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近親相姦体験告白 RSS icon
※初体験とその経過報告はこちら(経過はレス推奨)

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2024/09/26 09:47:19 (aR/0pym/)
 短大入学後、初体験は父親で当時44~45歳でした。
以前から「博美の処女は誰にも渡さないぞ」
酔うと口に出していたり、私も父にあげると思いを
抱く様になり、弟はまだ16歳高校生でしたし、短大
入学後、3カ月位経過していたと思います。父の送り
迎えになり、それは私からでした。

『お父さん、きょう安全日なの・・・・・・』
迎えにきた父の車の助手席に座り。走りだしてから
「!!・・・あっ・・・」
父は慌てて、ブレーキを踏ん込み車は停車していたの
『お父さんいいのよ』
「・・・・解った・・」
途中で車の向きを変え。ホテル方向へと走り。初体験
でした。優しく抱いた父に奥深く挿入してもらい。痛み
に耐え父に強く抱き着いていたの。私の奥まで挿入した
父が精液を発散したのも感じてました。
 シーツに処女出血の染みがついてました。
それからしばらく経過後、生理も終わり安定した時期
に避妊を済ませました。父が旅だったのはそれから5年
が経過しておりました。母は父と私の関係は何となく
気付いても、知らぬ振りを通していたそうです。

