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2015/10/04 07:42:41 (OxljahJ4)
私の両親は私が中学生という多感な時期に離婚しました。
私は母に引き取られ母方の実家に弟と3人で暮らし始めました。
離婚原因を母から父の浮気と言われ、生活環境の変化や色々な事の原因を作った父を激しく恨んでいたのを覚えています。
母もそうでしたが、祖父母からも父への非難の言葉を聞かされて育った私や弟は当然の結果父親を嫌い、月に1度の面会さえも拒否をし関わる事を避けていました。
本当に大好きで尊敬していた父をあそこまで嫌悪できたのはそんな環境にいた事が原因だったと思います。

そして今から5年前、私が高校2年生の頃に母が再婚しました。
父のせいで母も苦労したんだと思い、弟と2人して母を祝福したのを覚えています。
当時母は43歳で、まだまだこれから女と言える年齢です。複雑な気持ちもありましたが祝福の気持ちの方が大きく、母を冷やかしながら喜んでいました。

相手の方は52歳の良くも悪くも普通のおじさんで、何でも職場の関係で知り合ったと聞きました。

しかし、そんな幸せな時間は長くは続きませんでした。
それは忘れもしない、母が再婚して向かえた年の終了式の日でした。
その日、学校から帰ってきた私に中3の弟が何とも形容しがたい顔で話しかけてきました。

『純也(私)・・・今日さ・・・ばあちゃんに会ったんだ・・・』

「ばあちゃん?」

『うん・・父ちゃんとこの・・』

「あいつのとこの?」

その頃の私は、父の事を”あいつ”とぞんざいに呼び捨てていました。
あの頃の自分を殴り殺してやりたい程のつっぱった態度でした。

「で、何て?」

『うん・・・なんかね・・とうちゃん・・死んだってさ』

正直父の事なんか忘れかけていた私は、久しぶりに聞く父の話に一気に不機嫌になっていましたが、弟の口から出た衝撃の言葉に私は思考能力を完全に奪われました。

「いつ?」

『去年』

「・・・・・」

『それでさ、ばあちゃんが1回線香あげに来てくれないかって・・・・どうする?』

「・・・・・・」

その場で答えを出せなかった私は弟と相談し母に話してみる事にしました。
その晩、義父は残業で居ない食卓で3人食事をしている時に私から切り出しました。

「母ちゃん、今日さ健司(弟)のとこに渡辺のばあちゃん来たんだ」

『渡辺の?いつ!!何しに来たの!!』

母のあまりの剣幕に一瞬たじろぎましたが話を続けます。

「とうちゃんが死んだから線香あげに来てくれって・・・」

すると母から信じられない言葉が返ってきました。

『何言ってるの!!あの人と私達はもう縁が切れて関係ないのよ!!線香あげるなんて・・・駄目よ!!』

「で、でもさ・・・」

『渡辺のお義母さんもズルイ人だわ!!あれだけ断ったのに健司の所に行くなんて!!昔からそうよ!!あの人と来たら常識がないんだから!!』

取り付く島もない母の剣幕に圧倒されてしまい話はそこで終わってしまいました。

しかし、なんだかスッキリしない母の言葉に違和感を覚えた私は、その週の日曜日に父方の実家を1人で訪ねたのです。
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39
投稿者:釣り師
2017/05/27 14:57:36    (w4A5oM2.)
「健司、線香、あげてきたで、。 婆ちゃん、喜んでたで、。 健司も、(母ちゃん内緒でおいで、)って。」
弟の分も線香をあげて来た事を伝え、日記の事も、何事も無かった様に伝えた。
「兄ちゃん、あのなぁ、」

「 ! 」

躊躇いながら、弟の健司が話した過去の出来事に、私は胸を衝かれた思いがしました。

私達が小学生の頃、ショートカットの母は、可愛らしく活動的で、自慢の母だった。
父は交代勤務、土曜出勤、家を空ける時間も多かった。
同時、父と母は仲良く、夏休みには、親戚の家に泊まりに行ったりしていた。

