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主な登場人物
鎌田俊雄(45) 総務部部長 柊木陽子(48) 総務部総務課 白井慶子(48) 総務部秘書課 プロローグ 再会 この春、鎌田俊雄は地方支社の支社長から、本社総務部長として戻ってきた。 新卒で五年本社勤務をしたあと地方へ転勤し、営業で結果を出し続け、支社長にまで昇進した。家も建て、社内結婚もした。 単身赴任の辞令が出たとき、妻は笑って送り出してくれたが、少しだけ申し訳なさが胸に残った。 初日の業務をどうにか終え、机の上を片づけながら、俊雄は本社フロアをぐるりと見渡した。 出張で何度も来ていた場所だが、自分の席を与えられるのは久しぶりで、妙な緊張があった。 総務部には、社内でも有名な二人の女性社員がいる。 総務課の柊木陽子と、秘書課の白井慶子。どちらも四十八歳の独身で、社内では「お局様」と囁かれている。 俊雄にとっては、特に柊木陽子が懐かしい存在だった。 本社で新人研修を受けていた頃、彼の教育係を務めていたのが、ほかならぬ彼女だった。 気づけば、周囲の社員は次々と帰り支度を始めていた。 挨拶の声が遠のき、フロアの明かりが一列ずつ落ちていく。 残っているのは、自分のほかに数人だけだ。 そのとき、背後から聞き覚えのある声がした。 「鎌田くん、久しぶり」 振り向くと、通路に柊木陽子が立っていた。 あの頃より年を重ねているはずなのに、第一印象は不思議と変わらない。 「あっ、柊木さん。ご無沙汰してます」 昼間は部長と部下という距離を意識していたはずなのに、二人きりに近い空気になると、体が勝手に新人時代の感覚を思い出す。 「地方でのご活躍、本社にもちゃんと聞こえてきてたわよ」 陽子は、昔と変わらぬ調子で言う。 部長に向けるものとは思えない、どこか年長者の余裕をにじませながら。 「いえ、そんな、、、まだまだです」 「また鎌田くんとお仕事ができて、私、嬉しいわ」 「わ、私もです。まさか、柊木さんと同じ部署になるなんて、、、」 口ではそう言いながら、胸の奥には懐かしさと、うまく言葉にできないざわめきが広がっていく。 陽子は、ふと周囲のフロアを見回した。 残っている社員たちの位置と距離を、さりげなく確かめるように。 「結婚もされたのよね」 何気ない雑談の延長のような口調で、ふいに話題を変える。 「は、はい。一応、、、」 「奥さまは、、、」 そこで一拍だけ、言葉が宙に浮いた。 陽子の視線が、まっすぐ俊雄の顔をとらえる。 「奥さまは、あのこと、ご存じなの?」 「えっ、あ、あのことって、、、?」 唐突な一言に、喉の奥がひゅっと冷たくなる。 口ではとぼけてみせながらも、脳裏には、忘れかけていた光景が鮮やかによみがえりつつあった。 まだ本社で、新人研修を受けていた頃の話だ。
2026/07/26 14:38:43(iuNmacKm)
第四章
月曜の朝、エレベーターの扉が開くと、いつものフロアの空気が押し寄せてきた。 蛍光灯の白い光と、コピー機の起動音と、コーヒーの匂い。 俊雄は、できるだけいつも通りの足取りを装って自分の席へ向かう。 「おはようございます、鎌田部長」 横を通り過ぎざまに、白井慶子が軽く会釈した。 声のトーンも、言葉も、いつもと変わらないはずなのに――。 (よそよそしい……?) 俊雄は、とっさにそう感じてしまう。 目が合ったのは一瞬だけで、すぐに視線をそらされた気がした。 自分の席にバッグを置き、椅子を引いたところで、背後から声がかかった。 「ねえ、鎌田部長」 振り向くと、陽子がいつもの笑顔で立っていた。 デスクに肘をつき、少し身を乗り出す。 「週明けから、白井さん、ちょっとよそよそしくない?」 「……え?」 「さっきの“おはようございます”もさ。声は普通なんだけど、目線がすぐに外れてたでしょ」 陽子は、わざと軽い調子で続ける。 「この前の写真のこと、どうしても頭に残っちゃうのよ、きっと」 (やっぱり……あれで、何か感じたのか) 陽子はそこで、わざと声を落として耳元にささやく。 「ねえ、鎌田部長。あの人が、あなたのことを“どういう目”で見るかって、気にならない?」 「そういえば、今日の夜、白井さんまた残るみたいよ」 「せっかくだし、ちゃんと“覚えて”もらわないとね」
26/08/11 14:34
