美穂様
はじめまして
美穂様もお母様も、日々の生活のために大変な思いをされましたね…
昔はそういった理不尽なコトがたくさんあったのかと。
どなたかにこのサイトを教えてもらい、何とか書き上げられたのですね。
結局、美穂様も「宴会」に出されるコトになったのでしょうか…
差し支えなければ、少しずつ、ゆっくりで結構ですので、是非続きをお書きください。
続きを書かせていただきます。旅館の主人から母に私が裸になる話があった時に母は断ってくれましたが、もうそうされることが決まっていたようです。初めて私がみすぼらしい裸を晒したのは、小学5年の暮れの迫った時でした。いつものように私が家に一人でいると旅館の人が迎えにきました。いつもはそのまま直ぐに宴会場に連れていかれるのに、その日は旅館の主人と女将さんが帳簿をつける部屋に連れていかれました。私が二人に挨拶すると主人は子供の目から見ても落ち着かないように、二学期の私の成績はどうだったかとか食べ物は何が好きかとかを作り笑いして聞いてきました。私ももう何度か旅館の他の人から話をされてましたから、これは私を裸にしたいことを言いたいのかな、と子供でしたが分かりました。主人が結局私にその事は言わず途中で横にいた女将さんに、お前言え、と押し付けました。女将さんは当時歳が40代半ばで、私はきれいだし、てきぱきしてるし、たまに私や母に優しくしてくれるから私は好きでした。女将さんから単刀直入に、みほちゃん、今晩お母さんと一緒に裸になれる?と言われました。それから、もし裸になったらお金はどのくらいあげられる、とか色々話してくれたけど、私はほとんどあたまに入ってなくて、ああ、やっぱり私もお母さんと同じになるんだな、ってぼーっと思ったくらいでした。もう思春期に入ってたから子供ながらに、裸を見られたら恥ずかしい、とは思ったけどこれも、仕方がないんだ、と思ってそれ以上深くは悩みませんでした。返事は言葉ではなく、こくっ、て頷いただけでした。するとそれまで女将さんに任せていた主人が急に、よしよし、やっぱり良い子だ、とか機嫌が良くなり、反対に女将さんが暗い顔になったような気がします。それから私は女中さんに宴会場の脇の部屋に連れていかれて、そこで着ていたものをジャンパーもセーターもスカートも下着のシャツも靴下も当時ズロースと呼んでいたパンツも全部脱ぎ、代わりに上から小さな子供用の浴衣を一枚だけ羽織らせてもらいました。そこの部屋には火鉢が一つあるだけで、連れて来てくれた女中さんが、寒いだろうね、と言って熱い白湯を茶碗に注いでくれました。宴会場ではもう母が裸にされるショーが始まっていて、時々お客さんの、わーっ、と言う声と、進行役の坊主頭の男の人の太い声が聞こえました。しばらくして、舞台の脇から坊主頭の人が入ってきました。いつもお母さんを虐めてる人、と言う先入観があったんですが、浴衣姿の私を見た表情は恐いと言う感じではなく、困っているように感じました。それから私に顔を近づけて、お母さんを恨むなよ、俺を恨め、と小さな声で言うと、私を立たせて舞台に連れて行きました。その日の舞台の母はそれまで見た中で一番可哀想な姿でした。真っ裸で立ったまま両手両足を左右にいっぱいに引っ張られて大の字にされてるんですが、一本も残らず剃りあげられてる股間に別の縄が激しく食い込んでるんです。その縄の先は上から吊られた小さな滑車を通して空中にぶら下げられてる昔のブリキのバケツに結ばれてました。バケツから伸びてる縄がピンと張ってるから、バケツの中にはかなり多い量の水が入っていて、その重みが母の股間に食い込んでたんです。母は浴衣姿の私を見ると、一度大きく目を見開いて私をじっと見つめました。口にはいつものように声を出せないように布を噛まされていましたが、その噛まされてる布を自分から噛みきろうとするみたいにギリギリと噛み締めました。