BACHELOR誌とか、少数派ながらもマニア志向を満たしたようなAVもたまに発掘したりしていた昭和の終わりから平成始めにかけて、あまり他人には言えない嗜好が出始めました。前に記載したトリニティ・ローレンの妊婦ものを見て以来、BACHELOR誌上のグラビアにも絡みのグラビアもたまにあったりしたのです。母乳モノの伝道師とも言えるマミパット笹塚というライターがいまして、たぶんその人のセレクトだったのではないかと推察します。それらに何故か心奪われてしまい、レンタルの棚でもついつい探したりしていました。何故だか大きなお腹、パンパンに肥大したおっぱいに黒ずんだ乳輪と乳首に魅了されてしまったのですね。そもそもが独身なので縁のない存在、しかも出産までの期間限定な存在であることに得難い憧れに近い思いもあったのでは、と考えます。妊娠そのものは独身である以上は避けていましたし縁のない事でしたから、それだけに遠いからこそ思い焦がれてしまったのかも知れません。そう、妊婦さんこそがあまり他人には言えない嗜好であったのです。実際のところは近しいところでは妊婦さんにはご縁がなく、もし機会があっても「流産でもしようものなら」というリスクや怖さもありますから、見果てぬ夢の存在と思っていました。それでも、意外に早くその時はやって来たのです。92年の9月8日に名古屋にて仕事中の転落事故で大怪我して入院、年内に3回手術をしたものの結果が思わしくなく地元の労災病院に転院、再手術を受けました。転院したのは93年の2月のことでした。この投稿で治療内容の詳細を語るのは違うと思いますので割愛。病棟は古い建物を二つ連結した作りで中央にナースステーション、我々のいる一般病棟の反対側に産婦人科がありました。婦人科系の病気の人もいたのでそちらの人はほとんど共有スペースに姿を見せることもなかったのですが、一人だけ妊婦さんが喫煙所(!)に頻繁に来ていたのです。20代前半とまあ若い事は若買ったのですが、ビジュアルは残念な眼鏡系白人…例えるならTOTOのスティーブ・ポーカロを女にしたらこんな感じ?といった容貌で、喋れば田舎のヤンキー丸出し、虚勢を張って端々で大きな事を言ってましたっけね。臨月で煙草をスパスパ吸ってるのは見ていてかなり抵抗がありましたし、ヤンキーも嫌いなので即座に「アカン奴」認定してましたが、同室の3歳上のナオちゃん(競輪の中野浩一似)によると名前はKWちゃん、切迫流産での入院らしいけど、煙草は吸うし無断外出して男連れで戻ってくることもしばしば、「もうなぁ、でぇれぇサセコなんよぉ〜」と地元弁丸出しで教えてくれました(笑)また、「僕も狙われとってなぁ、こないだチンポ勃たせて握られたんよぉ♪」と聞きもしないのに自慢げに教えてくれるナオちゃん(笑) 「ふーん、そしたらわりと後腐れなしに出来たりする???」とも思い、少々残念なビジュアルでもこれはアリか?と脳内情報を修正、チャンスを待ちました。自分の再手術は検討事項が多く、スケジュール決定まで2週間ほどかかりました。そのためただ待機してるだけの入院生活でとにかく暇だったのです。そんな中、KWちゃんと無断外出したナオちゃんが部屋に帰って来ました。喫煙所で首尾を尋ねると「なんか流産とか怖くてうまいこと勃たなかったんよぉ」とのこと。わりとビビりっぽいナオちゃんなので仕方ないかと納得。第一印象からヤンキーだしアレはないなーと思っていたものの、「エロ要素だけ考えればアリじゃね?妊婦にも興味あるし…」と考え直して「ナオちゃんと未遂ならチャンスあるかも?」とも思い、いつ出番が来てもいいように局部を清拭して文字どおり清めておきました(笑)そしてその日の消灯後、喫煙所で一人煙草を吸っていたらパタパタとスリッパの音が…振り返るとKWちゃん、「あ〜、(人が)おったんじゃぁ〜」と声をかけてきました。とりあえず真向かいに座るkwちゃん。「T君(ナオちゃん)と遊びに出たそうで、楽しかった?」と仔細を聞いてない体で話を振ると、「聞いてん!!ホテル行って勃たんのよ〜!