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※夫婦の営み事情、SEX、性生活について報告してください

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2022/10/29 14:32:57 (VOWRO2WX)
あの人が乗っていた車はカローラレビン、私はトヨタカローラに勤めていて、店員とお客で出会いました。
昭和から平成にかけてのいわゆるバブルの頃で、私は、顧客だったあの人にドライブに誘われ、あの人の華麗なシフト操作とクラッチワークに惹かれました。
そして、あの人に誘われるままホテルへ入り、今度はあの人の優しい愛撫に蕩けました。
セックスは、短大時代に大学生だった元彼と経験していましたが、あの人の優しくも的確に性感帯を捉えた愛撫と、なにより、元彼はしなかったクンニリングスに気を遣ってしまいました。
嫁入り前の乙女が男性に大股を開いて、恥ずかしい女の割れ目を広げられ、舐められる・・・その羞恥は快感を伴って私を新しい世界に導きました。

あの人のものを口に含み、そして、直接生で貫かれ、心から愛しさを感じながら、子宮を撫でられました。
惚れた男性の生殖器を自分の生殖器で受け入れる・・・動物のメスとして至上の歓びで、その遺伝子を体中に浴びて、いつかは子宮に欲しいと心から願ったのです。
あの人に、身も心も捧げたい、その思いは激しくなり、そして私はあの人と会うたびに激しく交わるようになりました。
あの人は、カローラレビンからセリカに乗り換え、納車の日、
「この助手席は、君のものだよ。一緒に人生を歩もう。」
と言ってくれました。

あの人は、若い頃のご両親を事故で亡くしていて、その時の賠償金で大学まで卒業しました。
それでも残ったお金を資産運用していて、お仕事の収入のほかに、幾ばくかの収入があり、
「経済的に苦労は掛けないよ。いつか、子供が出来たら家庭に入って欲しい。」
と言われ、私はプロポーズを受けました。

あの人と結婚して、毎晩抱かれました。
あんなにアソコで男性を受け入れたいと思ったことはかつてなくて、あの人に抱かれるために私は生きていると思っていました。
結婚して、本来は生殖行為であるセックスだけれども、妻として愛する夫と身体を交えたいと思うのは、人間だけが有するの性だなあと思いました。
セックスによって、夫婦の愛情や信頼を深めていきたいと思えばこそ、女として恥ずかしい格好も厭わずできる、というより、女として恥ずかしい淫らな姿を夫に見て欲しいとさえ思いました。
毎日、恥ずかしい行為のセックスが生活の一部になっているのが結婚生活だと感じていました。

初めての結婚記念日に、
「夫婦水入らずも一年過ぎた、そろそろ、子供を作ろうか・・・」
と言われ、セックスの本来の目的である生殖行為をしました。
夫の生殖器が私の生殖器の奥に差し込まれ、強烈な快感の中、子宮の中にあの人の遺伝子が注がれました。
来る日も来る日も、あの人の遺伝子を子宮に受け、気を失うほどの快楽の中、夫婦を感じていました。
元々、種の保存のためにセックスには快感が伴うようになっているんだなあと思いました。
だから、お布団の中で愛のコミュニケーションの名のもとに、お互いの生殖器をこすり合わせて、快感のやり取りをするのが人間のセックスで、繁殖行為の方がする機会が少ないんだと感じながら抱かれました。

そして長女を出産、2年後、次女を出産し、家族4人で仲良く暮らしました。
その頃、実家の弟も結婚し、奥さんである義妹が妊娠し、弟が実家を建て替えることになりました。
亡くなった祖父母と住んでた私たちが生まれ育った家は、ある私鉄の田舎駅のそばにあって、その家の道を挟んだ北側の畑だった土地に、弟が二世帯住宅を建てるというのです。
祖父母と住んでた実家は、その後取り壊すというのでがっかりしていたら、あの人が建物を買い取り、リフォームして住もうと言ってくれました。
祖父母と住んでた家の土地は、菜園を含むと1,000平米あって、リフォームと共にガレージもできました。
そしてあの人は、土地は父名義なので、借地権を設定して月10万円を借地料として支払ってくれました。
添えは、弟のローンの一部に充てられ、弟はあの人にとても感謝していました。

