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忘れられない体験 RSS icon
※暴力・恐怖・ストーカー等、様々な体験告白

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削除依頼
2010/08/11 05:11:44
一つ前のサトミさんの投稿と重なるんですけど、わたしも似た様な経験があり
ます。
わたしも中学生の時に親しい知人男性からオナニーを無理矢理見せられたりし
てて、当時はやっぱりかなりショックで忘れてしまいたかったです。

わたしは中学の時に水泳部だったんです。
当時、母が離婚して一人っ子だった私は母と二人で県営団地に住んでいて、一
つ下の階には一人暮らしの中年男性が住んでました。
その男性は親切で面倒見の良い人だったので、周りの住人の方達からも慕われ
てるような人で、母やわたしも男性のいない家庭でその男性を頼りにしていた
のは確かでした。

母が離婚する小学5年生の頃までは近所のスイミングスクールに通っていて水
泳がすごく好きでした。離婚でスイミングスクールも辞めることになって、中
学では迷わず水泳部に入部しました。
小学生から水泳は得意だったので、中学でも一年生から大会に出たりして結構
活躍してたんです。

そういう大会とかの時に、仕事で忙しい母親の代わりにいつも応援や写真を撮
りに来てくれるのが、その下の階の中年男性でした。
大会の次の日の夜には写真を持って来てくれて、母にわたしの活躍を話して聞
かせてくれたりしてたんです。
最初はわたしも母も中年男性のことを「いい人だね」て話ししたりしててたん
ですけど、それが変わり始めたのはわたしが中学2年生くらいの時でした。

水泳部はシーズンオフになると陸上での筋トレや走り込みのみになるので、休
日とかは部活仲間と近所の市営の温水プールみたいな所で泳がせてもらったり
してたんです。
当然、学校のプールではないので一般のお客さんも居るのですが、いつからか
階下の中年男性も温水プールに入って来るようになったんです。
しかもカメラ持参で、わたしが泳いでるのを勝手に撮ったり、プールから上が
らせて水着姿を撮ったりしてくるよになったんです。
当時、友達達よりも発育が早かったわたしは胸の膨らみや陰毛なども気にする
ようになってきていて、そうやって男性に写真を撮られるのにすごく嫌悪感を
抱く様になってました。
それでとうとう我慢出来なくて母親にも相談したんですけど「里奈に喜んで欲
しいだけよ」と真剣に聞く耳持ってくれなくて。

それで中学2年生の冬休みの昼間だったと思います。
仕方なく一人で、男性に直接やめてくれるように言いに行くことにしたんです。
でも、男性の家に乗り込むのはイヤだし怖かったので、団地の集会所横にある
喫煙所でいつも団地の友人男性達と休憩しているのをよく見ていたので、そこ
を覗いてみることにしました。
喫煙所はブロックで覆われた四畳ほどの個室になっていて、いつも誰かがタバ
コを吸う時は換気の為にドアが開けっ放しになっているんですけど、その日は
ドアが閉められてる状態でした。中に居るかもしれないと思って、そっとドア
を開けてみたんです。
すると中には階下の中年男性ではなく、別の小太りの若い男性がいたんです。
わたしは男性は居なかったので、その小太りの若い男性に会釈をしてドアを閉
めようとしました。
すると小太りの男性はわたしを呼び止めて、階下の男性がもうすぐ来るから中
で待つ様に言ってきました。
わたしは何の疑いもなく中に入ると男性はドアを閉めました。中は蛍光灯の明
かりと換気の為に屋根と壁の間に隙間があってそこから陽の光が部屋の中を照
らしていました。
そして真ん中に電気ストーブもあって、結構暖かかったのを憶えています。

小太りの男性はわたしに無言で一冊のアルバム(現像した時にもらえる紙製の
簡易アルバムみたいなもの)を渡してきました。
表紙には黒マジックで『里奈ちゃん 競泳水着』て書いてたのを憶えてます。