(SrD.naM0)
定時を過ぎて、フロアの明かりがまばらになり始めたころ。
白井慶子のデスクには、まだスタンドライトが灯っている。 「ねえ、鎌田部長」 モニター越しに顔をのぞかせた陽子が、口元だけで笑った。 「白井さん、今日も残ってるみたいよ」 「……そう、か」 「この前のこと、思い出したりしてるかもしれないわね」 陽子はわざと何気ない声で続ける。 「だって、あの“部長の姿”、知ってるの、今のところ白井さんだけだもの」 机の下で、陽子のつま先がそっと俊雄の足首をつついた。 「ねえ、鎌田部長。今日の夜も、ちゃんと“いい子”になれる?」 「片づいたら、いつもの会議室に来て。遅れたら……分かってるわよね?」 俊雄は、周りの部下が帰るのを見送ると、陽子の待つ会議室へと向かった。 「遅くなりました」 会議室に入るなり俊雄は両膝をついて陽子に挨拶をする。 「さあ、いつもの格好になるのよ」 俊雄は、素早く着ているものを脱いでいく。 陽子に首輪とリードをつけられると、机の脇に膝をついた。 陽子は椅子に腰を下ろし、ポケットからスマートフォンを取り出した。 画面を数回なぞると、無造作にこちらへ向ける。 「この前、白井さんに見せたのは、これ」 さらりとした声だった。 画面には、会議室の床に四つん這いになった自分の姿や両手を上げてガニ股になってる写真などが映っている。 首輪も、うつむいた顔も、はっきりと。 (……俺だ) (これを……白井さんは、もう見ているんだ) 自分で見ても、言い逃れのしようがない写真だった。 喉の奥がひゅっと鳴るのを、自分でも抑えられない。 「ちゃんと顔も写ってるから、分かりやすいでしょう?」 陽子は事務的な確認でもするように言い、画面をすっと引っ込めた。 「安心していいわよ、部長」 そう前置きしてから、ゆっくりと言葉を継ぐ。 「この写真を、誰にどこまで見せるかは──全部、私が決めるから」 「じゃあ、部長」 陽子は首輪の金具を指先でつまみ、軽く持ち上げた。 「今からこの会議室を出て、ひとりで役員室のフロアまで行ってきて」 「……ひとりで、ですか」 「そう。廊下を端まで歩いて、戻ってくるだけ」 「もちろん、そのままの格好でね」 「私はここで待ってるから」 「ちゃんと行って、ちゃんと戻ってきたかどうかは、あなたの顔を見れば分かるわ」 「はい、わかりました」
26/08/11 14:35
(SrD.naM0)
俊雄は恐る恐る会議室を出た。
エレベーターの扉が静かに開くと、ひんやりとした空気が頬を撫でた。 昼間より少し暗くなった役員室フロアには、人の気配がほとんどない。 それでも、奥の一角だけは違っていた。 役員室の並ぶ一番奥のドアの下から、細い光が漏れている。 (……白井さんがいるんだ) 俊雄は反射的に足を止めた。 裸の膝がカーペットに触れる感触と、首輪が喉元で小さく鳴る音だけが、自分の身体の居場所を教えてくる。 陽子はここにはいない。 今なら、少し時間を置いてから戻っても、きっと分からないはずだ。 (いや、これは命令なんだ) 俊雄は、自分に言い聞かせ壁際に手をつきながら、そっと膝を前に出した。 四つん這いの姿勢のまま、役員室の並ぶ長い廊下へと、静かに這い出していく。 役員室のドアが並ぶ廊下は、どこまでも同じ景色が続いているように見えた。 ドアプレートに刻まれた役員たちの名前を、俊雄は視界の端でやり過ごしながら進む。 裸の膝が一つ動くたびに、カーペットの毛足が押しつぶされては、ゆっくりと戻る。 その感触が、昼間は決して触れない場所に自分がいることを、いやというほど思い知らせてくる。 (誰にも……見られてない、はずだ) 廊下の突き当たりまでたどり着くと、俊雄は壁に手をついて、そっと息を吐いた。 喉元の首輪がかすかに鳴る。 すぐに身体の向きを変え、来た道を引き返す。 少しでも音を立てないように、手と膝をそっと置き換えながら、役員室のドアの列を逆向きにたどっていく。 やがてエレベーター前の広いスペースが見えてきたとき、俊雄はようやく胸の奥で固まっていた息を吐き出した。 (ふう……) (誰にも気づかれずに、行って、戻ってこられた)
26/08/11 14:36
(SrD.naM0)
慶子は、役員に頼まれた資料の確認をするため、この時間まで役員室に残っていた。