私は当時、5ドアのカローラFXに載っていましたが、家族で遠出するときは排気量に余裕があるセリカで旅行しました。
クーペですが子供が小さいうちはセリカの後部座席で十分で、後ろにドアがない分安全が保てました。
あの人と子供たちと、家族の思い出が増えていきましたが、下の子も小学生になると、セリカの後部座席だと長女がきつくなってきたので、あの人はセリカからセダンに乗り換えました。
これが騒動を引き起こしました。
あの人は、セリカからスポーツセダンのアルテッツアに乗り換えたのですが、アルテッツアはトヨタカローラ店の扱いではなくて、店長が私の父に、
「長い付き合いなのに、娘さんも働いてたのに、他店から新車を買うなんて、そりゃあ無いでしょう。」
と泣きついたことで、あの人は私の父から嫌味を言われるようになってしまいました。

あの人は私の父を避けるようになり、娘たちも私の父の理不尽さに嫌うようになり、ある日、
「いいか、付き合いは義理なんだ。義理を欠くようなことをするんじゃない。」
とあの人が私の父から言われ、あの人は、
「欲しい車がない店から、何を買えというんですか。自分のお金で、欲しい車を買って何が悪いんですか。」
と言い返したら、私の父は何を勘違いしたのか、
「貴様!前の家を安く譲ってやって、土地まで貸して住まわせてやってるのに、生意気言うな!」
この一言が、あの人の逆鱗に触れました。

あの人の行動は早く、翌日には不動産屋を巡って、アルテッツアとカローラの2台が駐車できるスペースがあるアパートを探し、その2週間後には物件を決めて、そのまた2週間後にリフォームした家を出ました。
そして、せっかくリフォームした家を取り壊し、借地権を外して、借地料の振り込みを止めてしまいました。
私の生まれ育った家は、あっという間に無くなってしまいました。
これには弟家族が悲鳴を上げ、義妹がパートに出たり、生まれ育った家が建っていた土地を売ったりして、何とか食いつないでいました。
11
2025/04/17 19:59:51 (mJ2cR5ZZ)
先週の土曜日、ショッピングモールで25年前に別れた元夫を見かけた。
社内恋愛で26歳同士で結婚、でも、訳あって29歳で離婚したから、社内ではたまに見かけたけど、社外で見かけたのは初めてだった。
私と元夫は同期入社なだけでなく、大学も同じだった。
私は経済学部、元夫は工学部だったから、在学中は存在を知らなかったが、入社後に、
「経済学部のミポリンが同期入社なんて驚いたな。あ、俺、工学部にいたんだ。」
私は、中山美穂に似てて、経済学部のミポリンと言われ、モテモテだった。

実は、高校時代に中山美穂に似てると言われ、2年生の時にバイト先で知り合ったイケメン大学生で処女喪失した。
その後は、大学では、4年生で一番イケメンを狙い、卒業で別れて、毎年彼氏が変わっていた。
彼氏だけでなく、バイト先の役員のオジサマに抱かれて、中年男性のねちっこいセックスも経験した。
とにかく、大学時代に色んな男を味わってみたかった。
卒業すればおサラバとばかりに、男たちに大股を開き、破廉恥な行為を愉しんだ。
お互いの体液にまみれ、淫らな快楽を愉しんだ。

そして、就職先で元夫と出会い、結婚した。
元夫は技術者だったけど、私は結婚後、あるプロジェクトに参加していた。
離婚になったのは、子供を持つか持たないかで、子供が欲しかった元夫と、仕事優先で子供はまだ早いと思った私で意見が食い違った。
私は、色々考えた末、今は子供が要らないんじゃなくて、仕事の邪魔だから子供そのものが要らなかったことに気付いた。
だから、子供を欲しがった元夫を解放するために別れた。

「そうか…俺、お前のことを愛してるけど、やっぱり子供は欲しいよ。でも、お前が仕事を辞めて子育てするには、確かに惜しい人材だとは思う。分かった。別れよう。」
「ごめんね。私もあなたのことは愛してる。でも、あなたが人生を共に歩くのは、私じゃない。」
こうして、25年前に円満離婚した。
その後、元夫は32歳で再婚、その時は、親友の結婚を祝う気分で「おめでとう」メールを送り、「ありがとう」と元夫から帰ってきた。
元夫が34歳でパパになったときは、「おめでとう。念願のパパだね。」とメールして、「ありがとう」と帰って来て、これが、元夫との最後のメールになった。

