この先の運命をかえたカップ麺。これは形で言えば日〇カップヌー〇ルと同様の形状をしている。だが、ローマ字で、「スパイシー ホット デリシャス」といった文字が印刷されているパッケージだった。お湯をいれて3分というのは日本のメジャーな感覚と同じ。だが、お湯を入れるだけでなく、フタをあけてみると粉末状の調味料と油のような液体状の調味料、さらにドロドロした濃い黒色のチューブのようなものが入っており、(えらい、調味料おおいな。塩分大丈夫かよ)と思うような、そんな代物だった。味としては、まぁそこそこ。別に悪くはない。だが、健康に悪そうな食い物であるという印象は今でもぬぐえない。辛くて印象に残る味。そんな感じだった。そんなカップ麺をシリーズ制覇したくなり、週に1、2回のペースでベトナムショップに通っていた時の話だ。ベトナム人店主であるハンさんから、「最近よくくるネ。辛いの好き?」と聞かれたのである。まぁ、オッサンとの会話なんて適当に省略するが、ハンさん曰く、インスタント麺(ここでは袋麺の事)にもちゃんとした通の食べ方があるらしく、卵をいれたりチリソースを入れる方法とか、いろいろ伝授してくれたんだ。それから、、、、不思議と俺は、このベトナムの食文化というものにハマってしまったんだ。もともと、無趣味だったし、仕事の往復以外はこれといって何もする事を持っていない俺だった。この外国人のハンさんとの出会い、そしてベトナムショップとの出会い。今までにはない、異文化!っていうのかな、そんな環境に足を踏み入れて、様々な今まで食べた事のないベトナム料理を作ったり、そして、、、挙句の果てには自分で作ったベトナム料理をハンさんに食べてもらうよう、鍋にいれて持っていったりしている俺がいた。ハンさんも、そんなベトナム通になろうとしている俺を一家総出、いや店に来訪するベトナム人に、「ベトナム好きのニイチャンなんだ。なんでも日本の生活でわからないことは彼にきいたらいい」と紹介してくる感じになっていった。ハンさんのおかげで想像を絶する短期間で、ベトナムの人たちと顔見知りになり、俺はさほど大した人物でないにも関わらず、ベトナムコミュニティの中ではちょっとした名物になりつつあったのである。そんな時である。ハンさんから「明日、ベトナム人があつまる祭りがあるんだ。よかったら浩二(俺の事ね)もこい。ホンモノのベトナム料理にありつけるし、可愛い子もいるぞww」と意味深な事をいいながら、一枚のチラシを俺に渡してきたのである。そのチラシはA4の紙に、ベトナム語と英語で何か書いていた。当然、俺のそれを読める訳もなかったが、そのハンさんが言うには、こんな事が書いているらしい勝手な俺の翻訳第6回 ベトナム祭り 第二〇〇公民館 時間18時~20時 ベトナムの民謡コンサート、 ベトナム料理の振る舞い みなさんご参加くださいそんな事が書いているらしい。俺は、「ああ、是非参加させてもらうよw」とハンさんに答えたのだった。そしてそのベトナム祭の当日、俺はハンさんに連れられて会場である公民館へと行くと、おそらく、その地域全体のベトナム人が集まっているのであろう。どこをみてもベトナム人!っていう感じの祭りが公民館で開催されていた。日本滞在期間35年のハンさんは、このベトナムコミュニティのちょっとした顔役らしく、いろんな人がハンさんに「いつもお世話になってます」みたいな感じで挨拶をしにきているのが印象的だった。そして挨拶にきた全ての人に、「この人は日本人の浩二だよ。俺の友達だ。なんでも困った事があったら相談したらいい」と、得意げになって俺の事を紹介するのである。不思議と俺は来賓されたお偉いさんのような感覚に浸ってしまい鼻高々だった。そして時間がきて、民謡のようなものが始まった。最初はベトナムの学生が演じるダンスとか、楽器演奏とか、オバチャンの踊りとか、そういったベトナム伝統文化の催し事ばかりだったのだが、いきなりあるグループの公演前になって、周囲がざわめきだしたんだ。すると、、、、舞台に登場したのは、年齢10代後半から20代前半くらいの、超モデル級(顔は不問)の女の子が、アオザイというベトナムの民族衣装をきて、颯爽と自転車で舞台に現れたのだった。7名の彼女らが演じるのは、ベトナムの青春、学校、思春期、みたいな、そんなものをテーマにした小劇だったのだが、アオザイを知らない人はいまここで調べてみる事をおすすする。その衣装っていうのが、エロ過ぎるんだよ。もうアオザイで検索してくれているもの前提で話をするけど、舞台に立っている7名の女の子の、ブラジャーとパンツ
...省略されました。