2024/02/12 19:27:54
(5Nm2reBu)
今から20年ちょっと前、大学を出て、建設会社に入った私は、本社に2年いた後、人口30万人規模の地方都市で、地元の建設会社とJVを組んだ現場へ派遣されました。
その現場は、雨水を流す下水道である巨大なボックスカルバートを地下に埋めていく雨水渠という工事の現場でした。
数年は帰れないけれど、彼女に仕事を辞めさせて連れて行くだけの経済力はまだなく、仕方なくお別れしました。
「さよなら。元気でな。」
「さよなら。あなたも元気でね。」
地方都市に小さなアパートを借りて、仕事をしました。
朝、携帯電話の待ち受けにしてた彼女の写真に、おはようと言って起きて、夜は、おやすみと言って寝てましたが、もう、会うこともない彼女の写真は待ち受けから引退させました。
毎日、一人分の食事を作る気にもなれず、朝はコンビニ飯、夜は近所の大衆食堂で、ビールを飲みながら食事して、自炊は休日だけしていました。
月曜から金曜まで、その食堂でよく顔を合わせる麻木久仁子さんに似た中年女性と顔見知りになり、そのうち会話するようになり、やがて一緒に食べることもありました。
あれは、もうすぐ梅雨入りという6月下旬の金曜日のことでした。
彼女の名は百枝さんと言い、面白い方でしたが、どこか陰りを感じました。
結婚指輪はしてなかったから、今は独身なんだろうなとは察しがついてました。
金曜の夜だから、ご飯ものというよりおつまみのようなものを頼んで、二人で酒盛りになり、気付けば9時、そろそろ帰らないとと店を出ました。
すると、帰る方向は同じで、百枝さんは、私の住むアパートと道を挟んで北側のアパートに住んでいました。
「近所だったんですね。明日休みだし、二次会しませんか?部屋にウィスキーと焼酎ならありますよ。それから炭酸水も。」
百枝さんと深夜まで二次会、もうヘベレケで、そのまま部屋で酔いつぶれてしまいました。
翌朝、しとしとと雨音で目が覚め、身体がベトベトして気持ち悪いから、風呂を沸かしていると、百枝さんが目を覚ましました。
「やだ・・・私寝ちゃった・・・」
百枝さんに先に風呂に入ってもらい、私はその後に入りました。
風呂から出ると、百枝さんはバスタオルを巻いたまま、化粧水をつけていました。
部屋には、女性の甘い香りが漂ってて、思わず勃起してしまいました。
一回り以上年上のアラフォー熟女の色香を感じ、麻木久仁子さん似の顔とムチッとした感じの女体に、痛いほど脈打ちました。
いくら彼女と別れた後の禁欲生活だとはいえ、アラフォー熟女で勃起してしまったことが恥ずかしくて、姿勢が前景になったまま固まってしまいました。
でも、見事に見抜かれて、
「若い男性にそうなってもらうと、女性としては、幾つになっても嬉しいものよ。ありがとう。」
そう言って優しい微笑みをくれました。
「もしかして、治まらなくなっちゃったかな。こんなおばさんでいいなら、お相手しましょうか?あなたさえ構わなければ・・・」
と言って、腰に巻いたバスタオルの上から、張ったテントを撫でられて、ヤケクソでバスタオルを落とし、脈打つ勃起を露出しました。
すると百枝さんもバスタオルを外し、ムッチリした色白の熟女ボディを披露しました。
これがアラフォー熟女なのか・・・と、初めて見た熟女の女体が、まろやかで艶めかしいことを知り、ますます硬くなっていきました。
抱き合って、キス・・・じゅるっと下を絡ませるときに唾が音を立て、そのマンベッドに倒れ込み、足を割り、百枝さんの陰部を覗き込みました。
赤紫の陰唇が割れ、明らかに別れた若い彼女よりも使われ感がありました。
熟女の卑猥な陰唇を舌でなぞり、陰核まで舐め挙げると、
「ああ・・・別れたあの人以来、8年ぶり・・・」
百枝さんは、8年前に離婚していましたが、その理由までは教えてくれませんでした。
「中には出さないでね・・・」
と言われ、それは生入れをきゅだくしたものと解して、生で入れました。
その時に目にした微かに残る経産婦の痕に、百枝さんにはお子さんがいるんだと思いました。
熟女の膣は、驚くほど絡みついて、ネットリしていました。