「夏休みな、」 唐突にな弟の話しだった。

「ん? 夏休み?」

「ぅん、小2、やな、」

「バスを下りて、母ちゃんの家に帰る途中、公園で兄ちゃんは、(遊んで行くから、先帰れ!)って言って、。」

「 、」そんな事もあった様な、。

「(遊んで行くから、先、帰っといて、家に(親戚)みんなおるから、。)って言われてな、。」

「あ~あ、(俺の袋も持って帰っといて)って言ったな、。」

「うん、俺も遊びたかったけど、何か、、袋を2つ抱えて、。」

「悪かったな、」 弟の健司は、(其れよりも)と、言うように話しをした。

「、、家な(今のこの母の実家)、裏口、鍵、掛かっててな」

「鍵が? 何で?」 子どもが遊びに来ている時などは、鍵などかかっていなくて、交通量の多い表通りに出ないで済む様にしていた。
「だから、表(玄関)に回って、、」
ここまで話して止まってしまった。
(まぁ、当たり前だろ、、よく、小さいながらに、今まで我慢してきた、) 弟の頑張りに頭が下がったと同時に、(無頓着な兄貴だった)、と申し訳なくなった。
38
投稿者:(無名)
2017/02/07 09:33:21    (yswB3kco)
読んでいる釣り師様もお辛いでしょうが続きをお聞かせください
37
投稿者:釣り師
2017/01/16 21:13:27    (EccX0COQ)
【2004 2/2】

悦子に頼まれたのか?また、じいさんばあさんが来た。まだまだ思案中だって、つっぱねたけど。岡田の事をよく知ってるみたいな口振りだったのは気のせいなんかじゃないな。
休日なのに少しも休めなかった。田舎のじいさんばあさんが来ても、純也や健司の事は何の解決も出来ないのに。自分の娘が可愛のはわかるが。来るなら前もって知らせてほしい。親子共々配慮のかけらもない。はぁ・・・・・胃が痛い。

【2001 2/9】

離婚の話で少し進展があった。じいさんばあさんと悦子があらわれて親権を譲ると言ってきた。あれ程ぐずってたのにどうゆう心境の変化だろう?と思って訳を聞いて納得した。要するに自分の浮気で離婚する事を言わないでって事。子供に知られて嫌われるのが相当怖いそうだ。前に岡田と2人で、「私たちの真剣な想いを聞けば子供たちなら分かってくれるって」言ってませんでしたか?と聞いたら、『ちゃんと話はします。ただ、時間が欲しいだけです」だと。俺には理解できないよ。たんにほとぼりが冷めるのを待つだけじゃないか。そんな事で子供たちが納得するとは思えないけど。
その申し出は受けるつもりだ。ずるずると長引いて裁判覚悟でいたから渡りに船だ。それに元々離婚理由を子供たちに言うつもりもなかった。あんな事したって子供にとっては大切な母親だ。彼らの事を本当に思っているのはわかるから。だけど、ただ納得するのはしゃくに障る。だから「今は返事できない。俺は子供たちに話して彼らに決めてもらおうと思っている。ただ、子供たちにとって、両方にとっても一番いい方法を取りたいとは思う」と意地悪な言い方をした。いいよな?これ位は。今までさんざ馬鹿にされて来たんだ。ささやかな復讐だ。
ただ、泣きながら『よろしくお願いします』と言われた時にはホッとした。彼女が少しだけ俺の知っている人間でいてくれたから。
36
投稿者:釣り師
2017/01/15 17:24:39    (7tGN.MQ5)
日記の年代を間違えてしまいました。あやふやで申し訳ありません。
35
投稿者:釣り師
2017/01/15 13:02:57    (7tGN.MQ5)
【2001 1/19】

会社を早退させられた。俺の顔が酷く仕事に差し支えると言われ、トイレで鏡を見た。金縛りにあったかの様に動けなくなった。そして愕然とした。病人の顔とは課長も上手い事言ったもんだ。その通りだ。まるで生気がない死人顔だ。最近眠れなかったからかな。食欲は無い。
少し気をつけなければ!まだまだ倒れるわけにはいかんぞ!大変なのはこれからなんだから。

