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2025/11/26 22:11:16 (5biJRiZY)
妻の前に付き合ってた前カノ、女子大生で、俺の勤め先に春休みにバイトに来て仲良くなった。
俺は社会人1年目が間もなく終わる頃で、やっと仕事に慣れた頃だった。
彼女は大学2年生を終えたばかりで、見た目は女子高生でも通る幼顔、バイト最終日に飲みに行ったら、20歳である証明をさせられた。
何となく波長が合って、4月末、連休初日に結ばれた。
これだけ可愛ければ、処女ではないだろうと思ったが、案の定床上手だった。
最初こそ俺がリードして責め、彼女は受身といった絡みだったが、ネチネチとしつこい責めに、彼女は積極的に合わせに来て、本気度が高いセックスができた。

そんな官能的なセックスをする女子大生だったが、幼顔に似合う可愛いオマンコだった。
彼女とのセックスは、キスが多く、見つめ合って密着体位が多かった。
セックス自体が濃厚で、しつこくて、よく言えば官能的だが、単調で一本調子ではあった。
濃いというだけで、体位やテクが豊かではなかった。
濃いセックスを繰り返すだけなんだけど、お互いにとても積極的で、貪るようなセックスだった。
幼顔で可愛いけれど、身体は成人した成熟女体に濃厚なエロさがあり、魅力的だった。
ただ、顔と声が子供っぽいので、濃厚だけど妖艶ではなかった。

彼女は、大学を卒業したら、田舎に帰ってしまった。
「本当は、ずっと一緒に居られたらいいのにね。楽しかった。離れても、大好きだからね。さよなら。元気でね。」
「ああ、さよなら。君も元気でな。」
電車に乗る彼女を見送った。
彼女が居なくなって、どれだけ彼女が大切な存在だったかを思い知った。
何でも自分でするようになって、さりげなく彼女がしていてくれたことに気付いて、心が痛かった。
本当は、彼女と人生を歩みたかった。

遠く離れて、時間の経過とともに、失くしたものへの思いは深まり、今まで見えてなかったことが見えてきた。
もう会えないと分かってても、会いたくなってしまう。
その後結婚して、生れた子供も小学生になったけど、彼女を忘れることはなかった。
俺は相変わらずこの街にいるから、彼女との思い出が街のあちこちにちりばめられてて、何年過ぎても胸がチクチクする。
元気かな、結婚したかな、子供産んだかな、自分の人生に照らし合わせて、色々と彼女を思うときがある。
もう、会えなくなってからずいぶんと時間が過ぎて、お互い変わったし、もし再会してもあの時には戻れ絵うわけではない。
一緒にいる道は本当に無かったのだろうかと、今更思うと切なくて仕方なくなる。

今の人生を選んで、得られたものは色々とあるけれど、彼女の存在だけは、居なくなったまま埋められない。
人生で、本当に大切なものは、失くしてから気付く事が多いような気がする。
彼女への思いというよりも、何気なく見送ってしまった、眩しかった存在に気付き、楽しかった彼女との時間への哀惜なんだろう。
彼女に出会えて、二人過ごした時間は、人生の大切な時間だった。
いつまでも忘れられない素敵な思い出を作ってくれて、ありがとうと言いたい。
今、田舎で彼女が幸せに笑っていると信じてる。
元気で暮らしてると信じてる。
16
2025/11/25 09:57:56 (d0Vu/Bo2)
10年くらい、人妻デリで遊んでる女性が居て、こちらからは嬢のエロネタ以外のプライベートな話しは現実に戻ってしまうので聞かないのですが、遊びだして3年くらいして、娘が中学に入ったと言って、薄々気付いてましたが、そこでバツイチ・娘1人と聞かされました。
とはいえ深入りはせず、店を移しても身体の相性はいいので、2〜3ヶ月毎通ってました。