それで中を見せられてビックリしました・・・

そこには沢山のわたしの水着の写真が貼ってあって、一年生や二年生の夏の大
会の時に撮った水着の胸や股間のアップの写真、温水プールで友達と遊んでる
写真とか、飛び込む時に前屈みになってるお尻の写真とかもあって、見ていて
顔が真っ赤になって火が出そうになりました。

そして、小太りの男性の方を見ると椅子の横にある小さなスチール棚の引き出
しから紺色の布地のような物を取り出して、突然、自分でズボンを降ろし始め
たんです。
わたしは何故か男性の行動よりも見覚えのある紺色の布地が気を取られてて、
その間に小太りの男性はパンツまで降ろして下半身を露出していました。


そして、男性が紺色の布地を広げると・・・
それは紛れもなく、わたしが小学生の時にスイミングスクールで愛用していた
競泳水着でした。
胸の部分の『里奈』というネーム刺繍をわたしの目の前に見せ付けてから、男
性はフランクフルトの様な自分の股間にわたしの競泳水着を擦り付け始めました。
わたしは唖然として見ているしか出来なくて・・・
そしたら、男性の息が荒くなってきて、慌てたようにわたしの競泳水着の股間
の肌色裏地に自分のフランクフルトを押しつけたかと思うと、ものすごい勢い
で白い液体が噴出して、わたしの競泳水着の股間裏地を汚していきました。

小太りの男性は両手でわたしの競泳水着を広げて、「ほら、ほら、里奈ちゃ
ん、里奈ちゃん」と見せ付けてきて、我に返って怖くなったわたしがドアを開
けようとすると、そこに階下の男性が立っていました。

今でもあの時、わたしが受けていた猥褻行為を見つけた階下の男性の声を忘れ
ません。
「里奈ちゃん、水着汚されて、どうやった?なぁ?里奈ちゃん」

わたしは階下の男性を押しのけて、必死で家に逃げ帰りました。
この後も高校に入るまで、階下の男性に脅されて色々な猥褻行為を受けました。
高校2年生の時に、やっと母が気づいてくれて警察に通報してくれ、その団地
は引っ越すことになりました。









921
2010/08/02 04:56:12
つい先週、大学の友達と海に泊まりに行くことになり、最初は電車で行く予定でしたが、部屋に空きがないので一緒の部屋でいいなら彼女のお兄さんが車を出してくれると言うのでそうする事に!!
向こうに着くと、海で遊んでからお風呂や食事を済ませ、しばらくお酒を飲んでとても楽しい時間を過ごして寝ました!
明け方、何やら物音で目が覚めるとお兄さんが浴衣を脱いでいてとっさに目を瞑ると、どやら外着に着替え散歩にでも行くようでした。着替えが終わり部屋を出ようとするお兄さんの動きが止まり、異様な雰囲気を感じて薄目を開けて見ているとこちらをチラッと見た後、タンスを開けてバッグを漁る音が!そしてビニール袋のガサガサする音が聞こえると、何かを手にすぐ横の浴室に入って行きました。
そして微かにスゥ~スゥ~と匂いを嗅ぐ音が…
「もしかして!?」と思った次の瞬間、ベルトをガチャガチャと外しジッパーを下げる音が聞こえ、間違いないなく私の下着で自射してると確信しました!!
どんどん鼻息が荒くなっていったと思うとしばらくすると治まり、お兄さんが出てきてタンスにそれを戻し外に出て行ったので、少し様子をみてから私の荷物を確認しました!
昨日履いていた下着を確認すると明らかに畳み方が違い、やっぱり…と思いながら恐る恐る下着を広げて見ましたが汚された形跡はなく、まあ匂いを嗅がれただけならと思いながら布団に横になりましたが、ショックのあまりそのまま眠れませんでした!
しばらくするとお兄さんも帰ってきて、朝風呂や食事を済ませ帰り仕度をしていると、お兄さんがどうせ来たんだから帰りにもう一度海で遊んで帰ろうとしつこく、さっきの事もあるしコイツ私の水着姿が見たいだけなんじゃないかと思いましたが、余りにもしつこいので2人共渋々OKし風呂場へ!
服や下着を脱ぎ、干してある水着の上を着け、そして下を履いた時アソコに何かが付着し、一気に血の気が引きました…
もう想像はついていたので今すぐ脱ぎ捨てたい気持ちでしたが「ちょとトイレ…」と足早にトイレへ行き、恐る恐る脱いでみるとやはりドロドロの精液が付着しており、何も警戒せずに思い切り水着を上まで上げてしまったので、私のアソコにも大量の精液が…
気付いた時には便器の水でアソコを洗っていました。
水着の精液も拭き取り、友達の手前渋々その水着を来て、泣きそうなのを必死でこらえながら部屋に戻ると、チラチラ私の股間を見るお兄さん!
多分、水着が濡れているから気付いてないと思っているのでしょう…
この為に海で遊んで帰ろうと言い、心の中で自分の精液が私のアソコに付着したのを想像して喜んでいると思うと、怒りと気持ち悪さで一杯になりながら、海で少し遊んで帰りました…。
無理矢理襲うならまだしも下着や水着に悪戯して何が楽しいのか全く理解出来ません!!
922
2010/08/01 04:19:55
続きを書きます。

