もう性の虜だった。この頃予備校生だった私は、家に帰るなり母に挑み掛かった。ショーツを脱がされながら母は狂喜した。母のオマンコは気持ちよくて、それはもう最高に気持ちよくて、腰を動かすと母は忽ちに泣き声を出した。母は狂乱状態になって腰を突き上げて、私達は、あらん限りの行為をやったのだ。母のオマンコはいつも濡れていて半開きで、私はそこにバイブを突っ込んで母を泣き狂わせた。ズブリズブリと太いバイブを出し入れすると、母のオマンコは淫唇がめり込んだり引っ張られたりで、その度に母はスケベ声を出した。家族で旅行に行った時などは、父の寝息を確かめてから母の布団に手を入れると、母は自分からショーツを下げてしまった。母のオマンコはヌルヌルで、私と母は互いに性器をいじり合った。さすがに性交は出来なかったが、私達は自慰を見せ合ったのだ。そんな事があった後に、私にはある欲望が芽生えた。私は母を痴漢したくなったのだ。いや、痴漢される母を見たくなったのだ。今では、私達は同じ電車で通っている。混雑する急行電車は痴漢の巣窟で、母は毎朝触られている。母は何人もの男に触られて、私も母を痴漢するけど、母とオマンコできるのは私だけです。

 
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5
投稿者:**** 2021/09/28 01:45:00(****)
投稿削除済み
4
投稿者:まこと
2016/02/22 12:14:47    (WYYLupeG)
長すぎ行改行しましょう
3
投稿者:
2016/02/21 06:37:37    (Newb2DdZ)
いくら何でもやり過ぎ。長すぎ。何事も程々に。
2
投稿者:(無名)
2016/02/21 02:51:12    (hnwJ7cAr)
文は、短い方がいい。俳句とまでは、いかなくとも。
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