昨年、娘が高校出て働きだしたと聞いて、でもそれまでのを聞いて、まともな就職じゃなさそうと思ったら、昼はコンビニ、夕方から箱ヘルとか。
血は争えないなと思いつつ、1年経ち、娘はデリヘルに移籍したと言い、いきなりデリヘルにしなかったの?と聞いたら、やはりいろんな客がいるし、最初は店員にすぐ助けを求められる店舗型にしなと言ってやったらしく、地元は店舗型は箱ヘルしかなく、1年経ち大丈夫そうだから、移籍したのだそう。

ちょっと興味あり、店と源氏名を聞き訪問。
母親と似た雰囲気で、とはいえまだまだテクは発展途上。
一発目は口内射精で、処理してマッタリしてる時に、ママに聞いて来たと言ったら、ちょくちょく私の話しをしてたそうで、対抗心からか、2回戦目はフル勃起させられたら、そのまま乗って生挿入。
最後は、お兄さんなら中にちょうだいと言われ、遠慮なく中出ししました。

その後、この店って3Pとか出来るの?と聞いたらOKらしいけど、カップルはNGで、私が残念がってたら、もしかして親子丼したいの?と聞かれ、よく分かったなと言ったら、うちに来なよと言われました。

後日、ママさんとこにも遊びに言って話したら、いいから来なよと言われ、1週間後、2人とも休みなんで自宅に訪問。
完全に素の顔でしたが、バッチリメイクより、こっちが好きだなと言ってやると恥ずかしがりながら、中に招き入れられました。

昼時だったので、昼飯を頂き、食べ終わったら娘と入浴。
入れ替わり母親が行き、その間、イチャイチャしてたら、出てきた母親も参加。
ダブルフェラは、両人とも店ではあったが、母娘では初めてらしく、ちょっとぎこちなさがあったものの、フル勃起したら、先ず娘が乗ってきました。
母親は、私と娘の乳首舐めなどしながら、私が娘に中出ししたら、母親が娘のアソコを吸い、その間、まだ勃起維持してる間に、母親に生挿入。
2人が喘ぐ中、母親はハメ潮、娘も舐められながら漏らしたようで、母親に中出しした後はシーツはビシャビシャになってました。

流石に続けるのはヤバいので、シーツを洗濯し、マットレスも一緒にベランダで乾かしに出し、3人でラブホに行こうとしたものの、生憎と満室ばかりで、前にセフレ女性と行ったハプバーが近いし、行ってみる?と聞いてみたら、娘が行きたい!と言うのでエスコート。
2人の会員登録後、店内に。
最初我々だけしか居なかったのが、店のSNSでアップしてもらったら、1時間くらいして男性会員が続々来て、更にしばらくしたら、2人は男性数人引き連れプレイルームへ行き、次々とハメられてました。
かなり吹きまくってましたが、下はビニール革張りでサッと吹いて次々と。
1時間連続でヤラれてましたが、一息ついたとこで、2人がガチ母娘と明かせば、当然びっくりされ、全員親子丼は初めだそうで、ここだけのヒミツなと言って、最後に全員中出ししてもらって終了でした。
2人はフラフラで、30分くらいグッタリしていて、落ち着いたら順にシャワーさせました。

かなりハードだったけど、2人とも複数プレイは初めてながら、むっちゃ気持ち良かったと満足げにして帰りました。
17
2025/11/24 16:49:17 (En0uUI/K)
先月、アメリカで友人とアメフト観戦しにスタジアムに行った時の話です。

私はアメフトには全く興味が無くルールも曖昧なのですが友人がチケットを貰ったから行こうっと半強制的にスタジアムに向かった。

最前列の高額な席でしかもベンチ前ってのはプラチナチケットらしいのだが、私にはチンプンカンプンでしたがぶつかり合う衝突音がエグ過ぎる迫力を楽しんでいた。

ロングスローからのタッチダウンが決まり地元チームが盛り上がる中、

髪金ギャル二人が空席無いはずなのにズカズカ横移動で入って来て私達の座席まで来て大声を上げて馬鹿騒ぎしてベンチの選手やスタッフ達がコチラの髪金に振り向いた瞬間!

着てたワンピースを脱いで全裸になって手を振り乳をユサユサしてアピールし始めた!

