2022/02/24 21:14:26
(xUwLaluj)
東京に居た20代半ばまで、母の妹である独身の叔母と関係していました。
最初は、私が大学4年の21歳、叔母43歳、夏休みに帰省せず卒論を書いてるとき、叔母が夕食をご馳走してくれました。
その時、彼女が就活で帰省してて、ちょっと不自由してるのを叔母に無抜かれました。
その頃は、叔母と甥の禁忌性交でしたが、私が就職して23区内に越してきて、叔母のマンションと二駅の距離日時待ったことと、彼女が地元に就職して別れたことでした。
性交相手が叔母だけになってしまい、どうしても叔母とばかりするようになりましたが、40代半ばの伯母は女盛り、物凄い性欲でした。
土日は、叔母のマンションに籠ってやりっ放しでしたが、いくら22歳の私でも、一日にできるのは7~8回が限度でした。
ピルを飲んで中出しOKになった叔母は底なしの性欲となり、抜かずに何発も欲しがりましたが、せいぜい連発は3発が限度でした。
ある日叔母は、コックリング付きアナルプラグを買い込んできました。
コックリングは、陰茎の根元を締め付け、血流を遮断し、勃起を長持ちさせる効果があります。
アナルプラグは、前立腺を刺激して勃起を誘発させる効果があります。
それが繋がっているのですが、叔母が買ってきたのは陰嚢も縛られるように、リングが2つ突いていて、連動する恐ろし気なものでした。
「マー君、これで何度も勃起して、長く勃起して、叔母さんをイカせて・・・」
陰茎の根元と陰嚢を締められ、アナルにプラグを入れられ、騎乗位でっ腰を振られました。
あれほどの淫乱性交を、私は見たことがありませんでした。
血管が浮き出て、いつもよりガチガチに勃起した私の陰茎に跨って、絶頂へ向かって登り詰め、淫らに燃え上がる叔母を見上げて、女性ってこんなに淫乱になれるんだと驚きました。
一度射精しても、前立腺を刺激されて萎えることなく、コックリングで再び血流を抑えられて勃起を維持、抜かずの3発は変わりませんが、その1発にかかる時間が長いのです。
叔母の子宮に3発注ぎ込むのに、40分から、長いときは1時間かかります。
叔母はイキまくり、グッタリして倒れ込みます。
私は、睾丸が空になり、再び溜まるまでの数時間を稼ぐことができるようになりました。
先にシャワーを浴びて、グッタリ状態のおばが回復するのを待ち、お昼を食べに出かけます。
数時間後、帰ってくるとまたシャワーで汗を流したら、叔母は鼻息荒く、私のアナルを挿し込んだプラグをグリグリさせて犯しながら、フェラをして起たせます。
後は、陰茎と陰嚢を締められながら、叔母はまた私に跨り腰を振ります。
「ああ~~マー君、私の中に甥っ子精子出してぇ~~」
なんか言われて、 何となく、私は叔母に強姦されているような感じでした。
就職して4年間、叔母と関係していました。
私に転勤の内示が出て、八王子勤務となって、23区を遠く離れ、叔母との関係を清算しました。
私25歳、叔母47歳で最後のセックスは、アナルプラグは使わず、正常位で愛し合いました。
最後の精液を叔母の子宮に注ぎ、4年間の近親相姦を終えました。
肉親の中出しという禁忌を終え、叔母と甥に戻りました。
「叔母さん、さよなら。普通の親戚に戻ろうね。」
「そうだね、マー君。今度は、お嫁さん見つけなきゃね。」
叔母と別れて、八王子で妻と出会い、私28歳、妻25歳で結婚、その後都内を転々とし、昨年、15年ぶりに23区内に戻りました。
その間、叔母とはお盆と正月くらいしか顔を合わせていませんでしたが、昨年、叔母が長年勤めていたお店を62歳で辞め、マンションを引き払い、鎌倉市へ引っ越して行きました。
小高い丘の上にある集合住宅で、一人で住んでいます。
ずっと独身だった叔母は、老後の資金だけは蓄えてありました。
叔母に引っ越しを手伝い、
「じゃあね、叔母さん。」
と叔母に手を振って帰ってくるとき、
「さよなら、マー君・・・」
と言った叔母の言葉が、なぜか、叔母とはもう会えないような、そんなさよならに聞こえました。