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性的虐待体験 RSS icon
※幼少時に受けた体験談

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2024/11/27 00:10:23
私は子供のころにイタズラされたことがあります。
パンツを脱ぐように言われ、自分が何をされているかもあまりよくわかっていないうちにオマンコの写真を何枚も撮られたし、何も感じなかったけれど体の中にペンを挿し込まれてしまっていました。オマンコに入れられたままどうなっているかを見せられ、取り出された後にもう一度オマンコの写真を撮られたのを覚えてます。
そしてデジカメの写真を見せられて、
「ここに穴が開いちゃったのわかる?」
と言われて、自分の体でもオマンコを初めて見たのもその時でした。
「誰かにこのことを話すと、おなかの中から血がいっぱい出てきちゃうから内緒にしておこうね」
「言わなければ大丈夫だからね」
ということで、すっかり怖くなってしまった私は誰にも言えませんでした。
1
2024/11/12 05:03:10
母子家庭でしたが、母は何人かの男の人とお付き合いしていました。
その中の一人から私が小学校高学年の時に母が裸にされている画像をパソコンで見せられました。
私が一人の時に勝手にその画像を見たのを知られ、母に話すと脅かされて私も裸にされて画像を撮られました。
裸のままその男から母が野外調教やSMプレイをされてる画像を見せられ、母に使っていた色々ないやらしい道具や下着の実物も見せられました。
その人は女はみんな男からこんな風にいじめられるものなんだよと私を教育しようとしたみたいで、私も母のいやらしい下着を身に着けさせられ、その人の男のものを舐めさせられました。
2
2024/11/12 03:00:00
雨が降ると父の仕事が休みになる。
だから私は雨の日が嫌で仕方なかった。
平日に雨が降ると私は学校を休まされる。
そして朝から父の相手をさせられた。
あの時間は私にとって耐え難い苦痛。
母も見て見ぬふり。
誰も助けてくれない。
なんで私だけこんなヒドイことされるんだろう。
何度も思った。
何度も死のうとした。
でも死ねなかった。
家出もしたけど家に連れ戻された。
暴力と性的虐待の日々。
いつしか私は壊れていった。
父と母はそんな私を不気味に思い施設に預けることにした。
私を壊した当事者のくせに酷い話。
それから施設で10年ほど生活し少しはまともになった。
そして15年が経った。
施設にも一度も会いに来なかったから両親とは25年会ってない。
私の中であの人たちはとっくに赤の他人だ。
施設を出て出会った家族を見て改めて思った。
実の娘にあそこまで酷いことができるのは普通ではないと。
つまりあの人たちは私の本当の両親ではないのだろう。
そう思わないとやってられない。
あの人たちと同じ血が流れてると思うだけで私は私を殺したくなる。
あの人たちにとって私はなんだったんだろうか。
40過ぎて対人恐怖症で男性恐怖症でパニック障害。
生きてるだけで毎日つらい。
こんな人生、私は望んでなかった。
もっと楽しく生きたかった。
楽しそうに生きてる人を見ると私の記憶を追体験してほしくなる。
その人がどれだけ恵まれてるのか、ぬるま湯の人生なのかわからせたくなる。
これは私の傲慢なんだろうか。
3
2024/11/09 23:56:32
私は幼い頃から父に性的虐待をされていた。
乳首やクリをいたずらされておまんこに綿棒や歯ブラシの柄や持ち手が丸みを帯びてるペンなどを入れてきては遊ばれておちんちんをペロペロさせられたりしておまんこにおちんちんをこすりつけてきていた。
パパとの遊びはママには内緒だよっていつも言われた。
その頃は痛いって言うとおまんこからすぐに物を抜いてくれたけど成長するにつれて指になって中をかき回されるようになって痛いって言ってもやめてくれなくなった。そしておちんちんを入れてこようとするようになって毎回泣くようになった。
