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別れた理由 RSS icon

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2023/12/01 19:29:34 (fgVCGqsG)
17歳年上の元彼はバツイチ、私の気持ちを伝えたら、
「俺となんかつき合っちゃダメだ。」
と言われましたが、好きなものは仕方ありません。
17歳年上の元彼に、抱いて欲しいと言いました。
同年代の男性としか付き合ってこなかった私は、結婚経験のある元彼のクンニに、逝かされ手しまいました。
元彼のおチンチン、赤黒くて、経験値を感じました。

生のまま入れてもらいました。
アソコな中で激しく動かす同年代の元彼達と違って、ゆっくりと私の感じるところを探る熟練のセックス、見つかって知った感じる場所を突かれて、遠のく記憶、もう夢中になりました。
元彼に抱かれたい、17歳年上の元彼に、40歳の元彼に、アソコをじっくり見られたい、ネットリ舐められたい、ソンナシュウチガキモチyかったんです。
そして、初めて中でイクということを経験し、セックスの奥深さを知るのです。
快楽と、優しく包み込む包容力、メロメロでした。

旅行にも連れていってくれて、美味しいものを食べにいってくれて、快楽だけじゃなく、愛のあるセックスを教えてくれました。
恋人であり、一番わかり合える存在でした。
でも私は知ってしまいました。
あなたが元奥さんと復縁するか迷っていることを・・・
元奥さんのところにいる小5のお子さん、来年は中学受験だそうで、両親揃ってた方が有利だよと、元彼を迎えに行った勤め先で、同僚に言われてるの聞いてしまいました。

元彼を、元の奥さんとお子さんの元に返してあげよう、そう思いました。
今までありがとう、もう十分だと思いました。
元彼と別れるために私は、一世一代の大芝居を打ちました。
実家の事情をでっちあげ、仕事まで辞めて、実家のある田舎に引っ越しました。
そうでもしないと、元彼と同じ東京にいてはできない身を切るような別れでした。
私の考えることはいつもお見通しだった元彼のことですから、自分のために身を引く私の演技は、気がつかないふりをしてくれたのでしょうね。
お別れのセックスした後、選別をくれたことで、私に負担をかけた埋め合わせなんだなと、バレてたなあと思いましたが、芝居を続けました。

今は、故郷にも仕事を見つけて、元気で頑張ってます。
私が帰ってきて、両親も喜んでます。
今は、遠い空から元彼の幸せを祈っています。
お子さんのお受験はどうでしたか?
どうか、お幸せに・・・
さようなら・・・
1
2024/04/24 19:22:48 (HGnRbD9m)
半同棲状態だった元カノとの最後のセックス。
転勤、というか正確には出向なんだけど、隣県の政令市にある関連会社に行くことになって、頻繁に会えなくなるから、別れることにした。
「新幹線と在来線で1時間半、お金もかかるし、お別れしましょう。」
遠距離とは言えないような、微妙な距離に俺が悩んでたら、元カノの方からそう言ってきた。
「それでいいのか?」
と言ったら、コクリと頷いた。

最後のセックス、何も言わずキス、そのままベットに入って優しく愛撫、最後のクンニをした。
その後最後のフェラ、そして生で最後のセックスをした。
これで最後、このセックスで最後なんだと思うと、まるで夢みたいだった。
明日になれば、もうこの人とは赤の他人で、二度と会うことはないんだと思うと 凄く哀しくなって涙ぐんだ。
「泣かないで、明日は笑顔で別れましょう。」
って言われた。

イクギリギリで抜いて、元カノに最後の精液をかけた。
元カノの身体にかかった精液が、おへその辺りに溜まっていくのをじっと見てた。
これが最後だなんて、凄く嫌だった。
電車で1時間半って、遠いのか、近いのか、この時間を通勤する奴もいるよな…でも、通勤だと新幹線は使わないかな、とか、いろいろ考えた。
全部在来線でとなると、3時間くらいかかりそうだったから、遠距離なのかな…
色々考えたけど、別れの答えにたどり着けなかった。

セックスした後もずっと抱き合ってた。
別れたくなかったけど、元カノが心配してるような、会うのが面倒になって別れるのはもっと嫌なのもわかる気がした。
そんなことを考えているうち、眠ってしまった。
翌朝、最後の朝食を一緒に食べて、午前中のうちにアパートの荷物を出向先がある街に送った。
駅に向かう途中、喫茶店で昼食を食べた。
テーブルに向かい合って座り、残り少ない恋人の時間を過ごした。

「私、駅まで見送りにはいかない。行かないでって、泣いてしまうから。だから…ここで、あなたとさよならする…」
「ずっと、一緒だと思ってたけど、別れって急に来るもんだね。俺、そろそろ行くよ。元気でな。さよなら…」
「さよなら。元気でね。」
元カノは、笑顔で手を振った。
俺は、伝票を持って、支払いをして、もう一度元カノに手を振って喫茶店を出た。
横断歩道を渡り、反対側の歩道を歩いて駅に向かった。

チラッと喫茶店を見ると、窓から元カノの姿が見えた。
元カノ、額をテーブルにつけて、肩を震わせて泣いてた。
強がって笑顔で手を振ってたけど、あんなに号泣するなんて…胸がキューッと軋んだ。
駅まで、涙を流しながら歩いた。
途中でハンカチで涙を拭いて、振り向いて、
「さよならっ!」
って叫んで、あとは振り向かずに歩いた。

