性的虐待体験
1:昔は貧しかったから仕方なかったと思うこと
投稿者:
美穂
よく読まれている体験談
こんばんは
まだ油断ならないとこですね
助かってほしいと願うばかりです
続きお願いします
私が警察に助けられたのは小柄な男から写真を写された次の日でした。
熱で体がきついまま、私を拐った男が今日も来て犯されるのではないかとビクビクしながら寝ていました。
外が薄暗くなった頃に外に人が歩き回る音がしました。
その足音も一人では無かったので、私が売られるのは2.3日してからと言ってたのに、もう連れていかれるんだろうか、行き先は外国なんだろうか、と思って心臓が潰れそうになりました。
それが、警察だ、中に◯◯美穂ちゃんはいるか?と言う声がして、私が返事をしたら、いました!鍵を壊せ!と大声がして外から閉められていた戸を開けてくれました。
それから病院に連れていってもらい入院となりましたが、病院で寝間着を着せてもらうまでは家から出る時も車に乗る時も裸に刑事さんの上着を掛けてもらっただけでした。
翌日には母も旦那様も奥様も病院に来てくれました。
それから10日間も入院し、時々刑事さんから話を聞かれて書類を作られました。
私があの家に閉じ込められてるってどうして分かったんですか?と聞いたら、ある人が知らせてくれた、とまでは教えてくれましたが、それが誰なのかは教えてもらえませんでした。
退院してからですが、奥様に私があの家に閉じ込められてるのを警察に知らせてくれた人にお礼を言いたいと話したら、これ以上あんな人達と関わってはいけません、ときつく叱られました。
学校の先生は私が誘拐された事は知っていましたが生徒には急な病院で入院したと言ってくれました。
私の心の中では、私はもう清純でなく汚れてる、だから将来は母みたいないやらしい出し物に出たりお客を取らされるような生活しかない、そう思っていました。
だから一度は面白くてたまらなかった勉強もやる気が起きませんでした。
そんな私を立ち直らせてくれたのは奥様でした。
厳しくしてくれるのが奥様の愛情でした。
1学期最初の試験で悪い点を取った時のようにまた厳しい折檻をされましたが、物差しで叩かれて泣きました。
痛いのが辛くてではなく、奥様が私を立ち直らせようとしてるのが分かるからでした。
私が家に来てから一年目には、新しい服、下着、靴下、靴まで揃えて買ってくれたりしましたし、日曜日に内風呂に入る時には必ず私を一緒に入らせ私の身体の成長を見てくれました。
ただ奥様は私をいやらしい舞台に出たり客を取ったりする母に近づけたくないと思っていました。
それも仕方ありませんけど、私はやはり何時でも母に会いたいと思っていました。
続きを読ませていただきました。壮絶な人生ですね。拉致監禁され犯されさぞ辛かった事でしょう。やはり通報してくれたのは人買いの小柄なおじさんでしょうか…本当に助けられて良かった、読んでて心からそう思いました。
こんにちは
保護されてよかったです
これから幸せに向かっていくのでしょうか?
それとも トラウマになってあらぬ方向に行くのでしょうか?
