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性的虐待体験 RSS icon
※幼少時に受けた体験談

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2024/11/27 00:10:23
私は子供のころにイタズラされたことがあります。
パンツを脱ぐように言われ、自分が何をされているかもあまりよくわかっていないうちにオマンコの写真を何枚も撮られたし、何も感じなかったけれど体の中にペンを挿し込まれてしまっていました。オマンコに入れられたままどうなっているかを見せられ、取り出された後にもう一度オマンコの写真を撮られたのを覚えてます。
そしてデジカメの写真を見せられて、
「ここに穴が開いちゃったのわかる?」
と言われて、自分の体でもオマンコを初めて見たのもその時でした。
「誰かにこのことを話すと、おなかの中から血がいっぱい出てきちゃうから内緒にしておこうね」
「言わなければ大丈夫だからね」
ということで、すっかり怖くなってしまった私は誰にも言えませんでした。
21
2024/11/12 05:03:10
母子家庭でしたが、母は何人かの男の人とお付き合いしていました。
その中の一人から私が小学校高学年の時に母が裸にされている画像をパソコンで見せられました。
私が一人の時に勝手にその画像を見たのを知られ、母に話すと脅かされて私も裸にされて画像を撮られました。
裸のままその男から母が野外調教やSMプレイをされてる画像を見せられ、母に使っていた色々ないやらしい道具や下着の実物も見せられました。
その人は女はみんな男からこんな風にいじめられるものなんだよと私を教育しようとしたみたいで、私も母のいやらしい下着を身に着けさせられ、その人の男のものを舐めさせられました。
22
削除依頼
2020/08/21 07:08:41
小学5年生の時に近所のおじさんに通学路にあるお寺の休憩所のような所でパンツを脱がされアソコを見られた事がありました。
おじさんは良い人で友達を含め皆んなを可愛がってくれていたので、特別な警戒心はなく言われるままにして以来徐々にエスカレートしていき学校帰りに一人で居ると偶然を装いおじさんと出会う事が度々あり、いつもお寺の休憩所でパンツを脱がされアソコを見られてましたが、そのうちアソコを舐められるようになりました。
今から考えれば小学生のアソコはオシッコ臭いだけなような気がしますが、そんな匂いが好きな人も居るのですね。
ただ初めてクリを舐められた時の全身に電気が走ったような衝撃は覚えています。
もう20年前の話ですが、その時の事を思い出しながらよくオナニーしてました。
23
2008/03/09 13:06:04
母親がパチンコで儲かると知らないおじさん二人を誘って自宅で母親はお酒
を飲みます
お酒に酔った頃に一人のおじさんと母親は別の部屋に行きました
母親に覗くんじゃないよと言われ私はもう人のおじさんとテレビを見てると
おじさんが膝の上においでと言うのでおじさんの膝の上でテレビを見たりお
酒のつまみを食べていると母親の変な声が聞こえた頃におじさんの手がスカ
ートの中に入って来ました

アソコの部分を暫く触られ私は座布団に寝かされるとスカートがお腹まで捲
くられショーツを脱がされると私の両足は大きく開かれアソコをおじさんの
指で開かれたり閉じたりして弄ばれた後におじさんはガラスのマドラーに唾
液をつけるとアソコの穴に出し入れされ痛くないかと聞かれわたしは痛く無
いよと言うと、可愛いねと言われマドラーが抜かれるとおじさんが舐めて着
ました私は何でおじさん達は汚い所を舐めるのかと思いながら天井を見つめ
ていました

舐めるのが終わるとおじさんがズボンとパンツを脱ぎ寝ると、私に大きくな
って物の上に跨いでしゃがむ様に言われおじさんの言う通りにするとおじさ
んは私の腰を両手で押さえ私を下に引き寄せると硬いおじさんの物がアソコ
にあたるとおじさんは腰を動かして硬い先端を何度も擦りつけました
隣の部屋の母親の声が段々と大きくなったころに私のアソコに暖かいのがぬ
るぬるして付きました
おじさんが寝るようにと言うので寝るとティッシュでアソコとおじさんは自
分で拭くとパンツとズボンを穿き終わると私にショーツを履かせておじさん
はお酒を飲みはじめました。

