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※夫婦の営み事情、SEX、性生活について報告してください

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2025/09/03 15:36:43 (r/Ih8qSw)
55歳の妻は更年期障害もひどく
この間セックスは無かった
少し症状が落ち着いた時セックスしたら
マンコが濡れなくて俺は久しぶりだったので
興奮して濡れていないマンコに居たがる妻をよそに
無理やりに射れて嫌てと言われながらも思い切り腰を振り
中に射精してしまった
その時よほど痛かったのか、それ以来入れさせてくれない
セックスしても口の中に射精して終わり
口内射精は月一でそれ以上は無し
先日麻マンコ舐めさせてもらい指を入れて優しくすると
妻は気持ちいと言って喜んでイッタが挿入はダメだった
普通にセックスがしたくて今では出会い系サイトに登録し
手当たり次第女を探してるが上手くは逝かない
11
2025/08/12 19:14:16 (dwHwEidN)
「いらっしゃい。」
カウンターの中で微笑む50歳の美熟女は、20年前に別れた元妻です。
「今日はどうするの?」
「寄らせてもらうよ。」
「それが目的で来るんだものね。」
店が終われば、元妻のアパートに泊まって、元夫婦が愛し合うのです。

元妻と別れたのは、元妻の浮気でした。
でも、仕事ばかりで構ってやれなかった私にも原因がありました。
元妻は浮気相手の子供を妊娠し、家を出ました。
私35歳、元妻30歳、娘は6歳でした。

ヤケクソの私は、再婚するでなく、小学校に上がった娘の若い担任を口説いて関係したり、PTAの役員で一緒になった娘の友達の母親と不倫したり、勤め先にアルバイトに来た女子大生を誑かしたり、ロクでもない女関係を続けていました。
娘が小学時代は、まだ、ブロードバンドの普及でハメ撮り画像の流出など考えもしなかった頃でしたが、世に出だしたデジカメで彼女達のハメ撮りをしていました。
一度撮影してしまえばハードルがグンと下がり、その後はノリノリで撮影させてくれました。
真面目な小学教師が、全裸に剥かれて縄をかけられ、膣奥まで晒されて恥辱の淵に追い込まれる表情はそそりました。
昭和の香りが漂う連れ込み宿で、PTA主婦が悦楽の淫水を滴らせて指姦淫戯に潮噴きで応え、不貞姦淫にヨガり乱れる姿は、まるでロマンポルノでした。
可憐な女子大生にセーラー服を着せて、電動淫具で悶えさせ、羞恥に瞳を潤ませる画像は、まるでAVの一コマでした。

そんな私が再び元妻の姿を見たのは、離婚から5年後、ブラウン管の中でした。
レンタルしてきたAVの中に、素人人妻ナンパ物があり、その一人が元妻でした。
連れ込まれたホテルで軽いインタビューがあり、年齢を32歳と言っていました。
夫との幸せな生活にマンネリを感じたのがナンパに応じた理由だとも言っていました。
一枚ずつ脱いでゆき、ブラとパンティだけになると、ベッドに仰向けになって男の手に身体を委ねました。
ブラが外され、痩身のわりに大きめの乳房が露わになり、パンティを下げられ、陰毛の下に淫裂が割れているのがモザイク越しに分かりました。
バイブで陰裂を刺激され、時折懐かしい喘ぎ声が聞こえてきました。
男は、白いロープを取り出し、元妻の腕をバンザイ状態でベッドに括り、次に足をV字に広げて屈曲した形で腕を括った同じ場所にロープを縛りました。
股を上に向けてパックリ晒した羞恥体勢で、元妻はバイブで凌辱されていきました。
陰核と膣内をこれでもかと甚振られ、元妻は狂ったように逝き乱れていました。
その後、その体勢のまま男の巨大な陰茎に貫かれ、ガン突きされて白目を剥いて気絶していました。
その元妻の気絶した顔に容赦なく精液をふりかけて、私が愛した美しい顔を汚していました。