新幹線の駅まで在来線で30分、乗り継ぎに15分、隣の県の政令市まで新幹線で45分、毎週末、通えない距離じゃないと思ったけど、新幹線代が大きい。
でも、車を維持するよりは安いかななんて、まだ、別れたことを後悔してた。
出向先で働いてるときはいいんだけど、アパートに帰ると、元カノどうしてっかなあ…って、ライン開いて、元カノのアイコン眺めた。
でも、連絡は入れなかった。
一度も連絡を入れることなく、一年が過ぎた。

俺が出向先から戻ったのは5年後の去年、30歳になってた。
懐かしい街に戻ったけど、元カノには連絡はしてない。
なぜなら、戻ってきたのは俺一人じゃなくて、妻子を連れてたから。
住む場所も前と違って街なかに近い場所じゃなく、郊外に戸建てを借りた。
戸建てで、結婚して3年過ぎた妻と仲睦まじく暮らしてる。
妻は、俺のチンポが大好きで、生理が来るとずっと弄ってるからたまらない。
「この段差が好きなんだ~」
と言いながら、カリを触ってるんだが、もう、我慢汁がダラダラ、俺はハアハアだ。

「出したいの?」
と言われて頷くんだけど、妻は軽く扱いてくれるんだけど、わざと射精を焦らすように扱かれて、ますますハアハア状態になる。
イキそうになると、身体がビクビクしてくるんだけど、それを妻が察すると扱きが軽くなって、悶絶させられる。
そうやって、もどかしい快感に悶える俺を見て喜ぶ妻は、Sなのかもしれない。
そして、大量射精を凝視される。
恥ずかしい行為を愉しめるのも、夫婦ならではだと感じる。

先日、仕事で駅から昔住んでたアパートがある辺りに行った。
懐かしいなあと思いながら、ふと見ると、元カノと別れた喫茶店があった。
あの窓から見えた、元カノがテーブルに額をつけて肩を震わせてた姿が蘇った。
「元カノ…あんなに泣かせちゃって、ごめんよ…いま、幸せにしてるかい?俺は幸せだよ…」
今はもう、どこにいるかさえ分からない元カノに言ってみた。
そして、一つの時代、青春時代は終わったんだなと、淋しさを噛み締めた。
2
2024/04/09 21:05:51 (bwTtsyfT)
私は、元夫をまだに忘れられない。
離婚してから、15年も過ぎて、再婚もしているというのに。
元夫とは、両親と完全に同居だった。
姑は良い人だったけど、舅が大嫌いで、生理的に受け付けられなくてダメだった。
舅と同じ家で暮らすのが、本当に嫌だった。
私の入浴を覗くし、舐めるように私を見るし、夫婦の寝室の営みの気配を聞いてるし、覗こうともしてて、姑に咎められてた。

夫のことは、大好きで、特に夜の営みが最高だった。
その気にさせるキス、蕩けるようなクンニ、アソコの中が溶けて、元夫のオチンチンと混ざって一つになるような、そんなセックスだった。
初めて「イク」という感覚を教えてくれたのが元夫だった。
だから、夫婦の営みは、私の声が廊下に漏れてたんだと思う。
のたうつほど喘ぎまくって、夫とのセックスに狂ってた。
クンニも、恥ずかしさより気持ち良さ、それどころか、思い切り股開いて、恥ずかしいアソコをもっと見て欲しかった。

だけど、あの舅だけは無理だった。
ついに、酔った舅に押し倒されて、キスされながらアソコ弄られて、夫が止めに入って助かったけど、精神を病むほどになった。
元夫が見かねて、3歳を過ぎてた息子と実家に逃がしてくれて、両親は別れなさいと言ってくれて、離婚届を提出した。
元夫と暮らしたのは、5年だった。

元夫と暮らした時間と、別れてからの時間が同じになった頃、息子が8歳のときに、今の夫と知り合ったんだけど、私34歳、夫は26歳と8歳も年下だった。
でも、熱心に気持ちを打ち明けられて、一番は息子が懐いちゃって、
「パパになってよ。」
なんて始まって、私36歳、夫28歳で再婚した。
夫は初婚、翌年、流産して、子供は諦めざるを得なくなって、離婚を申し入れた。
でも、夫は泣いて拒否、俺の子供は要らないから、一緒に暮らしてくれって言われた。

今、再婚して8年、44歳になってるけど、夫には毎晩のように求められる。
30代の時は、毎晩は勘弁してよって思ったけど、40代になったら、なんだか発情しちゃって、代替週5回くらい夫婦の営みがある。
それなのに、元夫が忘れられないでいる。
もう、元夫と暮らした時間より、今の夫と暮らした時間のほうが長いというのに。
今の夫は会社員で義両親親とは別居。
連れ子がいるのに再婚してくれて、しかも専業主婦をさせてくれて、自分の子供は諦めざるを得なかったのに、息子を本当に愛してくれて、本当に感謝してる。

