10月。大学生活の集大成とも言うべき、就職活動がスタートしました。卒業までまだ一年半も残しているこの時期に集大成とされる一大イベントが始まることに若干の疑問を抱きつつも、それに乗り遅れないように僕もそれをスタートしました。既に友達の1人は早々にベンチャー企業から内定をもらっていました。就活サイトに登録をして、エントリーが可能になるまでの間に企業を調べたり、OB訪問をしたり、自己分析をしながら、来るべき時に皆が備えていました。明るい色をしていた同級生達の髪が一気に黒くなります。それに加えて、来年度の教育実習のための準備が着々と進められます。その講義では来年教育実習に行く学生達の模擬授業が行われ、僕のその順番ももうすぐです。慣れていないことが多く、またその煩雑さに忙しさを覚えて多少イライラもしていました。そんなある日、僕がトモミの家へ行き、一週間ぶりに会いました。トモミも相変わらず忙しそうです。仕事もあまりうまくいっていなのは、その表情からも分かります。トモミは入社以来、仕事でのことに、とても悩んでいました。思うように仕事ができないことスピードが早くそれについていけないことそれを毎日のように咎められることそして人間関係も悪いこと挨拶をしても返されないこといつまで経っても、名前ではなく「新入り」と呼ばれることこれらのことをマネージャーに相談しても取り合ってもらえないこと・・・実はこの10月の項を書く前に8月の体験記にトモミの職場での不調を打ち明けられ、その際のことを記そうと思っていましたが、書きながらあまりの自分のダメさっぷりに腹が立ってボツにしました。そのため、前回の6月から10月へと間を開けての話になりました。申し訳ありません。トモミは僕にある職場での失敗を話しました。それを聞いて僕は、さも自分がすべてを心得ているかのような話しぶりで「それは『こうすれば』良かったんじゃない?」という具合にアドバイスをしました。それが、ドライに聞こえていたかもしれません。僕はそれでも精一杯、トモミを支えている「つもり」でした。後になれば分かることですが、トモミは別に僕にアドバイスを求めていた訳ではありません。トモミはおそらく、100%の味方をしてほしかったんだと思います。「トモミは悪くない、そんなクソみたいなとこやめちゃえよ!」もしかすると、こう僕に言って欲しかったのかもしれません。トモミの職場での姿は知りませんが、少なくとも僕の知っているトモミは挨拶を無視されるような嫌われる要素はありません。それは贔屓目かもしれませんが、僕がトモミを贔屓にすることは当たり前のことです。ただ、僕はそれをしませんでした。できませんでした。分かりませんでした。トモミは僕の「アドバイス」をただ無言で聞いていました。一通り聞き終わると、しばし沈黙の間がありました。それからトモミが「やす君も大変な時に、こんな話してごめんね・・・」そう言って謝りました。僕はトモミに「アドバイス」が刺さらなかったことを悟ります。僕も一言「ごめん」と謝りました。喧嘩をした訳ではありませんがピンと張り詰めた空気を感じます。お互いに変な気を使った、どこかよそよそしい会話。でも、そこに触れると何かが壊れてしまいそうな雰囲気を感じていました。その日はお互いに触れようとはせずに寝ました。狭いシングルベッドのすぐ隣に寝ているのに、こんなに「距離」を感じるのは初めてです。
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2012年。早いものであっという間に社会人生活も5年目を迎えました。僕は大学卒業後じいちゃんの出身地でもあり、大学のある、この都市にそのまま住んでいました。ただ、就職を機に少しだけ広めのアパートには引っ越しました。本当は地元に帰ろうとも思ったのですが、この土地に愛着があったかと言えば特段そうではなく、たまたま第一志望に就職できたことが大きな要因でした。なんとなくですが、この街を離れてはいけないような気もしていましたが、それはただの思い過ごしだと考えるようにしていました。ただ、これでも長男なので、ばあちゃんは悲しんでいましたが親父が「好きなようにしろ」と言ってくれたので「そう」させてもらうことにしました。少しは仕事ぶりも板についてきた頃で、いつからかトモミにプレゼントするはずだったフットマッサージ機は、その仕事の疲れを癒やす為のマストアイテムとなっていました。僕は、トモミと別れてからの6年間の間に2人の女性と交際しました。モテないダサメンの僕にしては上出来です。もちろん好きだから、付き合い始めたのですが・・・どちらの方とも1年程で実にあっさりと別れたもんでした。お互いにしっくりきてなかったことは否めません。もしかすると、僕が恋愛に臆病になっていたところがあったのかもしれません。「あの時」僕は、もう一生分の涙を使い果たすのではないかと思うほどに毎日狭いアパートで泣いて暮らしていました。そういうこともあり、僕は割と多くの時間を1人で過ごしてきました。24歳の時にはTVで観たオートバイの特集に影響され、普通自動二輪の免許を取って400ccのバイクを購入し、月に1回ぐらいのペースで土日の休みに行ける範囲での遠出。パンクロックのライブを観にライブハウスにも足繁く通いました。それから、子供の頃にじいちゃんによく連れて行ってもらっていた釣りも始めたり。プロ・アマ問わず野球の試合を観に行ったり。もちろん、性欲もあり余っているので風俗にも行っていました。気ままな独身生活を謳歌していたと言えば聞こえは良いですが、それは「余白」を埋める作業だったのかも知れません。そういう訳で、僕は知らず知らずのうちに「おひとり様」が上手になっていました。トモミのことは、たまにふと、思い出して「元気かな?」とか「今頃もしかすると、彼氏と・・・」なんて思うこともありましたが、その程度です。それがガラっと変わったのが「あの」震災の後です。とにかく心配で心配で仕方がありませんでした。トモミの実家はあまちゃん地方の沿岸です。そして家の目の前は海でした。最悪のケースを考えると胸が押しつぶされる思いになりました。実際に、その町の役所へ電話してトモミのフルネームを伝えて尋ねたこともありましたが、当たり前ですが教えられないと言われました。1年もすると、いよいよトモミの「無事」をどうしても確認したくなりました。とうとう、その夏に僕は自分自身に「もう土日の2日間の休みで帰って来られるような場所はここぐらいしかない」という言い訳をしてまで、トモミの地元の方へバイクで出掛けることにしてみました。宿泊するホテルだけを予約して早朝に家を出て昼前には、その町に到着しました。その町の中心部は他の被災地と同じく、津波の爪痕がまだ生々しく残っています。その町のそれも、新聞やTVで何度も目にしていたのですが実際に目の当たりにすると動悸がしてきました。それから、祈るような気持ちで微かな記憶を辿ってトモミの実家の方を目指しました。何度も「ここじゃないな」と海沿いをバイクで走りながら確認していていきます。
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