これから言うところでビビって『ごめん、なんかおえん(ダメだ)わぁ〜』って、せっかくゴチい(大きい)のにグニャグニャで〜…」と心の底からガッカリしたそうで(笑)「へえ、T君(ナオちゃん)のは大きいん?」と振ると「うん、パジャマの上から触ってたら勃ったから直に握ったんじゃけど、ゴチかった♪」と話しながら自分の隣に座り直しくっついてきました。「来た来た!」と思いつつ「そんなにゴチかったのを入れれんかったん?ホテルまで行ったのに??そりゃ生殺しじゃあなあ〜」と囁きながら顔を接近させても嫌がるそぶりもなく、首筋に息を吹きかけたらビクン!としたのでそのまま首の後ろに手を回して引き寄せキスしても嫌がらず、むしろ鼻息も熱くて興奮しているのがすぐにわかりました。そのまま舌で口をこじ開けてねじ込み、唾液を啜り啜らせつつ3分ほど延々とベロチューしてやったら「あふん♪」と喘ぎ始めました。「堕ちたー!」と確信したので「俺の触ってみる」と手を取りパジャマの中の固くなったモノを直接握らせると「あんたのもゴチい♪今すぐ挿れてえわあ〜♪」と、完全に堕ちました。しかしここは病棟の喫煙所、ダメに決まってます(笑)「場所変えようか」「どこで?」「屋上がええんじゃね?」と決まり、「いったん部屋に戻って、バスタオル持ってきて!」と頼まれたので言われたとおりに取りに戻り、エレベーターに乗って屋上へ。屋上といってもエレベーターホールというか小部屋になっていて、照明は切ってて真っ暗だし2月のわりにホールは暖かく、しかもエレベーター動けば作動音と各階表示も見えるので、イチャつくには絶好の場所だったんですねえ。KWちゃんのパジャマはワンピースタイプに下はズボンなのでズボンだけ脱がせてホールのベンチに座らせました。裾を胸までたくし上げるとしっかりノーパン!臨月の大きなお腹と肥大したおっぱいはFカップくらい、残念な白人風だけあって色白で大きくなった乳首の色は少し強めの褐色。少し張ったおっぱいを揉んでみると乳首にじんわりと湿り気「うちな、少し母乳出始めとるんよ」「舐めていい?」「うん、いっぱい吸って」と許可が出たので遠慮なくしゃぶり倒します。「やっぱ気持ちいい♪」ノーパンの下半身を触ると当時は
...省略されました。
地元の病院に転院して早々に、図らずも臨月妊婦のKWちゃんと濃厚な妊婦初体験をしたわけなのですが、その後は右脚の両側にゴツい金属フレームを装着された状態でしかも車椅子生活、ナースや女性の患者は守備範囲外ばかりで時おり看護学生をおちょくる程度で、退屈な入院生活を過ごしてて、出来ることと言えば人間観察くらいのものでした。
いろんな患者さんがいますが、その中でも車椅子に乗った片腕と両足にギプスを巻いて首にもコルセットを巻いた、文字どおり満身創痍なおばさんがいました。聞くところによると散歩中に60km/hほどで直進してきた車にはねられたそうで10m以上飛ばされ骨折や鞭打ちばかりか挫傷も負っていたのだとか。まあ生きてただけ幸運と言っていいくらいのケース。それでいて性格のキツそうなギョロッとした目、なんだか見覚えのある人だなあと思いつつ名前を尋ねると「Oさん」と言うので住みも尋ねると同じ町、「あ〜〜!」と合点がいきました。中学の時の同級生の女の子のお母さんだったのです。(このお母さんとの体験談ではありません)同級生は都(みやこ)という名で、中学2年の時に隣の市から引越しで転向してきた子なんです。このお母さんがかなりの早婚で、娘の都を産んだのが19歳、都の3歳上に16歳で産んだお兄さんがいるくらいです。転校から間もない頃、校外学習の徒歩遠足で郷土史学習だった時に「父兄参加OK」(基本的にはポーズだけ)というのを受けて、そのお母さんが唯一人参加してきた覚えがあります。メイクも服装もバッチリと決めたスタイル(クラブのママ的な)で、みんな「あれ誰???」とザワついてたら、近くで都が「アレな、うちのお母ちゃん(・_・; 」と他の女子に打ち明けてるのが聞こえて、その時の印象をよく覚えていたんです。そんなバチバチに決めてた人が10年少々後に車椅子で満身創痍、尾羽うち枯らしたような姿で(目はギョロギョロしてますが)目の前にいるのですから、人の巡り合わせとは分からないものです。