夏休みは、なるべく継父が帰ってくるお昼前には、出来るだけ家に居ない様にしていました。

でも、お盆が過ぎてすぐに工場で働く継父が、仕事中に足を怪我してしまい、しばらく休む事になりました。

兄は継父とは折り合いが悪く、部活を口実に留守番をする事は、ほとんどありませんでした。

私と妹は家事の手伝いで、洗濯やお昼ご飯の食器洗いや、部屋の掃除を当番制でしていました。

継父が仕事を休んで、2.3日過ぎた頃です。

私が、食器洗いの当番の日に、友達と約束があったので急いで食器を洗い終えて、カバンを肩に掛け家を出ました。

朝から怪しい空模様だったけど、ポッポッ、と降り始めてしまいました。

慌てて家に引き返すと、妹のキャッ、キャッ、と騒ぐ声が聞こえて、ソッと玄関から声のする居間を覗くと、下半身が裸の妹の股間に継父が顔を付けている最中でした。

私だけで無く、妹にもしてたんだ、とショックでした。
「はい、もう終わるからね」と継父の声が聞こえると、妹の脚を閉じ、継父はお尻が出るまで、ステテコとパンツを下げ、妹の足を挟む様な格好で腰を上下に動かし始めました。

妹には可哀相だけど、私は妹を助けないで家を出てしまいました。

その後、友達と話してても妹の事が心配で、全然楽しく無かった。

継父が休んで、一週間以上過ぎて、歩くのも平気そうだったけど仕事には行きませんでした。

だから、私が食器洗いの当番の日は、出掛けない様にして、妹を見守っていました。
私と妹が一緒に居れば平気だと思っていました。

妹が食器洗い当番の時は、遊びたい一心で、早く仕事を済ませると出掛けてしまいました。

私は、継父と二人だけにならない様に自分の部屋で宿題をしてました。

それでも、継父が部屋に来て「宿題してるんだから」と断れと「光一が帰ってきて見られても良いのか」と脅す様になっていました。

椅子から引きずり下ろされ、畳みに寝かされると唇に吸い付いてきて、ベロベロ舐める様にされました。

Tシャツを捲り上げ、胸を出すと今度は乳首に吸い付き、ベロベロ舐めたり、指で摘んだりして、最終的には下半身は裸にされ、満足するまで触ったり、指を入れたりしていました。

私は、早く終わって欲しい、と思うだけでした。

最後は、足を開かれ割れ目に固くなったチンチンを押し付ける様に動かして、膣口に先だけを押し込む様にして、出して終わり。
いつもと同じ行為の流れでした。

ティッシュでチンチンを拭きながら「どうだ、気持ち良かったか」と聞かれ、返事をしないと怒り始めるので「まだ。」とだけ返事をすると「後少ししたら、チンポを入れてやるからな」といつもの返事。