気になります
幸せな生活を送ってほしいです。
美穂様
こんばんは
やっと少し、いい方向に向かってきた感がしますね。
このまま良い方向に進むといいのですが…
まだ少し心配ですね。
旦那様奥様の家に戻ってからは、落ち着いた生活が続きました。
旦那様が、高校に行きなさい、と言ってくださり、奨学金を受けて地元の普通科高校に進学し、卒業してからは幸い旦那様と関係のあった役所の事務として採用され勤めさせていただきました。
勤めに付いても旦那様奥様の家に住まわせてもらっていました。
以前の経験から男性は怖かったけど、次第にそれを表に出さず隠して普通の人と同じように振る舞うことを覚えました。
高校、職場と同じ年頃の男性が居て、中には私に好意を寄せてくれる人もいましたが、もちろん私はそれに応えることは出来ませんでした。
私の人生が大きく変わったのは夫と結婚してからです。
職場の男性から交際を申し込まれたり奥様が縁談のお話を持ってきてくださいましたが私は、自分が傷物だから普通の女性の幸せは持てないもの、と自分で思い込んでいました。
ですから交際や縁談は全てお断りしていたのですが、私が21の時に奥様が持ってきた縁談の相手が今の夫でした。
地元で商売をしている資産家の長男ですが、本人は大学を出て公務員上級の試験を受けて当時の人が言うお役人でした。
子供はいませんが離婚歴があり年齢も私より10歳年上でした。
離婚の原因は分かりませんでしたが奥様が、前の奥さんはかなり偉いお役人の娘でわがままだったから義父義母との折り合いが悪かったのではないか、と話してくれました。
男性が離婚歴があることが、傷物の私には相応しかもしれないと思ったし、気難しい舅姑に仕えるのなら今の旦那様奥様に仕付けられていますから耐えられるとも思いました。
それに私の将来を心配してくださる奥様にもこれ以上縁談をお断りするのは憚られましたので一度お会いしただけで縁談を承知しました。
二回目の結婚とあって夫の実家では御披露目などどのようにするか迷ったそうですが、当時夫は実家から離れた遠い県に赴任していたこと、ちょうど夫のお役所の仕事が大変忙しい時期と重なったこと、何より夫と私が御披露目をされることを望まなかったことで、ごく内輪だけの結婚式となりました。
新婚生活の場は夫の赴任している県の宿舎ででした。
周囲の方とのお付き合いや家事等は思ったより上手くこなせたと思います。
ただ夫との夜の生活はやはり難しかったです。
全て夫に任せて夫が満足してくれたら良いと思っていました。
夫は私を優しく抱いてくれましたが、抱く前に何かを言いた気なのに言えないような事もありました。
私自身は夜の生活に女の幸せを感じる筈がないと思い込んでいました。
夫と私がお互いの秘密を打ち明けあったのは、結婚して半年後でした。
その夜も夫から抱かれましたが、夫が上手く逝けず私にすまないと謝りました。
私が、そんなことはありません、それより私に出来ることがあったら言って下さい、と聞いたら夫から、痛くはしないから縛らせてくれないか、と打ち明けられました。
私は、はい、と承知したのですが夫はなかなか縛ってきません。
そのうち、やはり君のような可愛い女を縛ってみたいなんて僕はどうしようもない奴だ、と自分を貶したんです。
本当の男女の愛をまだ知らなかった私ですがこの夫の言葉に、今私は夫から大切に思われてる、と胸が熱くなりました。
それと同時に、自分の事も打ち明けたい、それでも大切に思ってくれるのならどんなことでもされたい、と激しく思いました。
この夜は遅くまでお互いの他人に言えなかった黒い過去の経験を話ました。
途中で私から夫に、縛ってください、とお願いし縛ってもらったまま夫の膝に抱かれて話をしました。
そして夫から、ずっと一緒にいてくれ、と言われて抱かれて初めて自分のあそこが淫水で潤ったのを経験しました。
もう性的虐待ではなくなってしまったのですが、また引き続きここに続きを書かせていただきます。
夫は自分でサディストだと告白しました。
私を犯した男のように女を惨くおもちゃにして苦しめるサディストもいれば、夫のように愛する二人がお互いに楽しむためにするサディストもいるのです。
初めて夫に縛ってもらった夜に胸を弄られて生まれて初めて女として性的な快感を感じため息をついてしまいました。
夫があわてて、痛かったか?と聞きましたが、私は首を横に振りました。
それだけでなく、もう少ししてください、と夫におねだりしました。
その時の表情を見ると夫の喜びはとても大きかったようでした。