母親の所に行ってたおじさんが戻って来ると交代に私を悪戯したおじさんが
母親の居る部屋に行きました
おじさん同士の会話の中で今でも頭の中に残っているのが 子供のマンコ良
いぞ と言う言葉です
違うおじさんは私の前に立つとファスナーを下げると大きくなった物を出し
てしゃぶれと言われ私は目を閉じて太くて硬い物を口に含むとおじさんの両
手が私の頭を押さえおじさんの硬くて太い物が口の中で暫く動き口から硬い
ものが抜かれると私は寝かされスカートとショーツが脱がされお尻の下に座
布団を二つ折にしたのを入れられ両足を大きく開くとおじさんが重なってき
ました

おじさんの硬くて太い物が私の縦の溝に沿って何度も動き次第に早くなると
前のおじさん様に暖かいヌルヌルがお腹に飛びました。
おじさんもティッシュでヌルヌルを拭いてくれるとショーツとスカートを元
に戻してくれて私に千円を一枚スカートのホケット入れてお母さんには内緒
と言って帰っていきました

その後私は週に一度の感じで知らないおじさんに悪戯されおじさんの喜ぶ事
をじぶんからする様になっていったのです
パチンコ屋で遊んでいると顔見知りのおじさんが沢山出来て日によって違い
ましたがお金を貰うとおじさんとトイレに行くと手で出す時とか口の中で出
す時は金額が変わってました。

小学校の三年になった頃には快楽も覚えエッチな声が出る様に成るとおじさ
んも早く出しました
あるおじさんには 琴美ちゃんは上手だね 良いお嫁さんになれるよ 意味
も解らずおじさんの太くて硬い物を口の中に含みおじさんの玉をいじると口
の中に暖かい液を沢山出され飲み込む様になっていました

4年生の終わりの頃には私の事が評判になって私はパチンコ屋さんには行かな
くなりました
母親が自宅に知らないおじさんを連れて来て母親はパチンコ屋さんに戻った
日ですおじさんが私の手に一万円を握らせました初めて貰うお金でした 
おじさんに布団を敷くように言われ布団を敷いて私が寝るとおじさんが持っ
て来たカバンの中から色々な見たことも無いものが何個がだされおじさんは
私に両足首を掴む様に言われ両足首を掴むと細い紐で手と足首を縛られ今ま
でに無い恥かしい格好にされるとおじさんは暫くショーツの上から触るとシ
ョーツをはさみで切ってアソコが見える様にするとヌルヌルな液体をアソコ
に塗られ振動する物でアソコを刺激されると私は感じて喘ぎ声を無意識に出
していました

おじさんは全裸になると硬くて太いものを私の穴に押し付けて来たのです
何時もなら手で擦ってあげると割れ目に出して終わったのですがその日は両
手が縛られ大きく股を開かれおじさんの太くて硬いものが入って来ました
私は下半身が裂ける感じで痛がりましたが口にはガムテープ貼られ声がだせ
ません
おじさんが一気に入れて来ました私は痛さで気絶しました
私が気づくと布団に寝ていておじさんは居ませんでした、はさみで切られた
ショーツは血で汚れシーツも赤くなっていました

その後何度か知らないおじさんにお金を貰っては自動車の中やホテル・おじ
さんの家とかでおじさんの玩具にされ5年生の時にパチンコ屋に行った時です
私のズボンのポケットに千円を入れたおじさんが居たのでトイレに誘いおじ
さんの手をアソコに導いた時私は警察の人に捕まり母親は児童福祉法とかで
捕まり私は施設に預けられたのです

施設で半年した頃に男の先生が私の過去を知っていて私は先生が当直の日は
先生に呼ばれ先生に抱かれる様になりました
その先生は私以外に下は5才から中学生までの女子を部屋に呼んでは楽しんで
いましたが中学生の女の子が妊娠して先生は居なくなりました

18才で施設を出た私は精密機器の製造工場で働き今の夫と結ばれ現在は幸せ
の日々に包まれて生活してます
母親の行方も今となってはどうでもいいです・・当時の新聞で鬼畜の母親と
か娘に鬼の諸行と書かれた事も聞きました

長く書きましたけど・・私って現在の援助交際の先端をやってたみたい
24
2009/04/30 17:33:42
私が生まれて小学校の6年生まで居た漁師町での出来事です
小学校に入学するのまで私は魚の行商に行く父や母に付いて行ってました

父と母は朝は早くから魚を漁港で仕入れて、乳は当時の三輪車で出かけ母は
汽車に乗って仕事です。
私は三輪車も汽車も好きで毎日父と母と交代で付いて行き魚を売る手伝いを
子供ながらしてましたが、小学校に入ると夜まで私ひとりで父と母の帰るの
を待つのが日課になってました