元妻と再会したのは3年前、娘が彼氏を連れてきたので、結婚すると言い出したら母親である元妻にもお知らせ啼ければと思い、元妻の実家に連絡して居所を掴んだのです。
そうしたら、何とも身近な場所で「メランコリー」という小さなスナックをやっていました。
17年ぶりの再会に、元妻は驚いていました。
「相変わらず美人だな・・・」
「47歳のおばちゃんよ。何言ってるんだか・・・」
「元気そうだな。」
「まあね・・・あなた、再婚したの?」
「いや、何院かと付き合ったが、やっぱり結婚はもうこりごりだ。」
「あの子は?23歳でしょ。」
「ああ、短大出て就職して3年目だ。先日、彼氏、連れてきたよ。」
「まあ・・・結婚、するのかしら。」
「どうかな・・・」
この日は、2時間ほど飲んで帰りました。

次に元妻の店「メランコリー」を訪ねたのは3か月後でした。
「あら、また来て下さったのね。」
「ああ。」
「どうしたの?元気ないわね。」
「まあ、ちょっとね。彼女と、別れたんだ・・・」
「そう・・・」
「21歳も年下だったから仕方がないさ・・・」
「まあ・・・何年お付き合いしたの?」
「4年・・・彼女、お見合いしたんだ。まあ、俺が勧めたんだが・・・でもやっぱり、いなくなると寂しいもんだよ。」
この日は、店が終わるまでいました。

この日以来、月に1度のペースで寄るようになり、
「あなた、ボトルお入れになった方が割安よ。」
とすすめられてボトルをキープしました。
そして、娘が結婚することになった日もその報告に訪れ、
「そう・・・私はどの面下げてだから、行かないしお祝いも遠慮するわ・・・」
そして一昨年、24歳で娘が嫁いだ夜、元妻の店で飲んで、元妻のアパートに初めて泊まりました。
元妻の裸を18年ぶりに見て、ふと思い出したのがあのAVでした。
「お前、男は?」
「そうね、30代の頃はそれなりにいたけど、40代になってからは面倒になっちゃって・・・それに・・・」
「それに?」
「あのね、私、一度だけAVに出たのよ・・・しつこくスカウトされて、出演料40万円まで出すって言われて・・・自棄になってたこともあったし・・・」
「過激なやつだったのか?」
知らないふりで訊いてみました。
「ナンパされてホテルでエッチしちゃうストーリーだった。途中で縛られて、凄く恥ずかしい格好でエッチなこといっぱいされたわ。でも、編集で半分くらいになってた。」
「そうか・・・色々あったんだな・・・」
「そうね・・・色々あったけど、男の人と触れ合うのはかなり久しぶりだから、恥ずかしいなあ・・・」
「恥ずかしいって、元夫婦だぞ。」
「もう、18年も前よ、あなたに抱かれてたのは・・・」
元妻の淫裂からは、ドドメ色の陰唇がはみ出ていました。
18年の間に、何本の陰茎がこの陰裂を割り開いて陰唇をはためかせたのだろうと、シゲシゲと眺めていました。
「そんなにじっと見つめないでよ。恥ずかしいじゃない。」
その言葉が終わらないうちに、指で陰裂をグワッと広げてポッカリ開いた膣穴を覗き込みました。
「もう、やだぁ・・・」
「濡れてるぞ・・・」
「恥ずかしくても濡れるのよ・・・」
ペロリと舐めて、愛液の味を確かめた後、陰核に唇を寄せて吸い上げ、舌先で弾くように舐めました。
「んああ・・・ああーーーーっ!こ、こんなの、久しぶりぃ・・・」
かなり激しく感じていました。

ゼイゼイするほど感じた元妻は、私の陰茎を摘まんで、陰嚢を口に含んで睾丸を転がし、陰茎の根元から先端へと舌を這わせて、亀頭をパクリと咥えました。
そして、ジュルルと唾をまぶすように舐めた元妻のフェラは、明らかに私以外の男に仕込まれたものでした。
私の陰茎を咥える元妻の横顔は、女優のように美しく、もう一度一緒に暮らしたいと思わせるほどでした。

