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処女、童貞喪失体験告白 RSS icon

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2024/12/29 16:03:08 (2vhoRNP4)
これからこのサイトで私の性体験を縷々書いていこうかなと思っている。
まぁ還暦も過ぎても持て余している性欲のひそかなはけ口として文字にリビドーを注ぎ込むなんて、思ってもみなかったが10代の詩的情動にも似たような、甘いときめきもあったりする。
ひと時お付き合いください。

サイトの中で板はバラバラだけど、一応時系列で投稿していく。だからタイトルは「投稿1」。

初体験を記す。苦い体験。ずっと引きずっていたし、自分の最低さを思う。
しかし言語化しておこう。

あれは19歳だったかな。1984年、1月の終わり頃だったと思う。セーターを着ていた。
実家に住んでいたけど、その時は夜、部屋を出て近所の公園にいた。
それまで数年、仲のいい連中と夜よく遊んでいたけど、健全なもので、集まっては代々木公園で徹夜したりしてた。その中に、気の合う子がいて、いつも長電話してた。うお座だった。美人だったな。だけど、あるときから向こうの親御さんが僕を怪しんで、電話を取り次いでくれなくなった。危ない人間だとばれたんだと思う。身元不詳で、年もサバ読んでいたから、それがばれたのか。理由は覚えてない。
それからはその子とも会わなくなった。

なので、孤独に一人、公園にいた。ふと、新宿のストリップ劇場に行ってみようと思った。
そのころ、ストリップ劇場によく行っていた。新宿、渋谷の劇場は大体行ったんじゃないかな。いっぱいあった。建物はそのまま、今は改装しておしゃれなカフェになっているところもある。

そのころのストリップは、お客さんが舞台に上がって、踊り子さんと本番をするまな板ショーがあった。踊りを見せるストリッパーと、本番をやるストリッパーは微妙に違っていたように思う。
踊り子さんも、いろいろと陰部を使った芸があって、こけしをポンッと飛ばしてみたり、小陰唇を開いて、ヴァギナの挿入口を見せてくれるんだけど、ミルククラウンみたいな形で襞が開いてシクンシクンと律動しているのとか、いまでも目に焼きついている。

そういう人も本番をやっていたかもしれない。そのあたりは記憶が定かじゃない。

舞台に上がる男性は自分とは別の人種と思っていた。よくわからない区別。でもたまりにたまるから、劇場からの帰りに地下道のトイレでオナニーして出したりしていた。
あるとき、ノーパンにジーンズで行って、チャックで亀頭を挟んじゃったことがあって、そのあとは今もある。

劇場によって違ったけど、歌舞伎町の風林会館の裏にあった、たしかDX劇場と言ったと思うけど、そこは、客席の横にカーテンで仕切られた個室があって、踊り子さんが手尺で抜いてくれるサービスがあった。
踊った後はその個室に行く踊り子さんもあれば、それがない踊り子さんもいた。一連の流れで、そこは暗黙のルールがあるようだった。
舞台に上がるのとは違って少し興味はあったけど、そこは勇気がなかった。

あの夜、公園にいたとき、ふと新宿のストリップ劇場に行こうと思った。
真っ暗だったけど、たぶん19時くらいだったんじゃないだろうか。冬なので暗い。

新宿のDX劇場に行ったんだと思う。
いつにもまして、心臓を高鳴らせて、舞台を観ていたんだと思う。
どこか捨て鉢でもあったんだろうと思う。
いつもは勇気がなくてはいらない個室に入ってみようと思った。
舞台に向かって下手側の一角。

そこで気が付いていたことがあった。
カーテンが開かれている時と、カーテンが閉じられている時がある。
ランダムなのか、交互なのか。
どうも交互のようだ。
ともかくカーテンが開かれた奥で踊り子さんが抜いてくれる。

何度か行こうとしたけど、一回に一人だけだったか、行きそびれた。確か。記憶曖昧。
そしてようやくは入れた。やった。

パイプ椅子に座って待っていると、踊り子さんがやってきた。あれ? 今踊っていた人ではない。何番目か前にちょっとも前に舞台に上がっていた人。少し驚いた。
手にかごをもって、中にいろいろ入ってる。
日本の方ではなかった。どこだろう、アジアというより、中南米の人じゃないか。黒髪に面長な顔立ち。腰にベリーダンスのような飾りを巻いていた。