役員室の中で書類に目を通していた白井慶子は、ふと視界の端に影がよぎった気がして顔を上げた。 ドアの向こうから、かすかな擦れる音がする。 誰かが廊下を歩いている──そう思ったが、足音は聞こえない。 慶子は椅子をそっと引き、ドアノブに手をかけないように気をつけながら、ほんの少しだけ扉を開けた。 廊下の灯りが細く差し込み、その向こうに、人影が見える。 床を這って進む、裸の背中。 首輪の金具が、わずかに光を跳ね返した。 「……鎌田、部長……?」 先日、陽子に見せられた写真と目の前の光景が一致する。 声に出したつもりの言葉は、喉の奥でかすれて消えた。 慶子は息を止めたまま、廊下を往復していくその姿を、ただ黙って目で追い続けた。 エレベーターで再び会議室のあるフロアに戻ると、廊下は静まり返っていた。 俊雄は四つん這いのまま、誰にも会わないことを祈りながら、会議室のドアの前までにじり寄る。 ノックもできない手で、そっとドアを押した。 「戻りました……」 中では、陽子が一人、椅子に腰かけて待っていた。 書類に目を落としていた手を止め、ゆっくりと顔を上げる。 「お帰りなさい、部長」 「どうだった?」 俊雄は喉の渇きを誤魔化すように一度唾を飲み込んでから、答えた。 「……誰にも、会いませんでした」 「廊下を端まで行って、戻ってきました」 陽子は、しばらく何も言わずに俊雄の顔を見つめていた。 それから、ほんの少しだけ口元を緩める。 「そう」 「ちゃんと、言われたとおりにできたのね」 指先で首輪の金具を軽く撫でながら、陽子はささやいた。 「いい子ね、鎌田部長」 第四章 了
26/08/11 14:38
(SrD.naM0)
第五章
いつもより早く出社して、白井慶子は自分の席に座りながら、モニターの電源を入れた。 まだ誰も出社していない。 立ち上がる起動音を聞いているあいだじゅう、指先はキーボードの上で宙ぶらりんのままだった。 画面にいつものログイン画面が表示されても、パスワードを打ち込む手が動かない。 昨日の夜、役員室のドアの隙間から見てしまった光景が、まぶたの裏に何度も浮かんでは消える。 首輪。 裸の背中。 廊下を這う鎌田部長の姿。 (見間違い……なんかじゃ、ない) 心のどこかでそう分かっていながらも、「気のせいだった」と片づけてしまいたい気持ちも同じくらい強い。 けれど、そのどちらにも決めきれないまま、慶子はようやくゆっくりとキーを打ち始めた。 しばらくして、部長席に俊雄の姿が現れた。 慶子はその姿を見つけると、椅子から立ち上がり、ゆっくりと近づいていく。 「おはようございます」 何も知らなかった昨日の朝とは違う。 それだけの言葉を口にするだけでも、慶子の表情にはわずかな緊張が走った。 「あ、おはようございます。今日は早いですね」 俊雄は一瞬だけ慶子の顔を見て、すぐにモニターへ視線を戻した。 平静を装っているつもりなのか、返事はどこかぎこちない。 「ええ。昨日の仕事が少し残っていたので、早めに来て片付けようと思って」 「役員の秘書も大変ですね。急な対応もあるでしょうし」 それだけの何気ないやり取りのはずなのに、慶子には妙に遠回しな会話に思えた。 目の前のこの人に、昨夜のことを聞いてしまっていいのか。 迷いながら、慶子はそっと俊雄の横顔をのぞき込む。 「あの……」 俊雄は胸騒ぎに似たものを覚え、じわりと体が熱くなるのを感じていた。 「昨日の……」 慶子がそこまで言いかけたときだった。 「おはようございます」 明るい声とともに、陽子がフロアに入ってきた。 二人の前で足を止めると、何でもない顔で慶子と俊雄を見比べる。 「どうしたの。朝から二人とも、ずいぶん深刻そうだけど」 「う、ううん……何でもないの」 ちょうどそのころ、陽子の後ろからも社員たちが次々と出社してきていた。 これ以上ここで話を続けるのは無理だと判断したのか、慶子は小さく笑ってごまかすと、自分の席へ戻っていった。 陽子はその背中を見送ってから、俊雄のそばにほんの少しだけ身を寄せた。 「お邪魔しちゃったかしら」 耳元にだけ落とされた囁きは、からかうようにやわらかい。 そうして何事もなかったように、自分の席へ向かっていった。
26/08/16 14:02
(uw67h2gh)
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