デブ・ポチャ体験談

よく読まれている体験談
2025/05/26 11:55:07(SA2JZaR0)
自身の性癖のルーツを遡るってなかなか興味深いです。
続をお待ちしております。
25/05/26 15:45
(TTALzAmm)
>>2さん
このような自分語りのような投稿に僅かでも興味を持っていただいて恐縮どあります。
ぽちゃ・豊満好きな嗜好と、ノーマルな美意識との乖離がどこからだったか、自分なりに振り返ってみたくなったのです。
言わば備忘録みたいなものなんですが、尻切れトンボにならないように続けてみますね(^^)
ちなみに無自覚に性的快感に遭遇したのは小学2年生だったことは鮮明に覚えています。それは登り棒で遊んでいた時、必死に登っていると鉄棒に押し付けられていたチンコがなんとも言えずにむず痒くもあり不思議な気持ち良さ。「あれ?なんか変(汗)なんだこれ???」と思いつつ、体はてっぺんに届いたにもかかわらず、ジンジンくる気持ち良さの追求がやめられずそのまま登る動きを続けてました。ほどなくして体中に電気が走ったような気持ち良さに襲われて、そのまま棒にしがみついたままでてっぺんで固まってしまいました。そう、生まれて初めてチンコでイッてしまったんですね(笑)当然ながら精通はもっと先の話ではあります。
この登り棒での行為は子供心にもなんだか普通ではない、いけないことをしているような自覚はありました。なにしろそんな動きをしてたのは自分だけですから。なので休日の夕方とか、誰もいない時を狙って学校に行って続けていました。
余談ですが、高学年になった頃に3学年下の、結構ませた感じでエキゾチックな顔立ちの女の子が登り棒で私と同じような登り方をしてました。それを見て「ああ、お前も登り棒の秘密に気付いたんだな…でもチンコないのに???」と思ってしまいました。今にして思うと未発達なクリトリスや土手をぐいぐい圧迫、擦り付けていたんでしょうねえ。罪深い子であります(笑)
さて、中学生になり、他の小学校出身の連中とも一緒になったりで顔ぶれにも変化や増加もありました。そうなると目新しい可愛い子に惹かれたり、また逆に思ってもみなかった子から告られたり、女子グループから「あの子どう思う?」などと探りを入れられた挙句にデートをセッティングされたりなどと微妙なモテ期を送っておりました。でも自分が好きな子には思いも告げず届かず。実に未熟な恋愛下手だったんだと思います(・_・;
当時、親の勧めで神道系の某宗教(カルトではない)の教会に出入りしていて毎年夏の旅行に意味もわからず参加してました。その時に大きな街の教会の会長の息子と懇意になり、それからは電車で30分の距離にあるその子の家、つまりはよその教会に自転車を駆って頻繁に遊びに行っていたのです。夏休みなどはタダ飯も食わせてもらえますし、2・3日くらいは平気で泊まり込んだりしてました。深夜までダベり倒したり楽しく過ごしていた中、男衆の共同部屋みたいなところの一角にいくつかの雑誌、しかもエロ雑誌が目に止まり手に取ったのです。主に外人の、いわゆるエログラフ雑誌でして単体のヌードあり、ソフトですが絡みの写真ありで中学生には刺激十分でありました。その中で特に印象的だった雑誌のタイトルが「BACHELOR」とありました。77年から、今に至るまで刊行されつづけている現存する日本最古のエロ雑誌ですね!おそらくですが「巨乳」という単語を初めて世に広げたのもこの雑誌だと記憶しています。自分の性癖を決定した重要なピースのひとつがこの雑誌との出会いでした。
そんな雑誌の置いてある協会、ろくでもないなとも思いますが、教義のひとつが「陽気に産めよ増やせよ」的なものだと聞いてますので案外エロには寛容だったのかも知れませんね。なにしろその教会の会長は子沢山で、息子である友人は13人兄弟でしたから。
その頃には登り棒のいけない遊びは中学に上がる頃にパンツを汚してしまい(精通)学校の図書室の医学書籍で「それはマスターベーションである」と知り、手でシコって射精するものということも覚えました。それでも圧迫するのも捨てがたく、それはやがて布団に押し付ける、という妙なオナニー方法を自ら会得してしまいました(笑)その方法は後に自分のSEXおかしな影響を与えることになるのです。
ひとまず今回はここまで。
長いなあ(・_・;
25/05/27 15:53
(6XfhyOvg)
バチェラー!時期はずれますが、私も愛読(?)していましたねー