「私まだ生理あるから、中には出さないでね。」
というと、私の陰茎を摘まんだまま私に馬乗りになり、膣内に深々と陰茎を呑み込みました。
ゆっくりと腰をグラインドさせて味わうと、今度は前後にクイクイと腰を動かし、
「ああ、ああ、久しぶり・・・あああん・・・」
その虚ろな表情は、とても48歳には思えないほど若々しく綺麗でした。
元妻を抱き寄せ、身体を入れ替え正常位になり、元妻の膝をM字に抱え上げて結合部を丸見えにして、陰茎の出し入れを観察しました。
娘の担任だった若い女教師の熟れはじめた陰部、PTAの人妻の塾れきった陰部、バイト女子大生のまだウブな陰部・・・デジカメで残るそれらのどの陰部よりも、今、自分の陰茎が出入りしている元妻の陰部が一番に思えました。
射精直前で抜いて、迸る精液を元妻の胸に振り撒きました。
「あなた・・・セックスって、やっぱりいいわねぇ・・・・」
「これからも時々寄っていいかな?」
「そうね・・・あなたにだったら、定期的に抱かれてもいいかもね・・・」
余韻を楽しむ元妻を見て、そう言えば娘も今が新婚初夜、今頃は余韻に浸ってる頃かな・・・と少し切ない思いがよぎりました。

娘が嫁いだこの日から、月に3~4回、、元妻の店を訪れ、店が終わった後は元妻を抱くようになりました。
昨年、元妻が50歳で閉経し、今は元妻の膣内に元夫の精液を流し込んでいます。
元妻と男女の関係が復活してもうすぐ2年になりますが、私達に復縁の予定はありません。
娘も、私と元妻が会って身体を重ねていることは知りません。
私は、元妻と一緒に暮らせたらどんなに幸せだろうと考えたこともありますが、元妻は、私と一緒に暮らすことは無理だと言いました。
「あなたを裏切って、浮気相手の子供を妊娠した女よ。そして、その小さな命を堕胎した女よ。あなたと暮らすのは、私の方が耐えられないわ・・・こうして、時々身体を合わせるだけでいい。離れて暮らしていた方が、程よくあなたを感じられるから・・・」
きっと、いつか、何らかの形で再び元妻とのお別れがやってくるでしょう。
それまでは、元夫婦として育んでいた愛の残り火を燃やしていきたいと思います。
12
削除依頼
2021/01/28 22:58:55 (bH89ZZly)
コロナ禍の前、親戚の法事で妻と上京した時です。
前から興味があった鏡張りのラブホに行ってみました。
新宿のホテルに泊まって翌日、ネットで見た東新宿のラブホに向かいました。ラブホ街でしたが、マンションもあって午前中
でもあり普通の人も歩いていて、私達50代の熟年も抵抗なく
入れました。平日の午前中なのに2部屋しか空いていませんでしたが入った部屋はベットの前後と側面も鏡張りで特に、両サイドは
壁一面が鏡で初めての経験でした。
初めは妻が恥ずかしいというので照明を落としていましたが、途中から一番明るくして、熟年の交尾の痴態を楽しみました。
鏡を見てよかったのは、ベットの上で仁王立ちになってのフェラとバックで責めている時にいつもより大声をあげている妻の
アヘ顔を見れた事です。一番興奮したのは2人とも四つん這いになって舐め合った時で、尻を上げた私の陰部と金玉を口で愛撫する
様子は獣の様でした。
ホテルを出る時に若いカップルに顔を見られ恥ずかしい思いをしたのは想定外でしたが、いい経験でした。帰ってからあの刺激が
忘れられずホームセンターでスタンドミラーを買って楽しんでいます。皆さんは鏡張りで楽しんでいますか。

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2025/08/21 22:44:30 (mGP5Jtua)
「あなた・・・来てくれたの・・・」
「ああ・・・世話になったからな・・・」
元義父、元妻の父の告別式で、離婚してから15年ぶりの夫婦の再会でした。
若くして結婚した私達でしたが、5年過ぎても子宝に恵まれず、病院で検査しました。
原因は妻にあり、元妻の両親から離婚を申しだされた。
「娘と添い遂げれば、子供は望めん。君は、他の女性と子孫を残しなさい。」
元妻を愛していましたが、
「あなたとこれ以上一緒に居るのが辛い・・・」
と元妻も離婚を望んだのです。
私30歳、元妻27歳、心が引き裂かれた離婚でした。