夫と息子は、友達みたいな感じ。
8歳も年下だから、夫には男として好きだと言う感情が少ない。
家族愛というか、友情みたいな感じ。
夫婦の営みも、物理的に気持ちいいのと、8歳年下の夫が、発情した四十路の妻の性欲を処理しながら、自分も気持ち良くてアヘアヘする姿が可愛いからしてる感じ。
私から抱いて欲しいと思うことは、滅多にないけど、スイッチが入ると発情する。

夫は、私が生理の時も我慢できずに、露出してくるから、手でしてあげる。
「ああ~~ああ~~気持ちいいよ~~」
なんて、44歳の熟女におチンチン扱かれて喘いでる。
そんな夫だからなのか、夜、元夫との営みを思い出すことがある。
あんなセックス、二度と出来ないと分かってても、また抱かれたいと思ってしまう。
そんな時、15年ぶりに元夫を見かけた。
もう、47歳になってたけど、一目でわかった。
見た目は老けたけど、仕草なんかはあの頃のまま、そして、左薬指にリングがあった。

元気でやっているのかな?
元夫と過ごした5年間は私は、とても幸せだったし、とても辛かった。
元夫との営みは、今も忘れられませんが、それは宝物として墓場まで持って行くね。
お互いに再婚したし、お互いの幸せを心から祈るね。
さよなら。
元気でね。
3

(無題)

投稿者:由香
削除依頼
2024/03/25 00:15:29 (fKGKnlVF)
私は性に早くから目覚め、表には出しませんがオナニーやおちんちんの事を考えている子でした。

初めて付き合った彼ですが、幼稚園からずっと一緒の親友の弟。(私と弟が付き合ってるのは知らないはず)
親友と私の家を絶えず行き来していたため、生まれたときから知っているので悪びれる様子もなく胸を揉んだり指でカンチョウしてくる生意気なエロ幼児です。
中2の進級で親友とクラスが別になると、互いの家へ行き来する回数も減り、行き来しなくなって弟とも会うこともなく私も中3に進級した夏、5年生に進級した彼に道端でばったり出会いました。

暫くは学校帰りに公園で喋る日々が続き、マセてる子ですから私もおちんちんの事を聞きやすく質問してたら「俺の女になるなら教えてやるよ」と言われ小5だし深く考えずに「イイヨ〜」と軽く答えておきました。
夏休みに入ると両親が共働きで居ないのを良いことに、私の部屋で見せ合い触り合いの毎日で、隣の部屋の姉にも「子供相手に何やっているのよ」注意されました。

小さいときは皮を被っている包茎が多いとネットで見ましたが、彼のは剥けていました。
夏休みも中盤になり彼も私も我慢の限界で、初めてを彼にあげてからは毎日部屋に来ては求めてきました。
土日は両親が居るので普段の日の数時間や夏休みが終わると学校帰りのセックスで、彼が6年生に上がるくらいには私も中逝きを覚え、彼を男として意識するようになりました。
秋までは二人でセックスの探究しながら上手くいっていたけど、かなりのドSに加え驚いたことに彼には浮気癖が有り、冬休みには私が居ない間に同級生を私に部屋に招き入れ浮気を。
結局彼が中学1年生になっても浮気癖は治らず、友達に自慢したいのか友達を連れてきては私に相手をさせたり、私も高2になっていたので年下の考えにについて行けず5月くらいに別れました。

丁度近所のパン屋さんで2週間限定でのバイトの募集を見つけたので、気晴らしに2週間のバイトに励んでいる間に、私と彼の行為の写真をネタに言葉巧みにお姉ちゃんもセックスフレンドにさせられていました。
彼以外の子の相手もさせられていたのには、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
姉妹での絡みをさせられたり、6Pも。
2学期になると「父親が実家を継ぐ」と、親友から聞かされ家族で引っ越していきました。
引っ越す前に彼がスマホの画像・映像を私とお姉ちゃんの前で削除してくれ、身体目当ての友達たちも現れることは無く全て終わりました。

もう10年くらい前の話ですし、姉も結婚して第一子が生まれたので過去の出来事でしす。
教訓として精神が未成熟な子は自分勝手ですね。
こんな話に需要ないと思いますが、思い出してしまったので書いてみました。
4
2024/03/07 21:48:37 (5PlW1BkO)
県庁所在地に来たのは、10年ぶりでした。
息子が県庁所在地にある国立大に進学が決まって、アパートを決めるためにやってきました。
この街には、10年前まで付き合ってた、彼が住んでいるはずです。
住所と連絡先はまだアドレスに残ってます。
持ち家だったから、引っ越してないと思うし、彼はまだそこに住んでいると思います。
たぶん、息子も何となく覚えているんじゃないかと思います。

この街の短大に進学して、そのまま就職、そして元夫に出会い、息子を出産しました。
私が32歳で離婚して、今度小学生になる息子と二人、早いうちに一度PTAの役員やっておけばあとはやらなくていいと聞いていたから、1年生のうちに役員をしました。
その沖、イ所に役員をしたのが彼でした。
離婚して母子家庭になって、一番辛かった時に一緒に居てくれたのが、父子家庭だった彼と息子の同級生だった娘さんでした。
彼は当時35歳、父子家庭になって3年で、娘さんは彼にベッタリでした、