高校生の時付き合った彼女がDカップで、周囲からはデカパイデカパイと(陰で)盛り上がっていましたが(雑誌で)見慣れているのがアレですからね。わたし的にはデカパイと言う認識が無くて、おっぱいのことはあっさり流して気にしなかったことが彼女の好感を得る切っ掛けになったらしいので、言うなればバチェラーは恩人みたいなもんです(笑)
なんか他にも洋ピンの定期刊行誌あったよなーどうも思い出せませんね。
続きが楽しみですが、エロ本ネタちょっと膨らませて貰えると私大変喜びます(笑)
25/05/27 23:06
(e/.JadAc)
>>ひろさん
やはりBACHELOR誌のことはご存知でしたか。巨乳への追求っぷりがどうも他誌とは一線を画している印象があり、こだわり方が自分の性に合っているのが分かりましたよ。黎明期のAVでも胸への拘りも強く、的確なレビューがありがたかったです。読者のイラスト投稿なども充実していて、後に商業誌作家になった人もいたようです。当時の常連の「DOHC TURBO」さんは間違いなく「にしまきとおる」さんかと思いますし。マニアックすぎですね(笑)
さて、そんな中学生の自分がハットリ君(教会の子)のダベリ部屋に積まれたエロ本の中から79年のBACHELOR誌を譲り受けまして、それは自分の宝物、いわばバイブルとなりました(笑)
そんな頃、7kmくらい離れた隣町の歯医者に治療に行きまして、帰りは折り悪く土砂降りに遭ってしまったのです。そんな道すがら、キ○ラヤのパンの販売店に近付きました。それは地元の老舗のパンメーカーでして、バナナクリームやオレンジクリームのサンドロールが名物なんですが、販売だけの店舗が県道沿いにあったんですよね。そのパン販売店で帰宅してからの腹ごしらえ用にハムサンドでも、そしてついでに雨宿りしようと立ち寄ったのです。
店内に入るとお店の人は店員さんが一人だけ(基本ワンオペなので)、見ると少しぽっちゃりとしたボブヘアーの30前後の主婦と思しき人でした。タイプで言うなら、映画「卍」の頃の高瀬春奈を優しいタヌキ顔にした感じですかね。「うわ〜、びしょ濡れね〜!大丈夫?」と声をかけられまして、「買い物ついでに少し雨が弱まるまで雨宿りさせてもらっていいですか?」と訊ねると「ええ、どうぞ〜」と笑顔で答えてくれました。買い物を済ませて雨が弱まるのを待っている間、手持ち無沙汰で暇なのか世間話を始めました。その時に「立ってるのもなんだから」とカウンターの中から丸イスを出してくれて、並んで座って会話をしてました。「Tシャツ、びしょ濡れだねー」と言われ、「絞ってあげるから脱いで、体も拭きなさい」とタオルを渡されました。知らない初めて会った主婦の前で上半身だけとはいえ脱ぐのはとても照れ臭く、ドキドキしてしまおました。そうこうしていると「拭いてあげるから貸して」と言われて背中を拭いてくれたのですが、肩に置かれたぷっくりと柔らかい手の感触に、当時童貞の自分は不覚にも勃起してしまい俯いてしまいました(笑)やがて「前も拭いてあげるね」と言われて対面したのですが、この奥さんのブラウスのV字の襟の胸元が少し見えてて、たわわなおっぱいが至近距離にありました。性的な視覚に免疫のない年頃です、奥さんのおっぱいに見事に視線誘導されてしまい今にして思えばガン見してしまってました。白い薄手のブラウスの下にブラと、さらにその下にうっすらと色の濃そうな大きめの乳輪も見て取れました。当時の自分にはコレ、マジでヤバかったです(汗)当然視線には気付かれてて「こら!どこ見てんの〜(笑)」と指摘されてますます身動き取れなくなり(しかも勃ってるし)、すっかりフリーズしてしまったのです。情けない…。Tシャツも絞ってくれて着直し、雨も弱ってきた頃合いに他のお客さんが店内に入ってきたのでそれ以上は何事もなく、「ど、どうもありがとうごさいました!!!」と店を後にして帰宅したのでありました。それでもその時のビジュアルは鮮明に脳裏に残ってしまい、この奥さんは自分のオナニーの時のオカズとなりまして、脳内で何度誘惑され、そして何度犯したか数え切れません。
この方とのエロ展開はその後もありませんでしたが、自分の中では鮮烈な記憶と共に自身の嗜好を決定付けたのではないかと思います。
