2025/07/15 20:04:24
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「…。」
口を挟まず、熱の入った栞の言葉に耳を傾ける。
別の女の話が出たことで、自分だけ、という特別感が薄れ、嫉妬心のようなものが見えるかとも思ったが、どうやらそうでは無いらしい。
逃げた、という表現を口にする辺り、松井の指導に対して疑問を抱くことはなく、一方的に女の方が松井の期待を裏切ったという言い回し。
少しの賭けではあったが、杞憂だったようだ。
心中、心の半分は…いや、大半はもう松井への崇拝に近い感情で埋め尽くされているのだろう。
「ありがとう。栞が自分の口でそう言ってくれたのなら、俺ももう迷わない。どんどん成長して、イく姿を楽しませてもらうからね。」
楽しむ、それは二つの意味で正しい。
憧れは時に良薬となり、期待に応えるために必死に向上しようと心がける。
その結果、確実に技術面は向上していた。その成長をもっと楽しみたいという意味合い、一方は当然、少女が女へと成長する前に雌へと変化していく様を楽しむ、ここに尽きる。
「さて…、栞と話すのも楽しいけど…そうしてばかりもいられないな。着替えたら始めていこうか。」
動きを止めれば汗が吹き出るほどの暑さの中、個人練習は始まる。
部活を休んでまでこっちを優先したくらい、こちらに気持ちが向いていること自体は喜ばしい、それが傍目に心配を誘う行動になっていなければいいが…、という少しの懸念はあった。
その辺に軽く釘を刺し、ランニングから開始。
暑い最中だからこそ、しっかりとアップに時間をかけ、体内の温度を上げていく。
キャッチボール、元々器用な部類の栞は送球も正確だったが、ステップを少し深くすることで、低くて早い送球が可能になった。しかし、下半身への負担が大きく筋力不足という課題が見える。
近距離からのノックにおいては強みのグラブ捌きは健在のようで、見惚れる程丁寧に補給し、送球の体勢までスムーズな体重移動が確認できた。
「ほんの数日だけど、見違えたね。栞、上手くなってる。というか、元々かなり上手いから、実際あんまり言うことがないくらいだ…。
ほら、水分補給…、ちゃんとしておこう。
熱中症になったら元も子もないからね。」
一息入れるように、バッグからドリンクを取り出して手渡す。
あの日を思い出させる利尿剤入りのドリンクだ。
筋力強化も加味したプロティンテイストに混ぜ込まれれば気づけるわけもない。
そして男は、架空の女の存在に張り合うかのようにやる気を見せる栞に、この日はさらに追い打ちをかけていくことに。
「良し、そのドリンクだけ持って少し裏の山に入ろうか。
体幹を鍛えるために俺が定期的に走っているコースがある。
荒れた道だからきついけど、確実に下半身の筋力とバネを育ててくれる。
さすがに道具荷物は持っていけないけど、こんな山奥じゃ置き引きに会うこともないだろう。
念の為飲み物だけは手に持って…。
川沿いを走るから迷子になったりもしない、安心してくれ。」
薄く笑みを浮かべて、栞の了解を確認するとゆっくりと走り始める。
大量の汗で乾く喉を潤すドリンクは格別。
当然利尿剤の浸透率も高く、その状態でランニングなどすれば酔っている頭を振るようなもの。
何一つ手荷物もない中、手に持ったペットボトルと首に掛けただけの冷感タオル。
先々に、初日を思い出す出来事が待ち受けているとも知らず。