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海外旅行での体験談 RSS icon

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大連にて。

投稿者:回鍋肉 ◆crj5rcA1jk
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2018/09/10 13:00:17 (VgRHV556)
去年の11月俺は上司からいきなり「屋敷(俺)、来年から出張いけるか?」と言われた。わが社でいう「出張」という言葉の意味は、海外出張の事を意味している。(国内出張は一切ないから)

俺「出張ですか??」

いつかは出張がある。というのは面接の段階聞いていた。「早ければ入社後1年くらいで出張はいりますが、対応できますか?」という面接での問だった。もちろんそれに対し、「いつでも対応可能です」と答えたからこそ、仕事の面接に合格したようなものなんだが。つまり断る訳にはいかない。

基本的に電子部品を作っているわが社では、中国、シンガポール、ベトナムに工場があって、その工場への管理職ということで毎年何名かの社員が交代で出張に出ているのだった。そして入社して2年目の俺にも、とうとうその役割がやってきたのだ。

ただ、長いのか短いのか、救いは短くて4か月。長くて6か月程度との事。俺はどれくらいの期間になるのかはわからないが、問題はいく場所である。

俺「場所はどこなんです?」と聞いたところ、場所は「大連だ」との事だった。

よかった・・・w と思た。というのも先輩社員から海外出張の話は聞いていたが、シンガポールは英語がなければだめ。ベトナムも英語はいるが、さらに不衛生なので、それに対応できる柔軟な性質が必要との事。しかし中国はハードルが低く、、「大連は日本語だけでok どこあるいても日本人いるし、スーパーでもある程度日本語で書かれてるし、飲み屋も日本語でいけるからw」と聞いていたからだ。

英語も話せない、中国語も話せない俺にとっては大連がどういう場所かは知らないが、とにかく大連でよかったと思った。ただ冬場は凍死するほど寒いぞ。とだけは言われたのだった。

そして今年の1月 正月休みが終わった瞬間、俺は旅行用トランクに荷物を詰めて、大連国際空港へと到着した。なんっていうのか中国の北側って、イメージが北朝鮮と似ているというか、やたら無機質な感じだったのを覚えている。そして、とにかく寒い。寒い。寒い。

降り口のゲートには既に同じ会社の社員が2名で俺を待っており、「よく来たなww」と歓迎してくれるのだった。ここでついでに俺の年齢も紹介がてら、俺33歳 先輩社員2名は35歳、40歳くらいの人だった。

それから俺はこれから最低4か月は生活する会社の寮へと連れていかれた。都会部分から車で離れ、風景がさらに無機質な感じになっていく12階建てアパートに連れていかれ、建物に入る前は、なんて大きい建物なんだ。と思ったが、不思議だったのは異常なまでに多い玄関ドアの数。実際に中にはいってみると、やはりハチの巣のように多数の部屋があるもので、1部屋1部屋は狭かった。(俺の部屋は4畳6畳の2間だけ)先輩に「日本のマンションと違いますね」と聞いたら、「ま、中国の言っても大連だからな。人口密度は半端ないぞ」との事だった。

その部屋に俺は旅行用トランクを置き、それから工場への出社方法(つまり通勤方法)等を聞いたり、そして実際に工場へと視察に行き、工場内でこれから俺が配属する部署の事務所等を案内されているうちに、到着1日目はあっという間に過ぎていった。

先輩社員は「明日と明後日は工場もないからゆっくり休んでくれ。そして明日、どこか飲みにでも行くか。生活の部分も教えとかないといけないからな」
ということでその日はゆっくり休み、翌日、俺は先輩社員に連れられて近所のスーパー、駅、銀行、病院等を案内された後、大連の繁華街にある飲み屋へと連れていかれたのだった。

飲み屋では日本語が日本人と変わらないくらい上手なママと、その手伝いがいる、スナック形式のところだった。そして俺はこれから、そのスナックを拠点として、仕事が休みの時は飲みに行くという生活が始まっていくのだった。

週5日仕事して、その5日目に大連市内に繰り出し飲みに行く。そして翌日の1時、2時くらいまで飲み歩いてタクシーで家に帰ってゆっくり休む。次の休みは生活用品をそろえたりして家で過ごす。そんなライフスタイルが確立されていくのだった。

