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近親相姦 親×子体験告白 RSS icon
※父母とその子の間柄での体験談

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2021/11/08 10:34:50 (KtrQY/rC)
娘の那美と久しぶりにキャンプに行きました。那美が小さなときは
家族全員で、よくいっていたキャンプ場です。
 コロナ禍の影響もあってか最近までは閉鎖気味であった、キャンプ
場も今回は、私達以外にもチラホラ訪れている人もいました。
 妻は、もとよりあまり、キャンプが好きではないみたいで、今回
は、那美と二人きりのキャンプとなりました。
 いくら開放的とはいえ、他人のテントの近くというのは、ディスタ
ンス的によくないと、意図的に離れた場所にテントを張りました。
 一応、次の日には帰宅の予定だったので、私達父娘は思い切り、キ
ャンプを謳歌しました。
 はじめは、那美と単純に楽しんでいたのですが、暑いさなかの、那
美の服装、身体のライン、体臭で次第に、那美を抱きたいという欲望
が心を支配していきました。

 ~就寝前~

 「お父さん、着替えるから、外に出てて!」

 那美は楽しそうにそういうと私をテントの外に追い出しました。
 本人には気付いていませんが、時折、着替えのシルエットと着ズレ
の音が私の妄想を増長させていました。

 父親たるものが、娘を想って 股間に≪テント≫を張っていまし
た。

 久々に父娘並んで横になって、嬉しそうだった那美は、疲れて安心
してスグ、寝息を立て始めていました。

 ワタシハ、そっと那美に掛けてあった毛布を取り払うと、周囲に甘
くミルクのような体臭がテント内に拡がっていました。その香りを思
い切り嗅ぐと、余計に股間が熱くなっていったのです。

 幼さが残るデザインのパジャマに包まれた那美の身体は、はっきり
と女性の片鱗をのぞかせています。

 ゆっくりと呼吸に合わせて、那美の”ふくらみ”が上下します。緊
張で手が震えながらも、パジャマの前ボタンを外すと、薄むらさきの
キャミソールにノーブラという出で立ちでした

 父親としてのためらいより、那美を”ワガモノ”にしたいという欲
求に突き動かされていました。

 バストを愛撫しているうちに、どんどん行動はエスカレートしてい
き、欲情は高まるばかり…。


 「...おとうさん…。」

 いつしか、那美は目が覚めていた。

 互いに目が合いながら私達はしばらく時間が止まっていました。

 涙目でみつめる那美の表情は、私を肯定してくれているように感じ
た私は、自分勝手な解釈の中、時間をすすめ始めました。


 「あっつ!」「う~」「…」

 時折、私の愛撫に答えるように那美は、妖しい息づかいとともに声
を発します。


 いつしか私達はテントにて長い間、“身体の会話”を行っていまし
た。

 「お父さん...お父さん...」

 不安を打ち消そうとするような那美の声が時々聞こえました。

 そして、その時…。

 ワタシハ、那美の両脚の間に腰を割り込ませると”イチモツ”を那
美の”ソコ”に押し当てました。

 那美の顔に緊張がありました。

 「アッ...ああぁ~」

 挿入とともに叫び声に近い声が那美の口から発せられました。

 ワタシハ、身体を反る娘の身体をしっかりと支えながら、窮屈な場
所に挿入を繰り返しました。

 しばらく互いに身体を揺らしながら愛し合っていました。互いの妖
しい息づかいがテント内にこだまして…。

996
削除依頼
2021/11/06 04:06:09 (zTbaWsuA)
母と関係して10年になります。中学生から社会人になってからもお世話になって
ますね。
きっかけは些細な事。オナニー見られてそれから発展しましたよってやつです。
以来やってこれたわけですが、最初の時がやっぱり一番気持ち良かったです
当時まだ40になってなかった母でした。ですからキレイな裸でしたよ
今も多少の肉はついてきましたが十分私を満足させてくれる体です