カーテンが閉まっていた。いつ閉まったのか。
あ、カーテン閉まる番に入ったんだと思った。
踊り子さんが手際よく僕のズボンを脱がす。
すかさずコンドームを装着する。
すると、間髪入れずに口に入れた。
フェラチオだ。
いや、これは違うと思った。手尺だからいいかと思って中に入ったのに、これはやりすぎだ。しかし、抵抗できない。気持ちいい。
生まれて初めて、フェラチオを体験している。
心は抵抗している。しかし身体は気持ちよさに従っている。流れに従っている。

どこくらいだったろうか。
長い時間だったような気もするが、1分もなかったかもしれない。
踊り子さんは、僕のペニスが十分に硬くなったのを確かめたかのように、口を放し、馬乗りになってきた。
パイプ椅子に座った僕に乗りかかってきたのだ。
おっぱいが僕の目の前にあっただろうか。
踊り子さんは僕のペニスをヴァギナに挿入しようとする。
僕の手も手伝ったろうか。
ペニスは踊り子さんのヴァギナの中に入った。
踊り子さんは吐息をつくと腰を動かし始めた。
僕も踊り子さんの腰に手をまわして、その動きに合わせている。
気持ちいい。
乳房を吸っただろうか。
乳首を舐めただろうか。
踊り子さんの息が荒くなる。
腰の動きが大きくなる。
激しく腰が動く。
僕も踊り子さんの腰を抱いて動かしただろうか。
射精した。
心に衝撃があった。
踊り子さんは腰を放して、手早くコンドームを外した。
僕は急いでパンツを上げジーパンを締めた。
リーバイスだったお思うがボタンフライの501ではなくチャック式のやつ。ジーンズメイトで買った。
多分、挨拶をして個室から踊り子さんは出ていった。
僕は個室の外に出た。自分でカーテンを開けたのだったか。
逃げるようにして劇場を出たと思う。
歌舞伎町の、区役所通りだったと思う。急ぎ足で家に向かった。
初体験してしまった。
こんなはずではなかった。
今日、ここで、初体験するつもりは全くなかった。
踊り子さんの香水が強かった。
セーターに踊り子さんの香水の匂いが染みついている。
匂いの付いたまま、電車に乗り、家に帰ったと思う。

両親がいた。
香水の匂いに気が付いたようで何か言われた。
「あ、そう。電車で付いたのかな」とか適当なことを言って、ごまかしたと思う。

動揺していた。
セーターと下着をすぐに洗濯したような気がする。
童貞を失ってしまった。
予期せぬ形で。
不本意だった。
こんなはずではなかったのに。そう思っていた。

数日して、ペニスが痒くなり、赤くはれてきた。
少し白いものが尿道から出る。
これは性病ではないのか。
信じたくなかったが、現実。
どうしよう。
近所に大きな病院があるが、いつも通っている。
バレてしまう。

泌尿器科が性病の診療科目と、そのころは知らなかった。
性病科の病院を探した。
中央線に乗っていると、大久保に中央病院という性病科の看板がいつも見えていた。
ペニスの症状は治ることなく、悪化する。
中央病院に行ってみよう。
かなり勇気が要ったが、受信した。
老人の男性医師。
診察台で下半身を裸。
ペニスを見るなり、淋しいやつだね、と言った。

抗生物質を処方されて、注射を打ったかもしれない。

しばらくしてペニスは治ったが、性病になったことがショックだった。
コンドームをしていれば病気は防げるといわれているのに。
淋病になるのだから、他の病気も一緒に移っているのかもしれなかった。

潜伏期間の長い病気。ヘルペス。梅毒。
その年、エイズが発見された。
アメリカのゲイの間で感染が広がっていると大きなニュースになった。
潜伏期間は10年。エイズにかかっているかもしれない。

献血で梅毒検査はしてくれるという。
そのために献血した。
陰性だった。
ホッとした。
しかしエイズの疑いは残る。
エイズノイローゼになり、何も手につかなくなった。
何度目かの受験を控えて今年こそは勉強しなくてはと思っていたが、それどころこれではなくなった。

一応、この話はここまで。
15年後にエイズ検査を受けて陰性になるが、その間に関係した女性たちには、感染させるリスクがあるのにセックスをしていたという、心的事実は贖えない。酷い話だ。心から申し訳なく思う。