そして慣れてきた大連生活1か月目。俺はいつも行ってた飲み屋に、初めて見る女の子がカウンターに座っているのを見かけたのだ。どうやら、この店のママや手伝いとは仲が良いらしく、中国語であれだこれだとペラペラ話しているのである。

もうママとも仲が良くなっていた俺は、その女の子が、けっこう美人なために下心満載でカウンター席を移動し接近し、俺は酒によった気の大きさもあって「どうもw」と握手を求めていったのだった。

女の子は最初、お前、誰? みたいな感じで一応、握手はしてきたが、正直(声かけなきゃよかったかな)と俺も少したじろいた。するとママがすぐに、「こちらの方はね。」と俺の事を紹介し、女の子は「ふーん」と言っていた。なにか印象悪いこの女。

年齢は20代半ばくらい。身長168cm(高く見える)体は細い。髪の毛の色は黒で長さは肩の下までのストレート。顔はちょっとツンとした感じではあるが、よく見れば見るほど、(美人だな・・)と思う、そんなイメージの子だった。

服装は黒のセーターにジーンズ色のデニミニ。それに上着は寒いので長い白のダウンコートを着ている感じだった。服装は水商売女に見えない事もないが、顔立ちがしっかりしているので、その系の仕事をしている風には見えなかった。まったくもって正体不明。

するとママは「この人はね、うちの用心棒w」とか意味の分からない紹介をしてきたのだった。女の子も日本語で、「ヨウジンボウ?何それ、ガードマンの意味?」とママに答えた。どうやらこの子もママ程ではないが、日本語が話せるらしい。

そしてよくよく話を聞いていると、この女の子は、この店にたまにではあるが顔を出す警察官との事だった。俺は何も悪い事してないが、(け、、警官!?)とちょっとビビった。

もちろん飲みに来ている訳なので非番であるそうだった。何かこの店に注意人物がいて、張り込む為に来ている訳ではないとの事。

そして話しているうちに、女の子とも打ち解けていき、女の子の名前が「王朝麗」という名前であることをしった。なんだ、この王族貴族のような名前は・・・、と思った。

この王さんは、日本が実は大好きで、ドラえもん、ドラゴンボール等から日本語を覚え、後は学生時代にそれなりに勉強したとの事。日本にも何度も来た事があり、日本語検定2級も持っているとの事だった。

こうしてママを挟んで話しているうちに、俺たちは少しづつ打ち解けていき、気が付けば、政治的な話でも盛り上がりを見せていた。

この王さんは、かなり頭の良い方らしく、その時に話していたキーワードは、マニアックだが、「満州鉄道 蒋介石政権 柳条湖事件 張作霖の息子、張学良、満州事変から上海事変」こんな戦争時代の話を、中国人としての立場からの見解をはっきりと言える気の強い方でもあった。

結局、戦争の話をしたからどう。とかそういうのは一切なく、王さんのほうもそのテーマを話せる俺に対し、「あなた、意外とかしこいね」と上から目線で言ってきたのを覚えている。(基本、王さんは上から目線。)

そして話は戦争の堅い話をやめて、もっと簡単な話をしようwwという感じになり、「中国が世界に誇るベスト3は何?」みたいな質問をしてからは空気が一気に明るくなった。王さんいわく、「1:中国料理 2:本物の麻雀 3:功夫」 といっていた。この3つだけは中国人以外の民族ではできないとの事。本物の麻雀は中国麻雀の事

俺はその質問返しに、「1:礼儀作法 2:寿司 3:堅いちんちんw」と答えた。すると王さんは「中国人だって堅いわよw」と答えてきたのだった。こんな会話をしているくらいなので、どれだけ打ち解けてきたか感じ取ってくれたかと思う。

そんな感じで気が付けば、翌日の3時になっていた。ママも本来ならもっと前に店を閉めているが、他のお客さんもいないし、俺たちだけの為に店を開けてくれているような感じだった。

俺が時計を見て時間を知り、ママに迷惑をかけている事に気が付いたので、俺は「そろそろ出ようかな」と言った。

そして俺と王さんは、そのままの流れで、「明日休みだし、どこかで飲もう」という流れになって、俺と王さん、そして店のアルバイトの女の子の3人を連れて、どこかまだ空いてる店を探す事になった。
そして夜の大連を歩いているうちに、俺は、衝撃的なものを見てしまったのだった。