 実弟は現在23歳独身、父の葬儀前、実弟に父との
関係を全て告白、
『私でもいい・・・抱いて欲しいの・・・』
その後。父の会社は解散せずに衣変え、新たな仕事
に打ち込み、愛し合う日々に燃えているの
266
2024/09/26 09:23:27 (AfsjfM79)
この話は6年前の中学3年の時の話です。
僕はこのサイトをいつも同じ人達居るかなーと思い
毎日見てます。
僕も打ち明けるのには凄く勇気がありました。
当時妹は中1でした。
僕は早いかどうか判りませんが母の風呂上がりとかの
裸を見ると母親なのにチンポが反応して
夜布団で思い出しながらシコシコ出してました。
母も悪いと思います。
風呂上がりとかいつも素っ裸で見せてるから
妹も中1なのに真っ裸で見せてるから
父は何も言わないので我が家は男も女も田舎のせいか
余りそんなことには気にしない家庭でした。
隣には祖父達の家があり祖父達もそんな風でした。
僕が夏の暑い夜暑いので部屋にはクーラー無くて
扇風機だけで電気消してシコシコやってたら
妹が兄ちゃんと部屋に入って来て宿題判らないから教えてと入って来て、妹は電気を直ぐに点けてしまい
僕のチンポを握ってるのを見られて
妹は意味が判らないみたいで
お兄ちゃんどうしたの怪我したのと僕のチンポを見て触ったのです。
僕はちょっと蚊に刺されて痒かったと言うとユリもここを蚊に刺されたと短パンのパジャマを捲り太もものマンコに近い所を見せられてチンポが更に硬くなり
妹は全く恥ずかしいとか無くて小学生の時の一緒に風呂に入った時のように蚊に刺された所を見せたので僕はマンコが見たくて、何処やと短パン上げるとノーパンでマンコが見えたのです。
薄い毛が少しありユリ、毛が生えてきたなーと言いながら
マンコを触ると兄ちゃんエッチと逃げないで笑って
言うので、ユリ触らせてくれよ宿題教えてやるからと言うと、良いよと言うので短パンを下げて脱がせたら可愛いマンコが丸見えで足広げてM字開脚にして
ゆっくり優しく触り、チンポを握りシコシコやると
お兄ちゃん何してるのと聞くので、オナニーをしてるんだと、妹はふーんと、
お前は妹だからこれ以上は駄目だからなーと言うと、
何が駄目なのと、
僕は説明に困り、お前のここ(マンコをさわり)に兄妹で触ったり入れたりするのは駄目なから一人でしてるんだと言うと、誰も見てないし誰にも言わなきゃ判らないから
お兄ちゃんが宿題教えてくれるならしても良いよと
僕は妹の言葉にびっくりして
本当に良いのかた聞くと良いよ、お兄ちゃんならと
僕は本当だなと念押して
妹を寝かせて舐めるのから初めて、
甘い香りのマンコをかなり長く舐めてると僕のチンポからはいつものザーメンが飛び出て1回目出てしまいました。
布団で擦れて出てしまったのです。
ユリには見せられないので、ユリ起きてお尻から舐めさせてくれとわんわんスタイルにさせて
少し舐めてユリ入れて良いのかと聞くとうん良いよと
僕はチンポはこの小さいマンコにはとても入らないと思い
指だけにしようと思いユリ入るどと言い指をマンコに押し込んで行きましたらユリは中1なのにもう少し濡れて
痛いと小さな声は出ましたが指はすっぽり入り
ピストンしてやるとユリはお兄ちゃん気持ち良いわと
少しですが声もありました。
暫くで僕は指を抜き、ユリ、とうとうお兄ちゃんとエッチしてしまったなーと嘘ですがユリにはしたように言いました。
その後ユリの宿題教えてユリは部屋を出て行き
次の日からはユリが風呂も入ってくるし
毎日のように迫って来て3日目の金曜の夜に又宿題持って部屋に来てユリがお兄ちゃんエッチしようと
僕はもうー本当に入れたくて、
ユリに今度は前からしようかと上向きに寝かせて
舐めてユリも直ぐに濡れてて、ゆり濡れてるなと聞くと
うん、お兄ちゃんの側に来るとここがかゆくなって汁がでるみたいなのと、
僕は暫く舐めてかなり濡れてから指で穴を柔らかく大きくして、ユリチンポを入れるぞと言って、今度は本物のチンポを押し込みましたら、やはり硬くてユリが痛い痛いと
腰を後ろに引くので、止めるかと言うと
大丈夫と言い僕は再びユリの腰を逃げないように抱かえて
チンポをゆっくり押し込んで行きましたら入り口入ると後はスルーと奥まで入ってしまって、ユリはかなり痛いようで、ユリー今日は本当にエッチしたよー
この前は指だけだったんだよと言うと、ふーんと言い
痛いかと聞くと大丈夫痛く無くなったと言い僕はもうー1回目は出てしまいました。
ユリいくぞーとピストン始めて1時間ほど入れてて僕は5回は出しました。
ユリの穴もスムーズになり入れたママ2時間か3時間そのままで休んだり動かしたりして朝まで入れたまま寝てしまってて、朝母親が僕達起こしに来て入れてるままの姿見られて、父親には言いませんでしたが、兄妹でそんなことして、いつからしてるのと、凄く叱られて
昨晩初めてやと言い、チンポを抜いた時にはザーメンが恐ろしい程沢山出て
母親はユリに貴女生理始まってるのに、大丈夫かなーと
心配そうに言いましたが、ユリは大丈夫よー
まだ先月初潮始まったばかりだし、と、
僕は良く判らないのですが母親は大丈夫かなーと
母親は当時まだまだ若く36才なので、かなり僕達のセックスには驚いたようでした。
母親にお母さんも悪いよ、風呂上がりとか裸で僕はいつも興奮させられて、いつも一人でオナニーしてたよと言うと
そうなんだ、あんたも、もうー一人前の男になってるんだと、母親はその夜深夜ユリも父親も完全に爆睡した頃に
僕の部屋に来たみたいで、僕のチンポを口で咥えてる
ので、僕は気持ち良くて目が覚めると薄暗いけれどユリとは違い母親が僕のチンポを咥えて美味しそうにジュジュパクパクやって僕が起きると、母親は恥ずかしいみたいで
尻を向けるとユリに入れたように入れなさい、
その代わりユリとはもうーしないでね
したくなればうちのに入れたら良いからと
僕は大きな尻を掴むとチンポを母のマンコに当てると
穴はユリのとは違いスルリと根本まで入ってしまい
母は思い切り突いてーと叫び、僕はガンガン突いて何回出しても抜いちゃ駄目ーと5回程出した時に早くー早くーと母が叫び四郎ーイクーイクーと父親の名前を言いました。
女のイクのは産まれて初めて見て感動しました。
267