「あなた、再婚、なさったんでしょう?」
「ああ。子供も二人産まれたよ。」
「そう・・・良かった。別れた甲斐があったわ。」
「そういう言い方、するなよ・・・じゃあ、俺はこれで・・・」
「お元気で、さようなら。」
「さようなら・・・」

帰宅したら、妻が駆け寄ってきました。
「元妻さん、元気だった?」
「ああ。俺が再婚して子宝に恵まれたことを喜んでたよ。」
「私、元妻さんにはずっと負い目を感じてるの。あなたに抱かれて、子供を産んで、元妻さんがしたかったこと、全部私がしてるんだもの。」
「俺は、8歳も若い嫁さんをもらって、こんな幸せをくれた元嫁に感謝してるよ。」
そう言ったら、礼服を脱いで下着姿の私のパンツに手を忍ばせ、陰茎を握ってきました。
「おいおい、まだ明るいぞ。」
「平日、まだ子供達が帰って来ないんだから、いいでしょ?」
告別式に出るために休暇を取ったから、折角だから子供たちがいないうちに思い切りしたかったようでした。
もう、妻は予めその気だったようで、
「お風呂、湧いてるから・・・」
そそくさと股間を清め、寝室に入りました。

再婚して13年、まだ37歳の妻の女体は瑞々しさを失っていません。
弾力のある乳房を揉み、まだ黒ずんでいない陰唇をめくり、ピンクの膣口を舐め、陰核を吸いました。
「あああ・・・ああん・・・」
可愛い声で喘ぐ妻、溢れる愛液、妻は、クンニする私の頭を持って早く入れての催促をし始めました。
クンニを止めると、妻は膝を自分の手で押し開き、濡れた膣口を晒して私を待ちました。
その姿はとても淫らで、夫にしかできないはしたなさが滲みました。
ゆっくり挿入して、結合を楽しみますが、妻は我慢できずに腰を揺さぶってきました。
「ああん、ああん、もっと、もっとちょうだい・・・」
妻は快感を欲しがって、腰を打ち付けてきました。
大きく腰をグラインドさせ、妻を喘がせました。
そして、妻の乳房めがけて射精しました。
まだ外は明るいのに、私達は淫らな時を過ごしました。

あれは再婚して16年、妻が40歳の時でした。
「あなた・・・ごめんなさい・・・」
「どうした?神妙な面持ちで・・・」
「私、妊娠しちゃった・・・」
「は?」
妻は、子供が中2と小6になり手がかからなくなって、パートに出始めていましたが、そのパート先で若い男とデキていたようでした。
当時48歳の私との夫婦の営みは、週に1回程度になっていました。
40歳の妻は、欲求不満だったようでした。
「言い訳はしません。私、家を出ます。夫婦の財産は要りません。慰謝料としてください。」
「ちょっと待て。これからどうするんだ?」
「私を望んでくれる彼と暮らします。」

子供たちに説明すると、涙を流しながら妻を責めました。
「ごめんね。ママ、パパよりも好きな人が出来ちゃったの。さようなら。」
わざと悪い母親を演じて、子供たちに母親を断ち切らせるように出て行きました。
でも、妻の目にも涙が浮かんでいるのを感じました。
そして妻は、浮気相手だった10歳年下の冴えない草食系の青年と暮らし始めました。

現在私は55歳、上の子は大学3年生、下の子は大学1年生で二人とも東京にいます。
そして、6年前に再婚した、いや、復縁した元妻、最初の妻と暮らしています。
二度目の離婚後、前妻が元妻へ連絡したようで、私を訪ねてきました。
「あなた・・・離婚なさったって・・・」
「ああ、浮気妊娠されちまったよ。お前、どうしてそれを?」
「奥さんから、あなたと暮らして欲しいって言われて・・・」
「なんだと?・・・あいつ・・・」