いまこうしてテキストにして、新しい思いが湧いてきた。
初体験をした、ストリッパーをいとおしいと思う気持ちが湧いている。ありがとうという感謝がある。

いままで後悔の対象だった。
しかしあの人は、僕に最初の快楽を与えてくれた。
女神。
エロスと呼びたいが、エロスは男神。
エロスの母、アフロディーテ。

あの踊り子はエロスたる僕を生んだ、アフロディーテだったんだ。
感謝します。
まったく身勝手な感謝だけど。
ありがとう。
36
削除依頼
2024/12/29 13:47:38 (a614TyFy)
実家から連絡があり、ご近所の靖代さんが亡くなった。
後日靖代の遺族から「おばあさんが生前大変お世話になった。」とお礼状とともにお米が送られてきた。
やはり家族は知っていたか・・・・・
僕と靖代は昔44歳歳の離れた肉体関係を結んでいた仲だった。
当時思春期の僕は性欲が盛んでオナニー三昧、近所のおばさんたちに勃起しオカズにするぐらい性欲が強かった。
なかでも靖代は当時還暦ながら胸が大きくB90のEカップで母より14歳以上歳が多いのに好きになってしまった。
時々夢精をやらかしてパンツをザーメンまみれにしていたが靖代と全裸で抱き合っている夢をみていた。
汚れたパンツをはいたまま高校へ通学、ぬるぬるの感触が気持ちよかった。
当時後家だった靖代と話していると至福の気持ちが湧き勃起している。
そして僕は靖代に告白し彼女の目の前で学生服を脱ぎ下着も脱ぎ捨て勃起した肉棒を彼女の肉体に擦り付けて肉棒の口からガマン汁がドクドクと溢れ出して彼女の衣服を濡らしていく。
靖代は着衣巨乳状態のブラが透けたブラウスのボタンを一つずつ外していき、乳房の谷間状態のブラジャーのホックを外し、レース付きのパンティーを脱ぎおろして陰毛に覆われた陰部を晒していく。
「翔ちゃんと私とは44歳歳が離れているのよ、お母さんより14歳も私が上なのよそれでもいいの?」
僕の肉棒はMAX級の勃起状態で彼女の両手を導き握らせた。
37
2024/12/28 23:36:09 (MLNV/hwx)
私は高校3年の秋に彼氏ができました。
私は誕生日が3月と遅いので高校卒業した数日後に彼氏と初エッチしました。
初めてなのでとりあえずお互い全裸になりました。
私は彼氏に裸だけでなく下着を見せるのも初めてなので彼氏は私の下着姿で既に勃起してました。
彼氏は既に準備完了みたいでしたが、私はまだなので前戯してもらいました。
彼氏は私の太腿、腹、顔などを舐めたり撫でたりしました。
特に胸の時間が長く私のCカップを揉んたり乳首を吸ったり上下に動かしたりと胸が壊れるんじゃないかと思いました。
私が濡れて前戯が終わると彼氏は挿入して来ました。
初めてなので少しづつ挿れ、私は痛かったですが何とか耐えて全部入りました。
彼氏は振り始めると私は失神しそうになりましたが呼吸をして意識を何とか保ち彼氏が「逝く」と言ったので私は「中に出して」と言い、生の中出しをしました。
1回戦だけで彼氏が「生の中出ししてよかったの?」と聞いたので私は「今日は安全日だし初めては生の中出しがいいから。もしできたら結婚してね」と言いました。
妊娠はしてなくて、その後彼氏は大学の工学部に進学し、私は看護師になるために短大に進学しました。
進路は別ですが2人とも実家から通ってるので休日は会ってエッチしてます。