よく見る洋物AVのソレが目の前に!

私も友人も突然のハプニングに苦笑いで引いてしまうも身体は密着状態!

すると廻りの男達が少しずつ群がり私達は髪金に超密着状態!

ギャルは私達の密着よりもアピールに必死で手を振りジャンプ!

髪金洋物とラッキースケベ完成!

私の股間は吸い寄せられるかの様に右の髪金のブリンブリンの生尻の谷間にパイルダーオン!(世代じゃ無いけど)

大きく手を振ってチチをシェイクし飛び跳ねて私の股間を激刺激!5日溜まってたので即フル勃起!

後から男達にズンズン押されるので堪らず肩や腰や尻に手をやるが髪金はお構い無しに選手にアピっていた。

四方八方から触手が伸び髪金二人にお触りタイム!

両手を腰を掴んで髪金のジャンプに合わせて股間を突き上げ20〜30回くらい擦り上げて我慢汁が滲むまで感じていたら通路脇から、、、。

3分程の楽園タイムを掻き消すように屈強な警備員達がお宝を抱えて奪って行った!

目で追ったが全裸のまま連れて行かれて見えなくなった。

ワンピースは床に落ちたまま、しかもこぼれた飲み物や踏み付けられたかでボロボロ。

あの髪金は全裸で帰宅か?

因みに私はその夜、友人御用達のデリヘルで髪金をホテルに発注!
18

結核病棟隔離不倫

投稿者:リョチ ◆0s3prquXJE
削除依頼
2025/11/21 14:29:06 (pN7kX6r5)
ちょうど一年前の今頃の話です。



当時34歳だった私。
ある日を境に突然、咳き込み始めたのです。
きっと風邪か、流行りのインフルエンザかな?って最初は思いました。
子供の小学校では学級閉鎖が連続してるし、子供も少し前まで熱を出して休んでいました。きっとそれをうつされたのかな?って。

ですが私の咳き込みは日に日にひどくなり、、昼も夜も20分に一回は咳き込みたくなるくらい、喉にタンが絡みました。でも仕事もあるし病院行く時間もないし、なんとか誤魔化しながら生活をしていたのです。

結局、夫の「いい加減病院いけよ。咳き込み方が異常だし、咳のせいで夜も目が覚めるんだよ」と強く言われて、、結局病院に行く事にしたのです。

そして最初は内科でレントゲン。ものの見事に気管から肺の一部に白いモヤがついており、、医師からはこういわれました。「パターン的に肺がんではない可能性が高いです。が、、結核が疑われますね」
リョチ「へ?結核??」

それから呼吸器内科へと回され、透明なチューブを入れてタンの採取。そして血液検査。ものの見事に「肺結核」と診断されたのです。

そのまま「今から結核を専門で治療している病院がいくつかありますから明日から入院してください。結核は第二類になるので入院勧告となります。また保健所からも連絡がありますので対応してください。ではお大事に」

と言われたのでした。。

帰宅後、それから私は慌ただしく入院手続きをし、同時に会社への事情説明、小学校への連絡、実家の両親へと事情を話し、私の入院ライフが始まったのです。

持っていったものはノートパソコン、switch、スマホ。それだけです。衣類系は全て感染物扱いとなるため、、衣類などは最初から持ち込まなくていいと言われました。

濃厚接触者である夫や子供は、コロナとはまたルールが違うので症状さえ出なければ通常の生活をして下さいとの事でした。ですが私の結核発症から約2ヶ月後に保健所の指導で検査はしておりましたが。

ともかく、、青天の霹靂。電子機器だけ入れたカバンのみ持って指定された病院へといった私。それから夫が入院手続きを済ませ、、「じゃ俺は帰るからな」と帰っていったのです。

頭がまだこの急展開に追いついていませんでした。

それから程なくして看護師が現れ、、「これに着替えて下さい。そして今着てる衣服は下で待っているご主人に渡しておきます」とリースのパジャマとインナー一式を渡されたのです。

