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近親相姦 親×子体験告白 RSS icon
※父母とその子の間柄での体験談

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2025/01/05 23:42:08 (L19mP7lb)
俺が母と男女の関係になったのは去年の9月からです。

俺は21歳。母は40歳。友達からも彼女からも若くて綺麗じゃんって言われます。でも、彼女とは母と関係する前に別れました。確かに綺麗だとは思っている。子供は俺だけで、弟か妹が出来たそうだが流産したと言ってた。父は3年前に突然死してしまった。母は中学の先生をしながら俺を大学生にしてくれました。

そんな母と関係してしまうなんて想像もしてませんでした。

あの日、母の裸を見てしまったんです。シャワーを浴びてた母の裸を見て、えっって驚きました。40歳の女の身体ってこんな綺麗なのかって。俺は何気に、ただいまって浴室の戸を開けました。お帰りって言って俺の方を向いたんです。母は胸を隠したり下を隠したりする事はしなくて、ちょっとそんなにジロジロ見ないでよ。恥ずかしいでしょ。って言ってくるって向こうを向いたんです。その時、母の胸、下の毛、お尻も目に焼き付いたって感じでした。

何かお尻も丸くて大きいんです。胸は俺の手より大きくて触ってて柔らかくて感触が良くて気持ちいいです。
彼女は細身で余りお肉が付いていませんでした。胸もお尻も母より小さかった。
その時から意識し始めたんです。

母に彼氏居ないのかって聞いてみたら、そんな人居ないわよ。私はたかちゃん(俺のこと)居れば十分なの。なんて言ってました。

そう言われてみると、特にお洒落とか余りしてないとは思っていた。意識し始めてから思ったけど、下着とかも部屋に干してて普通のパンツでした。

別に母と関係したくて母のベットに行った訳じゃなかった。

裸を見た次の日の夜に、今夜さ一緒に寝てもいいかなって聞いてみたら、俺をからかうように、寝たいの母さんとって答えた。笑いながらです。
別に構わないよって言われた。
夜もけっこう遅かったと思います。母は既に風呂にも入ってパジャマを着ていました。

風呂を済ませて母の部屋に行ったら、既にベッドにうつ伏せで本を読んでました。9月の後半なので何も掛けて無かった。

ベッドはキングサイズで177センチ俺が横になっても余裕。もっとも母は小柄で、身長は150センチ位なんです。

俺がベットに横になると、読んでた本を置いて、俺の胸元に潜り込むようにしてきたんです。

大っきいねたかちゃんは。お父さんよりも大きいもんね。

うんって言ったかなあの時。

胸元で泣き始めた母。俺何も言えなくてどうしたら良いのかも分からなかった。その夜は泣いてる母の背中をトントンして、眠った母を見てただけでした。

翌朝 ベットに母は居なくて、チンして食べて。置き手紙です。良くある事です。

その夜また寝てもいいって聞いたら、またって言われた。構わないよとも言われてベットに。その夜は俺の腕枕を借りてって言ったらいいのかな。母は俺に背中を向け、俺の右手を掴んで母の胸辺りに置いたんです。彼女ともそんなふうに寝たことも有りました。前夜は気付かなかったけど母の胸にはブラが無かった。

ちょっとオッパイ触ってもいいかなぁ~って言ったら、バカって言い返されだけど、少しして母の手が俺の手から外れて、眠ったのか。俺は手を母の胸に置いて、ちょっと揉むような動きをしてみると、手で抑えられました。

その次の夜も同じようにベットに横になりました。でも、母は何時ものパジャマじゃなくてワンピースみたいなパジャマを着てました。昨日よりも肌を感じる感触が有りました。

母にブラ着けて寝ないのって聞くと、どうしてって言われたけど答えが分からなくて、何でもないよ。ベットに横になってからなかなか眠れなくて、もうすやすや眠ってる母の胸を触ってみたらビクンってしたんです。もう一度触るとまたビクンってしたんです。

母さんって読んでも何も言わなくて、もう一度母さん触っていいのって言っても何も答えなくて、オッパイを下から上に持ち上げるように触ると背中を反らせました。俺はオッパイに吸い付きパジャマを捲り上げてオッパイに吸い付いたんです。母は抵抗しませんでした。彼女にしてたように母のアソコに手を伸ばして触ろうとしたら、駄目ソコは駄目。オッパイだけならいいからって。