そして終わるとよく頑張ったねって抱きしめてきて頭を撫でられてた。
父と母は仲が悪い。
何故結婚したのかと不思議に思うぐらい年の差もあって見た目も違いすぎる。
父は昭和系のおやじ。母は童顔で可愛らしい感じ。
父の酒グセが悪いのもあって年中喧嘩。
ひどい時は父が母に手をあげることもあった。
私はいつも母にくっついていたけど父の晩酌の時間やお風呂の時間は父に呼ばれて母にも行くように言われて嫌々行ってた。
時々、父が友達や同僚を連れて帰ってきたりして酒盛りの席でも同席させられていた。
そのうち父が酔いつぶれたあと私の部屋に入ってきていたずらしてくるおじさんも出てくるようになった。
父のおちんちんの頭が入るようになってやられる回数も増えて母に見られた。
母は激怒して父が初めて母に謝罪してた。
母が警戒してくれてたおかげか家では手を出してこなくなったけど外で待ち合わせをさせられて車の中でやられるようになった。そしてある日突然父が仕事に出てったあとに母に連れられて家を出た。
私はそのまま転校したかたちになって母は最初普通の仕事をしていたけど生活ができなかったのか夜の店で働くようになった。
しばらくして彼氏を連れて帰ってきて紹介された。それから度々その人が私の様子を見に来るようになって最初は優しかったけどいたずらされるようになって犯されるようになって母はまた激怒した。
そしてまた引っ越して学校も変わって母は別の店に移った。
しばらくすると今度は別の人を紹介された。
もう一緒に暮らすことを2人で決めてたようで母は夜の仕事を辞めておじさんの家に引っ越した。
一緒に暮らすようになると親子なんだからって母と籍も入れられてないのに何かとつけては体を触ってくるようになって私が避けるようになると強引に襲ってきた。
父のことも前の彼氏のことも知ってるみたいでこれ以上ママを悲しませたくはないだろ?と威圧してきて黙って犯された。
それから何回も母の目を盗んでは手を出されて何も言えないまま月日が経った。
ある日、自分の部屋にいると2人が大声で言い争う声が聞こえてきた。
耳を澄ませてみると母は泣きながら怒っていておじさんは母を甘い言葉で丸め込んでいた。
話の内容から母にバレてる。
そのうち激しい音と母の聞いたこのないような喘ぎ声が聞こえてきた。
次の日、母から何か言われるかと思っていたけど何も言ってこなくて毎晩母とおじさんの激しい夜の声が聞こえてくるようになった。
そして静かになったと思ってしばらくするとおじさんが私の部屋に来て母をバカにしながら襲ってくる日もあった。
私はある日おじさんが階段を下ろうとした瞬間、思いっきり背中を押した。
救急車騒ぎになっておじさんが入院中、私は母に連れられて施設に置いてけぼりにされた。
施設で暮らすようになってまた新しい学校。施設にいるってだけでいじめられて登校拒否をするようになると施設の指導室に呼ばれるようになってある男の先生に呼ばれると千円を渡されて犯されていた。
同じ施設の仲間達は優しくて一緒に遊ぼうとか学校に行こうよとか誘ってくれて学校に行けるようになったけど、たまにその先生に指導室に呼ばれるのは変わらなくてそのうち私と同じようにやられてる子もなんとなくわかるようになった。
学校の一部の男の先生達にも知られてることだったらしく探られて千円を渡された。
そんな生活が続いて中学に上がる頃いきなり母が迎えに来て家に戻された。
久しぶりの母はなんか小さくなったように見えた。
家について中に入ると赤ちゃんがいた。そして母はすぐに赤ちゃんを連れて出かけて行った。私はすぐにおじさんにボコボコにされて犯された。
母がようやく私の居場所を吐いたようであの時は痛かったなとかずっと私を犯したかったって言われて毎日毎日奴隷のように扱われてた。