私は着てた衣服を脱ぎ、、病院指定のなんのオシャレ要素もない白の入院ショーツ、入院スポーツブラを着用し、オレンジ色のチェック柄のパジャマを着せられました。そして、、その日はこれと言ってすることなし。夕方の食事まで部屋の中で過ごすことにしたのです。

そんな感じで、入院初日から一週間は寂しさと家族への負担や申し訳なさが合間って暇さえあればLINE通話をしていました。
ですが人間、環境に慣れてくるもので、、笑
家事しなくていいし、買い物しなくていいし、洗濯しなくていいし、子育てしなくていいし、、(もしかして、、これラッキー展開?笑)なんて思える余裕すら出てきたのです。

一週間目からは順調すぎるほど順調でした。目が覚めたら朝日を浴びての屋上での運動とストレッチ、バランスのとれた病院食。暇つぶしにゲームしてネットサーフィンして。退屈なったらお昼寝する。肌はみちがえるように綺麗になっていくし、目の下のクマも消えていく。体重も落ちてスリムになっていきました。入院生活の裏側には実は夢のような生活が待っていたのです。

そして私が入院してから3週間後に、、「後藤さん」(36)という私と歳の近い方が同じ結核で入院してきたのです。

病院はいくら隔離病棟とはいえ刑務所ではありません。誰と仲良くなってもいいし、誰と一緒に話そうが自由です。
ただそれをしないのは、、結核病棟には高齢者が多く、わざわざ入院しにきてまで他人とコミュニケーションをとるのが億劫な人が多いだけです。

その点、私と後藤さんは年齢も近く、、2人とも「マジ退屈っすよね!」と極めて早い速度で意気投合。また互いに既婚者というのが余計に2人を接近させる要素だったかもしれません。

私は後藤さんとライン交換をし、、「今日の晩御飯の魚、ぜんぜん味しなくない?」「うん!ゲロマズ!!」とかそんなやり取りを始めていました。
病院の公共の場で仲良くしすぎても看護師たちの目があるので、、人のいる場所では他人のフリ。会う時は屋上のなるべく人がいない時間帯で、、と暗黙のルールまで自然構築されていったのです。

そして私たちは、、入院期間限定の恋愛対象となるのに時間はかかりませんでした。
最初にエッチな展開になったのが、、ある夜、後藤さんから「寝た?俺ぜんぜん眠れない」「私も」「暇だし話したいね」「眠くなるまでLINEしようか」「あ、いや部屋いっていい?こっそり、、」「これる?」「トイレ行くフリして外出て、そのまま看護師の目盗んで部屋いくよ!」「了解!」と、こんなやり取りをしていました。

そして夜の23時頃、、、薄暗い部屋のドアの前で待機する私。。めちゃドキドキしました。。するとスー、、、、と静かにドアが開いていき、、(よっ!)と後藤さんが現れたのです。

ヒソヒソ話
後藤(きたよーん)
リョチ(おつかれー)
後藤(体力ありあまって寝れないよ)
リョチ(運動不足なるよねー)
後藤(なんか夜に運動不足だとか話すのエロくない?笑)
リョチ(たしかにw)
後藤(•••笑)
リョチ(、、、w)

後藤(いちおう、、俺が先に聞くよ。もしかしてアッチのほうも退屈してたりする?)

数秒停止、、、、。

リョチ(うん、、実はしてる笑)
後藤(だよな!こんな空間に軟禁されたら余計にムラムラしてくるよな笑)
リョチ(うん!わかるww)
後藤「じゃ、軽く気持ち良くなってみる?)
リョチ(う、、うん。軽くね、、w)
後藤(オッケー!そこまで激しくしないから安心して!)
リョチ(う、うん、、w)

そして私たちは病室内の異変に勘付いた看護師の登場の事を考え、私の個室部屋の個室トイレの中に入りました。めっちゃドキドキしました。。

トイレの中にはいって鍵しめて、、後藤さんが私のパジャマズボンを脱がしてくると、スッと軽く腰に手を回してくれて
タタタタタタタタと入院ショーツの上から小刻みにクリの上で指先を動かしてくれたのです。