「一回入れてしまえば、病み付きになるぞ」とニャニャしながら部屋を出て行きました。

しばらくしたら、キィ~キキッ、と自転車の止まる音が聞こえ、慌てて、サッと割れ目を拭き、下着とズボンをはいて、ごみ箱の嫌な匂いがするティッシュを、新しいティッシュで包み、匂いがしない様に奥に押し込みました。

結局、継父は私たちの夏休み中は仕事には行きませんでした。

新学期が始まり、継父から離れられる時間が嬉しかった。

継父と兄の関係は更に悪くなり、口喧嘩が多くなっていきました。

妹は三年生だったので、継父の行為を悪い事と思って無かったのか、擦り寄って行っては、継父あぐらの上に座ってはテレビを見たり、何か継父と話している様でした。
たぶん、手は妹のショーツの中に入っていたと思います。


仕事も余り行かなくなり、結局、仕事はクビになり、遊びにも連れて行ってくれなくなりました。

生活も前より苦しくなるし、六年生になった私は、修学旅行の旅費の事が心配になり母に聞いた事がありました。

「大丈夫だよ、お父さんにも話してあるから心配しないで」と笑顔で言われたので、少し安心しました。

五月の連休は、家に居てゲームで遊ぶか、本屋さんとかで時間を潰していました。
母は、休日も仕事に出掛け、残業も増えていました。

継父も、母の知り合いの工場で働き始めました。

継父からの悪戯も少し減ってて、安心していました。

が、六月に運動会の振替で月曜が休みの時でした。

朝から妹は「友達の家に遊びに行く」と言ってたし、兄は学校で、継父と母も仕事に出掛けました。

一人で、朝ご飯の後片付けや洗濯物を干したり、部屋の掃除を終わらせていました。

いつの間にか寝てしまい、気が付くと私の横に継父がいました。

いつもはお弁当を持って行っるから、お昼には帰ってきて来ないはずなのに「どうしたの?」と聞いたら無言で私に覆いかぶさって来ました。


しばらく悪戯されて無かったのに、またかぁ、と思いました。

キスをしてきて、いつもと同じ様にしてきた。

「早く終わらせて、仕事に行って」と心の中でつぶやいていました。


Tシャツを脱がされ、ソフトブラも脱がされてしまいました。

時計を見たら、十二時半も過ぎ、あと少しの辛抱と目を閉じて終わるのを待ちました。


スカートとショーツを脱がされ、全裸にされたのが判りました。

割れ目を開き、ベロベロと舌を押し付けては、クリトリスを刺激したり、膣に指を入れたりしてるのが判りました。

「あと少しの我慢、早く出して終わりにして」と目を閉じて我慢していました。

継父が離れる気配がして、「今日は、出さないで終わってくれた」と思ってたら、カチャ、カチャ、とベルトのバックルの音がしたのて、薄目で継父の様子を見たら、上着は脱いで裸になってて、ベルトを外しズボンとパンツを脱ぐと、チンチンは固くなってて、上を向いていました。
靴下だけの全裸の継父は、私の足を折り曲げる様にして、グイッ、と左右に開き、固くなったチンチンを膣口に押し当てて来ました。

「出して終わりだ」と薄目で様子を見てました。

継父の顔は汗がいっぱい出ていて、手の平に唾液をいっぱい出して、私の割れ目に塗り付け、また唾液を出して、今度はチンチンに塗り付けているのが、左右に開かれた私の脚の間から見えました。

継父は自分でチンチンを握ると、グイッ、と入れてきました。
入り口が、ギュッ、と拡がる感覚して、グイグイ押し付けられて、苦しい、て感覚に「やめて、ストップ」の私の声を無視して、無理矢理に押し付けていました。
でも、すぐに抜いてくれた、と思ったらゴソゴソと私のお尻の下に入れると、また押し付けて、また入り口が拡がりグイグイと押し拡げる様な感覚で苦しかった。
継父が私に覆いかぶさって来て、重い体重で動けないし息苦しい、ゴツンと股間ぶつかる衝撃と同時に、言いようのない痛みが体中に走りました。