オッパイだけに集中して吸ったり舐めたりしてると母は身体をくれるようになったんです。母のアソコに手を伸ばしました。パンツ越しに触ると、駄目よ駄目よって言いながら身体をくねらせる母。凄く綺麗で可愛く見えたんです。パンツの中に手を潜らせ触ると背中を反らせ喘ぎ声を出したんです。母のその声は彼女とは全く違って色っぽいって言うかとにかく興奮しました。パンツを剥ぎ取りソコを舐めると喘ぎ声が更に高くなったんです。夢中で母のオマンコを舐めました。お尻が少しづつ上がって大きな声を出して逝ってしまったんです。俺はパンツを脱ぎオマンコに俺のチンコを入れました。俺の背中に腕を回して悶えてくれる母。言葉は何も言わなくて、身体をくねらせる母が凄く綺麗でした。
41
2025/01/05 07:47:43 (.Op8EbKb)
私は3人の男に翻弄された人生を送っています。
 夫は子供のような人で(今は年齢並に落ち着いています)女癖のよろし
くない人でした。
セックスでは玩具(ローターなど)を使い私は恥ずかしいほど乱れました
が心は醒めていったのです。
好きで結婚したのだから仕方ないと思ってたのですが、そんな私に心のう
るおいをくれた人が。
年の離れた兄の息子のジュンさんです。私と逢うとはにかむ可愛い顔に胸
がときめいてしまいました。
夫も彼を可愛がり、よく遊びに来ていました。
男の兄弟がいなかったせいか、幼かった息子と遊んでくれてました。
夫は彼が来ることでほっとしていた感じもありました。
夫は出かけ、やがて私と彼は秘密の行為をするように。
性に目覚めた年齢の男の子と「身体だけ」は充たされている人妻。
さて、男性の皆さん。女はいつが一番気持ちいいと思いますか?
イった時と思いがちですが、それは身体の事。
気持ち的にはイク手前のどうしようもない感じの時が一番気持ちいいので
す。
指をゆっきり突き上げられ彼の下を舐る。
イキそうになると止めてもらい、自分で顔をパンパンとぶったりしてこら
えました。
最後は彼にぶってもらいました。そして絶頂に。私はのけぞって身体をそ
らし痙攣。
ゆっくりとセックスする時間はあまりなかったけど、逢うたび彼の指はス
カートをめくり侵入。
一生そんな事していたかったけれど、彼は大人にりやがて巣立って(就職
の為地方に)行くことになったのです。
彼がいる事で夫に対しても優しくできた、、。度々衝突する夫婦が上手く
いってたのです。
「心配だよマリコ。」と言う彼。代わりに「ダイチ(息子は)どうか
な?」と、、。
「アイツ、マリコの事「やらしい感じがする。」って言ってるよ。」
「ええ?息子なのよ。」「俺だって血のつながった甥っ子じゃないか。」
と笑う彼。
ジュン君が私を弄り始めた年齢に息子もなっておりました。
 彼と息子の前で裸になり、脚を拡げた私の姿がありました。
懇切丁寧に(笑)私の弄り方を教えていく彼。「ほら、少し噴き始めただ
ろ?こうなったらイってる証拠なんだ。」
息子が私の膣に侵入し、彼と舌をからませる。まさに人生最高の瞬間だっ
たかと。
 夫ともたまにはセックスします。
「ほんとスキモンだよ。」を言う夫ですが、その言葉には自分がそうした
という満足感が。
でもセックスに関し私が本当に花開いたのはジュン君のおかげ。
今息子が凝っているのは私にいやらしい下着を履かせ外で弄る事。
ひものようなものに穴の開いたもの。
この年齢でストッキングを履かないのは勇気がいりますが、せいぜい膝上
のスカート。
街中の物陰で弄られ、おしっこが太腿を伝わって落ちていく、、。
 息子もやっと男になってきたかのか、ジュン君に対する嫉妬を感じま
す。
「母さんを完全に俺の女にする!」と宣言しました。
42
2024/12/29 07:52:32 (g10b5lhW)
私は56歳になる母親です。
私は約10年に渡り息子との情事を続けて来ました。
いつかは終わりにしなければ……
そんな思いも有ったのですが…年齢を重ねる度に肉体への感度は上がり今では抜け出せ無くなってしまったのです。

私は23歳の時に入社した会社の上司と結婚して24歳で娘を26歳で息子を産みました。
夫は私よりも8歳上でしたが育児や家事などもしてくれる優しい人です。
そんな幸せな生活が変わり始めたのは私が40歳の時でした。
夫の転勤が決まったのです。
当時は娘が16歳で息子は
43