38
2024/12/20 10:15:45 (GtOt4o6.)
僕が小学6年のときだった。父から二人を紹介され家族になることに
なったといわれた。そして四人で見に行った家は庭付き一戸建て。そ
こに四人で住むことになるがいいかと言われた。自分の部屋も与えら
れ勉強するにもいいだろうといわれ、嫌だといういう理由が見つから
なかった。娘もいい人のようで、人当たりも良く母になるという女性
も綺麗な人だった娘はユリカといって僕より四つ年上の女子高生。義
母になる人はキヨミといった。仕事で飛び回る父は留守がちで、土日
以外家に帰ってくることは昔からなかった。そんなこんなで料理とか
は自分でやっていた。義母となったキヨミは料理が下手で、僕が料理
する方がいいくらいだった。その時は、女子高生のユリカが手伝って
くれて自然に打ちとけていった。僕が中学に入ったの機に義母も仕事
をはじめ、夕食は娘のユリカと二人か、または、時間によっては一人
ずつという日が多くなった。
中学に入る少し前あたりから、僕は朝晩激しく勃起するようになって、
それを静めるためのオナニーが日課のようになっていた。
初めの頃は精液量も少なく手のひらに射精してて手もみすれば乾燥し
てしまうていどだったのに中学に入って間もなくからかなりの量が出
るようになり、回数を控えるようにしたら、かえって逆効果で、夢精
して下着を汚すようなこともあった。そういう時は洗濯してくれる義
母キヨミにバレないようにベッドシーツの下に隠して自分で洗うよう
にしていたのだが、ある平日、義母の勤めが休みだった日に、たまた
ま掃除に入ってくれた時に見つけられてしまった。そんなことがあっ
て義母キヨミにあるとき、そういう歳になったんで別に恥ずかしいこ
とじゃないから、こまったことがあったらちゃんと相談してといわれ
その晩、キヨミの寝室に来るようにいわれ、本格的な性教育?を施さ
れた。薄明りのもと半裸のキヨミに僕は直ぐに反応し、前を膨らませ
てテントを張った。「元気ね。そのままじゃ苦しいでしょ?」と優し
くいいながら直立している僕のパジャマの下をブリーフとともに膝ま
でおろされ、まだ皮がかぶってるペニスの皮をむかれた。恥垢で白く
なっているペニスをウエットティッシュで拭いてくれながら、お風呂
に入ったときは、この中もちゃんと洗わないとだめよと教えてくれた。
優しく拭かれていてもその刺激は強烈でペニスの根元がピクピクしだ
すのに気づいたのかキヨミは「あら? もう、我慢できなさそうなの?」
と聞いた。「はい、なんか、出ちゃいそうで」そういうが早いか、キ
ヨミはなんとペニスを口に入れてしまった。「そ、そんな、汚いです!」
そう叫んだが舌で数回なめられただけで我慢できなくなり膝をカクカク
させながら快感に身を任せ射精してしまった。射精の脈動がおさまるま
でくわえられたまま立っていた。興奮がおさまり、口から解放された
ペニスはまだ勃起したままだった。「あら、まだ元気なのね。じゃあ下の
お口にも入れてあげられそうね。」キヨミにさそわれるままキヨミの
ベッドに入ると上も脱がされ、全裸にされた。キヨミも布団のなかで
すべて脱ぎだようで裸どうしで抱きしめあった。ペニスが太ももに挟
まれたのを感じた。お互い横向きで抱き合っていた。「まだ、元気そ
うだから、入れちゃうわね。いいわよね」それはセックスするという
ことだとわかっていた。キヨミの巧みな導きで横向きのままペニスは
キヨミの足と足の間にしっかり根元まで入ってしまっていた。
体が自然に前後に動いた。僕はあっという間に気持ちよくなり脈動が
起き射精した感じがしたがキヨミは動き続けて僕を抱きしめより強く
動いた。キヨミの息遣いが変だな思って間もなく、キヨミが押し殺し
たような声で、「いぃ!い、いく、いくぅ~~」というのが聞こえた。
しばらく、そのまま二人はただ横向きで抱き合っていた。
正気にもどり、ブリーフやパジャマを自分で着た。キヨミも寝間着を
まとった。そして言った「今日のことは、二人だけの秘密。いいわね。」
僕は大きくうなずいた。そうしたら、キヨミが耳元で「今日でnami
ちゃんも男の子卒業したの。セックスしちゃったんだもん」と
いわれ、妙に焦った。そんなわけで、僕の童貞卒業は中学一年の初夏
ということになった。
39
2024/12/13 19:17:42 (4e9DiDh7)
俺、嫁さんが8歳年上なんだけど、今まで付き合ってきた女性の中で一番年が近いんだ。
他の女性は全員2桁年上。
俺が何で年上の熟女好きにあったかというと、それは初体験にある。
俺の初体験は高1の時、相手は伯母、と言っても母の兄の奥さんだから血縁者ではない。
当時、26歳年上の42歳で、母の一つ上だった。
子供がいない夫婦だったから、甥っ子の俺はメッチャ可愛がられてただけでなく、伯母さんは美人だったから憧れてた。。
街なかの高校に進学して、電車通学になったら、家から駅までの途中に伯母の家があって、高1の夏休みの補習返りの下校途中に、「寄っていきなさい」と言われて麦茶をゴチになったんだ。

その時、夏の薄着で胸元から胸の谷間が見えたり、「探したい物があるから、椅子持ってて」と言われ、椅子に上がった伯母だったけど、短めのスカートの中が丸見え、ベージュのパンティにメコ筋くっきり、勃起しちまった。
探し物を取って、俺に手渡すときに前屈み、胸の谷間どころか乳首まで見えて、痛いほど勃起した。
真っ赤な買いで勃起してる俺に気付いたように、
「あら、どうしたの?え?もしかして下着見えちゃった?」
コクリと頷くと、
「女の身体に興味あるみたいね。私で良ければ、教えてあげるわよ。」
と言われて寝室に連れ込まれて、裸にされた。