何もエロ展開のなかったこの時の奥さんですが、実は後日談があるのです。約20年後に遅い結婚をしましてその時に実家から少し離れた地区(同じ町内)に家を新築したのですが、道を挟んだ隣の町内会の、距離にして100mほどの距離に、その人が暮らしているのが判明したのです!なんという再発見でしょうか。少年期からのオカズとして、妄想の中で何度も犯した相手です。見間違えることなどありません。齢を重ねても面影はわかりましたし、還暦前くらいのその人は自分には衝撃の再会でした。「なんとかチャンスがあれば…」とも思いもしましたが、いかんせん田舎の隣地区の人です。周囲の目もありますからどうにも出来ません!また見つけた嬉しさと同時に、手の届かない触れられない無念さも痛感したものです。大人になってからのオナニー(自主トレと称してやめられなくて)のネタとして、超熟女となった彼女がさらに妄想の中で自分に犯され続けることになります。
それからさらに歳月が過ぎて、奥さんはもう古希を過ぎた頃合いです。それでもこの人なら、機会があれば今でも抱きたい、そう思っているのです…。
ある意味原体験のひとつなので、実に厄介であります。
今回はこのへんで。
もう少し、息長く続くと思いますんで。
25/05/28 20:37
(Y.adcJjv)
私もポルノと言えば洋ピンでした。デブ好きが一度は通る道なんですかね。
ゲベさんの様な甘酸っぱい少年時代の経験はありませんが、性の対象は同級生よりも近くのデブおばさんだったのは同じです。
ただ私の場合実際にデブ体験するのは中年以降になってからで、妻も今はともかく普通体形でした。
デブ女性との初体験告白楽しみにしています。
25/05/29 09:15
(/so5Mshj)
同じ洋ピンからも行く先は結構変わるものですねー
私は巨乳、エロ下着、ボンデージ・・・特に「性は忌避するものでは無い」ってところに行き着いたのが大きかったかなと思います。
ウエスト、お腹がムチっとしているのは、その頃からの大好物ですが、一般的なぽっちゃりを超えた、平たく言ってデブの領域に踏み込んだのは30超えていたと思います。
ぽっちゃり通信だの、豊満天女なんて雑誌があったのもそんな頃でしょうか?
そう言えばお気に入りだった、美袋うさぎさんってぽっちゃり女優さんが、ヘルパー研修に来たことがあって「美袋さんですよね?」と声を掛けたくてソワソワしたこともありました。もちろんご迷惑が予想されましたのでしませんでしたが、特徴の甘ったれた可愛い声が聴けたのは嬉しかったですね。
続きの投稿お待ちしていますねー
25/05/29 13:44
(9Fhw5Akj)
>>6さま私もご多分にもれず、いざデブ・豊満となるとご近所付近のおばさんが視界に入る数少ない対象ではありました。そもそも少年時代なんて行動範囲も視野も狭いわけで、とにかく近場で見かけては悶々としていたものです。>>ひろさん当時の私はエロと実際の恋愛対象がまだ未分化でして、これらの乖離になかなか自覚出来ず、自覚と統合がなされたのは随分と時間が必要で、20代後半になってからのことなんです。それまでは乖離したまま過ごしていました。その期間はことごとく機会を逸していたことになりますね(・_・;小学生の頃から女子からアプローチがあったわけなんですが、当時は理由がよくわかりませんでした。閉鎖的な田舎であり、1学年で1クラスと6年間ほぼ同じ顔ぶれのクラスでしたし男女比も18:10とアンバランスなことから男尊女卑な雰囲気で男女の会話や交流が少なく断絶していた感もありました。そんな中で表面には出ない形で何かにつけて自分にだけは女子達から接触があったんです。おそらく理由としては、当時我が家の家業である自動車修理工場の経営が破綻してそれに伴い両親が離婚、田舎には格好のゴシップであったことでしょう。苗字も変わり、絵に描いたような不遇を囲っている姿に女子達の母性本能がくすぐられたんじゃないかと思います。そして女子の自宅に招かれ、おやつだの何だのとおもてなしを受ける日々が続いたんですね。その当時、女子全員のお宅に招かれたことのあるのはクラスでは自分だけでした。このことはどの女子からも「秘密にしてね」と念押しされましたが、今にして思えば同情半分、興味本位半分であり、しかも田舎ですから噂にもされたくない、という考えからだと思います。随分と自分勝手な連中ですが、その中の何人かは自分に気があったのは確かなようです。中にはませた子もいまして、6年生の時に日直で居残りしていてエッチなアプローチもありました。色黒だけど発育の良かった和美と、小柄かつ陰キャで勉強の全く出来ないトキエの二人が教室にやってきて話しかけてきました。「何してるん?」と訊かれ、「学級日誌の紐が切れたから新しいのに替えてる」と答えながら作業していると、和美が「こんなの見たことある?」と言うとスカートを捲り上げたと思うとパンツをずらしてペロンとお尻を出したまま、自分の目の前を歩き始めたのです。