第31章 唯一無二
朝。
海はいつものように目を覚ますと、まず全裸になる。
鏡の前に立ち、昨夜までに刻まれた傷やピアスを確認してから、スマホで全身の写真を撮った。
指定された通り、矢島に送信する。
イヤーカフを耳に装着し、小さく息を吸った。
「おはようございます、梵様。
……見ていただけましたか?」
「ああ、見ていたよ。いい子だ」
その一言で、胸の奥がゆっくりと温かくなる。
(今日も、ちゃんと見てくださっている……)
海の朝が、静かに始まった。
出勤し、いつものように業務をこなしていると、珍しく大学時代の友達・裕子から連絡が来た。
『久しぶり~! 今夜空いてる? 飲もうよ』
イヤーカフ越しに、矢島の声がした。
「行っておいで。俺は傍にいる」
「……はぃ。ありがとうございます」
(梵様が許可してくださった。それだけで、もう十分だ)
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待ち合わせの居酒屋で、裕子と再会する。
大学時代、成績を競い合ったライバルであり、友達でもあった女性。
今もキャリアウーマンとして独り身で働いている。
「海~、久しぶり! 元気だった?」
「ええ、なんとか」
裕子は席に着くなり、今の年下彼氏の話を始めた。
「ねえねえ、聞いてよ。彼、年下なんだけどさ、舌が本当に凄いの。クンニが上手くて、あれはもう……頭が真っ白になるっていうか。私、声出さないタイプだったのに、もう我慢できなくて」
(私は……いつも…最後は、気絶ね……)
海はグラスに口をつけたまま、「ふ~ん」とだけ返した。
「それにね、この前カーセックスしたんだけど、駐車場で誰か来るんじゃないかってドキドキして……それがまた興奮して。若いから体力もあるし、激しいのよ。終わった後もすぐ次、みたいな」
(私は……フフフ)
裕子は嬉しそうに、湯気が立つように話を続ける。
海は相槌を打ちながらも、心の中では全く動かなかった。
(……羨ましい、とはちっとも思わない。
私の方が、ずっと深く、熱く、所有されているもの)
「そっちはどうなの? 最近」
海は一瞬、矢島のことを思い浮かべて、目を細めた。
「……仕事ばっかりよ」
隣の席の若いサラリーマンたちから声をかけられる。
「よかったら一緒に飲みに行きませんか?」
裕子が「え~、どうする~?」と海に振る。
海の目には、矢島以外の男の顔は、すべてモザイクがかかったその他大勢にしか映っていなかった。
声も、笑顔も、何か遠いもののように感じる。
「興味ないんで」
冷たく言い放つ。
「え~、少しくらいいいんじゃない? 息抜きよ、息抜き」
「嫌よ。貴女も若い彼氏に怒られるわよ」
(私は、もう他の誰かと笑って飲む気にもなれない。
許可されていないから、ではない。
ただ、必要がないだけだ)
結局、二人だけで店を出て、近くのバーへ向かった。
普通のバーだった。
裸同然の男女も、ステージで縛られた人もいない。
ただの、普通のバー。
なのに、海は場違いな感覚を覚えた。
以前は何とも思わなかった空間が、今はどこか落ち着かない。
空気が薄い、とでも言うような。
イヤーカフから、矢島の声が落ちる。
「海、楽しんでるか? 友達、面白い子だな」
海はカウンターで、思わず「ふふっ」と一人微笑んだ。
(……そばにいてくださっている)
「どうしたの、急に」
裕子が不思議そうに覗き込む。
「ちょっと思い出し笑いよ。ふふっ」
「なーにーそれー」
海は小さく息を吐いた。
「……少し、楽しめた」
「それよりさ、彼氏いないんなら、彼の友達紹介しようか? いい男いるのよ~。優しくて、年収も安定してて」
「遠慮しとくわ。私は今が、一番幸せだもの」
「えーー、なによー、彼氏いるの?」
「そんなんじゃないわよ」
(そう、そんな簡単な関係ではないのよ。
恋人、という枠に収まるものじゃない)