何か、ブツブツとつぶやきなが、継父が腰を動かして様子だったけど、痛さの余り感覚が無く、ただ痛いだけ、苦しいだけ。


息遣いが、一度夜中に見た母と継父とのセックスの時の息遣いと同じだった。

継父が腰をぶつける度に、畳で背中が擦れて痛い。

痛みを我慢しながら、早く終われ、早く終われ、と祈っていました。

「クッ、クッ、グッ」と唸るみたいな息をすると、腰の動きが止まり、更に体重が掛かり押し潰されるかと思いましたが、横に避けて寝転がってくたから助かった。
逃げようと体を起こしたら腕を掴まれ「俺が働いて旅費出してやるよ、だから言う事聞け」と言われた。

これ以上、何を言う事を聞けと言うの。
痛さと情けなくて、涙がいっぱい出た。

返事をしないと、また怒り出すから「分かりました」と返事をして、しゃがみ込み、ティッシュで股のヌルヌルを拭き取ると、血がいっぱい出てて、精液も拭いても、拭いても、中から出てきた。

その様子を継父は、ジッと見ていて、先までダラン、としてたチンチンが、また固くなってた。

腕を引っ張られ、倒れ込むと、また私の上に重なってきて、ジンジンと痛む体に入れてきました。

もう、どうでも良いや、と投げやりな気持ちでいました。

「どうして、こんなおやじを好きになったんだろう」、と母を恨みました。

継父の顔を見ながら「何、汗いっぱい掻いて、変態」とか「何いい年して、必死こいてるの」 と心の中で継父を馬鹿にする言葉を、いっぱい言ってた。

次から次へと、いっぱい浮かんできて、そうしている間に「ウッ、ウッ、フー」と息をしながら動きが止まり、私の体から離れてくれた。

「ただいまぁ」と妹の声に慌てて起き上がり、私はそのままお風呂場に駆け込みました。

シャワーで体を洗っても、タバコと唾液の匂いが残ってる様な気がして、ボディーソープで何回も洗い、中から出て来るヌルヌルの精液と血が混じった液体は、洗い流しても、次から次へ出て来ていました。

「お姉ちゃん、服、置いておくね」と声を掛けて行きました。

服から下着まで居間に脱ぎ捨ててあったのを見て、妹はどう思ったろ・・・・・
あと畳にも、血と精液で染みに成ってるのを見てるはずだし、何より継父が全裸で居たのを不思議に思っただろうし。

でも、あの人の事だから、いい様に妹を言い包めたのかも。

服を来て脱衣場を出て、居間の前を通る時、チラッ、と見たら、妹のスカート中に手を入れてるのが見えたので「ねぇ、ゆう、楽しかった」と話し掛けて居間に入ると、素早く手を引っ込めるのが見えた。

妹もスカートを直し立ち上がると、私と一緒に部屋に付いてきた。


その後も、色々な理由と口実で二人だけになると、無理矢理やらされてた。



でも、兄が学校の事で継父と口喧嘩から、エスカレートした継父に殴られ、アザが出来た状態で学校に行ったら、問題になり、学校、教育委員会、警察、母との話し合いになりました。