もう、、背徳的なストーリーが合間ってすっごい興奮したし、とにかく気持ち良くて、、(ああっ、、、!!)と声を出しそうになりました。
そして私の声を塞ぐために後藤さんが激しくキスを迫り、そのまましばらく私は後藤さんの指先の刺激のなすがままとなったのです。

私は後藤さんに両腕で抱きつき、キスをしながら片方の足をトイレの便座の上に乗せました。開脚するとより全体的にクリが後藤さんの指で摩擦による刺激をされ、、私は(イ、、イッちゃう!!)と小声で合図し、さらにスピードアップした指先にクリを委ねてイカせてもらいました。。

そして私がイキ終わると、、ここも暗黙の了解。私は後藤さんの前でしゃがみ、、そのままパジャマと入院トランクスの両方を下ろし、、自分でもなんでこんなに興奮してるんだろ、、って思うくらいハード寄りのフェラをしちゃったのです。

後藤さんも(イク、、、、!)と合図してくると、精液がたくさん口の中に広がっていきました。私はそれを飲み込んであげ、、、自分から(入れてもいいよ?)と誘ってしまったのです。

すると後藤さんは(妊娠はさせないから安心して感じていいよ!)
私(え?)
後藤(うち子供3人もいてさ、、これ以上はってことでパイプカットしてんだよ笑)
私(え、そうなの?笑)
後藤(うん。生だと不安じゃん?だから最初に言っておこうと思って)
私(わかった、ありがとう)

こんな会話がありましたw
そして私はパジャマズボンと入院ショーツを膝までおろした後、トイレの給水タンクを両手で支えてバックで入れてもらえるようスタンバイしました。
そして後藤さんも私がフェラをする時のパジャマズボンと入院トランクスを膝までおろした状態のまま、、硬くなったアソコの先端を私のシークレットゾーンへと押し当ててきたのです。

そして、、ズプゥ、、、!と先端が入ると、あとは奥まで辿り着くのは一瞬でした。
私は後藤さんの早くもなければ遅くもない、、どちらかといえば奥の奥まで突き抜けてやろうという(ドスン!)と圧力をかけてくるような腰の使い方をされて奥まで入れられてしまいました。

もう気持ち良すぎて声をころすのにひっし。バックで力強く突かれながら、、(セックスってなんでこんなに気持ちいのよぉ!!!)と心の中で叫んでましたね笑
実質、ここ2ヶ月くらいは夫ともご無沙汰してたし、、そもそも夫の場合は定期的にやってあたりまえの関係なので興奮要素がないんですね。

でもあの時は違いました。結核病院不倫という、、しかも互いに隔離されてるから絶対に身内にはバレないパターンでやってるので、、完全にセックスを楽しめる環境が整っていたのです。しかも相手が避妊手術済みとなれば尚更、セックスを娯楽として楽しめた感じです。

後藤さんはそれから(そろそろイク!中で出させてもらうよ!)というと、、私は(はい!)と返事しました。そして、、ただでさえグチョ濡れだった中の空間に精液を放出されたことにより、中はもうとんでもない事になってたと思います笑

でも、、私からしてもほんと、、何年振り?9年振り??マジで久しぶりの生挿入セックス&中出し&同時イキなんて、、もう子作りの時以来でしたよ。とにかく興奮しまくりました。

そして後藤さんは挿入状態をキープしたまま、、背後から(リョチちゃん、、マジで良かった、、最高だよ、)なんて言われながら髪の毛に手櫛を入れてもらいました。それから一気にズプゥ!と抜き出すと同時にいつのまに用意してたのか、テッシュの塊をサッとアソコに当ててくれたのです。(仕草が紳士すぎる!)