母が無くなり

投稿者:裕子 ◆P.H4egQBeQ
削除依頼
2024/09/23 09:04:54 (SnllLgKB)
私が高1の時に

母が乳癌で無くなり

私が家事をするようになって

最初に大学生の兄に私の処女を奪われました。

そして弟が高校生になり

兄に抱かれてる私を見て

今度は、弟に抱かれてしまった。

兄や弟に抱かれながらもなんとか高校を卒業したけど

大学には、行かないで家の家事をすることにした。

父の扶養から離れなく

私も成人した頃には、より母に似てきてた。

もともと母に似てた私

父が酔ってる時に

私を母と錯覚して私の胸やお尻を触るようになり

とうとう父にで抱かれてしまいました。

母の代わりの父の妻にされて

父がいる時には、毎晩抱かれて種付けされてた。

兄や弟も父の目を盗んで私を抱いてた。

父が事故で亡くなり

私は、兄に扶養されての生活なり

今度は、独身だった兄の妻にされて

実家を売り兄が購入した家に越したら

何も知らない近所の人には、完全に兄の妻と思われてしまった。

たまに弟が遊びに来て私を抱いてた。

もう私も40後半になり

兄に頼んで養子を貰うことに

養子は、駄目でしたが

弟夫婦が離婚して

弟が子供の親権を取ったけど

仕事で子供を見れないから

私が子供をみることになり

私の産んだ子供でないけど

甥っ子と姪っ子の二人の母親代わりになれて

弟は、たまに家に来ると私を抱いて性処理

兄は、私の旦那みたいに私で性処理

268
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2024/09/23 07:57:20 (eQVQDc.D)
バイクが好きでツーリングに行きヘマしてしまいました。
コーナリングで滑りガードレールにドスーン、即入院でした。
まずい事に両手をギブスで固定されトイレが困りました。
病院では男性看護師さんもいて少し恥ずかしいくらいでしたが女の人にはやはり困りました。
数週間で退院しましたがまだ両手は完全ではありませんでした。
そのとき手伝ってくれたのが2個上の優姉ちゃんでした優ちゃんは恥ずかしがって場合じゃないよと言いながらチンコを引き出しオシッコをさせてくれました。
大の方はシャワートイレで軽く拭くだけで済ませました。
少しよくなるとやはり溜まります精子です。
優ねえちゃんにつまんでオシッコさせて貰うときでした段々大きくなって来たのです。
姉ちゃんはこれは良くなって来た証拠だねと言って扱いてくれたのです。
大きいねといいながら強弱をつけヒネリも加えながら扱かれると出してしまいました。
すっきりしたねと言われ拭きながら亀頭にキスまでしてくれました。
それからはオシッコが済むと手コキフェラが当たり前になっていきました。
その内ゆうちゃんはチンポをシゴキながら自分でマンコをイジルのです。
僕がマンコ見せてと言うと「いいよといって見せてくれました。
二十歳前のマンコは奇麗でまだピンク色でした。
僕がお姉ちゃんそのマンコにチンポ何本いれたの。
ゆう姉ちゃんはまだ片手くらいよ。
へえ~そうなんだ僕も入れたいな。
いいよ入れなでも中に出したらダメよ。
僕はゴムを付け後ろから入れると、違う違うそこは後ろの穴だよ。
僕は間違ってアナルに入れたのです。
アナル処女の最初の男になったのです。
でもお姉ちゃんには怒られました肛門が切れたのです見ると鮮血が滲んでいました。
お姉ちゃんはトイレに入る度しばらくは痛がっていました。
時々肛門を見ては治り具合を見ますが一週間で治ったみたいです。
改めてマンコにお願いするといいよと言って大股を開きマンコを自ら開き今度は間違えたらダメよと言われましたが間違いなくマンコにチンポを入れて上げました。
お姉ちゃんは男の味を知っておりアエギ声も半端じゃないくらい大きな声でした。
これからも彼女が出来るまでゆうねえちゃんにお世話になります。
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村の話

投稿者:勝利 ◆Jam9sRXCXU
削除依頼
2024/09/22 18:47:22 (lMk.bJHu)
私は昭和20年生まれの余命幾許もない老人だが、生きているうちに私の生まれ育った村の話を書いておこうと思う。
本当はその村の場所や名前を書いておきたいのだが、村自体が昭和の終わり頃に廃村になってしまったことと、近隣の部落も昔と違い、今ではそのようなことはないから東北の山間地の村に留めておく。
また、部落と言っても今の時代で言う被差別部落ではなく、村の一部なのだが農業や林業を営んでいた人々が村外れの山裾に形成した数世帯の集落をそう呼んでいて、呼ぶ方にもよばれる方にも差別意識など皆無だった。