付き合ったのは、2年でした。
お互い片親だったから、色々助け合っているうち、男女の関係になりました。
彼の家で子供たちが遊んでて、遊び疲れて寝てしまった後、彼に抱き寄せられ、キス、そして、kれに抱かれました。
下だけ脱いだ格好で、お互いの股間を弄り合い、生のまま結ばれました。
元夫とは違うおちんちん、ググっと腰を入れられて、思わず声が漏れました。
私の喘ぎをキスで塞がれ、彼は腰を振りました。
仲に出されることはなく、服をまくってお腹に射精、凄く幸せを感じました。

二人は夢中になって、毎週1回連絡し合って、平日の午後、お互いに2時間ほど休暇を取って会い、ラブホで愛し合うときは、一緒にお風呂に入って、クンニとフェラを楽しみました。
彼にアソコを舐められて、感じて喘ぐ悦び、彼のおちんちんをフェラする歓び、素っ裸で抱き合い、アソコを貫かれ、掻き回されて、幸せな快感に酔い痴れました。
その時だけは、色んな不幸な出来事を忘れられました。
仰け反って、淫らに喘ぎ乱れる姿を彼に見られて、その恥ずかしさがまた快感を呼びました。

私たちは、再婚を意識するようになりました。
子供たちも仲良しで、土日は彼の家にお泊りして、家族団らんのような一夜を過ごしました。
息子は彼の娘さんの部屋で寝て、私は彼の部屋で、もちろん抱かれました。
「まるで家族ね。夫婦みたい。」
「紺会暮らしもいいかもな・・・」
彼に抱かれる土曜の夜、日曜の朝、目覚めると隣に彼が寝てる幸せ、これが毎日だったらどんなに嬉しいかなんて思いながら、午後3時頃、彼の家から帰り、買い物をして、帰宅しました。

息子が小2になってから、せき込むことが多くなってきて、秋の頃、病院に行きました。
診断は喘息でした。
投薬で治療を試みましたが、改善の見通しはなく、悪化するばかり、医師に、空気がきれいなところで療養しながら治療した方がいいと言われました。
地方都市でも県庁所在地はそこそこの都会、田舎に比べ垂れ空気がきれいとは言い切れません。
私は、実家のある田舎で求人があったので、田舎に帰ることにしました。
学童保育が充実していない田舎では、息子は両親が面倒見てくれるそうで、私は、やむなく彼を諦め、彼に別れを告げました。

「そうか・・・残念だな。でも、息子さんのことを考えたら、いい選択なんだろうな。ただ、蒸すmにはどう伝えようかな・・・」
結局、息子が彼の娘さんに別れを告げました。
最後のお泊りの土曜日、お別れ会をしました。
その時の写真、家族みたいな最後の団欒風景、子供たちと彼が大笑いしてる写真は、息子の部屋の箪笥の上に飾ってあります。
それを見る度、彼のことを思い出していました。

翌日曜日、引っ越し荷物を実家へ送り、私の軽自動車で県庁所在地から田舎まで少しの長旅、
「それじゃあ、私たち、行くね。いろいろお世話になりました。さよなら。元気でね。」
「息子さん、よくなるといいな。君も、元気でな。さよなら。」
車に乗り込むと、助手席の息子が彼の娘さんに向かって手を振り、
「さよーならー」
娘さんも手を振って、
「バオバーイ」
息子、目に涙をいっぱい溜めてました。

小学2年で県庁所在地を去り、小学3年から田舎の学校へ転校した息子は、日に日に容体が良くなり、中学の時にはサッカー部に入り頑張ってました。
最初は足が速かったから、サイドバックでしたが、背がグングン伸びて、卒業するときはセンターバックやってました。
高校でもサッカーを続けてましたが、田舎の高校じゃ都市部のきょう後には敵いませんでした。
仕事と子育てで忙殺して、彼とのラインもインターバルが開くようになり、いつしか音信不通になって久しいです。

息子と10年ぶりに県庁所在地に来て、なるほど空気が汚いなと感じました。
もし、息子が彼に会いたいと言ったら、訪ねてみようと思いましたが、息子は何も言い出さなかったから、アパートを決めて帰ってきました。
一目、彼に会ってみたいという子持ちはあれど、今更感が強すぎました。
最後のラインはもう6年前、それも半年ぶりのラインで、中学入学おめでとうラインでした。
彼のことは今でも忘れられないけど、彼とどうこうなりたいわけじゃなく、一番つらいときにっ冴えてくれたことを感謝したいし、どれだけ幸せだったかを伝えたいだけでした。

ラインであけおめじゃなく、せめて年賀状くらい出してれば、近況を知っていれば、会いに行くハードルがもっと低かったのかもしれません。
会いに行って、再婚した奥様と幸せそうにしてたら、凹むと思うし、娘さんが思春期を迎える前に、新しいお母さんを迎えてるように思います。
今では、年賀状を出すだけの理由もありません。
彼は、もう昔の元彼になっています。
10年ですから・・・
5
2021/01/11 14:23:01 (4MEvOAem)
私の不妊が原因で10年前に別れた元夫を見かけた。
7年間頑張ったけど、私は妊娠できない身体だった。
私は32歳、あなたは35歳、再婚して子供を育てるにはギリギリだったから、あなたは嫌がったけど、私から離婚を切り出した。
私も、あなたも、お義父さんもお義母さんも泣いて別れた。