最初の時は頭の中真っ白でした。オナニー見られたって思いが強く母に出てい
けーって
でも出ていった母がその後来てごめんねーって言うんです。顏がにやけてました

何やら話しかけてくるんですが、こっちは頭の中真っ白、早よ出ていけやですよ
そうしたやり取りから母が私の隣に座り言うんです。さすったろか?ってね
どきーっとしましたよ。恥かしいやらなんやらで何か叫んだと思いますが、母の
手が
私の着ていたスウェットの中に入ってくる。握られました。私のまだ半立ちのチン
ポを
私もその頃になると少し冷静になってたのかチンポがまた立っていく。母のにや
けた顏
母はそのまま手を動かしました。あまりの気持ち良さにいきそうになる。
声が出てしまったかもしれません。母はスウェットを脱がしてきて私のが露わに
なった
仰向けに寝かされて下半身むき出しの私。それを母がしごく。すぐに出てしまい
ましたよ
出る~~って言ったと同時に母は手で射精を受け止めて飛んではいないですが
母の手は私の精液でドロドロ。枕元にあったティッシュを取ってふき取っていまし


お互い無言でした。そうして母が言います。いっぱい出たねって
私も一回出せたので冷静になりました。凄いことやっちゃってるよ~~って感じ
その頃の性欲って凄いんです。もう一回いい?って感じでお願いしました
ニヤニヤした母は態勢を整える。布団に寝てた私の上にまたがるようにしてまた
さすりだした
にちゃにちゃと音がする。光景を見ていると母の顏が私のチンポに近づいて、そし
てくわえた
フェラチオってやつです。温かな感触。ほどなくしてまたいきました・・

際限なく私の要求が母に向けられる。3回目になると母も服を脱いでおっぱい触
らせた
そしてお互い裸になり抱き合う。もうセックスするしかありませんよね
裸のまま母は一旦部屋を出て何か取りに行く。コンドームです
その頃になるともう男と女。何の抵抗も無く母に覆いかぶさってチンポを入れまし

入れましたじゃないな、入れてくれましただね。
夢中で腰を振る。出す。また入れる。その繰り返しを何度したでしょうか
私の童貞は母で卒業して、今なお母しか女体は知りません。

母子家庭なのでそれからは暇さえあればやる。再婚もしないで私とで満足してる
のか浮いた話もなく
私の方も彼女も作らないで母の体で満足しています。
どっかでお互い考えないといけないんでしょうけど
997
2021/09/22 00:49:57 (D3rPtaEQ)
私♂が大学生だった頃の話です。

90年代後半、大学1年~卒業して家を出るまでのあいだ、母親と肉体関係を持っていました。当時の事を色々と思い出しながら書き綴ってみようと思います。細かいところは記憶がいいように美化?されている部分もあるのでしょうが、なるべくじっくりと思い出しながら書いていきます。

文才ありませんのでそのあたりはご容赦ください。


わたし18才、大学1年。名前はアツヒロです。身長は170センチちょうどで体重は60キロちょっと。まあまあ筋肉質、茶髪の真ん中分けで耳にかかるくらいの髪型です。当時、どこにでもいそうな感じの若者、だったと思います。
母親の名前は明美。確か23才の時に私が産まれたと聞いているので当時は41才。身長は160センチ位、体重は不明ですが、スタイルは良いほうだと思います。関係を持つようになってから聞いた話ですがDカップで、鎖骨も浮き出ていたしくびれもあった、、、と思います。記憶違いでなければ。髪型はセミロングで、顔は芸能人でいうと山○マミに似ています。記憶違いでなければ。

家族構成は子供は私一人で、父親は私が高校3年生の時から単身赴任になり、夏と年末年始に帰ってくる程度でした。

自宅はマンションの最上階で当時では珍しかった(かな?)メゾネットタイプの3LDKで、上の階に私の部屋とバルコニーと浴室(及び脱衣所)。下の階にリビングダイニング、和室、両親の寝室がありました。

元々ほかの家庭と比べると母とは仲がよく、特に反抗期はなかったと自分では思っています。高校生になる頃には母を性の対象として見るようになっていましたが、母は気づいていないようで、家族で出掛けるときなど、父の前でも腕を組んできたりするような距離感の近い母でした。勿論父とも腕を組むのですが。。服装も私が高校生の頃はまだ30代でしたから、今思えばまあ納得なのですが、それなりに露出の多い膝上のタイトスカートや、体のラインがわかるVネックのニットなどを好んで着ており、両親の目を盗んではチラチラと視ていました。たまにVネックから谷間が見えたり、タイトスカートからパンチラした日には、当分オナネタにはこまりませんでした。仕事もしてたのですが、仕事に行く際もジャケット・ブラウス・タイトスカートかパンツスタイルだったと思います。