私は前妻と連絡を取ろうとしましたが、消息不明でした。
パート先を訪ねましたが、当然辞めていて、頑なに私に会わせなかった浮気相手は、そもそもパート先に存在しませんでした。
行方をくらました前妻・・・本当に浮気して妊娠したのかさえ、謎のままでした。
実家には離婚したことさえ黙っていた前妻を1年近く探しましたが見つからず、子供たちの了解を得て、止むを得ず元妻と復縁しました。

昨年、上の子が成人した時、東京で上の子が住んでいるアパートに前妻が訪ねて来て、成人のお祝いを渡されたそうです。
どこにいるのか、誰と暮らしているのか、一切打ち明けなかったけれど、私と夫婦だった頃とは違う指輪をしていたと子供が言っていました。
来年、下の子が成人するから、もしかしたら前妻が訪ねてくるかもしれません。
だから私は下の子に、
「もし、お母さんが訪ねてきたら、お父さんは、最初の奥さんと結婚して幸せに暮らしていると伝えて欲しい。わかったな。」
と言ってあります。

6年前、元妻と19年ぶりに身体を合わせました。
私49歳、元妻47歳、すっかり中年になった二人でしたが、裸で抱き合うと、昔の愛が深く蘇りました。
「まさかあなたと・・・こんな日が来るなんて・・・」
中年になって再び愛し合う二人は、離れていた時間を惜しむように交わり続けました。
「ああ、あなた・・・私、19年間誰にも抱かれていないのよ・・・最後に抱かれたのはあなた・・・別れても、私にとって心の夫はあなただけ。別れても、あなたに操を立てて暮らしてた・・・」
私は、その言葉を聞いて、こんな幸せをくれた前妻に感謝していました。
そして、前妻がどうか幸せでいて欲しいと心から願いながら、不妊の子宮に愛情たっぷりの精液を解き放ちました。
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2022/10/29 14:32:57 (VOWRO2WX)
あの人が乗っていた車はカローラレビン、私はトヨタカローラに勤めていて、店員とお客で出会いました。
昭和から平成にかけてのいわゆるバブルの頃で、私は、顧客だったあの人にドライブに誘われ、あの人の華麗なシフト操作とクラッチワークに惹かれました。
そして、あの人に誘われるままホテルへ入り、今度はあの人の優しい愛撫に蕩けました。
セックスは、短大時代に大学生だった元彼と経験していましたが、あの人の優しくも的確に性感帯を捉えた愛撫と、なにより、元彼はしなかったクンニリングスに気を遣ってしまいました。
嫁入り前の乙女が男性に大股を開いて、恥ずかしい女の割れ目を広げられ、舐められる・・・その羞恥は快感を伴って私を新しい世界に導きました。

あの人のものを口に含み、そして、直接生で貫かれ、心から愛しさを感じながら、子宮を撫でられました。
惚れた男性の生殖器を自分の生殖器で受け入れる・・・動物のメスとして至上の歓びで、その遺伝子を体中に浴びて、いつかは子宮に欲しいと心から願ったのです。
あの人に、身も心も捧げたい、その思いは激しくなり、そして私はあの人と会うたびに激しく交わるようになりました。
あの人は、カローラレビンからセリカに乗り換え、納車の日、
「この助手席は、君のものだよ。一緒に人生を歩もう。」
と言ってくれました。

あの人は、若い頃のご両親を事故で亡くしていて、その時の賠償金で大学まで卒業しました。
それでも残ったお金を資産運用していて、お仕事の収入のほかに、幾ばくかの収入があり、
「経済的に苦労は掛けないよ。いつか、子供が出来たら家庭に入って欲しい。」
と言われ、私はプロポーズを受けました。

