母親の再婚相手がサディストの変態で、一緒に暮らすようになってからは家の中で私がいても関係なく母親とSMプレイしてた。 すぐに裸にTシャツ1枚で首輪が母親の日常的な格好になったけど私はスルーしてた。 母親は再婚相手の男にベタ惚れで、もともとマゾだったんだと思うけど、逆らうどころか男に媚を売るような感じだった。 しばらくすると私のことを持ち出して母親とプレイするようになった。私の処女を捧げますとか、母親と娘でご奉仕しますとか、そういう会話がたぶん私にも聞こえるように言っていたんだと思う。 でも男は教師という堅い仕事と実家がそれなりの会社をしていたこともあって、実際に私に手を出してくることはなかった。 だから放置していたんだけど、そのうち母親が私に辛く当たるようになった。 男が私に興味を持ってそのうち取られるとでも思ったんだと思う。 まんこの毛まで脱毛させられて刺青まで入れられている女が何言っているんだって気にしないようにしていたけど、すぐに母親の私への当たりは虐待と言えるほどになって、まだ子供の私には逆らう力がなくて、だから力を手に入れることにした。 私は私の部屋でオナニーした。小さな声で男の名前を様付けで言ったり、私を奴隷にしてくださいと呟いたりしてた。 男が私の部屋を覗いたり、聞き耳を立てたりしていたことは知っていた。もしかしたらカメラとか仕掛けられていたかもしれない。効果は笑えるくらい早かった。 母親がいない時に、男は私の部屋に入ってきて、私をレイプした。私は暴れて抵抗した。その方が男が喜ぶとわかっていたから。 私は男に殴られて蹴られて脅されて、結局は言われるまま自分で服を脱いで足を広げて犯してくださいと言わされた。 そのうち母親がお風呂に入っている時とか寝ている時とかも犯されるようになり、ゴムをつけてもらえなくなり、中に出されるようになった。 2ヶ月もしないうちに男は3Pしようと言い出した。 初めての3Pは、母親が裸で目隠しされているところに私が静かに入って、男に言われるまま母親のおまんこに指を入れてかき混ぜることから始まった。 母親は私がいることに気づいていなくて、おまんこの指は男の指だと信じ切って、そのまま私の指でいった。いくと同時におしっこまで漏らした。ビクビク震えて、でも小さな声で「ありがとうございました」とお礼を言った。目隠しで目は見えなかったけど、口元は嬉しそうに笑ってた。 まだ私の指が母親のおまんこに入ったままの状態で、男が母親の目隠しを外した。 母親は眩しそうな顔をしていたけど、私のことを見て固まっていた。 男が「今日からこの子も一緒だ」と言うと、母親はしばらく無言だったけど、諦めたように「はい」とだけ答えた。 それを待って私は男に聞いた。「私も調教されるの?」 男はそうだと答えた。続けて私はまた聞いた。「お母さんと、どっちが上?」 男は嬉しそうに笑いながら「お母さんが下だな」と答えた。 さらに私は質問した。「それは、こういう時だけ?それとも、お母さんと私の2人だけの時も?」 「普段もお母さんが下だ。お母さんじゃなくて呼び捨てでいい。お前は逆に「まき様」と呼ぶように」と男は言った。わかっていたけど、男はそれなりに頭が良くて、私が言いたいことをすぐに理解したみたいだった。母親が私に虐待みたいなことをしているのを知っていたのかもしれない。 その日から本当に虐待はなくなった。母親が私に少しでも逆らおうとしたら、私は母親を呼び捨てにして「何?」とだけ言い返した。そのうち母親には、私に敬語を使うことと私に笑顔で接することを命令した。 時々男の気まぐれで母親と私の立場がその時だけ入れ替わることもあった。母親に容赦なく叩かれたりローターで無理やりいかされたり、浣腸されたこともあった。母親は嬉しそうに私を責めた。その後にすぐ立場が戻されて、今度は私が母親をより酷く虐めることになるんだけど、それが分かっていても母親は一瞬だけでも私を虐めたかったんだと思う。 それでも日常生活含めて私と母親の立場は完全に逆になった。男とお風呂に入るのも私。一緒のベッドで眠るのも私。食事も私と男が横並びでぴったりくっつく。外でも男の腕に手を絡めるのは私。仲の良い親子に見えたかもしれない。母親も命令通りに笑っていたはずだし。 この関係は私が大学卒業するまで続いた。 今はもう関係を完全に絶った。 処女を失ったし調教されて今でも性癖は歪んだままだし刺青も私も入れられたけど、でもそれだけで虐待からは逃げられたし良かったと思う。 平成の終わり頃の話です。スレ違いだったらごめんなさい。