そもそも、まえがきにしてはずいぶんと長くなっているので、ここらへんで次回に続く。ってしたいが、この衝撃的なものだけは紹介してから終わりたいと思う。

3人で手頃な店を探しながら歩いている時、中国の繁華街といっても土地が広いので、いろんな場所があり、Aブロックの繁華街から、Bブロックの繁華街に行くまでのの間、高速道路の高架下などの薄暗い場所を通って歩いていく事もよくある。普段はタクシーなどで通り過ぎるような場所なのだが。

そこを3人で歩いていたら、高架下にある薄暗い建物の影で何か、怪しい動く物体があったんだ。もちろん人間だった。
俺がふと王さんを見ると、彼女は仕事モードにの目つきになっており、俺は思わずアルバイトの女の子に、「何あれ・・?」とその怪しい人影の事を聞いてみた。女の子は「たぶん・・・バイク泥棒、、、だと思う」と答えた。

よく見ると1台の海外製のバイクが止まっており、それに一人の男がまたがって、カチャカチャと何かキーボックスをいじっているのだった。

王さんは一人、歩く速度を速めてその物陰に接近しており、中国語で何かを言った。多分「こら!!何してる!!!」だと思う。

驚いたのはその直後。てっきり男(10代後半くらい)2名は、驚いて逃げるのかと思ったら、ここが日本とまったく違うところ。男一人はファイティングポーズを取り、もう一人は小さな折り畳みナイフをパチッと広げて構えてきたのだった。

すると歩きながら接近する王さんは、ダウンコートの腰に手をまわすと、そこから小さな筒のようなものを取り出し、シャキン!とそれを飛び出させたのだった。特殊警棒だった。

それを見た男2組は王さんが警官だとわかったのか、すぐさま飛び出して反対方向へと逃げていったのだった。

それを追いかける事はしなかったが、すぐさま王さんは携帯電話で警察に電話をし、警官が来るようにと指示を出していた(風に見えた)それが終わると王さんは「あとで警察くるって。だからもう行こう」ということで、また飲み屋街へとてくてくと歩いていくのだった。ポカーンとした表情でそれを見る俺だった。

相手は2組、しかも男。それにナイフ。それでも一切、恐れずに特殊警棒を引き抜いて戦おうとする王さん。。。。 めっちゃかっこよかったけど、正直、かなり怖かった・・・w

そんな・・・衝撃があった。ともかく何事もなくてよかった。そしてそのまま俺たちは2件目へと飲みに行き、、俺は酔いつぶれた王さんをお持ち帰りする事になるのだが・・・。

さらに衝撃は続いた。

つづいていい?


16
2018/08/27 05:42:42 (qw1.iPGf)
友達と2人で海外旅行に行った時、すごいカッコいい、双子の黒人にナンパされた。


言葉とかよくわからないから、片言の英語で話してたけど、怖かったし断ってホテルまで、戻ったら、ホテルの通路で片方にバッタリ。


思いっきりキスされて、部屋に連れ込まれた。
一様、避妊はしてくれるみたいだし、やっちゃった。

ガンガン突かれながら、話しかけられたけど、よく分からないし、
グッドと、イエスばっかりいってたら、もう1人も帰ってきた。


最終的には、アナルも掘られて、ヤバスやった。


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2018/05/05 20:45:09 (/EbLvrNF)
子供も独立して余裕が出来て、同じような友人とツアーで海外旅行に
行きました。
何日目だったか、一日自由行動の日があって、その友人と二人で出かけました。
昼食の食堂で隣のテーブルに座った二人連れの現地人の若者に声を掛けられて一緒に
食事をしました。
「あなた方は日本の女学生か」と言われました。
50才近い私たちはびっくりしましたが嬉しかった。
小柄な私たちは彼らから見たら女学生に見えるのかしら。
片言の英語でしたが話が弾んで、午後から彼らが町を案内してくれれる
ことになりました。
いろいろ案内された後、僕らのアパートが近くにあるから少し休んで
行きましょうと案内された。
そのアパートに入ったらいきなり押し倒されて着ているものをはぎ取られて
犯されました。
二人は交代で私たちを2回づつ犯しました。
油断できませんね。