最期のセックス、覚えてる。
あなたが舐めてくれる最後のクンニリングス、私のアソコも泣いていた。
最期のフェラチオ、この形を記憶しておこうといっぱい舐めた。
最期の交わり、いつものように生のまま、あなたが動くたび、アソコから流れる涙がクチュクチュ音を立てた。
それまで何千回と射精されたのに妊娠できなかった私のアソコの奥に、最期の精液が放たれた時、夫婦が終わったなって感じた。

市役所の駐車場で、離婚届を出す前に夫婦として最後のキスを交わした。
離婚届を出したあと、
「送っていくよ。」
と言うあなたに、
「もう、あなたの奥さんじゃないから・・・」
「そうか・・・じゃあ、元気でな。さよなら・・・」
「さよなら、あなた・・・」
私は、走り去るあなたの車を見送った。
でも、溢れる涙ですぐに見えなくなった。

あなたが出ていってからは、子供ができなくて飼い始めたトイプードルのモカと暮らした。
あなただけがいない生活、モカも時々あなたを探してたみたい。
あなたの思い出に囲まれて切なかったけど、モカがいるから引っ越すこともままならなかった。
ペットOKのアパートって、なかなか無いから。
それでも、あなたの思い出が少しずつセピア色になって、残っていた夫婦愛が、気づけば家族愛になっていた。
あなたのことは、遠くで暮らす家族みたいに思えた。

先日、駅のショッピングモールであなたを見かけた。
人口30万人の街で、凄い偶然だと思った。
あなたは、新しい奥様とお子さんと三人で、お買い物してた。
私があなたと築きたかった家庭が、そこにあったけど、羨ましいとは思わなかった。
私から望んだあなたの幸せだから、嬉しかった。
だから、声はかけずに遠くから見守るように眺めた。

あなた・・・幸せそうで良かった。
あのね、一昨年、モカが死んじゃって、私は一人ぼっちになっちゃったんだよ。
だから私、あのアパートを出たんだ。
あなたとの思い出がいっぱい詰まった部屋だったけど、モカが死んじゃったら、他にペットと住みたい人に明け渡さないとって思ったの。
だから、あそこに行っても私はいないよ・・・って、行く必要もないか・・・
あなた、エレベーターに乗って、上がってく・・・次第に見えなくなってく。
あなた、さよなら、元気でね。
私は大丈夫だよ、一人で生きてく。
6
2021/02/17 19:23:39 (WkUm87Ke)
生まれてはじめて「僕は幸せ」と思えた人だった。
逆三角形でスッとした顎のライン、凛々しい別嬪さんだった。
大きくはないけどツンと上を向いた乳房、コリコリの乳首、たまらなかった。
キュッとくびれた腰、プリッとしたヒップ、そそった。
縦長の切れ目から少しはみ出た襞が卑猥で、でも、広げると桃色の海が広がった。
交わるのはいつも生、安全日以外は中には出さなかったけど、生でするって愛だけじゃなく、信頼関係の証だと感じた。
安全日の中出し精液がこぼれ落ちる穴を覗き込む君・・・目を閉じると瞼に浮かぶよ。
君は僕の生きがいだった。

あの日、高波が僕たちの街を襲った。
僕たちの住む集落は比較的高台にあったから、大勢の人々が逃げてきた。
助け合う僕たちだったが、発電所が吹っ飛んだ。
助け合っていた僕たちは、我先にと逃げ出した。
僕と君は一緒に逃げようとしたけど、両親に引き裂かれ、僕は伯父が住む福島市へ、君は、お父さんの実家がある群馬県桐生市へ・・・
手を取り合って逃げようとした僕と君に、君の両親は、
「そんな田舎のデクノボウについて行っても未来はない。一緒に本家に行くぞ。」
って言ったんだ。
僕は、デクノボウなんかじゃないと言いたかったけど、言われた僕より両親が激高して、両家最悪の泥沼状態で別れた。

あれから、僕は建設系の高専出身だったから、福島市内にある建設会社に勤めた。
震災復興で、寝る間もない忙しさだった。
海沿いの田舎町から、せっかく私鉄が2路線も走る都会に来たのに、忙しくて遊ぶ暇もなかった。
でも、忙しさが君との哀しい思い出を紛らせてくれたのかも知れなかった。
必死で生きた。
そして、生きることを教えてくれたのは、僕の生きがいだった君だと思った。
前向きに生きるとき、君と過ごしたあの時間が支えになっていることを感じた。

あれから10年過ぎた。
僕はいったい、今どこにいるんだろう・・・
人生の基準があの10年前になってしまってから、居場所がわからなくなった。

様々な色の新幹線が走るたび、立ち止まって眺めていた僕にも、それが日常風景になっていた。
田舎者が地方の都会に慣れて、ICカードで電車に乗って、生まれてからずっと住んでるような顔して生きてる。
どこに行くにはどの鉄道会社に乗るのか、何番線から乗るのかオドオドしてた僕は、今ではターミナルビルのスタバでお茶してる。
5年前、30歳で結婚して、生まれた子供連れて、ビルの谷間のレストランでランチしてる。
田舎にはなかった渋滞まで楽しんでて、ミニバンの後ろでDVD見てる子供たちの笑顔をルームミラーで見て満足している。