小学校は私が3年生の時に給食が始まり土日は母の作ってくれたお弁当やおに
ぎりでお昼は過ごしてました
土日の晴れた日は漁港の防波堤に座りお弁当を食べるのが好きで船を見たり
して過ごして遊でました。

4年生の夏に漁港の近くの砂浜でパンツ一枚で水遊びをして、そのまま近く小
屋の日陰のところでお弁当を食べてると漁師のおじさんが冷たい麦茶が有る
と言って小屋の中で昼ごはんを食べる事から変な事が始まりました。

現在より40年も前の話です
当時は世間で子供を対象とした性犯罪とかは無い時代で、私の家にはテレビ
も無かった時代です
私はおじさんに誘われて小屋の中でパンツ一枚の姿で母の作ってくれたお昼
ご飯を食べて、おじさんが冷たい麦茶とスイカを出してくれて私は喜んでそ
の時を過ごしました。

そして・・
お昼も過ぎたころおじさんがパンツが海水で濡れてるから脱ぎなさいと言わ
れ私は普通に脱いで渡すと、おじさんは小屋の裏の井戸にパンツを持って私
を連れて行くと手押しポンプで井戸水をタライ桶に入れて私を持ち上げ入れ
て全身に井戸水を掛けて全身を洗いながら「女の子はションベンの出る所は
綺麗に洗わないとな」 私は何時も父や母に同じに洗ってもらっているので
普通にその場を過ごし、おじさんは私の全身を洗ってくれてパンツも洗うと
日向にパンツを干し全裸の私を小屋に入れると手ぬぐいで全身を拭いてくれ
て「お姉ちゃんは 何処の子供だ」 「私は ・・所の とよみ だよ」
「そうか 母ちゃん父ちゃんは働き者だからな」 「・・・」

おじさんは小屋の隅の茣蓙の上に手ぬぐいを数枚敷くと「とよみ ちゃん 
寝てみて」 私はおじさんに言われるままに茣蓙の上に寝ると
「父ちゃんと母ちゃんには 黙ってろ 良い事してやるから」
前の文でパンツと書きましたが当時はズロースと言って木綿で出来てて腿の
部分にゴムが入ってズロースを履くとおヘソまで隠れてパンツとは違い色気
の無い下着でした 又 当時は排便してもトイレットペーパーなど無く新聞
紙を小さく葉書くらいの大きさに切って排便をしてる間に新聞紙を柔らかく
揉みほぐし肛門を拭いたものです。
昔は学校で掃除の時間に女の子でスカートの子はズロースが丸見えでお尻の
部分とオシッコの出る部分はオシッコの染みとウンチの染みでが付いててそ
れが普通の光景でした

話が反れましたが薄暗い小屋の中に敷かれた茣蓙の上の手ぬぐいの上に仰向
けに寝るとおじさんが大きな飴玉を口に入れてくれて「飴玉 うまいだろ」
私は「ウン 私 大好きだよ」飴玉を口の中でコロコロ転がしてるとおじさ
んが私の両足を大きく開き手のひらで割れてる上の膨らみを撫でて次に割れ
目を開いたり閉じたりした後割れ目上部の突起を指でコリコリして「とよみ
どんな感じだ 気持ちいいだろ」「おじさん わからない ふつうだよ」

おじさんは私の下半身ではいつくばる格好になると割れ目を口で覆いそして
何かヌルヌルしたのを割れ目の中に入れて何度も割れ目に沿って動かされヌ
ルヌルしたのが時折生まれて初めて穴に何度も浅く出し入れされると次第に
割れ目全体が熱くなり、私は無意識にお尻を浮かしてました。
「とよみ 気持ちいいだろ 」私はおじさんの言葉に頷いていました。
おじさんは割れ目から口を離し膝立ちするとズボンとパンツを一緒に脱ぐと
父とは違った太くて上を向いた物が見えると、おじさんは私の下半身に両足
を開き座り私の両足がおじさんの腰を挟む感じになると私の両足を掴みおじ
さんの方に引き寄せられおじさんが太くなった物を割れ目に押し付けると何
度も割れ目に沿って動かしヌルヌルした感じが続き「とよみ 白いのが出る
よ 誰にも内緒だぞ いいな ウッウウー」おじさんの太くなった先端から
勢い良く胸の方まで何かが飛んで来ました。
当時は何もわからず胸に飛んだヌルヌルでネバネバしたのを私は手で触って
ると濡れた手ぬぐいでヌルヌルと割れ目を拭いてくれて小屋の外に干してあ
ったズロースも乾きおじさんはズロースを履かせてくれ「誰にも 言うなよ
明日は船に乗せて上げるから 遊びにおいで」
おじさんは私の手に10円を握らせ「お菓子でも 買いな」