65の母と

投稿者:ひろし ◆Z8OAm7jjpI
削除依頼
2022/01/17 23:57:05 (gwpUiL3n)
私は42歳会社員です。私は妻が出産で実家に帰っている時、初めて母と関係を持ってしまいました。
妻は30歳、結婚したのは10年ほど前です。長い間私の両親と4人暮らしでしたが、不妊治療のかいもあり、やっと男の子を授かりました。両親もたいそう喜んでくれました。、
それは妻が里帰りして4、5日目でした。私はテレワークで、家にいました。父も定年でいつも家に居るのですが、その日は友達に会うと、朝から出かけました。
昼食の時です。母は台所で料理を作ってくれてました。私は待ちながら、その後ろ姿をぼーっと眺めていま
母は花柄のエプロンに膝下の白いスカートをはいていました。結構タイトなもので、お尻の形がくっきりわかり、パンティのラインも浮き出ていました。
それまで母に性欲なんて感じたことは一度もありませんでした。でも、その日は別でした。妻と長い間無かったのこともあります。母のお尻を見ていると自分の欲望を抑えきれなくなっていました。気がつけば母を後ろから抱きしめていたのです。
私はやってしまってから、これは母に大声で叱られると思いました。冗談だよって言い訳するつもりでした。
しかし母は無言でした。
私は母が怒らないので、今度は欲望にまかせて大きくなった物を母のお尻にこすりつけました。
母はキッチンに手をついて耐えていました。私は調子に乗ってお尻に擦りつけながら、母の大きな胸を揉みました。
私は揉むだけでは満足出来なくなり、シャツの下から手を入れようとした時です。
「やめなさい、」
母は初めて口を開くと、私の手を止めました。
「ごめん、母さん、溜まり過ぎてもうだめなんだ。」
「だからって、母さんにこんなこと。」
「母さんが悪いんだよ。いい年してこんなピチピチなスカートはくから。」
「そんなつもりじゃ、サイズ間違えただけ、」
「ねえ、いいじゃない、父さんいないんだから、」
私はもう後戻り出来なくなり、母のスカートを脱がせかけました。
「やめなさい、わかった、わかったから、そんなに溜まってるなら手で、手で出してあげるから。」
「母さん、中学生じゃないんだから、手で満足出来るわけないよ。俺もう42だよ。」
私は無理やり母のスカートを下げようとしました。
「やめて、こんなおばあさんと本気でしたいの?」
「おばあさんじゃないよ、こんなに、ピチピチじゃない。ねえ、だから、」
私はストッキングを履いていない母の生の太ももを撫でながら言いました。
「わかった、わかったら、でも台所じゃいや、他で、他のところで」
「わかった、母さん、ベッドならいいんだね。だったら母さんたちの寝室に行こう。」
「え、私の?せめてあなたの、」
「父さんとなんかずっとしてないんだろ、僕が代わりしてあげるから、」
私は母の手を引くと両親の寝室に入りました。そして私は、母を裸にして一通り眺めた後、父と毎日寝ているダブルのベッドに寝かし、母と初めて繋がりました。

44
2024/12/31 23:29:41 (LOxDks6s)
2024年は母との関係を復活させた年だった。
早くからそれっぽいことをするようになっていました。
高校は全寮制のところに進学したので途絶えた。
父に2人で食事しながら話をされ、自分のためにと勧めてくれ
た進学先だった。
当時は妹がいても母に抱き着いている感じだったので、父は
良くないと考えたのだろう。
大学に進学して実家に戻ると母はアル中気味だった。
父や妹とあまり仲良くなく、孤独で酒に行ってしまったようだ。
風呂もろくに入っていないのか不潔で感情の起伏が激しい。
感情が安定している時を見計らって一緒にお風呂に入って体を
洗ってあげた。
最初母は嫌がっていたし、風貌も変わっていたけど、一緒に
お風呂に入ってシャンプーをしてあげ、上がってから髪を
乾かしてあげると、いつも甘えていた母だった。
そのまま胸を吸うと抱きしめてくれたので、久しぶりに
セックス。
正常位で突きながら果てたが、母はなぜか泣いていたので、
抱き合って落ち着くまで待っていた。
母さんがいないと俺はダメだったから、もう一回母さんの
息子に戻るよと言うと、抱きしめてキスしてきた。
それ以来母はだんだん元に戻って行った。
家族の食事も用意するようになったが、酒の影響か味覚が
おかしいらしく、まずい。
父も妹も食べずに自分で買い食いしていたが、僕だけは2人
の分も食べた。
何となく大事な事のように思えた。
母も酒を飲まなくなり、僕がジムに行く時は一緒に行きたいと
付いてくるようにもなった。
以前とは違い、母が積極的に僕の世話を焼くようになり、
朝晩だけでなく暇さえあればセックスしたがり、いつも僕の
股間をいじってくるようになった。
父と妹も何も言わなかった。
いつの間にか元の母に戻り、僕と一緒のお風呂ではシャンプー
してくれたり、と過保護の昔と同じになってきた。
下着から着るものは母が揃えてくれ、ザーメンの味や勃起の
硬さまでうれしそうに話してくる。
来年は母もより良い状態になってくれるように支えていきたい。
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