世の中が何事もなければ普通の村であったはずだが、戦争の影響は村にまで及んだ。
つまり18歳以上の男は徴兵され、本来は徴兵免除だった長男も村長からの圧力で志願させられて戦争に行き、畑仕事も山仕事も女が主役になって働かねばならなくなった。
私は終戦の年生まれだが、父は私の出生を見届けることなく徴兵されて出征し南方で戦死し、長男の伯父も志願させられて硫黄島で戦死し、祖父も私が生まれる直前に病死した。
父は19歳、母は17歳で私を産んだが、出征を迎えた父を早く結婚させて家の後取となる子供を産ませようとしたが、残された母は再婚することもなく、廃村後は大きな町で暮らし、その町の病院で80歳で亡くなった。

その村で行われていたこと、村というよりは私の家があった集落で行われていたと言った方が良いかもしれない。
私の育った集落は私の祖父を頂点とする一族と、その使用人たちの家族で形成されていた。
年寄りから幼子まで人数にしたら50数人だったと思うが、戦争で働き盛りの男が次々と兵隊に行き、残った男と言えば年寄りと私のような子供ばかりだった。
しかも不幸なことに大半が半報や硫黄島で戦死してしまい、ほとんど復員する男がいなかったとのことだ。
私も子供心に覚えているが、とにかく村の女性がたくましく働いていた。

私も10歳になった頃には、学校が終わった後は畑仕事や薪割りなどを手伝った、当時は子供が家の仕事を手伝うのは当たり前の風景だった。
その頃から何かあると薄々思っていたことがあった、それは私よりも5歳年上の従兄が夜中学を卒業してから週に1、2度、用もないのに私の家に来るようになったことからだった。
私が「こんな夜になに?」と聞いても言葉を濁し、私や母のいた茶の間には寄らずに祖母の部屋に行き、小一時間もすると挨拶もせずに帰っていく、なんかおかしいと思って母に聞いても「さぁね、なんなのかね」と言うだけだった。

それが分かったのは私が中学を卒業してすぐのことだった。
5歳上の従兄は高校を卒業して東京の企業に就職して村を離れ、盆暮れに返ってくるだけになった。
中学の卒業式を終えて何日かたった頃に、その従兄の家にお祝いしてやると言われ呼ばれたが、その家には私にとって義理の叔母に当たる百合という女が一人で暮らしていたので何となく行くのが嫌だったが、母と祖母に「いいから百合んところに行って来い」と無理やり行かされたときに、祖母から「義理を果たして来い」と言われたのには引っかかった。
なぜなら私には百合に返さなければならない義理などなかったからだ。

当時の村内は「助け合い社会」とでも言えばよいのか、これも戦争の影響だと思うが、少ない男が中心になり村中の田畑を村人全員で作付けし、収穫量と労働力を考慮して公平に分配されていた。
だから私の母や百合のような戦争未亡人も田畑に出て一緒に働いていれば相応の物が分配され、食べていけないようなことはなかった。
但し私の従兄のように村を出て行った男に対しては、少ない収入から親への仕送りする金額を村の人たちが決めるという厳しい掟のようなものがあったから、従兄も苦労したのではないかと思う。

話を戻すと、確かお祝いの話があった日の翌日だったと思うが、夕方日が暮れないうちに百合の家を訪ねた。
周りには田んぼしかない山裾にある農家らしい無駄に大きい家だったと思うが、私が訪ねて行くと百合はワンピース姿で迎えてくれ、その姿を見て初めて百合を美人だと思った。
私が家に上がると何故か風呂に案内されたので、一旦は固辞したがどうしても入れと言うので仕方なく入り温まっていると、百合が一糸纏わぬ姿で入って来たので驚いた。
「寒いから入れて」と言うと、二人で入るには狭い丸い五右衛門風呂に体をくっ付けるように入って来て、体が温まると、私の体を隅々まで丁寧に洗ってくれたが、私のペニスははち切れんばかりに勃起していた。

そのあと、当時としてはかなり贅沢な食事を振る舞われ、ほんの少しだったが自家製の梅酒を水で割ったものを飲ませてもらった。
食事が終わると百合が「そろそろ」と言って私を奥座敷に行くように促した。
部屋は火鉢で暖められており、そこには一組の夫婦用の大きな布団が敷かれていて、百合は布団を捲ると、その上に乗って着ていたものを脱ぎ始め、私にも裸になって布団に来るように言った。
私はそこまで来て、やっと「お祝い」の意味が分かった。
百合に言われた通り、私が着ていたものを脱いで百合に近付くと布団に仰向けになるように言われたが、百合を見上げるとオーラのようなものを感じた。