見開いた目からボロボロと涙が出てましたが、それから直ぐに私と反対の方に顔を向けてしまいました。私が舞台に上がると20人くらいいたお客さんが急にシーンとなりました。坊主頭の人が私に話しかけるような口調で、お嬢ちゃんのお母さんは今すごく恥ずかしくて痛くて辛い拷問をされてるけど、お嬢ちゃんがお客さんの前で裸になったらこのバケツを外してあげよう、たしかそんなことを言いました。さあ、裸になるかい?と聞かれて、私はこの時も、こくっ、と頷きました。それから自分から帯を解いたのか、坊主頭の人から促されて解いたのか覚えていませんが、帯を解いて浴衣を脱ぎました。恐い気持ちも少しはあったけど、恥ずかしい、と言う気持ちと、二人だけ裸で動物みたいで惨め、と言う気持ちが大きかったです。初めての時は客席の反応とか全く見るゆとりもありませんでした。この時は私は浴衣を脱いでじっと立ってるだけで、坊主頭の人が直ぐに母の股間を苦しめてたバケツを外してくれ、それから私に脱いだ浴衣を羽織らせて舞台脇の部屋に戻してくれました。私を火鉢の側に座らせると、良く頑張ったな、とまた小さな声をかけてくれました。一人になってから急に、恥ずかしくて惨めな自分に悲しくなり、幸い一人でしたから声を殺して泣きました。宴会場の方で何か騒ぎがあったみたいで、坊主頭の人が大きな声を出していましたが、やがてそれも落ち着いたみたいでした。この日は母はお客を取らされず、私と一緒に帰れましたが帰る途中何も言わず涙が頬を流れてるのにそれを拭くこともせずとても恐い感じがしました。... 省略されました。
今日も書かせていただきます。
私が旅館の宴会場で裸を晒したのは、初めの頃は月に一度の土曜日と決まっていました。
裸を晒すのも恥ずかしくて惨めで好きではなかったけど、それよりも旅館の女将さんや女中さんが私に異常に気を使ってくれて、かえってそれが、私は変なことをしてる子供、と言うことを意識させるから辛かったです。
思春期の子供は男女を問わず、自分は心や体が他の人と違っておかしいんではないだろうか、と一度は思うものらしいですが、私の場合は、学校の友だちとは完全に違う、普通の大人の女の人でもしないことをやっている、と意識させられて、それが一番辛かったです。
その時の同じ学級の中には、私がいやらしい舞台に出てることを知ってからかう人もいましたが、親が地元の旅館、温泉で働いてたり、小さいお店をしている比較的貧しい家の子は、私を差別したりしないでいつも普通に遊んでくれていました。
学校の先生は私のことを知っていた筈ですが、その事について聞かれたりした記憶はありません。
多分当時の私にとっては、色々聞かれたり気を使われたりした方が辛かったと思います。
六年生の夏になると、舞台の内容が変わってきました。
舞台脇の部屋で全裸にされてから舞台に連れ出されることが二回ほどあって、その後は普通の服を着たまま舞台に連れ出されて、舞台の上で自分で服を脱ぐような内容になりました。
その頃気がついたんですが、毎月同じお客さんが来ていて、いつも舞台の直ぐ近くにいるんです。
多分お金持ちらしく、他のお客さんの殆どが旅館の浴衣なのに、いつもあか抜けたスーツを着ていまし、当時は珍しい銀縁のメガネを掛けていました。
私が舞台に出て進行役の坊主頭の男が、お母さんを助けたければ服を脱ぎなさい、と言って私が頷くところで、他のお客さんは皆シーンとして見守っているのにその人だけは、ガキの淫売、チップやるから早く脱げ、淫売の娘は淫売だろう、お前も俺が買ってやる、いえもっと酷いことを言うんです。
後で女将さんが慰めてくれようとしましたが、それの方が辛くなるので、気にしてません、と言って帰りました。
ところが、その次の月から私が舞台に出るのが月に2回になりました。
やはり同じ男が来ていて騒いでいました。
たしか11月だったと思いますが、とうとうその男が騒ぎを起こしました。