僕は変わってしまった。
大都会ではないけど、古里を圧倒する都市機能を満喫し、もう、古里に戻ろうともしていない。
最後に古里の様子を見に戻ったのは、既に7年も前のこと。
君との思い出が蘇らないほど荒廃してた。
あれから、君を思い出す回数も激減した。

もし君と再会したとして、今ではその先を期待することは無い。
10年の時間が、君との綺麗な思い出だけを残した。
再会して、あの泥沼の最後を想い出すのはゴメンだ。
今、どこにいるのか、幸せなのか、そんなことさえ思わなくなった。
古里での25年間は、もう、遠い昔に過ぎた事になっていた。

でも、先週末に10年ぶりに襲ってきた震度6弱・・・
遠い昔が一気に蘇った。
でも、もう、連絡を取ることも、安否さえ知ることもできないと気づいた。
だから、10年の節目に、君と古里にお別れを言おう・・・
7
2023/12/13 19:27:12 (bDQVwn3G)
ありがとう。
こんなあたしと付き合ってくれて、感謝してる。
中学で男を知って、高校は援交してて、こんなあたしを真剣に叱ってくれただけじゃなく、愛してくれた。
あんたがいたから立ち直れた。
あんたがいたから頑張れた。
あんたがいたから成長できた。
でも、これ以上甘えてはいけない。

あんたのセックス、優しかった。
それまでの男たちと違って、あたしをのために抱いてくれた。
あんなに優しいクンニされたの初めてだった。
あんたにクンニされて、クンニって気持ちいいだけじゃなく、愛情だって感じた。
それまでの男たちは、あたしに恥ずかしい思いさせようとしてるみたいに感じた。
だけどあんたのクンニは、そんなところを舐めてくれるんだって、そこまであたしを愛してくれるんだって思えるクンニだった。

あんたのチンポ、決してデカいわけじゃないけど、入れて欲しいって思えるチンポだった。
初めて、自分からおしゃぶりしたいって思えるチンポだった。
初めて、生で入れられたいと思うチンポだった。
初めて、中で出して欲しいって思えるチンポだった。
チンポ見て、愛しいって初めて感じた。
抱かれてて、ずっとこのままでいたいって思えた。

でも、あんたの優しさが辛くなった。
どう考えても、あたしにはあんたはもったいない。
あんたはあたしを可愛いって言ってくれるけど、あまりにも不釣り合いで、一緒にいるのが耐えられないくらい苦痛になった。
だから、あたしはあんたにさよならするよ。
あんたにはもっとふさわしい人がいるよ。

あんたに言うと、引き止められるのわかってる。
だから、黙って消えるよ。
今週中に消える。
今度のデート、すっぽかすことになるけど、これがあたしの答えだから。
所詮、それだけの女だよ。
あんたの幸せ祈ってるよ。
さよなら。
8
2023/11/09 20:08:42 (XskX1XKH)
妻、と言っても内縁ですが、一緒に暮らして10年、今年、お別れしました。
出会ったのは2011年3月、福島県福島市にある避難所でした。
私は当時福島県の沿岸部に住んでいて、大震災で被災しました。
私は職場が海から離れていたので津波からは逃れましたが、妻が犠牲になりました。
子供はちょうど大学進学で上京したばかり、無事でした。
内縁の妻は夫が沿岸部で仕事していて、犠牲になりました。
内縁の妻の子供は既に独立、県外在住でした。

私と内縁の妻は、亡き連れ合いの弔いをすることもできないまま、原発から逃れて福島市へやってきました。
約2か月の避難生活の後、単身者となった私と内縁の妻は、借り上げ住宅へと移りました。
妻はスーパーで、私は沿岸部にいたときと同じ建設系の会社で働き始めました。
小さな単身者向けアパートで、暫く暮らすうち、お隣さんだった内縁の妻と仲良くなり、震災から1年後、淋しさのあまり寄り添い、そして関係しました。
内縁の妻54歳、私48歳でした。

内縁の妻は宮崎美子さんを彷彿とさせる可愛い人で、裸身も似ていて色白ムッチリ、あの、一世を風靡したビキニ姿のCМが頭を過りました。
1年前までは亡き夫のものだったオマンコに、1年前までは亡き妻のものだったペニスを突き立て、閉経したオマンコに精液を注ぎました。
そして、関係して1年後、私たちはアパートを借りて同棲しました。
そして、10年間と時間を決めて、夫と妻になりきって、夫婦として暮らすことにしたのです。
あと10年過ぎれば、妻は家が残る故郷に帰れるだろうという希望の下、期限を切ったのです。

気分は新婚さん、毎晩閉経オマンコに射精しました。
6歳年上の美熟女の豊かな胸が波打ち、ムッチリとした太腿が震えました。
亡き妻より10歳年上の女体は、亡き妻とは違う抱き心地、オマンコの味も全く違いました。
限りある夫婦は、悲しみを忘れようと、刹那の交わりに耽りました。
男と女が唇を重ね、一つになって快楽に酔い痴れれば、まして、精液をオマンコに注ぐのですから、お互いを愛し始めます。
やがて妻が還暦を迎え、超熟女の女体を愛するようになりました。