百合は私の上に体を重ねるように乗ってくると、私の顔を数回撫でてから唇を重ねて来た。
そのあと私の体中を撫でたり舐めたりしていたが、それは初めて味わう快感だった。
最後に熱い口付けを交わすと百合は私のペニスに唾を垂らして濡らし、その上に跨るように挿入した。
百合は動き出すと唇を真一文字に閉じて声を殺した、百合の吐く荒い鼻息だけが聞こえるような感じだった。
私は快感に耐えきれず瞬く間に百合の中へ放出した。
百合はそれを察知すると腰を落として私の放ったものを全部受け止めてくれ、体を離す前に舌を使うような激しい口付けを交わした。

百合は体を離すと私に背中を向けて股間から私の精液を吸った脱脂綿を取り出して屑籠に捨てた。
そして私のペニスをちり紙で拭きながら、「かっちゃんとは血の繋がりが無いから接吻したけど、一郎(従兄)とはできなかった」と、母子相姦を告白した。
そのあとも百合から衝撃的なことを聞かされた。
村内では戦争中に男が徴兵されてほとんどいなくなってから、残っていた男、つまりは自分の子供や親戚の男、年老いた義父などを相手にすることが当たり前になった。
皆若くして未亡人になったが、再婚すれば身持ちが悪い、金に転んだなど狭い村の中で悪評が立つから、いつの間にか人知れず身内との性交渉で発散させるようになったということだった。

だから従兄も私の祖母と百合を抱いていたが、そのことは私の母も当然知っていた話だという。
祖母と言っても16歳で父を産み、その父が19歳の時に生まれたのが私だから、従兄が通っていたころは、祖母もまだ40歳半ばくらいだったから男の需要もあったのだろう。
そんな話を聞いてから、その夜は更に3回百合と交わりながら、性技をいろいろと教わって早朝に帰宅した。
私が帰宅すると祖母と母が迎えてくれたが、2人とも私が百合と何をしてきたか知っているだけに、2人の顔を見るのが辛かった。
前夜出がけに祖母から言われた「義理を果たす」は、祖母が従兄と同じことをしていたことを百合に対する義理、借りと感じていたからだろう。

その夜、私は母に「母ちゃんはそういうことをしてきたの?」と聞いた。
母は私の問いに首を横に振って「そういうことをしあっていることは知っていたけど、私はお父さんが戦争に行ってから誰ともしてないよ」と答えた。
私が特に気になっていたのは従兄としたのか?ということだったが、母が言うには「私はあの子の父親(父の兄)が大嫌いだったから、その息子となんかするなんて絶対に嫌だった」と答えた。
私はそんな母を不憫に思ったが、従兄と百合の関係を考えると私と母の間にも起こり得ることだと思うと、急に母のことが艶めかしく見えた。
何故なら百合よりも若くきれいな女だから、親子ということさえ気にしなければ全然問題ないと思ったからだ。

前の夜に百合から聞いた話しを母に話したが、母は否定しなかったし従兄と祖母とのことも、祖母に勧めたのは自分だと言った。
そこで私は母に「じゃぁ母ちゃんは俺とならできる?」と聞いてみた。
母は数秒黙った後に、「うん、かっちゃんとならしてみたいかな」と言ったので驚いた。
無いとは思うが、もしかしたら母は私の成長をそういう目でも見ていたのかと思と、少し恐ろしく感じた。
母が「かっちゃんは私としたいの?」と聞いたので、私は「うん」と返事をした。
すると母が「じゃぁ明日ね」と言ったので「明日?どうして?」と尋ねると、「昨夜は百合さんとしてきたんでしょう、だから今夜は嫌」と答えた。

翌日の夜、祖母が自分の部屋に行ったあと母から風呂に入って体をきれいにするように言われた。
そのあと母も入浴し、いつもならは少し離して敷いていた布団をぴたりとつけて敷いた。
裸になって布団に入ると、母が私の上に乗ってきて胸を舐めたり吸ったりしたが、母の体が凄く熱く感じた。
母はこういうことに不慣れだったのか、百合のようにスムーズに事を運べないようだったが、亡くなった父と僅かな時間の夫婦生活後は16年近くの間男関係が無かったことを思うと、そう言うものだろうと思った。
母が不意にペニスを口に含んでしゃぶり始めた、百合と比べたら上手ではなかったが、それでも凄い快感で射精しそうになったが、歯を食いしばって何とか耐えた。