おじさんが言ってたことをまとめると私が施設に置いてけぼりにされたことを知らずに退院すると私がいないとこを知って母を責めた。どこにいるのか聞いても答えない。体に聞いてみても雌豚度が増すばかりでに答えようとしなかった。そのうち母が妊娠してることが発覚。他に女を作っていたら母は泣いてすがってきた。そうしてるうちに弟が産まる。母を風俗で働かせるようになるとよけいにすがってくるようになってようやく吐いたと言っていた。
私は常に遠くに行くことばかり考えるようになって学校にも行かずフラフラしてたらあるおじさんが声をかけてきてラブホに行った。
施設にいた頃とは違って万単位でくれて私はいろんなところに行って声をかけられては体を売るようになった。
リピーターになるおじさんもいれば、仲間を紹介してくれるおじさんもいて複数でやったこともあった。
ロリコンのおじさんはいっぱいいるようでどうせもう汚れきってる体なんだしどうでもいい思っていろんな人とやりまくった。
そんな毎日を送っていたら突然父が現れた。
名前を呼ばれてやっと見つけたって言われて車に乗せられてすぐにホテルに連れてかれた。正直、ぼんやりしか思い出せない父の顔。こんなに老けてたっけ?ぐらいの思いだった。
4年ぶりに父に抱かれて母以上に大きくなった胸や全部入るようになったおまんこに感動されつつ母に対する恨みつらみを言ってきた。
家を出て行ってすぐに離婚届けを送りつけてきて、それからも何度も送られてきてたようで消印を頼りに探し続けて母はどうでもいいけど私を取り戻したかったと言いつつ私にもなぜ母に付いて行ったのか、なぜ戻ってこないのか苛立ちをぶつけられながら何度も犯された。そしてもう逃がさないぞと言われてそのまま次の日には元の家に連れてかれた。
荒れた悲惨な家になっていて私は元の自分の部屋に監禁された。
そして急ぐように引っ越しをして私から母の連絡先を聞き出すと私を縛ってきて口を塞いできて母に電話して離婚を条件に私の親権を要求した。
スピーカーにされていたのでそのやりとりを聞いた。
母は今何処にいるの!?って慌てた風であの子がいないと困るのとかこのままじゃあの人に捨てられるとか何であの子ばっかり愛されるのとか言いながら泣いていた。
その話の中で父に私がおじさんにもやられていたことを知られて激怒して私を犯してきた。
私のうめき声が聞こえたのか今何してるの!?とか訴える!!とか言ってたけど父も父で俺もだがそいつも捕まってもいいのか!?と脅していた。
話は平行線のまま何度もやりとりをしてる中私が妊娠してることがわかると母は諦めた。
親権は父で離婚が成立して私は監禁されたまま子供を産んだ。時期的に誰の子供かわからなかったせいか気づいたら父が勝手にどこかの施設に置いてきた。
それから基礎体温をつけさせられて毎日チェックされて排卵日になると何回も犯された。
そして半年後、今度は100%父の子供を妊娠した。今度は病院にも通わせてくれて男の子だとわかるとすぐに養子に出すことを決定された。子供を産んですぐにお別れさせられて、再び妊娠させられた。
別の病院に連れてかれて成長してわかったことがまた男の子。同じことを繰り返した。
そして4度目の妊娠。また別の病院に連れてかれて今度は女の子だと判明した。
父は喜んで大事にしてくれるようになった。通院日でなくても監禁部屋から出してくれるようになって私は父の隙を見て逃げ出した。
お腹が大きいまま隠していたお金を持ってラブホを渡り歩きながら逃げ続けた。
そんな状態でも声をかけてくる人はいて体を売りながら生活した。人によっては家に泊めてくれたりしたけど、ひどい人なんかは仲間も呼ばれて遊ばれた。
そのうち陣痛がきて救急車で運ばれて子供を産んで、カウンセラーの病院の先生からはまだ未成年だよね?親は?相手は?と聞かれたけど、歳は20(実際は19)。親はいないし相手に逃げられたと答え続けていたら色々教えてくれて私もまともに生きられるかもと初めて思えた。
娘を施設に預けて普通の生活できるように寮があるところで働きだした。