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2017/08/27 09:16:53 (hD2N/5A0)
出張でメキシコに滞在する事になった時・
言葉から何から知らない事ずくし(ネット知識のみ)だったので、付き添ってガイドしてくれる現地の人を雇ってもらう事にしました。
空港に来たガイドさんは現地の大学生だという女の子、日本語がペラペラで人懐っこそうな娘なので一安心。
それにしても、豊満な胸元が半分ちかく見えてしまっている大胆な上着にヒップラインどころか恥丘の形さえ判ってしまうピッタリフィットのショーとパンツを穿いた、若さとエロさを溢れさせた体つき・
お国柄か性格か最初からやたらとボディタッチが多く、基本ベッタリ抱きついたままの彼女。
このアマぁ!俺とセックスしたくて誘ってやがるのかぁ?と勘違いしてムラムラきてしまうのは男のサガというもので・
実際、メキシコ到着数時間後にはその日の予定を翌日にスライドさせる事にして、宿泊先に駆け込んで彼女と猛烈な舌チューしながらベッドへ倒れこんで、あとはもう性欲のままに(生)セックス!(生)セックス!(生)セックス!ですよ。
チェックアウトの時モーテルの主人に「張りきり過ぎて体を壊すなよ?」と心配されるくらい・
若くて情熱的で官能的な彼女の熱い蜜壺を、何度も何度も何度も突いて突いて突きまくり(そして射精は必ず膣内にと)、いきなり訪れた初夜とはいえ命を削ってセックスしまくりでした。
おかげで翌日からは彼女と昔からの伴侶のように連れ添い、仕事もスムーズに進め・
夜はもちろん宿泊先で愛を確かめ合うように激しくセックス、彼女の乳房や乳首が俺の唾液まみれ彼女の股間が彼女と俺の粘液ブレンドまみれである事が当たり前みたいな日々を送りました。
俺が帰国する頃、彼女のお腹にはベビーが宿っていました。
その後とくに揉め事もなく、彼女の両親は上の兄弟たちが面倒みているので問題ないという事で、彼女の希望どうり日本で三人(俺と彼女と長男)暮らししています。
彼女は元々、大学卒業したら日本か韓国で暮らしたい(アジア好き?)と思っていたようで、そんな時にタイミング良く不幸なエモノ(俺)が飛び込んできたらしいww
三人暮らしになってから二人とも仕事も育児も忙しいけれど充実していて・
ちゃんと夜の夫婦の営みもしてますよ?隣人にお(前らセックス五月蝿い!と)壁ドンッて叩かれますけどww
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異端との遭遇

投稿者:ポーロ ◆qQ6wK6czCM
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2018/01/11 11:50:18 (7UjLgfSG)
高校2年生の時、俺は学校のイベントでオーストラリアに14日間のホームステイを兼ねた研修旅行に行った事がある。

場所は詳しくは話す必要もないし、詳しく話してもどうにもならない場所なので、あえてここでは割愛するけど、東海岸のある田園風景が広がる田舎町。という事くらいは言っておこうと思う。

俺達は通っていた高校からオーストラリアに渡航した研修旅行組は現地に到着し、空港からバスに乗り継いで、その日の夕方にはホームステイ先の家に到着したのだった。これから一緒にホームステイ生活を過ごすパートナーとなる仲の良い同級生も一緒だった。

家族はテレビや映画で見る外国人ファミリーのステレオタイプ的な家庭で、祖父母、両親、兄、姉、弟、妹、幼児。という典型的な家族構成だった。

俺たち田園の中にポッツリと建つ、無駄にだだっ広い家に入り、8畳くらいの大きさの空間の部屋の中が俺たちがこれから生活をする部屋だといわれたのだった。

部屋の中は、窓がひとつ、ベッドが2つ、大きな全身鏡がひとつあるだけで、それ以外は本当に何もない部屋だった。

ただカルチャーショックを受けたのは、やはり海外というのか、靴を履いたまま家に上がるという事が最初のカルチャーショックだった。

ともかく、こんな感じで俺たちのホームステイ生活は始まり、それから子供たちが通っている学校に俺たちも昼間は通い、休日は車で渓流釣りに行ったり、ショッピングモールで買い物をしたりする、ああ、これがホームステイか。というような感じでホームステイの日数を消化していったのだった。