一回り以上年上のアラフォー女性とのセックスは、い¥それまで想像すらしていなかったから、そこにあり得ない異常性を感じ、熟女の膣を味わいました。
確かに20代だった別れた彼女よりは、肌が多少ハリを失い、時に波打ち年齢を感じましたが、それがえって興奮の材料になりました。
アラフォーのおばさんとセックスしてる、おばさんが俺の陰茎で感じてる、それを目の当たりにして、興奮していました。
若い女性にはない遠慮ない喘ぎ、そして、喘ぐほどにあふれ出す艶めかしい色気、
「ダメです、出ます。」
抜いて、百枝さんのお腹から乳房にかけて勢い良く射精しました。
精液を拭いて、ベッドに横になると、百枝さんが抱きついてきて、キス、しーんとしたアパートの部屋に、湿った空気の中、雨音が響き渡りました。
「若い男性に抱かれて、感じて喘がされて・・・素敵だったわよ・・・」
その時、百枝さんがとても可愛く感じました。
こうして、私たちは週末を共に過ごすようになりました。
金曜の夜、食堂で落ち合って私の部屋でセックス二回戦、翌朝、部屋を掃除しながら選択して、お昼はランチデート、そして夜は百枝さんのアパートでセックス二回戦です。
20代男子と40代熟女、性欲がピークな二人は、翌日曜日も楽しみました。
朝起きたら、今度は百枝さんの部屋をそじゅじしながら洗濯、一緒にお昼を食べて午後は買い物、帰ったらテレビ見ながら食事して、食後にセックスして夜9時ころ私は帰りました。
それから入浴中に洗濯して、明日の出勤に備えました。
そんな暮らしを3年間続けました。
雨水渠工事は私が参加して3年で終了、JVは解散し、現場事務所も撤去されました。
私は、次の現場への派遣命令が出て、百枝さんとはお別れ、
「いつか、こんな日が来ることはわかってたけど、こんなにも早く訪れるなんて・・・」
百枝さんの目が潤んでいました。
私のアパートの荷物を新居に送り、最後の夜は百枝さんのアパートで過ごしました。
最後の射精を百枝さんに振り撒き、眠りに就きました。
翌朝、百枝さんの最後の手作り朝食を食べて、一緒にアパートを出ました。
百枝さんは職場へ、私は次の現場のある町のアパートへ向かいました。
「百枝さんん、3年間、熟女の魅力、教えてくれてありがとうございました。本当は連れて行きたいけれど、そうもいかないから、独りで行きます。さよなら・・・」
「元気でね。次の町では、お嫁さん探すのよ。さよなら・・・」
私は、次の現場がある町に向かいました。
次の現場のある町は人口数万人の小さな都市で、でも、そこで垢抜けないけど気立ての良い娘さんと出会い、私30歳、妻26歳で結婚しました。
携帯を開き、百枝さんのメルアドを見つめ、結婚報告をしようとした指を止めました。
その2年後、また違う現場に異動した年、久しぶりに百枝さんからメールが来ました。
「お久しぶりです。元夫のところにいる娘が就活することになり、元夫と復縁しました。ひとまず、ご報告まで。」
と書いてあった尾で、
「良かったですね。安心しました。私も2年前に結婚しました。今年、パパになりました。」
と返したら、
「おめでとう。」
と返ってきたのが、百枝さんとの最後のメールになりました。
現在、私は48歳になり、5年前から本社に戻ってきました。
結婚して18年、私は、高校生と中学生のパパになっていて、妻は44歳、百枝さんを彷彿とさせる熟女になっています。
還暦を過ぎた百枝さんは、今は、どこでどんな暮らしをしているのでしょう。
きっと、お孫さんに囲まれているのでしょうね。
スマホには、今も百枝さんのメルアドと携帯番号が残っていますが、ずっと連絡をしたことも、来たこともありません。
でも、元気でいてくれると信じています。
先週、出張で初めてJVでの仕事をしたあの街に出張してきました。
現在、その街では、新しいJVを組んで、また新たな路線で雨水渠工事が始まっていました。
約20年ぶりに訪ねた街は懐かしく、sン出たアパートや百枝さんが住んでたアパート、そして、二人の出会いの大衆食堂を眺めてきました。
あの頃の思い出が、鮮やかに蘇りました。
だから、若かったあの頃の百枝さんの思い出を、書き綴ってみました。