そんな日常が高校3年の時に父の情単身赴任で変わりました。父ががいなくても普段通りにショッピングに出かけたり遊びにいったりしていましたので、私にとってはもうデートそのものです。幸い大学は附属でしたから、受験もなく、毎日を楽しんでいました。が、母親ですから当然何の進展もないまま、仲のよい親子として大学生になりました。

大学生になってからの日課は母親の入浴を覗くことでした。上階は先ほど書いたとおり、私の部屋と浴室です。自宅は下の階のほうが広いため、私の部屋の窓から下の階の屋根に相当するところに出ることができます。一軒家ではありませんから屋根もコンクリで平らです。ベランダではないので柵はありませんが、リビングダイニングの上にあたる部分で20畳くらいの広さで、端のほうに行かなければまず安全です。というか覗きたいという欲望の方が勝っていました。なぜか浴室にもバルコニーがあり、そこに出られるようにガラス張りの大きな引き戸があります。こうなると逆にバルコニーの柵が邪魔なのですが、私は毎日その柵に身を隠しながら覗いては、その場でオナをしていました。母の体は、胸はやや垂れ気味ですが、しっかりと腰のくびれがあり、それがまたお尻のキレイなカタチを強調しており、下の毛は面積少なめに整えられていました。脇は脱毛ではなく自分で処理しているようで、剃ったりしている姿にも興奮しました。逆に下の毛を処理するところは見たことが無く、エステにでも行っているのだろうと思い、多分女性同士とはいえ、脱毛される姿を妄想してはこれもオナネタにしていました。更には母親が浴室から出て下の階に降りた後、洗濯機の中からパンティを取り出してはこれをオカズに二回戦、というのがいつもの流れでした。パンティは柄物の水色やピンクが多く、たまに赤や黒がありました。ティーバックやサイドが紐ににっているパンティの時は特に興奮してしまいました。クロッチのシミが多い日や湿っている日は、母も何かに興奮したのだろうか、と妄想しては盛り上がっていました。

そんなある日、バルコニーの外から覗いていると、突然、こちらに寄ってきてガラス張りの引き戸を開けました。開けた直後は気付いておらず夜風にあたる?感じでしたが、私は体が固まってしまい身動き一つできず、、、その後視線が左下にきて、私とバッチリ目が合いました。母は目を見開き、それから勢いよく引き戸を閉めました。嫌悪の表情というよりも驚いた表情でした。悲鳴など声を一切出なかったのですが、驚きのあまり、ということなんだろうと思います。一方私はドアが閉まった後どのようにして部屋に戻ったかは記憶がなく、とにかく部屋でいつ母が入ってくるのか怯えていたのを覚えています。言い訳も全く思いつかず、何を言われるのかという恐怖と、もう楽しいデートの日々も終わるのだろうという絶望を感じていました。しかし、その日は母は部屋に入ってきませんでした。私も部屋から出ることができず翌朝を迎えました。

母は朝は7時頃家を出ます。私はそれから部屋を出て下の階に降りました。いつも通り、朝食が用意されていました。こんな時でも腹は減るのか朝食を食べ、また部屋に戻りました。それからはイマイチ覚えていないのですが、大学を休み、部屋に籠もっていたと思います。夜になり母が帰ってきて、リビングのドアが開きました。私は吐き気がして心臓もバクバクになりました。階段を上がってくる足音が聞こえ、、、部屋のドアが開きました。私はベットに腰掛けて顔を上げることができません。母は静かに「昨日何で覗いていたの?」と聞いてきました。私が答えずに俯いたままでいると、次に「いつから? 怒らないから」と言われ、私は「ちょっと前から」と声を絞り出しました。すると母は部屋から出ていきました。激怒され侮蔑されるだろうと思っていたので、私は混乱し、そのままベッドに腰掛けていたような気がします。