あの人と結婚して、毎晩抱かれました。
あんなにアソコで男性を受け入れたいと思ったことはかつてなくて、あの人に抱かれるために私は生きていると思っていました。
結婚して、本来は生殖行為であるセックスだけれども、妻として愛する夫と身体を交えたいと思うのは、人間だけが有するの性だなあと思いました。
セックスによって、夫婦の愛情や信頼を深めていきたいと思えばこそ、女として恥ずかしい格好も厭わずできる、というより、女として恥ずかしい淫らな姿を夫に見て欲しいとさえ思いました。
毎日、恥ずかしい行為のセックスが生活の一部になっているのが結婚生活だと感じていました。

初めての結婚記念日に、
「夫婦水入らずも一年過ぎた、そろそろ、子供を作ろうか・・・」
と言われ、セックスの本来の目的である生殖行為をしました。
夫の生殖器が私の生殖器の奥に差し込まれ、強烈な快感の中、子宮の中にあの人の遺伝子が注がれました。
来る日も来る日も、あの人の遺伝子を子宮に受け、気を失うほどの快楽の中、夫婦を感じていました。
元々、種の保存のためにセックスには快感が伴うようになっているんだなあと思いました。
だから、お布団の中で愛のコミュニケーションの名のもとに、お互いの生殖器をこすり合わせて、快感のやり取りをするのが人間のセックスで、繁殖行為の方がする機会が少ないんだと感じながら抱かれました。

そして長女を出産、2年後、次女を出産し、家族4人で仲良く暮らしました。
その頃、実家の弟も結婚し、奥さんである義妹が妊娠し、弟が実家を建て替えることになりました。
亡くなった祖父母と住んでた私たちが生まれ育った家は、ある私鉄の田舎駅のそばにあって、その家の道を挟んだ北側の畑だった土地に、弟が二世帯住宅を建てるというのです。
祖父母と住んでた実家は、その後取り壊すというのでがっかりしていたら、あの人が建物を買い取り、リフォームして住もうと言ってくれました。
祖父母と住んでた家の土地は、菜園を含むと1,000平米あって、リフォームと共にガレージもできました。
そしてあの人は、土地は父名義なので、借地権を設定して月10万円を借地料として支払ってくれました。
添えは、弟のローンの一部に充てられ、弟はあの人にとても感謝していました。

私は当時、5ドアのカローラFXに載っていましたが、家族で遠出するときは排気量に余裕があるセリカで旅行しました。
クーペですが子供が小さいうちはセリカの後部座席で十分で、後ろにドアがない分安全が保てました。
あの人と子供たちと、家族の思い出が増えていきましたが、下の子も小学生になると、セリカの後部座席だと長女がきつくなってきたので、あの人はセリカからセダンに乗り換えました。
これが騒動を引き起こしました。
あの人は、セリカからスポーツセダンのアルテッツアに乗り換えたのですが、アルテッツアはトヨタカローラ店の扱いではなくて、店長が私の父に、
「長い付き合いなのに、娘さんも働いてたのに、他店から新車を買うなんて、そりゃあ無いでしょう。」
と泣きついたことで、あの人は私の父から嫌味を言われるようになってしまいました。

あの人は私の父を避けるようになり、娘たちも私の父の理不尽さに嫌うようになり、ある日、
「いいか、付き合いは義理なんだ。義理を欠くようなことをするんじゃない。」
とあの人が私の父から言われ、あの人は、
「欲しい車がない店から、何を買えというんですか。自分のお金で、欲しい車を買って何が悪いんですか。」
と言い返したら、私の父は何を勘違いしたのか、
「貴様!前の家を安く譲ってやって、土地まで貸して住まわせてやってるのに、生意気言うな!」
この一言が、あの人の逆鱗に触れました。

あの人の行動は早く、翌日には不動産屋を巡って、アルテッツアとカローラの2台が駐車できるスペースがあるアパートを探し、その2週間後には物件を決めて、そのまた2週間後にリフォームした家を出ました。
そして、せっかくリフォームした家を取り壊し、借地権を外して、借地料の振り込みを止めてしまいました。
私の生まれ育った家は、あっという間に無くなってしまいました。
これには弟家族が悲鳴を上げ、義妹がパートに出たり、生まれ育った家が建っていた土地を売ったりして、何とか食いつないでいました。
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