ビヨーンと脈打つチンコ握られて、
「硬くなってるね。凄い、カチカチ…」
と言いながら、カリから上をナデナデ、男の生理を知り尽くした人妻にされた亀頭責め、亀頭だけだとイケなくて、快楽地獄に陥るなんて言う知識もないガキだった俺は、ハアハアさせられた。
「どう?気持ちいい?」
「き、気持ちいいです…アァ…」
「イッていいのよ。ドピュンしなさい。」
と言いつつ亀頭だけ撫でられた。

「伯母さんじゃイケないの?じゃあ、自分でやってみて。伯母さん、裸インあってあげるから。」
というと、裸になってM字開脚、指をV字にして、オメコを見せ見せ、初めて見たオメコに興奮しながら、シコシコオナニーを始めるも僅か30秒でドピュン!
伯母さんの見てる前での射精は恥ずかしかったけど、初めて他人に射精を見られる羞恥もまた心地よかった。
「若いから元気ね。まだイケるでしょ?ほら、入れて…」
伯母さんは仰向けになると、オメコを広げて挿入を促した。
正常位で伯母さんのドドメ色のメコビラを割って入れると、伯母さんが抱き寄せてきて、唇を重ね、舌をこじ入れてきた。

奥まで挿入した時の感触が、ニュルニュルして温かくて、なんとも言えず、自然と腰がピストンを始めると、伯母さんの艶めかし声がエロくてまた興奮した。
さっき出したというのに、生のオメコの気持ち良さに、
「伯母さん、また出そうです。」
「そのまま出しなさい。生理前だから、大丈夫よ。甥っ子の精液、出されたい…」
と言われ、思わず中に出してしまった。
私を抱きしめ、キスした後、
「大好きな甥っ子の子種で孕みたい願望があるから、嬉しい…」
と言ってくれたのが嬉しかった。

16歳の男子高校生が2発で萎えるはずもなく、2時間くらい求め合い、伯母さんの中に3発発射した。
夏休みの間、平日は毎日のように伯母さんの家でセックスに明け暮れた。
生入れ外出しもマスターし、安全日には騎上位で抜かれ、その円を描くエロい腰遣いに悩殺、思わず激しく突き上げたり、後ろから乳を揉みながら腰振ったり、色んな体位を覚えた。
正常位はお互いに抱きしめ合って名前を呼び合いながらいった。
毎回何発も出したから、帰る頃には腰がフラフラだった。

その後も、学校が早く終わる水曜日に伯母さんとセックス、冬休みも春休みも、2年生も3年生も、伯母さんとセックスしまくった。
あれだけヤリまくれば、26歳差を乗り越えて愛情が芽生えて、セックスしながら、
「伯母さん、愛してます…」
と言いながらディープなキスを交わした。
大学進学で上京するとき、最後のセックスを終えた後、伯母さんが涙ぐんで、
「今日で恋人の伯母さんはお別れ。今後は、伯母と甥に戻りましょう。元気でね…」
と言って見送ってくれた。

伯母さんの手ほどきのおかげで、大学では、バイト先の三十路OLや四十路のパート人妻数人、飲み屋の五十路ママとハメ中になり、充実した熟女ライフを送れた。
そして、帰郷して就職した先で、俺の教育係に就いた先輩OLは小野真弓に似た8歳年上の可愛い人で、一目惚れ、半年の教育機関を終えた後、飲みに連れて行ってくれた席で口説いて、ベッドインした。
年下のカチカチチンコが気に入って、
「久しぶりのエッチだけど、今まででいt晩気持ちいいチンチンよ。」
と大喜び、俺25歳、嫁さん33歳で結婚、すぐに子作りして、今年娘が小3になった。

昨年、還暦を迎えた伯母は、伯父と離婚してこの街を去った。
「私ね、子育てが一段落したら、やりたいことがあったの。でも、結局、子供出来なかった…あの人は、自分一人で生きていけるから、お前はヤリたい事やれって。そのためには縁を切った方がいいって…」
「伯母さん、この街を出ていくの?一人で大丈夫なの?」
「ええ…長年の夢だから。あの人のことが心配だけど、あの人はあの人の人生があるから…じゃあね。伯母さん、行くね。さよなら…」
私をぎゅっと抱き締めると、伯母は手を振って去って行った。

おれから、伯母と連絡はとれていない。
どこで、どんな暮らしをしてるのか、元気でいるのか、分からない。
大好きな伯母だから、愛し合った伯母だから、会いたいし、せめて電話でもいいからお話がしたい。
でも、伯母は二度と俺の前に姿を現すことはないだろう。
伯母がやりたかったことさえ知らないけど、元気でいてくれたらそれでいい。
そんな、伯母との思い出をここに…
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