ある日リハビリ棟から自分の病棟に戻ってたら、そのOさんの車椅子を押した集団、つまりはお見舞いの家族と出くわしたのです。その中に娘と思しき太った女の人がいまして、それが同級生の都だったんですね。Oさんと共に都に声をかけると驚いた様子で「え〜〜!どした〜〜〜ん!!」とすぐにわかったようでした。とはいうものの、転校してきた年だけクラスが同じだっただけでしかも殆ど絡みもなし、直接話した事は二度くらいしかなかった相手です。高校もこちらは県立の進学校、都は勉強が出来なかったので私立の低ランク校へ行ったのでそれっきりだったんですねー。その後に風の噂で都は高校を辞めてすぐに歳上男性と結婚した、と聞いてお母さんと同じで早婚だったのだと思ったものです。
病棟に戻り、談話スペース(兼喫煙所)にいた都を見つけて声をかけ同級生トーク。
都は元々ぽっちゃり気味な子でしたが、早い結婚で当時27歳にして10歳の子を持つ母であり、80kg超えのサイズからは「豊満な奥さん」の絶妙に美味しそうな雰囲気を溢れさせていたのです。
中学時代には勉強出来ない転校生、今で言うスクールカーストではかなり底辺付近にいた都ですが、、大人になってからの自分の性癖・嗜好フィルターがかかるともう極上の標的にしかならないんですよね。
そう、今回の体験談の対象はお母さんではなく、娘の都の方だったのです。
しかし入院中の自分はまだその時は脚にグロいフレームを装着した身でありまして、その装具が外れてさらにリハビリにて自力で歩行出来るようになるまでは何ひとつエロいイベントは訪れなかったのです。
その意味では、手術前に臨月のKWちゃん(前回投稿の相手)とガッツリと対戦出来てて本当にラッキーでした。
さて、長くなりすぎたのでここでいったん切ります!
(つづく)
続きですねー。今回のレス、相当に長いですが核心に触れる内容ですのでご容赦ください。自身の手術から数ヶ月、右脚に装着されていた外部フレームも外され、膝下と踵を貫通していたボルト状のシャフトも抜かれました。ドリル回しに直結でゴリゴリ麻酔なしで外されるのは相当にエグかったですが(・_・; 膝下に空いた横穴からピンクでサラサラな骨髄が出てきたのを見て「勿体無いなー」などと呑気に考えておりました(笑)取れたらいきなり、荷重をかけた歩行リハビリの許可も出ましたが、開始してみるとこれがまた右足首に激痛!そりゃ骨をくっつけたと言っても元はバラバラに粉砕、関節はほぼ作り直しで軟骨に至っては2割くらいしか残っていないのだとか。そりゃ痛いわー(・_・; 基本的にリハビリは痛みとの闘いです。固定時は腿・膝の筋トレのみでしたが、その後は足首(足関節と呼称しますが)への負荷増大と可動域の拡大、そして歩行訓練にシフトするのです。常に激痛、しかし慣れてくると無視出来る激痛と許容不可な激痛とに別れるのが判りました。そこで無視出来る範囲内で歩行量を増やすことで片手杖で歩けるところまでは回復出来たのです。手術からは半年が経過していました。ほどなくして退院、同時に実家に帰郷となったわけです。実家で過ごして判ったのは、激しい激痛で庭歩きすら出来ないこと、段差すら踏めず平坦な床面にしか対応出来ないという事でした。まだまだ順応させねばならない日々が続きます。あー、これでは闘病日記になってしまいますね(笑)そんな冴えない日々を過ごしている中で、移動のアシも必要だなということで、稼ぎもない身ですからポンコツですが中古の80系カローラを手に入れました。伊武雅刀がCMで「79万8千円」とか言ってたヤツですね。これによって行動範囲も広がり、リハビリ通院も随分と楽になりました。退院後は週イチで診察とリハビリに同じ病院に通っていました。リハビリをしていると都のお母さんであるOさんも(入院中)リハビリに来ました。両脚だけでなく右腕も体幹もグシャグシャだったので非常に覚束ない歩き様で、これでは家の中ですら苦労しそうだというのは一目瞭然でした。