直接の始まりは、その男が舞台に手を伸ばして、私が脱いだズロースを持って行こうとしたことです。
坊主頭の進行役が停めてもますます大声で騒ぐし、他のお客さんとも喧嘩を始めるしで、主人や女将さんが来ても収まらず、最後は進行役の人がその男の胸ぐらを掴んで殴りかけ、それを主人や女将さんが必死に停めているところまできました。
私は縛られてる母が巻き込まれてはいけないと思って母の縄をほどいたんですが、手首をほどくと母は自分で口に嵌められてる布を外すと私に、ズロースをあの人にあげなさい、と言うんです。
私が良く意味が分からないまま、うん、と頷いたら母は元起こしの男に近づき、あの子のズロースは差し上げますからどうかもうお引き取りください、と言いました。
坊主頭の男は母を見て、だめだ!だめだ!って顔を振っていたけど旅館の主人が、お客様、それでよろしいですね、とその場を納めてしまいました。
私は汚ないズロースを持って行かれたことは恥ずかしいけど、それでこんな大騒ぎが収まったんだから良かった、と単純に思ってましたが、これが原因で母と私はその温泉に居られなくなりました。
後で聞いたりしたことを含めて書きます。
理由の一つは旅館でやってる猥褻な舞台に子供を出してると言う噂が表に広まったこと。
主人が警察のその係から、子供を使ってるんではないか?と直接聞かれたそうです。
もう一つが、元起こしのあの客が子供が好きな変態で、しかも裏関係にかなり顔が効く人間だったこと。
多分私を書いたかったのでしょう。
旅館の主人はあの男から圧を掛けられたみたいです。
舞台を任されていた坊主頭の進行役の男は悪い人ではなくて、むしろ私を使うのは反対したようです。
経験から変態の度合いが深い出し物をすると深みに嵌まって収拾が付かなくなるのを知っていたのでしょう。
ただ、私が裸を晒すことを最初に考えたのは誰なのか分からないままです。
私は小学校卒業を待たずに母とその温泉を離れました。友だちと一緒に卒業できなかったのは悲しかったけど、これも仕方ないと諦めました。
その温泉を離れたからと言って別のところで楽しい生活が待っていたわけではありませんでした。
美穂様
こんばんは
拝読させていただきました。
憶測も入るのですが…
まず、お母様が働かれていた旅館は経営が厳しかったのではないでしょうか。
だから、やむなくそういった「エロ宴会」を取り仕切るヤツラと取引をし始めたのかと。
それによって、旅館には「ソレ目的」の客も来ますし、ソイツらが客を持ってきてくれますから。
だから女将さんは、美穂さん親子には申し訳ない気持ちもあったのでしょうし、優しかったのでしょう。
そのヘンの事情を知ってる女中さんはじめその他の人達も、美穂さん親子には優しかったのかも知れませんね。
今でも「スーパーコンパニオン」と言って、裏寂れた旅館でエロサービスをする女性がいますが、同じ構図かもしれませんね。
それはさておき…
美穂さん親子は、いろんなつらいご経験をされながらも、肩寄あって生きてこられたのかと推測いたします。
お母様はおそらくもうお亡くなりになられてるかと思いますが、美穂さんのその後の人生がお幸せであって欲しいと思っています。
住み慣れた温泉を離れてからも苦しいことが続きました。
母がやっと見つけた仕事はやはり旅館の女中でしたが、住み込みで私を連れていけないところでした。
私の学校の学校の関係もあり、早く住所を決めないといなのに母は大変困りました。
するとその旅館の人が世話をしてくれて、私を預かってくれる人を紹介してくれました。
役場や学校に届けた表向きでは母も私もその人の家に住むことにして、実際は母は旅館に住み込み、私はその家でやはり住み込みでお手伝いと言う別々の生活になりました。
私が預けられたのは、旦那様はは60歳くらい、奥様は50歳くらいの子供のいないご夫婦でした。