当時は10円貰うと煎餅が5枚に大きな飴玉が2個買えた時代でした
次の日 漁港に行くとおじさんが船を出す支度をしてて「とよみ 良く来た
な早く船に乗りな」船が入り江を出て沖に出るとおじさんは忙しそうに海に
網を投げ込み網の目印のブイを海に落とし船を止め小さなイカリを投げ込み
「とよみ ションベンは大丈夫か」私は恥かしがる事なく「ションベンした
い」おじさんは私のワンピースの裾を捲くり私に持たせズロースを脱がすと
赤ちゃんをオシッコさせる様に私を抱き船の外にお尻を出すと「ションベン
しな」私は我慢してたので海にオシッコを捨てるとおじさんの両手の指先が
割れ目を開き「とよみ こうすると ションベンが 真っ直ぐ出るんだ」

ションベンが終わると船の中の部屋に連れて行かれ布団に寝かされ昨日と同
じ事が始まり私はおじさんに割れ目を舐められると昨日より変な感じが強く
なり無意識におじさんの頭に両手を置いて割れ目に引き寄せる仕種をしてま
した。
「とよみは良い子だ ま・こが濡れて来たぞ」おじさんの舌先が何度も穴に
出し入れされて割れ目上部の感じる部分を舌先が動くと腰が抜けた感じで頭
の中が真っ白になったころおじさんは昨日と同じに私に太くて硬い物を押し
付けこの日は私の両足を閉じて割れ目と両腿に太い物を挟む感じで下半身を
強く動かし「とよみは良い子だ 出るよ」おじさんは一端私から離れ両足を
大きく開き割れ目にを開き穴に先端をくっつけて自分で太い物を握り穴の中
に温かいのを入って来ました
おじさんが物が割れ目から離れると中から流れ出たヌルヌルがお尻の穴を濡
らし布団を濡らし白いヌルヌルと割れ目を手ぬぐいで拭いてくれてズロース
を履かしてくれて、おじさんは小さな部屋から出てイカリを上げ船のエンジ
ンを掛けて漁港に戻り船を降りる時に又10円をくれて「とよみ 誰にも言う
なよ 明日も来るんだよ」私は笑顔で頷き船を降りました

こんな事が何度も続く中でおじさんの太いのを握り手の中で出したり、口で
くわえて白いのを飲む様になったころ私は5年生の11才になってました
おじさんが徐々に入れて小さな穴も広がり先のくびれた部分まで入る様にな
ると何時も中で白いのが出され私も快楽を覚えた頃に近所の人が漁師の・・
と私が遊んでると父に言った事で私はおじさんと遊んだ日の夕方に母に連れ
られて病院に行きズロースを脱ぎ椅子の様な診察台に上がり両足を大きく開
かれお医者さん割れ目にヌルヌルしたのを塗りカモメのクチバシの様なのを
穴に入れ「お嬢ちゃん 少し痛いけど我慢してね」私は何をされるのかと見
てるとネジの様な物をお医者さんが回すと穴が徐々に広がって行くのがわか
りそしてヌルヌルが床に数滴落ちると「お母さん これは中に入れられて射
精されてますね 処女膜は大丈夫ですから 膣内洗浄をしておきましょう 
あ・・それとお嬢ちゃんは生理は有りますか」母は「未だです」

私は病院から1週間は通院して穴の中の洗浄をする様に言われお医者さんに現
在で言う性教育をされました
おじさんとの事が両親の耳に入ったのは同級生の女の子がズロースに血を付
けて帰宅したのが始まりで当時は娘が悪戯されたと世間の噂になると嫁に行
けないと言う風習から親は事を下隠しにしていたのです
父は行商に買う魚はおじさんから安く仕入れていたので私に今後はおじさん
に近づかない事を約束され。
私の家族は隣の町に引越しその後はおじさんの事も忘れ25才で結婚した時に
旦那がおじさんと同じ事をするものだと思い旦那の物が始めて奥まで入った
時に痛くて泣きました と その中でおじさんの方が上手と思いました

現在になるまで一度も旦那はアソコを舐めてくれません、ただ入れて精子を
出すと寝てしまいます お陰で子供は女2人と男2人です
今の時代はおじさんの様な人が多いので幼い娘さんを持つ親は子供の行動や
パンツの汚れに注意しましょう

私の恥かしい過去の思い出でした
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