トキエはというと、ニヤニヤと微笑みながら同じくスカートを捲り上げ、こちらはパンツを両脇からグイッと持ち上げ股間に激しく食い込ませていました。さながら、ちょっとしたストリップショーといいますか。しかし全然気のない子からこんなことされても、です。「どうだった?」と訊かれても「なんか凄いね(・_・;」としか言いようがありません。「今日のこと、絶対に秘密だからね!!」(こんな恥ずかしいこと、言えるか)とお約束の口止めとともにその場は終わりました。二人のうち和美の方がいわゆる姉御肌で、なんでもよく仕切っており、時にはもう一方のトキエをよくいじめておりました。実は和美の家にはこれまでに数度招かれていまして、自分に気があったのだと思えます。なのでなんとか自分の気を引こうと敢えてエッチなアプローチ(暴挙)に出て、一人ではなんなので格下のトキエも巻き込んでのことだと思います。基本的にトキエは全然勉強も出来ず、比較的いじめられやすく女子達の間でも結構言いなりでしたから。和美に関しては、自分としては女性の魅力を全く感じずでしたので同級生・女友達以上の感情など湧くはずもなく、そのままフェードアウトしていきました。実は厄介なのはトキエの方でした。中2になった頃、日曜日の午前に突然トキエから電話が入りました。「勉強で分からないところがあるから、ウチに来て教えてくれる?」急な話だったので「なんだそれ?」とも思いましたがその日はする事もなかったので、何も考えずに訪問したのです。トキエの自宅は派手さはないものの比較的余裕のある暮らしぶりが窺える家でした。父親は由緒ある植物園の管理職も兼任する植物研究職てなかなかの名士、母親は品の良い優しい人です。トキエの部屋で勉強を教えているとほどなくお昼に。部屋まで母親がチキンカレーを持ってきてくれたのでいただきました。食後、食器をさげてもらってから少しのびんびりくつろいで世間話から何故かお互いの秘密を話そうかということになり、トキエが近所の引き篭もりのお兄さんのところへ度々遊びに行っていたら、イタズラされるようになり、それでも興味半分で通ってたら襲われて、レイプされて初体験してしまった、と聞かされました。それも小学4年生の時だそうです。クラスでいちばんチビのくせして、実は最初に初潮を迎えていたのがトキエでした。本当に早熟な子だったのだと思います。「あ〜、こいつの漂わせる妖しい雰囲気はこのためだったのか〜」と納得したのと同時に、小学校の時に和美と二人でちょっかいをかけてきた時のことが頭をよぎりました。なるほど、ボス格の和美よりもよほど手慣れていたわけです。その話の流れからか「ちょっと胸触ってみる?」と訊かれ「うん」と言わされた感じで(笑)上のTシャツをトキエ自身がたくし上げると、150もない小柄なトキエには不釣り合いなブラジャー(推定Bカップ)が現れて、「外して」と促されて後ろのホックを少し手間取りつつ外して、後ろから鷲掴みにする格好でゆっくり揉んでみました「や、柔らけぇ〜〜〜(・_・;」物心ついてからの、人生初おっぱいの感触に本当に驚きました(幼少時の母親のおっぱいはノーカウント)。トキエの乳首はピンク色で、今にして思えばこれまた程よい大きさで柔らかく、指でクリクリさわさわしてると指先の動きにくにゃくにゃと向きを変えてて、「これが女の子の乳首なのか…」と感心させられました
...省略されました。
25/06/02 01:44
(RO5xpLKW)
あれれ、改行データが全部飛んでる…(・_・;
超絶読みにくくなっててすみません!
25/06/02 01:48
(RO5xpLKW)
早熟でらっしゃいますね。
私、キスだけは中学時代にしておりますが、お相手はアメリカ人ハーフでしたので、実は挨拶レベルだったのかも知れません。おっぱいを触るのは童貞卒業までお預けでした。
なんていうか、そのまま勢いでしてしまったら、乖離とかなんとか言わず、また性癖封印されて気付けず、今のポチャ好きなげべさんはいなかったのかも知れませんねー
25/06/02 19:24
(RCv6E3h4)
私も中学までを学年一クラスの田舎で過ごし、高校からは全寮の男子校で過ごしました。
恋愛もエロも妄想だけで過ごしましたが、同級の中には商店や、農家のおばちゃん相手に童貞を捨てたものもいて、自分もその人とと妄想を繰り返す内でっぷりした熟女が好きになったのではないかなと。
青年期、ぽっちゃりとの体験記の投稿お待ちしております。
25/06/03 09:26
(NjiV95be)
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