そんなOさんの励みにと都の姿もリハビリ棟にありました。入院と捗らないリハビリにストレスを溜めた母親の相手はなかなかに厄介なようで、都に声をかけると途端に嬉しそうな表情になっていました。そんな風にリハビリ棟で顔を合わせる回数も増えて「帰りにお茶かランチでも」となり、病院から少し離れたベーカリーレストランでランチしながらのんびり雑談してました。中学卒業後の生活、早婚だった旦那さんとの出会いや出産・子育てなど、こちらの仕事や事故での怪我の内容などなど、様々な事を語り合いました。10代後半で家庭に入っただけに、都は当時27歳にしてとても「奥さん」としての貫禄と余裕が漂っていて、素直に「いいなあ」と思えました。特にまだ療養中で仕事や社会復帰の見込みの不透明な自分としては羨ましくもあり、安定した家庭を営んでいる姿に尊敬の念を抱いていたのですね。そのことを正直に伝えると「それでもな〜、本当にこの人生で良かったんかなあ、と思う時もあるんよ〜」と返されて「え?そうなん??」と言うと「私のことはどんな風に見えるん?」と尋ねられ「う〜ん、早いうちからきちんと家庭を切り盛りして、子供も元気に育てて、いい感じのママさんになったよね。そういう姿はとても眩しく見えるかな」と答えたんですが、「それな〜、奥さん、お母さんでしかないんよねぇ…」と、なにやら寂しさアピールして来るではありませんか!同級生だし、しかも既婚者相手ですから、まあおかしな事にはならないように配慮はしてたのですが、目の前にいるのはちょいブスとはいえ絶妙に性癖・嗜好に刺さる豊満なママさん…理性と本能がせめぎ合います。返答に困る様子の(でもガン見している)自分の様子を察してか、「ちょっとその辺をドライブでもせん?」と振ってくれたので「渡りに船」とばかりに快諾!「もしかして?」という期待も少しはありましたし(笑)自分の車は病院に置いて来てたので都の紺色のアコード・インスパイアでお店をあとにしました。走りながら、車内は二人きりの空間ですし先ほどとはもう少し込み入った話題になるのは自然な流れ。「奥さん、母親でしかない、の意味は?」とわざと投げかけると、「あ〜、それ訊くかなあ〜(笑)アハハ♪」と嫌がる素振りもなし。「ちょっと、左手貸して」「ん〜?運転中よぉ〜??」と言いつつ左手を寄越して来たので、手を繋いだり手の甲を撫でてみたり指を重ねてみました。当然ながら左手薬指には指輪ですが、構わず指を絡めて顔を覗き込んでみると目をぱちくりさせてたり、少し顔も赤く上気した風で「なに、なに〜?(汗)」と照れてるご様子。「ん〜〜、都とは中学のフォークダンス以来に手を繋いだねえ。なんか懐かしいような(笑)」「ほんまねぇ(笑)」「しかし色白だけど、ぷくぷくな手じゃなあ〜」「もう、何言よん!おばさんになって太った、言うん?」とふくれかけたので「いや、柔らこうて、なんかええ感じじゃなあ、と」返すと黙ってしまいました。こちらの右手と掌同士を重ねて、指を絡めたり掌を指先で摩ると「ビクン」と反応してます。「旦那さんと手ー繋いだりせんの?」と尋ねると「もう子供出来てからはずっとないよ〜」と言い、「そうか、悪いことしてもうたなあ」と言って「でも柔らこうてエエ手の感じじゃな」と畳み掛けておきました。すると「なあ、もう少し静かなトコへ行かん?」と訊いて来たので「うん、俺も同じこと考えた」と返すと「うん、一緒のこと考えたんなら、それなら共犯じゃあなあ♪」と返って来て、バイパスを走る車の先にはラブホが見えて来ました。「…ここ入るよ?ほんまにエエん?」と念押しして来たので「うん、そういう気分になったわ」と答えて都の運転で車はラブホのガレージに入りました。車を降りる前に、都が俯いたまま訊いて来ました。「ほんまに私なんかでええんかなあ?ブスじゃし、太ってるし、なんで私なんかと、と思うたん?」と、自信のない様子。「懐かしさが最初にあったんやけど、自分より大人びててなんとも言えん色気を感じたんよな。それと、都のはデブじゃなく
...省略されました。