「還暦過ぎて、男の人に抱かれるとは、思ってなかったな・・・」
可愛く照れた妻でした。
そして今年、福島市へ着て12年が過ぎ、約束の同棲10年がやってきました。
妻の家がある沿岸部の町は、避難指示も解け、妻が亡き夫と暮らした家は何度か見に行きましたが、十分住める状態でした。
少しずつ生活用品を整え、今年、約束通りお別れしました。
前日の夜、最後のセックスをして、最後の射精を妻のオマンコの中でして、かりそめの夫婦最後の夜を過ごしました。
65歳の妻の女体を記憶に刻み込み、翌朝、妻の服などを車に積んで、沿岸部の町に向かいました。

妻の家に荷物を下ろし、
「それじゃあ、元気でな。」
「休んでいかないの?」
「ああ、帰りずらくなるから、俺、行くよ。」
「そう・・・それじゃあ、さよなら。元気でね。」
この先、妻が余生を過ごすのは、亡き夫との思い出が詰まった家と町です。
私は、もう、二度と来ることはないであろう、12年前まで住んでた町と内縁の妻に別れを告げ、福島市へ戻りました。

福島市は、私が生まれ、小学6年生まで育った街です。
その後、父の転勤でいわき市に引っ越して、中学卒業後は高等専門学校へ入学し、土木の勉強をして、海辺の町の建設会社へ就職しました。
父たちは、郡山市に転勤して、私は、就職先の町で亡き妻とめぐり逢い、結婚しました。
そして、震災に遭い妻を失い、原発事故からの避難先が福島市でした。
今は、幼い頃を過ごしたこの街で、独り、生きています。
亡き妻の思い出は遠く薄れて行けど、愛し合った日々は永遠です。
そして、この街には内縁の妻との思い出も・・・彼女は、元気に暮らしてるでしょうか。
9
2022/10/18 19:10:03 (6DivBkwZ)
元夫と結婚したのは、私21歳で元夫が33歳の時。
交際期間は4年、私は17歳で元夫に処女を捧げた。
セーラー服を着た女子高生と、アラサーの元夫、元夫は高校受験の塾の講師で、私は生徒だった。
私は中学時代からモテてたけど、同年代の男の子は子供過ぎて無理だった。
背伸びしていた私を見抜いた元夫に、高校になってから上手に口説かれて、17歳の純潔を散らした。
その後、元夫のアラサーテクでクリを調教され、女子高生なのにクリでイクことを覚え、更に焦らしテクを使われてペニスの味を仕込まれ、離れられなくなった。

23歳で第一子、26歳で第二子を出産、第一子出産のとき以降、元夫は浮気していた。
当時の私は知らなかったが、元夫は、私の母と不倫して、母を夢中にしていた。
私は、母と元夫の関係に全く気付かなかった。
塾講師の元夫は、午後からの出勤で、帰りは9時過ぎだった。
でも、午後からの授業も早くて4時から、それまでの時間をうまくやりくりすれば2時間程度の時間を作れて、母と浮気していた。
何せ、私と元夫の年齢差と、元音と母の年齢差が同じだから、元夫は母も十分ターゲットだった。
母と元夫の関係は、母が57歳、夫が45歳まで、私が上の子を産んで以来10年バレなかった。

バレたのは、父の知り合いが偶然母と元夫がラブホから出てくるところを見たこと。
その頃は、携帯電話にカメラ機能が普通に付いていて、撮影して父にその画像が転送されたこと。
父は、興信所を雇って証拠を固め、父が定年で退職金を貰う1か月前に、母に離婚を言い渡した。
母は、夫婦の財産分与を慰謝料代わりにされて、身一つで家を出た。
私と元夫も離婚、元夫は私と父に慰謝料を支払い、夫婦の財産は折半して、子供たちに背を向けて一人、出ていった。
もう、15年前のこと。

元夫と母は、その後一緒には生活することは無く、二人の行方は分からなかったが、元夫は毎月養育費を振り込んでくれた。
だから、元夫はどこかで生きているのは分かったけど、母は、ずっと行方が分からなかった。
離婚後、夫について分かったことがあった。
離婚後に、私はパートに出て、生活費を稼いだ。
子供たちはそれほど手がかからない年になってたし、父が家にいててくれたし、何とかなった。
パート先で、ある男性に言い寄られて、私がお金に余裕がないのを見透かして、お金をもらって抱かれた。
全く気持ち良くないというか、痒いところに手が届かないセックスだった。

その後、店長にお金で抱かれているのを見つかって、店長にもお金で抱かれた。
クンニまでは気持ちいけれど、入れられると、やっぱり痒いところに手が届かない、もどかしいセックスだった。
元夫のペンスは、もっと太く、長かった。
ペニスの先っぽが、子宮口に刺さってた。
それが他の男性には無かった。
私は、元夫のペニスじゃないと、イケないと気づいたと同時に、母が、元夫のペニスに夢中になった理由を知った。

5年前、父が70歳で急死した時、告別式に母が現れた。
10年ぶりに見た67歳の母は、みすぼらしい格好でお辞儀して、ヨレヨレの香典袋を置くと、父の前に土下座して、何度も額を床につけて泣いていた。
憐れで、娘である私は直視できなかった。
子供たちは、母が出ていったとき上の子が小4、下の子は小1だったので、変わり果てた母の姿に、自分のおばあちゃんだとは気づいていなかった。
暫くすると、そこへ元夫がやってきて、立派な香典袋と御花料と書いた香典袋を置いて、父に手を合わせると、私と子供たちに一礼して、母には目もくれず去って行った。
20歳になった上の子が、小さな声で、
「パパ…」
と言ったが、元夫はそのまま消えた。

