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義家族との体験 RSS icon
※義父母・義兄弟・義姉妹等との体験

2026/03/27 11:06:23 (KYRJhoLU)
週末の土曜日は主人と、火曜日は主人の父と、そして木曜日は主人の兄と交尾をしています。

私27歳、結婚して4年、なかなか子供が出来ないのを理由に義父と義兄が交尾を手伝い私に妊娠させようとしているんです。

義母も子供を3人産み、義兄嫁も4人産んで、私との行為を誇らしく承認しているんです。

11
2026/03/24 11:20:19 (rEbUswtm)
28歳の俺と26歳の妻(由美)は、妻の母親(49歳)である義母と3人で暮らしてた。
ある朝、夜勤を明けた俺はムラムラが抑えきれずに、まだ眠っている妻の背後から抱きついて胸を揉みしだきながらキスを浴びせると、
「んっ……朝から……?」と妻が言ったが、妻もすぐに体を火照らせて応じてきた。
妻の甘い声を聞きながら俺は妻を四つん這いにさせ、バックから激しく突き上げていると突然寝室のドアが開いて、「あっ!……」と悲鳴をあげて義母が立っていた。
裸でバックから挿入してる俺と、繋がったままの妻の姿が丸見えになって、妻は悲鳴を上げて布団に潜り込み、俺は妻の膣から抜けた硬くなったペニスをモロに見られてしまった。
義母は「ごめんね」と小さく言ってドアを閉めリビングに戻って行った
妻は顔を真っ赤にして慌てて着替え、食事も取らずに早めに出勤してしまった。
俺は気まずいまま階下へ降りて義母に「恥ずかし所を見せてしまいました…」と謝ると
義母が優しく微笑んで「夫婦なんだからセックスするのは当たり前よ。でも朝からとは思わなくてびっくりしたわよ」と言って、「でも途中で止めて、大丈夫?」と言われ
俺が無言でいると義母が「手でしてあげようか?」と言って、義母は俺のズボンを下ろし、熟れた手で優しく扱き始め抜いてくれた。
しかし手だけでは到底我慢できず、俺が「お義母さん、入れさせて下さい」と頼み込むと
義母は少し驚いた顔をしたが、すぐに妖しい笑みを浮かべて「いいわよ……でも由美には絶対内緒よ」と言って身体を開いてくれた。
俺は義母押し倒して夜勤明けの欲情をぶつけるように激しく挿入した。
義母の膣内は意外に締まりが良くて、しばらくピストンすると射精感が込み上げて
「お義母さん、出すよ……!どこに出す?」と聞くと
「閉経してるので、このまま中にいっぱい出して……」と義母の甘い声に促され、俺は深く腰を押しつけ、大量に中に放出した。
義母は俺を抱きしめながら、満足げに体を震わせていた。
それ以来、夜勤明けの俺のベッドで、妻が出勤すると義母を抱いてる。
妻が早番でいない時は義母が裸で俺のベッドで待っていてくれる。
俺は夜勤明けで疲れているが義母の柔らかな肉体と、閉経したとは思えない濡れ濡れの締まりの良い膣に中出しを繰り返すようになってる。
俺と義母の淫らな関係は、ますます深まってます。
12
2026/03/24 09:05:38 (qC/wnjoz)
義父の脳梗塞→片麻痺→要介護→性処理強要
これが今から書く報告者の内容です。

私の前職は看護師をやっていました。26歳の頃に勤めていた病院に健康診断で訪れた現夫に声をかけられ交際スタート。
28歳の頃に妊娠して結婚と同時に職場を一時退社。
住居も旦那の強い希望で二世帯住宅を新築するという運びとなりました。
二世帯住宅を選んだ理由、それは旦那の両親が富裕層ということもあり、旦那は一人息子。これから子供(孫)が生まれるにあたり絶大なサポートを受けれると言う狙いです。
また両親が他界した後は子供の世帯が空いた所に入居すれば私たちも老後は子供や、あるいは孫と近くに住んで老後の生活が安泰するであろうこと。
そんな富裕層ならではの将来設計をしていました。
だからこそ新築の二世帯住宅は二世代、三世代に渡って住む事が出来るよう旦那の両親の資産、旦那と私の貯金と使って豪邸ではありませんが、それなりにしっかりした邸宅を建てたのです。瀬戸内海が見渡せる景観のよい高台、これなら南海トラフ地震がきても大事だね。なんて言ってた頃が懐かしいです。まさに幸せの絶頂期でした。