それからどれくらい時間が経ったからわかりませんが、部屋着に着替えた母がまた部屋に来て、今度は「昨日あそこで何をしていたの?」と聞かれました。何をしていたかというとオナしていたのですが、そんなことは言えません。ただ「お母さんの裸が見たかったから。ごめんなさい。」と言いました。するとまた部屋を出ていきました。私には何が起きているのかまったくわかりません。暫くすると今度は大声で「あっくん!」と部屋の外から呼ばれました。私の名前はアツヒロなのであっくんと呼ばれています。母は浴室から呼んでいました。脱衣所に入ると、浴室の引き戸(こちらは磨りガラスです)が半分開いていて母がシャワーを浴びていました。そして「見ていいよ」と。それから何事もなかったかのように、カラダを洗い出しました。私はどうしたらいいのかわからず立ち尽くしているのですが、アソコも勃っていたようで、「何をしていたかわかったよ、すぐに。同じようにしていいよ。」と声をかけられました。そしてなぜか「ごめんね」と。年頃の男の子にベタベタした自分が悪かったと話し出しました。さらに、「でもそういうふうに見てくれていたなんて、私もちょっと嬉しいかな。あっくんの周りにはもっとカワイイ子がたくさんいるでしょ?」と続きました。私は「そんなことないよ。お母さんと一緒にいるのがドキドキする!」と答えてしまいました。自分でも何で口に出したのかわかりませんが、本心です。すると「私だけハダカはおかしいなあ、あっくんも脱ぎなよぉ」と言われました。いつもの友達口調になっています。私がモジモジしていると「ほらー」といって脱がされました。なぜかこの時は縮んでいたのですが、ズボンとパンツを脱がされているときにまた大きくなってきました。お母さんは優しい笑顔で「昨日みたいにしていいよ。その代わり外は危ないからもうダメだよ」「友達には絶対に言わないで、約束ね。」「お父さんには絶対言っちゃダメだからね」「見たいときは好きに見ていいからお風呂場にきていいよ。でも見るだけだよ。後は自分でね。」「こっそり覗くのはもうだめだからね。」と言うと、こちらのことを見ること無く、気にもとめず、またカラダを洗い始めました。私はこのよくわからない状況にこれまでにないほどの興奮をおぼえ、痛いほどに勃起したチンを扱いて「ああ、お母さん」と声をもらし、浴室に向かって勢いよく発射しました。母は無言でした。そのままシャワーだけ浴びては母は「じゃ、交代ね。お風呂入っちゃって。その間にご飯作るから」と言って部屋着をきて脱衣所から出ていきました。

続きはまた今度書きますね。




998

排泄音を聴く息子

投稿者:佐恵子 ◆uGpn/hLT6A
削除依頼
2021/11/06 13:48:11 (PI.IsdLL)
私39歳、息子17歳です。
私がトイレに入ると、息子がそっと後をつけてきて、
ドアに耳を当て、私の排泄音を聴いていることに気付きました。
以前から、小さな足音が聞こえ、
何かの気配を感じることがあったのですが、
主人が帰ってくるまでは、家の中には、私と息子しかいませんので、
特に気にすることもありませんでした。
ある時、また気配を感じたので、ちょっと確かめたくなって、
ドアを開けてみたら、聴いていた息子の体に、すぐドアがぶつかり、
それではっきりとわかりました。
息子は、どぎまぎしながら、
「あっ、母さん、入ってたの、僕も入ろうと思って。」
と言って、自分の部屋に行ってしまいました。
私の『シャー』というおしっこの音や、
大をする音は聴こえないにしても、『ウーン、ウウーン、』
といきばるので、その声を、
息子が密かにずっと聴いていたのかと思うと、
恥ずかしさを感じ、息子は何を考えているんだろうと思いました。
それからは、必ず、水を流しながら排泄をし、
音が聴こえないように努めました。
息子は普段はまじめでおとなしい子です。
私に対してもとても優しいですし
問題を起こしたことなど一度も無かったので、
私もずっと、息子のことをかわいく思ってきました。
ですから、そのこともさほど気にするようなことでもないと
思っていたのですが、
ある日、洗濯籠から私の下着を夜中に持ち出していることにも
気付いてしまいました。その時はさすがにショックでした。
気付いた後は、息子が持ち出す前の時間帯に
洗濯機に入れて洗ってしまうように努めました。
息子に問い詰めたりしたら息子の心を傷つけるような気がして
私は、そのことは知らないふりをしていました。
でも、下着まで持ち出していることに気付いた私は、
いよいよ心配になってきて、息子が学校に行っているときに、
息子の部屋に入って、何かおかしな様子はないか調べてしまいました。
そしたら、とんでもないDVDを見つけてしまったのです。
それは、見つけたというより、ベッドの下、
かがめばすぐ見えるようなところに無造作に置いてありました。
居間のBDレコーダーで見てみたら、母と息子が登場するのですが、
息子が母のパンティを洗濯籠から持ち出し
あそこの黄色いしみの匂いを嗅いで興奮し、
パンティを性器に巻きつけて射精したり、
さらに驚いたことには、母が全裸になって、
息子の目の前で小便や大便までしてみせるのです。
興奮した息子と母が交尾までしてしまう内容でした。
その、異様なストーリーと、モザイクがとても薄いので
見えてしまっている男優さんの男性器や交尾の結合部分に、
正直言って、私もとても興奮してしまいました。
ですが、学校から帰ってきた息子と顔を合わせても
そのことは何も言えず、いつも通りに接しました。
主人は、わがままな性格で性風俗にも通っていることを知った時から
主人との関係は冷えていて、セックスもすることはなく
別々の部屋で寝ているのですが、
その夜、ベッドでそのDVDのことを思い浮かべてしまいました。
息子もあんな風にして、私のパンティでオナニーをしていたんだろうか。
私のあそこの匂いを嗅いで興奮していたんだろうか。
母親が全裸になって、息子の目の前で、おしっこや排便をしてみせる。
なんてハレンチでいやらしいの。
でも息子が、私の排泄音を聴いていたということは、
息子も私にあんなことをしてもらいたいと思ってるっていうこと?
まさか。
それにしても母と息子が、してはいけない交尾をするなんて
なんて背徳的でみだらなの。
しかも母親はあんなに気持ちよさそうに腰を動かし、
中で精子を出させて、あそこからあんなに精子が流れ出てた。
終わった後二人は抱き合ってキスをしていた。
母と息子がおマンコをする。
あんなに大きいオチンチンとおマンコを激しくハメあって。
あんな気持ちよさそうに。
私は、いつのまにか、女の液が溢れ出てきて止まらず、
クリトリスに指がいってしまい、オナニーをしてしまいました。
その日以後も、そのDVDをこっそりと息子の部屋から持ち出し、
何度も見てしまいました。
それは、いつも、ベッドの下、かがめばすぐ見えるところに
置いてありました。