私達親子の部屋は長い廊下の外れにあった三畳のすきま風が入る寒い部屋でした。
荷物をその部屋に置くと直ぐに母は住み込みのために旅館に行ってしまい、私だけ残されました。
奥様から次の日から私がする仕事を教えられ、上下の薄い古布団を与えられて一人で寝ましたが、心細さ淋しさに布団の中で泣きました。
翌朝言われた通りに五時に起きて竈で朝ごはんを炊き大根と人参の味噌汁を作りましたが、起きてきた奥様から野菜の切り方が違う、味付けが濃い、と最初のお叱りを受けました。
お庭と表の掃き掃除と玄関、廊下の雑巾がけをしたらもう時間が無くなり、ご夫婦の食べた朝ごはんの下げて洗い物をする時にお櫃に残ってたご飯を指ですくって食べ鍋を洗う時に冷えた味噌汁を鍋に直接口を当てて飲みました。
前の温泉の旅館で忙しい時に私も手伝いに行きましたが、そこで母や女中さん達がそうしてたのを見たことがあったからです。
旦那様がお仕事に出られる時に奥様と一緒に玄関でお見送りしてから、母から持たされた書類の封筒を持って一人で新しく通う小学校に行きましたが、どうして親が来ないのかと聞かれて困りました。
授業が終わると急いで帰り奥様に挨拶すると、言葉使いから立ち振舞い、朝の仕事のこと、と厳しい口調で叱られました。
奥様は居間の畳の間に座布団を敷いていましたが、私は外の板敷きの廊下に正座して叱られました。
昔は仕う者と仕える者とそれだけ厳しく差別されるのが当たり前でした。
学校から帰ってのお説教はほぼ毎日ありましたが、その家に来て1週間目に、返事の仕方が悪い、と言われて頬を平手打ちされました。
それからは毎日のように普通に叩かれましたが、竹の長い物指しを使って叩かれる事が多かったです。
初めは脹ら脛を叩かれましたが痕が残る事があってからは服の下になって外から見えないところを打たれるようになりました。
奥様から、お脱ぎ!と言われてから服を脱ぎズロース一枚になって打たれるのですが、肘より上の腕、お腹、背中を打たれることが多かったです。
ごく希にでしたが、膨らみ始めていた胸に物指しが当たることがあり、あまりの痛みに踞ってしまったこともありました。
さらに奥様の機嫌の悪い時にはズロースも脱がされて打たれましたが、お尻を打たれる時は他の所より力を込めて打たれました。
赤く腫れるだけでなく内出血して赤黒い線が残ることもありました。
ご夫婦は平日は近所の銭湯に行き、日曜日には離れの内風呂を使っていましたが、水道のある台所からバケツで水を何往復もして運び、薪で沸かすのも子供の私にはにはけっこう大変でした。
2月の寒い日でしたが私がお風呂に水を運んでいる時によろめいてバケツの水をこぼし、着ていた服がびしょ濡れになりました。
着替えようと思ったら奥様からぐずぐずするなと厳しく叱られ、濡れた服を脱いでズロース一枚で水運びをさせられました。
その後に裸のままで風呂焚きもしたんですが火の粉が飛んで肌に当たって熱い思いもしました。
辛くても奥様の前で泣いてはいけないとずっと我慢して夜に布団に入ってから小さな声で、母の名を呼び泣きました。
ここから逃げたいし母に会いたいけど仕方ないと諦めるしか仕方なかったんです。
このように書くと奥様は酷いだけの人のように思われるでしょうが、後になって知った別の面もありました。
私が中学に上がるのに制服を買うお金もなくてどうしようと母が住み込み先の旅館の仕事をしながら悩んでいたら奥様が、私がくれたとは本人に言うな、と言ってどこからか貰ってきた中学の制服をくれたんです。
他にも私には母が私に渡すように言った、と言いながら、毎月少しではありますがお小遣いをくれていたのですが、実はそれは奥様が自分の懐から下さっていたものでした。
今の人には理解しにくいことだと思います。
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