私は、仕事に生きて、独身のまま少しずつ出世してきた。
結婚するつもりはなかったけど、恋はした。
女性としては早い出世だったから、男性社員からは嫌われたけど、上層部の評判はよくて、部長や次長とお酒の席に行く機会もあって、その時、抱かれることもあった。
奥様よりずっと若い私をクンニし、熟練のテクで喘がせて、
「普段颯爽としてる君の痴態を見れるなんて、光栄だよ。」
なんて言われてた。

40代で課長になったときは、若い部下をカバン持ちにして出張し、ホテルの部屋で二次会に誘い、浴衣のちっらリズムで誘惑して、襲わせた。
それをネタに、暫くの間、若いツバメにしていた。
そうやって、熟れた身体で何人もの若い部下を食った。
中には、四十路の熟れた女体の虜になって、本気で言い寄ってくる部下もいた。

そんな中、54歳の今、私は女性で初の次長になっている。
因みに元夫は同じ54歳でもまだ課長代理だ。
別れて暫くは、社内で会うと会話もして、メールのやり取りもあったけど、元夫に子供ができたときのメールを最後に、会話さえしなくなっていた。
元夫を社内で見かけても、目で追うだけだった。
元夫は、私とは違う世界に生きていた。

先週の土曜日、元夫は、奥様と女子大生くらいの娘さんと3人で歩いていた。
どこに行くのか知らないけど、娘さんが元夫の腕にしがみついてはしゃいでたから、娘さんはパパっ娘のようだった。
元夫にはお似合いな、温かい家庭がそこにはあった。
私があそこに居たら、とても似合わないだろうと思った。
「幸せそうで、良かったね…」
そう言って、元夫を見送った。

そして、帰宅して一人のマンションに佇むと、強烈な孤独感に襲われた。
出世して、いい年収になって高層マンションに住んで、でも、いずれ私はひとりで朽ちていくんだと気付いた。
元夫は、家族に看取られて旅立つだろう。
私は、一人グラスを傾け、
「元夫が願う幸せを叶えるために、元夫を解放したんじゃない。願いが叶って良かったじゃない。私は、私の思う元夫の未来を確認したんだから、それでいいじゃない。」
そう言って、グラスを空けた。
12
2024/10/07 21:14:04 (Glng.42x)
元妻と別れたのは、もう、15年前になる。
俺30歳、元妻28歳、結婚4年だった。
離婚理由は、俺の精液に精子がなかったこと。
いくら中出ししても、子供ができなかったから、俺、病院に行ってみた。
俺が原因なら離婚、俺に原因がなかったら、黙ってると心に決めて、病院に向かった。
結果、俺は元妻との思い出の地を巡りながら、元妻の幸せを祈れる心を整えて、元妻に別れを切り出した。

「やっぱり、そうだったんだ…私、半年前、病院に行ったんだ。私に原因があったら離婚、私に原因がなかったら、黙ってるって決めて…」
それ聞いて、泣いた…
それ聞いて、だからこそ、元妻を開放して、幸せな人生を歩んで欲しいと思った。
元妻の荷物を実家に送り、俺たちは旅に出た。
いつか二人で行きたいねって言ってた、高級な温泉旅館に泊まってきた。

最後のクンニ、もう、見納めになる元妻のオマンコを凝視して、その佇まいを記憶に刻んだ。
優しく、丁寧に、30分くらい舐めた。
クリを転がし、元妻が息も絶え絶えになって、クリでイクまで舐めた。
口の周りが愛液でベトベトになっても、仰け反ってイキまくる元妻のオマンコを舐め続けた。
そして元妻の最後のフェラ、上目遣いで俺を見つめながら、舌を亀頭に絡めた。
向き合い、抱き合いながらキスして、そのまま正常位で交わった。
最後のオマンコ、最後のチンポ、お互い、夫婦最後のセックスを味わった。
元妻の中に、最後の精液を解き放った。

元妻の可愛いオマンコから、最後の精液が流れ出た。
子種がない白濁汁が、元妻のオマンコを彩っていた。
翌日、チェックアウトして旅館を出て、帰路に就いた。
途中、道の駅でランチして、ああ、これが元妻との最後の食事になるんだなと、しみじみと食事を楽しんだ。
そして、まるでデート終わりの恋人を送り届けるように、元妻の家の前に着いた。
車を降りる直前、元妻がキスしてきた。
最後のキス…潤んだ目で見つめた元妻が車を降りた。