【2001 1/21】
木下のお義父さんとお義母さんが突然現れた。悦子から離婚の訳話を聞いたらしく、週末に夫婦そろって来た。ある程度は悦子から聞いたにしろ何か違和感があった。悦子の事で謝罪はあるんが嘘っぽく思える。いやに物分りがよすぎる。普通なら許してやってとか言うもんじゃないのか?細かい離婚の日にちを決めようとか乗り気で言い出すし。

(そうか、この時はまだ、籍を抜いた分けじゃなかったんだ)
母の実家通っていても、名字は渡辺のままだった。もっとも父は単身赴任の扱いだったから。
34
投稿者:(無名)
2017/01/11 09:58:52    (CogwPImA)
気になってたまにチェックしています。
是非続きをお聞かせください
33
投稿者:釣り師
2017/01/02 16:57:47    (cltczvsV)
【2004 1/3】 私が居ても構わず引っ越し業者が来た。純也と健司の机もカバンも、容赦無い。思い出を引き千切られる。

【2004 1/4】 もう悦子の物も何も無い。純也と健司の部屋は魚拓しかない。また釣りに行きたい。

(あ~)覚えている。送られて来た荷物の中に、天井に貼った自慢の魚拓が無かった事を。父が処分したとさえ聞いた。でも父は、日記に記してくれた。心は繋がっていたのだ。

【2004 1/5】 仕事初めも何もない、疲れで早退した。 純也と健司に会いたい。

父の日記が、小間切れの様に短くなってきた。

【2004 1/6】 書けない、つらい。

日付の横に走り書きがだけだった。

冬休みが終わって転向する事になった。そんなに遠くない場所でも、何十キロも離れている様に感じた。父は単身赴任ということになっていた。いじめに合いそうになっても、つっぱつた感じで凌いだ。離婚がバレていたらやられていた。幸い弟のケンカも怪我をしない程度で済んでいた。不幸中の幸いだった。

【2004 1/10】 遅れて来た純也、健司宛の年賀状が。実家のポストに黙って入れておこう。悦子は怒るかもしれないが、純也と健司に私が運んだとわかれば。

(そうか父だったんだ)でも、母が家に取りに行ったとばかり思っていた。今となっては。
32
投稿者:(無名)
2015/12/25 09:52:41    (bc84c9jX)
待っていました。
続きお願いします。
31
投稿者:釣り師
2015/12/25 05:12:31    (mxTO.HZ8)
【2003 12/25】
クリスマスも終わった。今年も終わった。俺達も終わった。残念だが身を 引く。純也、健司、仲良く兄弟で助け合ってくれ。ちゃんと支援するから、

【2003 12/28】
どうしても年内に離婚してくれと言い張る。同居しているのに勝手なものだ。正月に何て説明するつもりだ?俺の都合とでも言い張るつもりか?まぁいい、勝手にしてくれ、異(胃)が痛い、

朦朧とした意識の中で書いたのか、字まで間違っている。あの時におめでたくも無いクリスマスを祝いながら、両親のすっきりしない笑顔で、私も(覚悟しなければ)と思ったのを、弟は幸せそうにケーキを食べて、。

【2004 1/2】
元旦はよせ、と無理やり今日に引き延ばした。「お前らには申し訳ないが、本当だ、、お母さんお父さん、別れる事になった。大人の勝手、本当に勝手だ、、だが許してくれ。
すまん。…

(あー・) 父の無念が伝わって来ました。今となっては、母を恨む事もしませんが、。
30
投稿者:いろり
2015/10/18 19:37:28    (ECiivWlc)
>>28

お前は消えてくれ。迷惑だ。

この作品は小出しでも、おれは好きだ。
そりゃ超大作に読み応えもあれば良いが
いろんな作品があっての投稿だと俺は思う。

お前の気持ちは理解できない。
筆者に失礼だ。
スルーしなさい。

筆者さん。
頑張ってくれたまえ。

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