ただ、その中でも日本で生きる高校生の俺たちに馴染みがなかったのが、食前と食後の、およそ15分くらいかかる、お祈り。である。イメージとしてはキリスト教みたいに手を胸の前で組んで、並べられた食卓の料理の前で、とにかくブツブツと祈りの言葉をささげるのである。

これにはお祈り当番みたいなのが決まっているのだろう。ある日は兄がやり、ある日は姉がやり、その長い15分のお祈りはローテーションで朝、昼、夜と行われていたのだった。

俺たちはその宗教色というもに触れたのが初めてであり、この瞬間に(やっぱ海外なんだな・・)と思ったのが、もっとも強いカルチャーショックであると、今でも覚えている。

しかし、今思えば、なぜ俺が通っていた高校は、このオーストラリアの、この地域という場所をホームステイ先に選んだのだろう。と今でも疑問に思う。

というのも、初めて来たときは、初の海外という事もあり、興奮しまくって見えているようで、何も見えなかったのだが、慣れてくると見えてきたのが、この地域の特異性というか、あまりに宗教色が強すぎるエリアなのである。

家の中も、田園から車で30分くらい飛ばした、唯一といってもいい町中でも、流れている音楽、壁画、建造物等、その独特な宗教色が強いエリアなのだった。

ここで話を大幅に割愛するんだけど、結局、俺たちはホームステイ初日から1週間後くらいの土曜日、ある日突然、世話になっていた家族に、家の中で強引なまでの勧誘行為に遭う事となり、(翌日の日曜日の教会での集まりに新入会者の俺たちを紹介するために、家族たちが間に合わせたかったんだと思う)

俺たちは「なんだかもうめんどくせーから、入信した。っていう事にしたらいいんじゃね?」と、相手にわからないように日本語で相談しあい、(俺たちは語学専門コースだったので、日常会話の英語はマスターしていた)一時は、その入信をします。というような話をしたのだった。

すると今までの歓迎は嘘の歓迎だったのか?と言わんばかりの、本当の大歓迎となり、ハグされるわ、妙なプレゼントをされるわ、今までにない豪華な食事が待ってるわ。と、俺たちは、あまりの待遇の変化に、「入信するって言ってよかったなww」と目先の豪華な食事や贈り物に目がくらんでいっていたのだった。

だがしかし、後になってその宗派の事を調べると、当時はキリスト教だと俺は思っていたが、実際はそうではなく、そのエリアに居住する特定の民族だけが信仰する、言い換えれば土着信仰とも言っていいようなレベルの新興宗教だった。

後になってネットで調べると、カルト指定されている新興宗教であり、キリスト教っぽいのは、キリスト教の異端だから。という理由であった。

まぁどこにでもあるカルト系にありがちな、輸血禁止(信者間はok)とか、近親婚が盛ん、あと信者間でのSEXに対する考え方がOPEN過ぎる。というのがあった。(この最後の部分は、非信者との性交が厳格に禁止されているという事であり、その裏返しで逆に信者間においては、フリーセックス状態になっているとの事。なのでもちろん、デキちゃった婚が当たり前)

当時はこんなところまでは分からなかったが、(逆にわからないからこそ、こうして記事になる体験ができたのだが)後々、調べてみたらそんな小さなカルト集団だった。

何も知らない俺たちは、翌日の朝8時に起こされそれから車で1時間くらい飛ばした場所にあり、小さな教会の中で、俺たちの入信儀式が始まった。儀式はシンプルなものだったが、聖書的な雰囲気がある本の上に手を置き、なにかブツブツと神父的な人が言っている言葉にウンウン。とうなずくだけのものだった。

それが終わると教会あげてのパーティーが始まり、またそこでも豪華な食事とプレゼントを贈られたのだった。

そしてその宗派の立派な信者となった俺と、一緒に泊まりに来ていた相棒のSは、その夜から思いもしない体験をする事になっていくのだった。

前書き長くてスマン。本題に入る前にいったん投稿する。
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