百合から血の繋がった者同士の接吻は貞操であり禁じ手と聞いていたが、私が上になり母の乳を吸い体を舐めても声を殺して私のしたいようにさせていたが、秘部への口淫と接吻はダメと言ってさせてくれなかった。
それでも私が強引に唇を求めると母も仕方が無いという感じで応じたが、百合と交わしたような舌を使うような激しく濃厚な接吻は許さなかった。
後に「唇は商売女の貞操」ということを聞いたことがあるが、それと同じような意味合いだったのだろうか?
そのあと母と結ばれ、深夜眠りに就くまで2度交わり早朝にもう一度交わった。

翌日畑の雑用を手伝いながら母に何故接吻はいけないのか聞いてみた。
母が言うには母自身もよくわからないが、こういうことが始まった頃から言われるようになったということだった。
バカみたいな話だと思ったが、母が言うには身内同士の性交渉が始まり、何等かのトラブルが起こった時に老婆たちが集まって、いろいろとルールを決めたそうで、文章として残されてはいないが、一つは男が15歳になっていなければダメというもの、これは頷けるが息子が母のべっぺ(秘部のこと)や実(クリトリスのこと)を舐めてはいけない、血の繋がった同士は接吻してはならない、その二つは戦地に行った夫への貞操という訳の分からない理由で、性行為にまで及んでおいて貞操もクソもないと思った。
この中には避妊に付いても触れられており、スキンが一番いいが入手し辛いので脱脂綿や海綿を使うと良い、ということまで言われたそうだ。

だから百合も母も脱脂綿を入れていたのだとわかったが、本当に避妊の効果があったのだろうか?
私は母に「凄く悪いことしたとか嫌だって感じたの」と聞くと、母は首を横に振って「全然思わないけど、何となく後ろめたい」と言ったので、「誰も見てないんだから気にすることないよ」と言うと「そうね」と言って仕事の手を動かしていた。
それ以来母とする時も、普通に濃厚な接吻を交わしお互いの秘部を舐め合ったりした。
父への貞操と行ったところで、その父は靖国神社にいるわけだから私と何をしようが構わないだろうということだった。

私自身、高校に通いながら母と百合、そして祖母からの依頼で父の従姉に当たる戦争未亡人の藍子という3人の女と関係した。
中でも百合とは一番回数が多かったと思う、それは血のつながりが無い分変なルールに捕らわれずに、いろんなことをしてくれいろんなことを教えてくれたからだと思う、逆に藍子とたまにしかしなかったのは、ルールに縛られて何もさせてくれずに、ペニスをしゃぶられたあとは、ただ挿入して出すだけでつまらなかったからだ。
百合とは週2回激しく交わり母とは週に1度、土曜日の夜にじっくりした。
結局母に言われて高校を出た後は県内の国立大学に進学し、そのあとは就職して村には盆暮れに帰るだけになった。

大学生の頃は春夏冬の長い休みには実家に帰り、特に夏休みは2ヶ月もあったので母と百合、たまに藍子と3人の女とは関係を続けていたが、社会人になると実家に帰った時に母とするだけになり、私自身が結婚すると母との関係もなくなった、というよりも母がさせてくれなくなった。
この3人の女たち、私と関係していたのは性欲を満たすためであって色恋沙汰ではなかったからだろう。
3人も年を取り、私が35歳で結婚した頃には母はまだ43歳だったが、百合は50に手が届く年齢になり藍子は50を超えていた。

私の妻は私の地元の村とは全く縁もゆかりもない西の方の出身だ。
独身の頃、村に帰るたびに誰々の娘と一緒にならないか?などと言われていたが、その女の私が村の女相手にしてきたことを知っていただろうから嫌だった。
やがて村はなくなり、それぞれバラバラになった。
私が結婚した時に母を引き取ろうと思ったが、母の方が嫌がった。
ある意味村の風習だったとはいえ、20数年間母を抱いていた私と暮らせば間違いが起こるかもしれないと思ったからだろう。
しかし数年前にケーブルテレビで古い刑事物のドラマを見ていたら「黒い血」というタイトルの回で、村で起こった近親相姦が事件のきっかけというのを見てドラマの題材になるということは、私の生まれ育った村と同じようなところがあったんだと思った。
老婆たちが避妊に付いて触れていたのも、こういうことが起こらないようにということだったのだろう。

この国にも社会からは見えない、いろいろなことがあったのだ。
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