継父は、実の息子さんにも虐待してて、問題になり、それが原因で離婚したそうです。

母も継父とは別れる事にして、婚姻届とかも出して無かったので良かったみたいです。


ただ母には、継父に私がされた虐待の事は話していないし、妹から、悪戯された記憶が消えるを私は願います。



923
削除依頼
2010/07/31 14:21:34
高校の時、亜衣は常時ヒモパンでした。それは、お恥ずかしながら彼氏の言い
つけでした(笑) 。彼がいつでも亜衣のアソコを好きにできるようにというの
が本当の理由だったんだけど、通学の時よく痴漢にあったのもそのせいだった
かもって、今でも思っています。亜衣の制服のスカート短かったから、駅の階
段とかで見えていたのかも・・・
アソコに指を入れられたまま、「ガキのクセしてエロいのはいてんな。この淫
乱女子高生」と罵られたこともありました。お尻に食い込んだヒモをナイフか
何かで切られたことも何度かありました。そんなことが何度も続いたので一時
期は予備のパンティーを2枚いつも持ち歩いていました。
痴漢にあった日は、彼氏に亜衣のアソコ、凄い濡れてるねと指摘されてごまか
すのが大変な時もありました。
そんな彼氏とは2年生になる前に別れてしまったのですが、通学時の痴漢達と
の関係は亜衣が高校を卒業するまで続きました。
亜衣は今、自家用車で今春就職した某大企業に通勤していますが、ヒモパンは
どうしてもやめることが出来ず、今でも愛用しています。
924
2010/07/30 17:26:21
その人に会ったのは、私が小学三年の時でした。

母に紹介され、兄、私、妹は少し戸惑いました。


バツイチの母は、それまで三人の子供を一人で養い、育ててくれました。

生活保護を申請していれば、もう少し楽に生活出来たと思うのですが、なぜかしなかった様です。


その人の第一印象は、ちょっとだけ恐い、と感じました。

その後、何回か遊びに連れてってもらうと、妹が懐き私も遊びに連れてってくれ、見た目より優しいその人に気持ちを許し、懐いていきましたが、中学一年の兄は、違いました。


程なく、一緒に暮らす様になりました。

兄は相変わらずその人とは距離を置き、必要最低限の会話しかしていませんでした。


母にその人の事を「お父さんて呼んであげて」と言われ、最初は恥ずかしかったけど、呼び慣れると案外すんなり言えた。

妹に誘われ継父と一緒に入浴する事になりました。

実の父との記憶も殆ど無く、大人の男の人と入浴するのは、たぶん初めてでした。

継父が入った後、二人で入って行きました。

鼻歌が響くお風呂場に入ると、継父の大きな背中、それまでは、兄と三人で入っても狭いとは感じませんでしたが、その時は狭く感じました。


シャワーを掛け、ザッ、と体を洗い、妹と湯舟に浸かり継父が体を洗う様子を二人で見ていました。

日焼けした太い腕、友達のお父さんみたいな大きなお腹じゃあなく、体育の先生みたいなスッキリしたお腹で、そこから毛が生え始めてて、あぐらをかいていて股が丸見えでした。

バスマットには、ダラリッとしたナマコの様な物が見え隠れしていました。

継父が体を洗い終えると「優香、おいで」 と呼ばれると湯舟から出て継父の前に立ちました。

スポンジにボディーソープを泡立て、首、腕、体、脚を洗ってもらい、「はい、回れ右」と言われてクルッ、と反転し、首、背中、お尻、脚、そして「はい、座って」と言うと妹は、継父と向かい合う様に座り、足の裏や指の間を洗ってもらっていました。

「はい、最後」て言われると股を開いた妹の股間に手を伸ばして、割れ目を指で洗っていました。

「はい、これで優香の体はピカピカだぁ」と言われた妹は得意気な顔で、シャワーで泡を洗い流していました。

「はい、交代」て私の顔を見て話し掛けてきたから「自分で洗うからいい」て言ったけど、妹に「お姉さんも洗ってもらいなよ、気持ち良いよ」て言われ仕方なく湯舟を出ました。

「じゃあ、ここに立って」と先の妹みたいに、継父の前に立たされました。

洗う順番も妹の時と同じで「はい、回れ右」と言われ、クルリッ、と回ると丸っきり同じ手順でした。

「はい、座って」と言われ、妹と同じ様に継父と向かい合う様に座りました。

くすぐったいのを我慢してると「はい、最後ね」と言われたけど、抵抗がありました。

低い声で「はい、最後」の言葉に促され、妹の様に股を開くと、ゴツゴツした指が割れ目の中をなぞり、割れ目の上の突起をグリグリとすると、今度はお尻の穴、その上の穴に少しだけ指を入れて来ました。