海はまた、小さく笑った。
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バーを後にする頃、矢島の声がした。
「海、楽しかったか? 久しぶりだろう、女子会は」
「はい……楽しかったですけど……梵様に逢いたくなりました……ふふっ」
「今日はもう遅い。気をつけて帰りなさい」
「はい」
(……帰ったら、写真送ろうかな。
でも、その前に、ただ梵様の声をもう少し聞いていたいな)
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家に帰り、シャワーを浴びてベッドに入ると、スマホが鳴った。
矢島からのメッセージ。
『このURLを確認しなさい。
私達のアカウントを作った。ここに裸の写真を毎朝アップしなさい。
ボカシを入れてな。モザイクアプリも送る。
このサイトは普通のSNSではなく、こっち寄りのサイトだから安心しなさい。
カップルアカウントや女性のアカウント、それを狙う男のアカウント。
色んな嗜好の人がいるぞ。色んなアカウントや掲示板を見てみるのも面白いぞ』
「……はい、わかりました」
海はベッドの中で、送られてきたサイトを開き、ゆっくりと巡回し始めた。
最初に目に入ったのは、緊縛の画像だった。
腕を後ろ手に固定され、胸が美しく縛られている。
(……これ、私もされた。梵様が縛ってくださった縛り方だ)
次に、バラ鞭で尻を叩かれている女性の写真。
肌が赤く染まっているが、ミミズ腫れまではいっていない。
(これは……痛いのかしら。赤くなっているだけだな。
私が受けた乗馬鞭や一本鞭の方が、ずっときついのかな)
スワッピングの投稿を開く。
夫婦が他の男女と交わる写真が並んでいた。
海は思わず、眉を寄せた。
(梵様が、他の女性と……? 無理。無理よ。
私、耐えられない。絶対に嫌)
複数プレイや、快楽責めの画像を見ても、海の反応は同じだった。
「自分もされた」ものには静かな共感を覚え、
「梵様が他の誰かにする」想像には、強い拒絶が湧く。
(こんなに多くの人が、それぞれの形で繋がっている……凄い)
昔、自分が調べたのはSMのビデオや小説ばかりだった。
作り物ではない、一般の人たちも、こんなにもたくさんいる。
自分だけではないのだと、少しだけ心が軽くなる感覚があった。
そして同時に、海は改めて思った。
(梵様は……私に、これだけのことを与えてくれている)
痛み、拘束、露出、所有、羞恥、快楽、管理。
ここで見る様々な嗜好の多くを、すでに矢島は海に経験させ、身体に刻み込んでくれていた。
(……凄い人だ。私の梵様は。
私は、こんなにも深く、導かれている)
海はさらに、主従関係について綴られた投稿をいくつか開いた。
厳しいルールを課す主。
毎日の報告を義務付ける主。
失敗すれば即座に罰を与える主。
どれも真剣で、熱を帯びている。
それでも海は、どこかで「違う」と感じた。
(……梵様は、もっと深い)
毎日の写真報告も、イヤーカフでの管理も、
ここに書かれている多くの主がしていることを、すでに超えている。
なのに、矢島は「管理が甘かった」と自分から謝った。
嫉妬する、とも言った。
私の元彼を気にし、上書きすると言った。
(他の主は、ここまでしないのではないかしら)
海はスマホを胸に抱き直した。
(私の梵様は、唯一無二だ)
痛みを与え、傷を刻み、所有を示しながら、
それでも私の不安を拾い、責任を認め、
「もうこんなことにはしない」と言ってくれた人。
(……幸せだ。私は、こんなにも深く、愛されている)
海は目を閉じたまま、小さく繰り返した。
「梵様……」
その声は、感謝と、静かな幸福に濡れていた。
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