「元気でな。子供、産めよ。幸せにな。さよなら。」
「あなたも元気でね。さよなら。」
手を振って見送る元妻をバックミラーに見ながら、元妻の家の前から走り去ったのが15年前。
その後、元妻の荷物だけが消えて、気配だけが残るアパートを出て、元妻との繋がりをできるだけ絶つ努力をした。
嫌いで別れたわけじゃないから、別れた後も友達で居たがった元妻だったが、俺なら、元夫が友達でいる女とは付き合えないし、妻じゃない元妻は要らなかった。
だから俺は、少しでも縁を絶つために、異動希望を出し、本社のある県庁所在地を去った。

俺は、県内だが、片田舎の営業所に転勤した。
のどかでいい町だった。
引き継いだ顧客と昵懇になり、バツイチの事情を話すと、32歳の時にある女性を紹介された。
その女性は、県庁所在地の大学へ進学して、某企業へ入社し、社内恋愛で毛婚して一男を儲けたが、夫の浮気で離婚、シングルマザーとなって実家へ戻ってきた女性だった。
「とてもいい人だし、奇麗な人なんだけど、君より8歳年上なんだよなあ。」
と言われたが、勧められたから会ってみた。

40歳で中1の息子さんがいたその女性は、かつて「だんご三兄弟」を歌った茂森あゆみ似で、奇麗というか、可愛らしい女性で、見た目40歳には見えなかった。
息子さんを交えて何度かデートした後、有休を取って平日に二人で会った。
置く敵はもちろんセックス、夫婦になる以上、いくら年の差があるとてセックスをないがしろにはできなかった。
茂森あゆみ似の可愛い美熟女は、いかにも片田舎のおばちゃんっぽい飾らないベージュの下着で、何とも微笑ましかった。
そしてその身体は少しばかりムチッとして、ちょっぴり贅肉が付いているのと、経産婦とわかる下腹部が妙に処置染みてて、独特のエロスを感じた。

オマンコは、結婚歴があるから仕方ないけど、マンビラはドドメ色になりつつあったが、小ぶりで、41歳にしては純情そうだった。
41歳と33歳のセックスは、子種が無いからいきなり中出し、それは素敵なセックスだった。
このセックスで、二人は再婚を決めた。
再婚5年で息子が大学進学で県庁所在地へ旅立ち、夫婦二人になった。
アパートを借りるため、息子と県庁所在地に行ったとき、8年ぶりに見た都会に元妻との思い出が蘇った。
元気だろうか、幸せだろうか、子供を産んだだろうか、いろいろ知りたいこともあったけど、縁を絶ったのだからと元妻の実家を訪ねるようなことはしなかった。

夫婦二人暮らしになり、40代後半になっていた今妻は、発情して毎晩営みを持った。
清純そうな茂森あゆみ似の今妻が、仰け反りながら少しムッチリした身体を喘がせれば、所帯じみた四十路の女体が震えた。
所帯じみた女の痴態は、セックスが特別なものじゃなく、日常にあるんだなあと思わせた。
息子は片田舎には戻らず、そのまま県庁所在地に就職した。
そして昨年、俺たちは転勤で県庁所在地に引っ越した。
息子に遺書に住むか尋ねたが、女でもいるのだろう、長年独り暮らししてきたから、独りで暮らすと言ってきたから、俺たちは、元妻の実家とは駅を挟んで反対側に中古物件を買った。

昨年、14年ぶりに元妻の実家の前を車で通った。
元妻が住んでるかは分からなかったが、懐かしかった。
最後の旅行の後、ここで元妻をおぉしたっけなあと、あの別れを思い出した。
こっちに戻って1年、元妻と別れて15年、時の流れを感じた。
中古で買った家で、毎晩今妻と淫らな遊びをしてる。
53歳の今妻のオマンコに、45歳の種無し精液を注いでる。
「この年になって、毎日セックスするなんて、思ってなかった…」
今妻は可愛い顔で微笑む。

先日、昔元妻と暮らしてたアパートがある辺りに仕事で出かけた。
仕事が終わり、社用車を昔よく行ってたコンビニに停め、買い物した。
レジに並ぶと、前の女性客のうなじと背中にかけてのラインに見覚えがあり、そっと横顔を覗くと、間違いなく元妻だった。
元妻も気が付き、目が合い、
「あっ!」
元妻は、コンビニの外で俺を待っていた。