「はい、美優の体もピカピカだよ」と言うと、自分の体に着いた泡を洗い流すと、私にシャワーを渡すと、湯舟に入り妹とジャレ始めていました。

二人とも、継父に髪も洗ってもらい、お風呂を出ました。

その後、平穏な生活が続きましたが、兄だけは浮いた存在でした。

五年生の時に「美優、あいつの事、気をつけろよ」と兄に言われました。

その時には兄は、気付いていたのかも知れません。

五年生になっても、私はまだ継父と入浴をしていました。

普通の親子でも、もう別々に入っている年齢だと思いますが、私は違いました。
継父と私と妹と一緒に入ってたけど、妹の方が先にお風呂を出て行く様になり、継父と二人だけになる時間が多くなっていました。

原因は、継父が私の体に悪戯する様になったからです。

体を洗ってもらい「はい、最後ね」の後の行為が長くなったからです。

割れ目の中を指で洗い、穴の中を洗うのも、以前より奥まで指を入れてくるし、一番嫌だったのが、妹がお風呂を出た後、継父のフニャフニャのチンチンを固くなるまで洗わされ、固くなったチンチンを私の割れ目に押し付け、お尻の穴や、その上の穴に押し付けられていました。

座ったまま向かい合って、抱っこされる格好で、固くなったチンチンがヌルヌルと割れ目をなぞり、お尻の穴に押し付けられると、凄く気持ち悪いし、お尻の穴の上の穴に入りそうになった時は「痛いっ」と我慢しました。


でも、母に感付かれない様に、私が先に出たり、継父が先に出たりと考えていた様でした。

私も五年生になり、継父が私にしょうとしている行為の意味も判りました。

夜中に、トイレに行く時に母の部屋から、息苦しい様な声と息使いが聞こえ、ちゃんと閉めても下の方に隙間が開くフスマから中を覗くと、薄暗い中、裸の母と継父が重なり、下で大股に開かれた脚の間に継父が割り込み、腰を上下に動かしていました。

グチュ、グチュ、と音もして、目が慣れてくると、継父の固くなったチンチンが母の割れ目に突き刺さって、出たり入ったりしてるのが見え、継父は私に母と同じ事をしょうとしている事を知りました。

学校でも、性についての勉強も教わり戸惑いました。

それでも、継父の行為はお風呂の時だけでは無く、普通にテレビを見てる時にも、二人だけだと私の体に触れてくる様になりました。
五年生の夏休み、皆が出掛けてしまい、予定の無かった私が留守番していたら、お昼ご飯を食べに帰って来た継父に「皆、出掛けちゃったのかぁ」と聞かれ「うん、ちょっと前に出掛けたよ」と正直に答えてしまいました。

ご飯を食べ終わった継父は、すぐに私の体を触り始めました。
「あっ、しまった」と思ったけど遅かった。

私を後ろから抱っこし、あぐらの上に座らされました。

Tシャツの裾から手を入れてきて、触られると痛い、膨らみ始めたばかりの胸の尖んがりを指で転がしながら、もう片手は半ズボンのベルトとボタンを外し、ファスナーを下げると、ショーツの中に手を入れてきました。


性の勉強で知った、クリトリスを刺激して来ました。

何時もそこを最初に触り、私の体の反応を見てる様でした。

一旦、手を抜き取るとデニムの半ズボンとショーツを太ももまで下げてから、手の平に唾液を垂らしこぼれない様に割れ目に塗り付けてきます。

割れ目の中を上下に指を動かして、ヌルッ、と膣の中に指を根元まで入れてきました。

グリグリと回す様に動かしたり、中で指を曲げてたりもされました。

たぶん、中を拡げようとしてるんだと思いました。

脚から半ズボンとショーツを抜き取ると、決まって口を付けてきて、吸ったり舐めたりされ、脚をいっぱいに拡げて膣口を拡げては小声で「まだ、破れてねぇなっ」と確認される様になりました。

その時は、お昼休みの時間が少なくなったのか「後片付けしておけよ」と半裸の私をそのままにして出掛けて行きました。

股に手をやると、ヌルヌルした液で匂いを嗅ぐと、タバコの匂いがしてた。

継父の食器の後片付けを済ませると、脱力感でいっぱいでした。
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