そして、、その日から私達は仲が良いだけでなく、、カラダの関係アリの入院生活となっていくのでした。

続編いる?いらない?笑いらんかww
19
2025/11/23 04:41:18 (FZZ6Ex2v)
いま40代。
30代の時の話。

28歳で結婚。29歳で妊娠。
休職して子育て。
まだ娘が2歳になるかどうかで、
私は育児ノイローゼになった。

育児だけが悩みなわけでなく、
楽しかった仕事から離れたことも、
心が落ちてしまった理由。

私が育児ノイローゼになったこと、
激務な仕事についている主人は気づいていたかどうか。

育児するのが嫌になって、
公園に娘を放置したこともあった。

当時町田のマンションに住んでいて、
主人が出勤したあと、娘が泣いていても
無視して横になってテレビをぼんやりみてた。

毎日そうしていたら、
ピンポーンって。
お隣さん。
『夜勤の仕事していて日中赤ちゃんが泣いていると眠れない』とかなんとか、ちょっと怒ってる。
50代くらいの男性。
面倒くさいなぁって印象だった。

数日経って、またピンポーンって。
あの男性が紙袋に入ったお菓子持ってきた。
『先日ちょっと感情的になってしまって、赤ちゃんは泣くことが仕事ですよね…』
とかなんとか言われて、
なんか心が開いた。そんな謝らなくてもって思って。
こちらが育児できてなくて申し訳ないです、とかこちらも謝って、
お仕事は何しているんですか?って聞いたら、
個人タクシーの運転手さんだった。

なぜか仲良くなった気がした。
それ以来、お隣さんが気になった。

丸坊主で小太りなおじさんって感じで如何にもな見た目だったけど、
なんでだろう、育児が嫌になってて、主人以外と誰とも交流ない中で、
何かコミュニケーションできたのが嬉しかったのかもしれない。

ずっと気になっていたある日、
娘をベビーカーに乗せて、買い物から帰ってきた日中、
マンションエレベーターでおじさんと遭遇。

『赤ちゃん育てるの大変ですよね』
って言われた瞬間、私は泣いてしまった。

エレベーター内で泣いた。
泣いたらおじさんに身体を引き寄せられた。
引き寄せられてちょっと抱きしめられる感じ。
私は、めちゃくちゃな感情を自分でもどうしたらいいか分からない感情を受け止めてもらった気がした。

自宅に戻って、寝ている娘をベビーベッドに寝かせて、家をでて、
私からおじさんの家のチャイムを鳴らした。
ピンポーンって。

ドア開けて、
玄関先で自分からキスしてた。

あとはご想像通り。

ワイドショー番組が流れるテレビの前、
布団に寝そべっておじさんにむしゃぶりつかれていた。
すごくすごく感じていた私。

その日以降、ほぼ毎日、日中におじさんに抱かれていた。

何回くらいだろう?

縛られたりもしたし、
娘をデパートに連れて行った日も、
『いまどこ?』ってLINEがきて、
デパートの個室トイレで、
娘をベビーカーに乗せたまま、
おじさんにフェラしてた。

ほんとにいま考えたらおかしいですよね、私。
でもあの時はそれで心が癒やされていた。

もちろん私の家でもエッチしてる。

横浜市内の一戸建てに引っ越すことになって、
いつかこの関係をやめなくちゃって思っていたから、
いい機会だと思って、おじさんとLINEするのをやめた。

以来心はもとに戻って、
子育てもうまくこなせるようになって、数年。
娘が小学校に入学して、
私は職場に復帰して、帰宅時にお酒を飲みにいけるくらい余裕もできた。
それである日、会社の飲み会が新宿であって、
泥酔した私…。
小田急に乗って、降りなきゃいけない駅でおりれず、
町田にたどり着いてしまった。

町田の街、懐かしいなぁって思いながらも、
おじさんのことを思い出していた。
と、おじさんに数年振りにLINEしてまっていた私。
酔った勢い。

個人タクシーで迎えに来てくれたおじさん。
黒いクラウンに乗ってしまう私。
ここじゃだめだからって言われて
タクシーでラブホテルに行って
5年振りくらいにおじさんとエッチしました。
その日限り。
でもすごくすごく気持ちよかった。

また5年経って、40歳。
最近、年下男性と不倫している私。

女は迷う生き物です。
あしからず…。

んーなんか、おじさんにまたいやらしいことされたいって思う…。

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