それから数年が経過し、子供が小学校に上がれば私は医療の仕事に戻る予定をしておりました。それが出来るのも二世帯住宅だからです。祖父母が同じ屋根の下に住んでいるからです。
ですが、現実はそう甘くはありませんでした。義父が突然の脳梗塞で倒れ、また発見が遅かったことにより血流が届かなくなった脳細胞が破壊され右の片麻痺という重篤な後遺症を抱えたのです。
必死のリハビリも思うような結果は出ず義父は要介護認定となったのでした。
ですがお金には困りませんでした。富裕層ならではの手厚い各種保険が功を奏し他にも介護手当、障害者年金の認定もおりお金の面では何の問題もなかったのですが、、、義母さんの一言「元看護師の麻理さんが家にいてくれるから助かるわぁ」の一言で、私は看護師に復帰するどころか、逆に自宅で義父の介護要員となってしまったのです。

当然、旦那との間では一悶着ありました。
私の主張は「お金はあるんだから訪問介護や行政サービスを使ってほしい。なぜ私が介護要員にならないといけないの?苦労して看護師の資格をとったのだよ?」です。
旦那は「気持ちはわかるけど、いきなり金あるんだから他人の世話になれ、なんて言えるか?ここまで世話になってるのだからせめて最初くらいはサポートしていく姿勢を見せるのがスジってものだろ」でした。
こうして私は極めて消極的な理由で介護要員としての毎日が始まっていったのです。

介護イコール下の世話とはよく言ったものです。片麻痺している義父はトイレまで連れて行けば用を出せるのですが、問題は夜間。最初の頃は義母も夜中に起きてトイレに連れていったみたいですが経験もなく体の細い義母が体格の大きい義父をトイレに担ぐのは相当な負担。そのうち義父の方がオムツに慣れてしまい、毎朝のオムツ交換は私の仕事となりました。
特に脳梗塞の症例がある人は脱水症状を防ぐために水分を多く摂らないといけません。オムツに慣れてしまった義父は昼間も数時間おきに排尿をし、それを交換するのも私の役目となりました。
私は日中、家事をしながら義父からの内線電話で定期的に呼ばれ、オムツ交換、その他雑用、お風呂介助までするのが常となっていったのです。

これが看護師の仕事で報酬をもらいながら終末期の患者さんのお世話をするならまだやりがいもあります。「ありがとう、ありがとう」と言われて誇りにもなるものです。ですが義父は片麻痺を除いては健康そのもの。脳も半分の体もしっかりしています。ですが「麻理ちゃんーオムツー」と平然と召使のように注文してくる義父の存在はストレス以外の何者でもありません。
ですが逃げ場もなし、私は義母や旦那が私の限界に気がついてくれて介護サービスを受けるという判断をしてくれるまでの我慢だと言い聞かせていました。

すると、、、ある日のことです。私がいつものようにオムツ交換をすると義父は無精をしていたのでした。その時、義父から「いっても俺もまだ60代だからな。後少しで70は見えてはいるけど、、まだ使えるんだよ笑」と言ってきました。私は「元気なのはいいことですよー」と他愛もない返事を返すと義父は「麻理ちゃん、無理なお願いなんだけどハンドで、ハンドでいいから処理するの手伝ってくれないか?」などと言い出したのです。
私は「いやいやお父さんそれはちょっと、、困りますwそれに片方の手は動かせるでしょう?」と、これも病院あるあるのセクハラ患者対応で培った経験をもとにかわしていこうと思いました。ですが義父は「片手が動くから自分でしろとは酷くないか?俺だっていくら介護がいるといっても老人じゃないぞ?ちゃんと性欲だって残ってるんだよ!」と開き直ってきたのです。

義父から言われたことを誰にも相談する相手なんておりません。(ハンドだけ、ハンドだけ、、、)という義父の言葉が何度と脳裏をかすめ、、結局「わかりました。手だけですよ?」と結局、応じてしまったのです。これが全ての始まりでした。

