私は縄について、専門的な知識もなければ、語るような経験もありません。
美しい幾何学模様を描き、肌に食い込む芸術的な「装飾の縄」。それらはきっと、縛る者と縛られる者の間に存在する、ある種の美学と合意に基づく神聖な遊戯なのでしょう。
しかし、私が今、圧倒的な恐怖と共に直感し、そして本能の底で震えながら渇望しているのは、そのような美しい遊戯ではありません。
「早縄」。
対象を捕縛し、逃げられないようにするためだけの、極めて無骨で、実用的な縄。
たとえば「胡座(あぐら)縛り」。
女囚に胡座をかかせ、そのまま縄をかける。
なぜそんな無様な格好をさせるのか。それは、そのまま体を前に突き倒された時、女は二度と脚を閉じる(拒絶する)ことができず、ただ背後から無防備に蹂躙されることしかできなくなるからです。
そこに美しさなどありません。あるのは罪人を力で制圧し、ただの肉の塊(畜生)として扱うという、絶対的な暴力と支配だけです。
私はこれまで、マイページのTLで高い場所から皆様を見下ろし、傲慢に言葉を紡いできました。
しかし、ひとたびその実用の縄をかけられ、前に突き倒されれば、どんな知性もプライドも無意味になります。脚を閉じることすら許されず、ただ与えられる恐怖と快楽を受け入れるだけの、無力な穴の空いた肉になるのです。
知識のない私が傲慢に語れるのはここまでです。
ただ、一つだけ確かなことは…私はその無慈悲な実用の縄によって、自分が完全に畜生へと没落させられる瞬間を、今か今かと待ちわびて、奥のほうをひくひくと震わせている、救いようのない雌牛だということです。