数分間、話をした。
お互い再婚してて、元妻には小5の女の子がいた。
俺も血が繋がってない息子がいる話をして、お互いの幸せを確認した。
どうやら元妻は、このコンビニの近所に住んでるようで、
「私、やっぱりこの街が好きなの。時々、あなたの思い出が蘇るけど、この街には楽しい思い出がいっぱいあるし、お気に入りの店もたくさん…」
そう言って笑ってた。

「それじゃあ、元気でな。」
「あなたもね。」
お互い、この先どうかなろうという気はないし、今の幸せを壊す気もない。
好きな気持ちは消えてなかったけど、積極的に会ってはいけない気がして、お互いの住まいや連絡先は確認せず、別れた。
社用車に乗ってコンビニを後にする俺を、元妻が手を振って見送った。
バックミラーに映る元妻を見て、15年前の別れを思い出していた…
13
2025/07/23 13:04:04 (ALlEIM3v)
現在34歳、子どものいない夫婦です。
妻との夜の生活について悩んでおり、似たようなご経験をお持ちの方がいればアドバイスをいただきたいです。

結婚して数年経ちますが、妻は性欲がほとんどなく、自分から誘ってくることはまずありません。これは付き合っていた当初からそうで、ある意味「今に始まったことではない」と理解しているつもりです。

妻には子宮に関する持病があり、挿入行為は不可。そのため、現在は週に一度ほど、乳首舐めと手コキで抜いてもらうスタイルを続けています。妻自身は、電マでイくことができるタイプですが、体調によってはそれも厳しい日があります。

私としては、最低限の夜の関係があることに感謝はしています。妻も義務感ではなく、ある程度は応えようという姿勢を見せてくれます。しかしながら、性に対する興味・積極性がほとんど見られず、寂しさや物足りなさを感じてしまうのです。

私は、毎回マッサージをしてリラックスさせてから電マを使っています。その流れで妻は大体イキますが、中に触れることやより深いスキンシップには制限がある状況です。

もちろん、病気のことは理解していますし、挿入ができないことに不満をぶつけるつもりはありません。
それでも、「性」というものをもっと2人で共有し、楽しめるような関係を築けたらと願っています。
14
削除依頼
2025/07/19 00:17:53 (EtbBir/d)
結婚7年目の夫婦です。
数年前から夫婦の営みを動画撮影しては妻れいかに内緒で投稿していました。
そんな投稿を妻にバレてしてました、サイトを開いたまま酔って寝てしまいました。
運悪くそのサイトを見られたのです、れいかも自分に似てると思ったそうで家具や置物のなどで確信したそうです。
朝起きるとれいかが不機嫌な顔で僕を問い詰めました。
動画を見ながらこれここよねとかこの置物も同じだよねと言われ観念して認めました。
どう言う事、説明してと言われ全てを話しました。
れいかの恥ずかしい姿を見られるとペニスが痛いほど起つんだ。
あなたそれって変態?
いや違うよ性癖なんだ。
性癖❓意味わかんない。
愛する人の恥ずかしい姿や見せてはいけないとこを見られると激しく興奮するんだ。
でも妻には理解してもらえませんでした。
でもそれから少しずつ妻を僕の性癖へ引き込んで行ったのです。
投稿も嫌々ながら承諾してくれました、絶対身バレしない条件です。
妻もレスを見ながら内心悪くないと思っていました。
綺麗な奥さんですね、一度貸して下さいやら妻の誉め言葉が並んでいたからです。
一番熱心なハンネ、スパイクさんでした投稿最初から妻がお気に入りのようでした。
僕は彼スパイクさんと妻に内緒でコンタクトを取ってみました。
意外と近い場所に住まわれ僕は思い切って合ってみました。
想像より若くこんなサイトを見る男性には見えませんでした。
言葉遣いも丁寧で敬語を使ってくれました。
この青年なら信用出来ると思い彼としばらく連絡を取り合っていました。
その間れいかも僕の性癖を少しずつですが理解してくれました。
僕の思いはれいかを他人に抱かせる事でした。
でもその答えはいつもNОでした。
そんなれいかが一年もするとセックスは出来ないけど人前でならOKを出してくれたのです。
驚きで興奮が収まりませんでした。
僕はあのスパイクさんに動画撮影をお願いすることに決めました。
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