13
2026/03/27 01:34:38 (7WlSMjjx)
私は44歳 妻は42歳 子供は24歳で既に大学を出て独立、義理母は64歳 義理父は他界しました。読んでくれればわかると思いますが妻とは妻が17歳高3で妊娠し高校は何とか卒業して子供も産んでデキ婚でしたね。義理父義理母には大分反対され、一緒に住む事を条件にOKを貰い仲良くやらしてもらって来ました。子供は大学進学と同時に家を出て行ってそのまま就職してしまい結局家には私、妻、義理母の3人。義理父は結婚して5年目で病気で他界、義理母も落ち込んでいましたが息子の面倒を見る事で寂しさも薄れて行ったみたいでした。でも息子が大学進学で家を出た時から元気が無くなり趣味も無い義理母は家の事を色々してくれてましたが、見てる私達からするとずっと気を張って頑張ってくれてる感じでしたね。息子が出て行き数ヶ月後から変わったんです!妻がお母さんも女盛りだからもし貴方が良ければ相手してあげてよ!そんな事を妻が言って来たんです。この話から金曜日の夜は右肩には妻が左肩には義理母が…休みの前は親子丼の3Pを金曜日、土曜日毎週2日間開催してます。もう5年経つのかな?妻ともSEXの回数が減っていたので妻は喜んでます、義理母も最初は拒んでましたが結局妻に押される形でSEXをするともう妻に対抗意識がある見たくて、たまにLINEが来て明日有休取れないかしら?
と誘われ妻に内緒でラブホでしてます。
ただルールがあるんです…先にするのは全部妻が先!フェラ、クンニ、手マン、挿入も妻が先でその後は3Pになだれ込む形なので義理母は2人でSEXする時は必ず私が今日は先ね!そんな事を言って来ます。対抗意識がある事はわかっているのでこの前義理母にマンコピアスで飾って下さいよ、私しか使わないでしょう妻も驚きますよ!言うとあの子の目の前で入れてよ。それでは帰りにドンキでピアッサーを数個購入して金曜日の夜に私に言ってくださいよ!買って来たからマンコに付けて!って。妻の目の前で付けますよ、多少痛いかもしれませんけどいいですか?あの子に差をつけれるならいいわよ。そして義理母はマンコをピアスで飾りました、妻は私もしようかな?とは言うものの行動に踏み切れない見たくて義理母は喜んでます。
とても仲の良い家族です!
14
2010/03/09 12:55:02 (mK6XTAmx)
母の一番下の妹、祐美子(36才)が離婚して出戻って来ると両親から聞いた。正直、少しワクワクしていたかもしれない。
小さい時から何度も会っている叔母で、化粧品会社に勤めていた。
自宅の敷地の母屋の二階。
俺の部屋の隣が叔母の部屋だ。
俺は彼女と半年前に別れたばかりで少し叔母を意識していたと言うか、かなり意識していた。
小さな田舎町だったこともあり勤め始めた叔母の祐美子を市役所の出勤途中、会社まで毎朝、送っていた。
帰りはバスで帰って来る。
叔母の祐美子が出戻ってから生活は一変した。
時間がある時はして待ち合わせた。
ある意味、彼女でも出来た様な心境だった。子供を産んでいない叔母は、まだまだ綺麗だった。
次第に一緒に生活する様になって俺は、叔母の祐美子に女を感じていた。
一度、母親に頼まれ部屋のゴミを出す様に言われ序でに叔母のゴミも合ったら一緒に出して上げてと言われたことがあった。叔母の部屋に初めて入った時だった。綺麗に片付いていてゴミ箱を覗くと、その中にビニールに袋に包まれた物や交換したと思われるパッケージ入りの黒ストを発見してしまった。ビニールの中はオリモノシートで酷く茶褐色に汚れていた。パッケージの中から黒ストを出すと数日間、履いたと思われ爪先部分は白っぽくなって少し湿り気を残し濃厚な酸っぱい足の匂いがしていた。
俺は、それらを残すとゴミ袋に入れて出した。
お淑やかな叔母の美顔からはとても想像外の匂いだった。
幾ら女の黒ストの脚には魅力を感じていたが無論、蒸れた匂いまでに興奮してしまうなんて自分でも思わなかった。
今、想うと叔母の匂いだからかもしれない。母親から頼まれ部屋のゴミ出しをしていると黒ストは3~4日で長くて一週間でパッケージ入りで履き捨てられていた。
さすがに一週間のは、めったになく俺も大興奮だった。
オリモノシートは時々あった。
叔母の祐美子も生活と仕事にも慣れ良くビールを買って来て口にする様になった。飲むと一段と色っぽくなる。
父は飲むと色っぽくなる祐美子と飲むのが好きで酔って祐美子にチューする真似をしていると母親に怒られていた。
一度、母親が台所で食事の後片付けをしていた時、父が祐美子のムッチリした黒ストの太腿を触っていたのを見たことがあった。
祐美子も酔っていたのか脚を崩していて父の手に息を荒くしていたのを見ていた。居間に戻った母親に「貴方、もう寝ないと明日、起きられないわよ!」と言われた。
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