告別式が始まると、ヨロヨロとした足取りで会場を後にした母の持ってきた香典袋には、やっとかき集めたようなヨレヨレの千円札が5枚、5千円さえ必死で集めるような暮らしをどこでしているのか、気になった。
元夫が持ってきた立派な香典袋には10万円、御花料は3万円包んであった。
元夫が持ってきた香典袋の裏には、住所が書いてあった。
私は、後日思い切ってその住所を訪ねた。
すると、元夫が住むマンションの部屋から、20代前半くらいの可愛らしい若い女が出てきて、私をチラ見してエレベーターに乗った。

暫くドアの前で佇んだ後、元夫の部屋を訪ねると、
「やっぱり、来るだろうと思ったよ。お入り…」
リビングは10畳ほど、隣の寝室にはダブルベッドが置いてあり、シーツが乱れていた。
「さっきの女の子…」
「ああ、そこで抱いてたよ。セーラー服着せて、ハメ撮りしてた。」
「凄く若い娘さんだったけど…」
「ああ、女子大生。21歳。セフレの一人さ。俺、性欲も精力もなかなか衰えなくてな、面倒な恋愛の駆け引きなしにセックスだけを楽しむなら、いくらでも女が調達できるさ。いい世の中だね。」
と言って、スマホを見た。

この日、10年ぶりに元夫に抱かれ、のたうち回るほどに感じさせられた。
「お前も、俺のセフレになりたいのか?」
元妻が、元夫の何人かいるセフレの一人に成り下がる…口惜しさが滲んだけど、元夫のペニスを味わってしまうと、もうどうしようもなかった。
「セフレ…」
お前とは夫婦だったから、お前の来れる日を優先して、他のセフレを調整してやるよ。
と言われ、私は週2回、パートが早番の日の夕方4時から、元夫に抱かれるようになった。

元夫は、還暦も見えてきたというのに、毎日射精しないと気が済まないようで、寝室のカレンダーにはイニシャルが毎日書かれていた。
凄いのは、お泊りする女性が何人かいて、前の日の夕方6時にイニシャルがあり、そのまま翌日にスラーのような線が引かれ、朝8時と書いてあり、それを見つめる私に、
「俺は今でも1日3~4発行けるんだ。連続は2回が限度だけどね。お泊りするのは女子大生とか独身OL。夜2発決めて、翌朝も1発決めてから学校や会社に行ってる。俺は投資家だから、ずっと家にいるから。」
元夫は、そんなことを言いつつも、ペニスを出して見せつけてきた。
そんなの見せられたら、握ってしまう私…

元夫は、私のスカートに指を伸ばし、濡れ具合を確認した。
「ふふふ…女はみんな、俺のチンポ見ると濡らす。お前なんか、十数年俺のチンポで喘いでたんだから、たまんねえだろうな…」
悔しかったけど、そのとおりだった。
私をソファーに押し倒し、スカートをまくってパンツを脱がされ、両足を大きく開かれて、濡れたアソコにペニスをメリメリと突っ込んできた。

メリメリと入ってくる元夫、子宮口にペニスが刺さるとものすごく気持ちが良くて、意識が飛んでいく。
アソコから愛液が溢れ、ジュルジュルと引き抜こうとする元夫が愛液を掻き出す。
私のアソコの奥は、元夫のペニスを締め上げ、イヤラシイ音が部屋に響いた。
やっぱり元夫が好き…でも、私はセフレに甘んじていた。
元夫は私の身体を知り尽くしているから、私は元夫のペニスのマリオネット、いいように喘がされ、いいようにヨガらされた。

父の三回忌が終わった翌日、母の訃報が届いた。
母は、ここからほど近い温泉旅館で仲居をしていたが、どうやら父の三回忌に、旅館の裏山で首を吊ったらしい。
母は、身体は元夫のペニスに堕ちていたが、心は父を愛していたのだろう。
だからこそ、自分が許せなかったのかもしれない。
そして今年、元夫から、
「俺は、今年還暦を迎える。還暦を迎える年度が終わる3月末を持って、俺はこの街を去って、田舎に引っ込む。だから、お前とも3月でお別れだ。」

ついに、元夫と完全にお別れする日が来ることになった。
私は、元夫に身体だけでなく、心も堕ちている。
処女から、精力旺盛な元夫に仕込まれ、女の悦びを植え付けられた。
しかも、元夫以外のペニスでは感じない。
私は、48歳にして男を絶つときが来たようだ。
元夫と、セフレでもいいから繋がっていたかった…

「この街を出ていく最後のセックスの相手は、お前にするよ。引っ越し荷物をまとめたら、この部屋にはいられないから、どこか、ホテルでも取って、お前を抱くよ。その日は、一晩朝まで付き合えや…」
「はい…わかりました…」
元夫は、私を最後の女に選んでくれた。
だから私は、最後の女として、その日の夜を精一杯元夫に尽くし、もう会えなくなる元夫を、
「さよなら。元気でね。」
と絶対に泣かないで、笑顔で見送ろうと思う。
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