2025/03/08 14:32:24
(XPoP6Rwe)
私が離婚したのは35歳の時、リーマンショックの煽りで無職になり、財産を全て妻子に預けて実家へ返しました。
そして、身一つで妻と出会う前まで住んでた街に逃れました。
そこは、前の勤めs機があった地方都市で、県庁所在地なのでそこそこの規模があります。
当時、ちょっとお世話になってた修道院を頼りました。
あの頃、イケナイことではありましたが、四十路の純子シスターと逢瀬して、関係していました。
約10年ぶりの再会に、目を潤ませた純子シスターに招かれ、し暫くお世話になることになりました。
あの頃、下僕として修道院の掃除や雑用をしていた男性は高齢でここを去ったそうで、その男性が使ってた小屋裏部屋に住むことになりました。
純子シスターは五十路になっており、あの後、下僕男性を性奴隷にしていたそうで、私にその続きをしたいと言われ、下半身を脱ぐよう命ぜられ、拘束椅子にM字開脚で括られました。
何をされるのだろうと思ったら、アナルにアナルパールという直径2㎝弱の球体が連なったものを入れられました。
そして、尿道に直径5㎜歩かないかの金属棒をジワジワと刺されて、尿道とアナルをホジホジされました。
ある程度耐えられるようになると、アナルパールは直径が1インチ、2.54㎝のものに、尿道に入れられる金属棒は、尿道ビーズハードという直径が8㎜もあるビーズが連なった尿道ブジーをいれられました。
これは強烈で、アナルと尿道をズコズコされて、恥ずかしながら射精してしまいました。
「ふふふ・・・これでみんなを愉しませてあげられそうね。」
そう言うと、翌日、数名のシスターの見ている前で、アナルパールと尿道ブジーでアナルと尿道を責められ、ハアハアするみっともない姿を見られました。
性行為が禁じられている修道院で、性欲を紛らわす方法の一つのようでしたが、女性の前でアナルと尿道をズコズコされて喘ぐのは、かなりの屈辱でした。
あれほど、生き恥を晒したと感じたことはありませんでした。
しかも今度は簡単に射精させてもらえず、ギリギリのところで焦らされ、直径8ミリのボコボコした金属棒を尿道に抜き差しされながら、我慢汁を垂れ流してハアハアする姿を延々と晒しました。
アナルパールが純子シスター以外のシスターに委ねられ、純子シスターは尿道に専念、こうなるともう快感地獄に堕とされ、我慢汁だか何だかわからない透明な液体がタラタラタラタラ溢れさせ、恥辱の限りを晒しました。
尿道責めは技術がいるようで、専ら純子シスターのみでしたが、アナルパールは色んなシスターに抜き差しされ、
「これ、少し傾けると前立腺を苛められるんじゃない?」
と少し情報に傾けられて、前立腺をツーンと突かれ、ついに、透明な液体をドロリ、トロトロ・・・トロトロ・・・
「これって、トコロテンよね。変態~~」
と嘲笑されました。
そんな生活を10年続け、還暦を過ぎた純子シスターが修道院を去るとき、少ないけれど頂いた10年分のお手当を手に、私も一緒に修道院を出て、純子シスターの紹介である神父さんにお世話になることになりました。
神父さんは白人の外国人で、初日、神父さんのベッドで裸で愛撫され、尿道を責められました。
神父さんが持っていたのは、医療グレードのシリコン製の尿道プラグで、金属製と違い、弾力性があって馴染みました。
この尿道プラグの中央部は空洞になっていて、尿道プラグをさされたまま射精が可能でした。
挿入できる長さは7.5cm、凸凹した形状で直径は8~11.5mmあり、尿道口からゆっくりと挿入され、ジワジワと責められました。
男性に尿道を責められるのは不思議な気分で、尿道を責められながら、神父さんの巨根をフェラさせられました。
そして、もしやと思いましたが、案の定、神父さんの巨根でアナルを犯されました。
アナルパールよりも太いですが、血の通った生のペニスを入れられると、愛されている実感がありました。
尿道にプラグが刺さったまま、アナルを愛され、そして、神父さんと舌を絡める濃厚なキス、この日から、私は尿道に空洞の太いシリコンプラグを挿されながら、アナルを愛される毎日が続きました。
巨根でアナルを愛され、トロトロとトコロテンすると、延々と射精し続ける快感が続き、イキッぱなしになります。
そして、アナルに神父さんの子種が注がれ、神聖なる種付けの儀式を終えるのです。
こうして、修道院に10年、教会に5年いた私は、暇をもらい、昨年、50歳でこの乱れた生活に終止符を打ちました。
尿道もアナルもガバガバになった私は、別れた妻子の様子を見に行ってきました。
遠くから元妻の実家を眺めました。
元妻は洗濯物を干していて、でも、娘の姿は見られませんでした。
夜、元妻の実家まで行き、玄関に立つと、元妻と娘の名前しかありませんでした。
再婚はしてなくて、義父母は亡くなったんだと分かりました。
私は、15年のお手当で暫く暮らしながら、仕事を探し、遠くから元妻を見守って生きようと思いました。
仕事を見つけ、休日は遠くから元妻の実家を眺める日々、ある日、後ろから、
「あなた・・・」
振り返ると元妻でした。
「時々、ここから私の家を眺めてる人がいることに気付いたの。もしやと思って・・・」
「悪かったな。ストーカーまがいのことして。もう、来ないよ・・・」
「両親も亡くなって、娘は大学に進学して、私はひとりなのよ・・・学費は両親が残した財産で賄えるから大丈夫・・・」
私は、週末だけ元妻と過ごす日々を経て、娘の了解を得て、今年、16ンんぶりに復縁しました。
ガバガバになったアナルと尿道は時々疼きますが、久しぶりに女性との交わりに満足しています。
回り道をしたけれど、こうして、股妻を抱ける歓びを感じています。
妻をクンニして、この16年の間に、変色と変形が進んだことを感じたから、妻も誰かに抱かれていたのでしょう。
それは仕方がないこと、私以外のペニスで貫かれ、喘ぐことになったのも私のせいです。
妻が何本のペニスに喘いだかは知りませんが、変色具合からそれなりの回数抱かれていたのは分かります。
今、五十路になっても妻を抱けるのは、妻が誰かに抱かれた事実を噛み締めて、嫉妬して勃起が増すからだと思います。
私は、妻の元に戻り、残りの人生を過ごせる幸せを、噛み締めています。