息子とは、お互い、以前と変わらずに接していますが、
ときどき、息子のことを、男としてみている自分に気が付きます。
息子の性器が見たくなってしまい、
息子が入浴していて、浴室から脱衣室に出た時を狙い、
偶然を装って脱衣室に入り息子の性器をみてしまったこともありました。
息子の性器はもう大人の性器になっていました。

息子は何も言いませんので、何を考えているのか、
私のことをどう思っているのかは、はっきりとは分かりませんが
私の胸やお尻を見ている視線を感じることはあります。
息子とセックスをするなどと言うことは
今まで考えたこともなかったですし、
今もそんな思いにいつも取りつかれているわけでもありません。
現実に母親と息子でセックスをしたりしたら、
問題が起こることもわかっています。
ですが、まだ17歳の息子と、時々、
あのDVDのようなことをすることを想像して興奮し、
オナニーをしてしまう自分が怖いやら恥ずかしいやらです。
このようなことを告白し、少し心がせいせいしたような気がします。
読んでくださってありがとうございました。
999
2021/11/02 10:19:07 (ARi4tW1Z)
私は57歳 既婚
妻は35歳
15年前に結婚しました
妻の初めては13歳
特にセックスに憧れていたのでも
セックスが好きな訳でもなく
セックス自体に重きをおいていなく
やりたいと言われたらやっていたようでした
結婚してからは急にセックスを拒否するようになり私としては不満の連続
最初のうちは我慢していましたが
ここ数年は浮気
正しくは浮気ではなくやれれば誰でもいい
って感じでした
気楽にやれるのは熟女
熟女は話を聞いてあげ優しいふりをすれば
100らせてくれます
顔射や口内発射、外出しよりも
中出しを要求してきます
処理が一番楽だし気持ちいいからみたいです
年齢的には50代から70代
70代でも性欲が強いって驚きました
コロナ禍で感染が心配で熟女たちを呼び出すことを躊躇っていました
そんな生活をしていたらふと母を意識しはじめました
母は77歳
20年前に夫である私の父を亡くしてます
私は母のことが大嫌いでした
同居していますが話すことは全くなく
鬱陶しく感じていました
妻とも熟女たちともセックスできないため
母でもいいかって気になりました
1000
1 ... 194 195 196 197 198 199 200
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