切れてしまったので続けます。でも、その半面夫の存在がある意味歯止めになっていたことも事実でした。夕方貴志にご褒美を与え、夫の帰宅前には切り上げなければならなかったのが、夫がいなくなると、時間を忘れダラダラと快感に浸るようにならないか、それが心配でした。しかしその心配は杞憂でした、最後の追い込みの時期でしたから貴志の方が勉強勉強で、長い時間のご褒美どころかさっさと終わらせて勉強に戻ると言った感じでした。とにかく貴志には頑張ってもらわないといけないので、あの子のしたいようにさせました。長くて30~40分、短ければ15~20分、息子の言い方を借りると。サクっとしてサクッと出す、そんな感じのご褒美でしたが、センター試験直前からはそれもしませんでした。そのせいかどうかわかりませんが、センター試験の出来はかなり良かったと思います。2月上旬、いよいよ大学入試が始まりましたが、貴志は落ち着いていました。そして見事に第1志望だけではなく、記念受験のつもりで受けた難関大学まで合格するという驚くような結果を残しました。つまり貴志とセックスする約束を果たし時が来ました。私に迷いはありませんでした、約束通り貴志に体を許す覚悟はできていましたから。本音を言えば、むしろ合格して欲しい、貴志とセックスしたいという気持ちでした。実を言うと、私は貴志にとっては初めてのセックスだから余計なものを着けずにしたい、つまりコンドームは使いたくありませんでした。だから12月頃から病院に行ってピルを処方してもらい服用していました。私は合格発表の3日後にお祝いをするために都内の高層ホテルを予約しました。コロナ禍の直前でしたがホテルのレストランで豪華な食事をし、そのまま部屋で貴志にご褒美として私の体のすべてをあげるというものでした。部屋ではそれまでしてきた通り、入浴後に全裸で抱き合いディープキスを交わすところから始めました。そのあと時間をかけてお互いの体を舐め合いシックスナインをしました。その時点で私は狂ったように声を上げながら、何度も絶頂を味わいました。夫の単身赴任と貴志の禁欲以来我慢していたものが、貴志の指、唇と舌で一気に一気に解き放たれたということです。今まではここで辞めなければいけない、我慢しなければならなかったことも、この日からは許されると思うと、自分でも驚くほど淫らな女になりました。私は手で貴志のペニスを上に向けさせると「ご褒美よ」と言って自分の中に収めました。その夜の貴志の性欲はすさまじいものでした。早い時間からでしたが、深夜までの間に5回、明け方近くに起こされて3回と、8回も私の子宮を若いザーメン出で満たしました。朝食を済ませたあとチェックアウトしましたが、もしかしたら私の淫らな声が部屋の外にまで聞こえたかもしれないと思うと、とても恥ずかしく思いました。この日から私と貴志の禁断の愛に溺れる生活が始まりました。お祝いの日から大学が始まるまでの間、毎晩求めあいました。
...省略されました。
食事に気を使ってあげてない時点で、合格後に自動車買い与えてない時点で(学生に女遊びは必須なので即買い与えてセックスおぼえさせる。現在の所有率50生活のご苦労が忍ばれます。
他所の奥さまがイケメン目標!に育ててるのにチー牛にしか育てられてないのですから。