両手首を背中に縛られたまま夫の膝に抱かれて、両方の胸を優しく揉まれ乳首を指で摘まんで転がしてもらいました。
たまに痛みも感じて顔をしかめてしまうこともありましたが、それに耐えるとまた一段と甘美な快感が味わえました。
いつの間にか自分が、ああっ、ああっ、とため息と言うより喘ぐような声を出しているのに気がつきとても恥ずかしかったんですが、夫が盛んに、可愛いよ、可愛いよ、と言ってくれました。
その夜夫のあれを受け入れた時も、これ迄にない快感を感じました。
その夜は絶頂を味わうまでには至りませんでしたが、夫のあれが入っている自分のあそこが溶けるような快感を感じました。
夫が逝ってくれた後で私に、ありがとう、とても素晴らしかった、と言ってくれましたが私の方こそ夫にその言葉を言いたかったんです。
恥ずかしくてはっきり声に出せなかったけど、やっとの思いで小さな声で夫に、私こそありがとうございます、と言いました。
それから夫は毎晩私を可愛がってくれました。
夫から全裸で縛られて恥ずかしくてたまらないのに、あそこが自然に潤んでくるし、夫のあれを受け入れてる時に夫から、どうだい?痛くないかい?と聞かれて無意識に、痛いです、でもとても良いんです、と答えてしまい、翌朝夫からそれを聞かされて恥ずかしくて消えてしまいたくなりました。
数日して私も女としての絶頂を感じることができました。
それから1ヶ月くらいして化粧をしようと鏡を見ると、自分がきれいになってるのに気がついて、はっとしました。
年末に夫の実家に帰った時も義母から、美穂さんきれいになったわね、と言われましたし、その後で旦那様奥様の家に挨拶に行った時にも奥様が私の顔を見て、はっ?と驚いていました。
その頃は私をこんなに幸せにしてくれた夫のことが好きで好きでたまりませんでした。
職場での夫の評判も良いようで、結婚して張り切ってる、と言われていたようです。
夫の部署は出張も時々ありましたが、出張に行く前の夜はいっぱい可愛がってくれて、一週間後に帰ったらこんな事をして苛めたいけど良いかい?と言ってくれていました。
私も喘ぎながら、もちろん良いわ、もっと酷いことして良いから無事に帰って来て、と恥ずかし気もなく答えていました。
ご結婚され幸せになって本当に良かったです。なんか(ホッ)としました。ご結婚されお母様はどうされたのですか?
良かったなあ!
で、子供は出来ましたか?
私の結婚で投稿をやめるつもりでしたが、やはり母、息子、それと嫁の事をこの後書かせていただきます。
結婚して3年後に一人息子を授かりました。
妊娠中の産婦人科の検査で子宮から膣にかけて障害が判明し、子宮内での胎児の発育も危ないかもしれないと告げられました。
子供の時に犯された痕かも知れないと自分の過去を恨みました。
それまでは辛いことがあっても私は仕方ないで諦めていましたが、夫との間に授かった子供を失うことは絶対に嫌でした。
夫が仕事に出ている時に一人で泣いていたら急に母が訪れました。
二人きりになって母の胸で泣くのは私が旦那様奥様の家に入って以来でした。
何も言わずに泣かせてくれた後で母が、美穂はきれいに変わったからね、子供の時みたいな悪い運命も変わってるはずだからね、と慰めてくれました。
でもその言い方に、母が私からずっと離れて行ってしまうつもりなんでは、と思ってしまい私はまた泣きました。
母が私から離れてしまいそう。これも仕方ないの?と
思っていたら、まだ早い時間なのに急に夫が、心配だから、と帰宅してくれたんです。
母は夫には会わないつもりだったようでした。
奥様から出来るだけ私と会わないように言われ続け、自分の過去に引け目を感じ、自分と私や夫とは住む世界が違うかのように考えていたんです。
そんな母を夫が引き止めてくれました。
お義母さん、良く来てくれました。昼間は美穂が寂しがるんです。お願いです。しばらくこちらに滞在してください。と夫は本当に真剣に母に頼んでくれました。
かなり悩んだようでしたが、母はそのようにしてくれました。
本当に10年ぶりに母に甘えました。
それが良かったと思いますが、胎児は順調に成長し、無事息子を出産できました。
夫も母も、旦那様も奥様も喜んでくれました。
奥様も母の過去のしがらみより今は私の夫が強いと認めてくれました。
でも代わりに私は二人目は授かれない身体になってしまいました。
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