2025/02/02 19:43:20
(8MaPkJot)
最初のお話しだけでお終いにするつもりでいたのですが、
嫁入り当初のお話を、といったリクエストに躊躇しつつも、当時の事を思い浮かべましたところ、
懐かしさも手伝って、再度お話をさせていただきます。
嫁入りと言いましても、結婚式を挙げる訳でもなく、お役所で籍を入れただけで妻となったのでした。
当日、我が家から夫となった男性宅へと、家を後にしたのでした。
当日、父親は仕事の都合で会社に行き家を空けていました。
が、父親が居なかったことが私にとっては幸いなことでした。
父親と言っても男性であることには違いありません。
とても父親に見せられる姿ではありませんでしたから、そこは救われた思いでした。
母親一人、見送る中での嫁入りでした。夫から言われてはいたものの、花嫁衣装は縄である。
と言い聞かされていました。母親は、それだけは許してあげて下さい。
無垢の娘が、それでは余りにも可哀想です。家を出て行く迄は普通の状態で連れて行って下さい。
母親の必死の頼みも虚しく、無慈悲にも母親の見ている前で縄を打たれた私なのでした。
「罪人ではあるまいに、、」と嘆き悲しんだ母親の言葉が、今でも耳に残っています。
まるで昨日のことの様に耳に襲ってきます。
あまりの無残さに、この娘をお嫁には出しません。このお話しは今日この場で無かった事にして下さい。
そう叫んだ母親でした。その言葉を制したのはこの私でした。
父の会社を倒産させてはならない。私達家族だけならまだしも、それなりの数の従業員がいる。
私が犠牲になっても、父と会社、そして従業員の家族を露頭に迷わせるわけには行かないと思ったのでした。
夫に言われるままに洋服を脱ぎました。母の涙の訴えで、下着だけは許して貰いました。
パンティ1枚の裸体となった私は、徐ろに両手を背中の上で組みました。
これも予め夫から言われていたことでしたので従ったまでのことです。
素肌にザラついた縄が容赦なく絡んで来ました。そしてあろうことか猿轡迄も嚙まされだのでした。
声を封じられといったことよりも、グッと頬に食い入る布の厳しさに打ちひしがれた私でした。
何よりも、そんな姿を母親に見せたこと、見せなければならないことに、意識が遠のいてゆくのでした。
「ドサッ」大きな衝撃を受けた母親が私よりも先に畳の上に倒れ込んでしまいました。
失神した母親をその場に置いて、私は夫に縄尻を取られ引き立てられて歩まされるのでした。
玄関先の止められてあった黒光のした車の後部座席に乗せられたのでした。
24年間住み慣れた我が家を後にしたのでした。もう二度と帰ってくることのない我が家。
母親の事が心配で車の中からガラス越しに家の方を振り返りながら泣きました。
後からあとから溢れ出してくる涙は噛まされていた猿轡に吸い取られて行きました。
これが私の嫁入りの状況でした。
24年前の雲ひとつない晴れ渡った美しい空の青さを今でも忘れることが出来ません。
投稿、こちらの文章に関しては読み返しをしていません。
誤字脱字等が有るかも知れませんが悪しからずご了承下さい。