中学からほとんど学校にも行ってないし高校も行ってない。普通の人と小学生の頃から関わってもこなかなったせいもあるのか人に対しても難しいことばかりで一つ一つ覚えながら頑張っていた。
けど、ある日リピーターだったおじさんと再会してしまった。そのおじさんに名乗ってた名前を呼ばれて大きくなったねって急にいなくなったから寂しかったよって言われて否定したけど引き下がってくれなくてまたやろうよってお金を握らされた。
そして俺のお気に入りって言いながら昔撮られた動画を見させられた。
そのままラブホに連れてかれて抱かれて、おっぱいを吸われた時、もしかして子供産んだ?なんて聞かれて腹ボテの私も見てみたかったなとか今度は俺の子供を産んでよとか好き勝手に言われてまたやることを約束させられた。
私が普通に生きることなんて無理なのかなと相当落ち込んだ。
私はすぐに仕事を辞めて少しの間放浪した。
母似の童顔と低身長が効くのか高校生に見られることが多くて、ひどい人だと中学生に間違えてきたりした。相変わらずおじさんに声をかけられては体を売っていた。
これが私の未成年時代の話。
4
2024/11/07 22:15:10
血の繋がった実の父親に性癖を、人生を歪まされました。
私が小さい頃に母親の浮気で離婚したようで、物心ついた頃から父親との二人暮らしでした。父はスキンシップが激しく、小学校高学年の頃から無理やりキスされるようになりました。それはどんどんエスカレートしていき、中学に入った頃には毎日のようにフェラをさせられ、精液を飲まされていました。局部を触られるのなんかは日常茶飯事でしたが、夏休みに入る頃から本格的にアナル開発が始まりました。
毎日毎日何時間もお尻の穴をいじられ続け、ついにはちんぽを入れられました。指を入れられても痛くない程度には広がっていましたが、初めてちんぽを挿入されたときは気を失うかと思うほどの激痛でした。そのままお尻の中に出されました。その後、洗ってもいないお尻の穴に入っていたままのちんぽを口の前につき出され、舐めろと言われました。断って全力で抵抗しましたが、力で敵うはずもなく、無理やり口の中に突っ込まれてしまいました。精液の苦さとは別の苦さ、お尻の穴の味が口の中に染み付くような地獄の感覚でした。
それからは地獄の日々でした。毎日毎日休みなく、何発もアナルだけを犯されました。おまんこには指一本も触れられなくなりました。また、お尻の穴に入れたちんぽを口に入れられるのも毎回欠かさずされました。酷いときには、お尻の穴と口に交互に何度も何度もちんぽを入れられました。自分のお尻の穴の味は慣れることはできず、毎回地獄のような思いをしていました。どうだ、自分のケツ穴の味は。美味しいか?などと聞かれながら、毎日何度も何度もお尻の穴と口に交互に挿入されました。アナルに生中出しされて、垂れてきた精液を飲まされたりもしました。精液の苦さと、お尻の穴の苦さで泣きそうでした。
私の父親は、私が中1の夏休みから高校を卒業するまでの間毎日のようにこのようなことを続けました。血の繋がった、実の娘にです。アナルを掘ること、私のアナルの味をしつこく私に感じさせることが好きだったのでしょうか。
高校卒業でこの地獄が終わったのは、私が家出したからです。私は男性恐怖症のようになってしまってまともに男の人と話すことができず、未だに父親以外と性行為をしたこともありません。なので、尻穴だけは気が遠くなるほどの回数犯されているのに、おまんこで普通の性行為はしたことがありません。
こんなに父親に全てをめちゃくちゃにされたので、もちろん父親を恨んでいます。ですがここに書き込みをするぐらいなので、この過去に触れるななどとは思っていません。忘れることは絶対にできないので、せめてなんとか受け入れられるようにと、書き込みました。レスや個別メッセージなどにも対応します。拙い文章ですが読んでくれてありがとうございました。
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