2025/12/05 22:30:13
(JKPFVZ2G)
去年、母が亡くなった。
俺にとっては二人目の母で、俺を産んでくれた母も俺が小さい頃に亡くなった。
その母には連れ子がいて俺より2歳下の女の子だ。
名前が美里と言って初めて会った時はまだ小学校にも行っていなかった。
母が俺のことを「これからはあなたのお兄ちゃんになる人よ。」と言うと、母の後ろに隠れてじっと俺のことを見ていた。
俺は小学校に入った時で2年後美里も俺について学校へ行くようになった。
突然美里に兄が出来たように、俺にも妹ができた。
しかも凄く可愛い妹で、ちょっぴり自慢だった。
会った時は遠巻きに見ていたがすぐに慣れて俺の後を着いてくるようになった。
俺の家は田舎で今でいえば古民家だ。
近くに山があり川があり、二人して走り合って遊んでいた。
夏は川で裸になって泳いでいた。
まだ二人とも小さかったので恥ずかしいと言う気持ちはなく、素っ裸でも平気だった。
母も親父も俺たち二人のことを静かに見ていてくれた。
そんな母が去年急に亡くなった。癌だった。
その時俺は高校3年で妹の美里は高校1年生だった。
親父と母は凄く仲が良かった。
古民家のような平屋の古い家だったので隙間が多く、母のあの時の声も聞こえていた。
親父はいつも母のことを「愛している、ずっとこのままでいたい、、」と言って母を抱いていた。
母も「私もよ、ずっとここへいたい、愛しているわ、あなた、、」と言って母は親父にしがみ付きながら悩ましい声をあげていた。
多分美里もその声を聞いていたと思う。
一度だけ母に俺がオナニーをしているところを見られたことがる。
母は叱りもせず、「大人になる第一歩なんだから恥ずかしがることないのよ。でも、妹の前ではしてはいけないことなのよ。」と咎めることもしなかった。
そして一度だけ母の手で射精まで導いてくれた。
あの時の母の手の感触は今でも覚えている。
たった一度だけ、それ以上はなかった。
母の葬儀のあと親父が話してくれた。
余命は親父も知っていて、母は入院を拒み俺と美里のそばに最後までいてくれたことを教えてくれた。
でも一番寂しくて不安なのは美里だった。
俺も産んでくれた母が亡くなっていたので理解できた。
血の繋がりのある母親が亡くなって俺と親父は血の繋がりがない。
でも親父は、「美里、お前はずっとこれからも俺の子供だ。だからずっとここへいていいんだから、、」と美里を抱き締めていた。
ところが母が亡くなって3カ月もすると事態が変わっていた。
美里が親父の寝床に行って一緒に同じ布団に入って寝るようになった。
美里はまだ高校1年で16歳だ。
掛け布団を被っていて二人の様子は見ることは出来なかったが、明らかに親父の手は美里の体を弄っていた。
実は親父たちの布団、ベッドではないが母と一緒に暮すようになって親父が奮発して一緒に寝れるようにとダブルサイズにしていた。
美里は常に親父と反対側を向いて寝ていて、親父が美里の後ろから抱き付くような格好になっていた。
その美里の視線の先には俺の部屋があって、ふすまの隙間から美里と親父を見ることができた。
古い家でふすまにも隙間があり二人を見ることができてラッキーだと思った。
美里が初めて親父の布団に入った夜、美里は体を縮めて親父の反対側を向いて横になっていた。
「心配することはない、女だったら一度は通る道なんだから。お前のお母さんのその道を通ってお前を産んだんだから、、」と、さも当たり前のように諭していた。
そんなことを言いながらも親父の手は美里の体を弄っていた。
「いや、お父さんやめて、、」と言っても聞いてもらえず、布団の中で親父は美里が着ているものを1枚づつ剥ぎ取っていた。
剥ぎ取ったものは親父の手によって1枚また1枚と掛け布団の外へ出され、今美里がどういう状況なのかは想像がついた。
パジャマの上下が布団の中から出て美里の枕元へ放り出された。
春先に温かい季節だったので美里はあとはショーツだけであったことは想像がついた。
美里も母も寝るときはブラジャーを着けない性格で、美里も母に倣っていたと思う。
美里の体が手足を縮め震えているのが分かった。
それを解すように親父の手が美里の背中をさすりお尻を撫でて前に回って胸を揉んでいる。
「お父さん、お願いもうやめて、、」
美里も小さな声が親父を説得しているが、親父は構わず胸を揉んでいて掛け布団の動きで分かった。
「大丈夫だ、優しくしてあげるから、、すべて俺に任せるんだ、」
親父はそう言いながら美里の最後の砦であるショーツ迄も剥ぎ取ってしまった。
多分俺が二人の様子を見ていることを親父も知っていて、美里の最後のショーツを俺と親父の部屋を隔てているふすま近くまで投げてきた。
その後は美里の背中越しに親父は体を密着させて、自分が着ているものを1枚ずつ脱いでいくのだった。
そして親父の最後のパンツ迄も美里のショーツと同じようにふすま近くまで投げていた。
多分親父の硬いものが美里の体に触れているのだろう、美里はそれを避けるように体をずらしている。
「もういい加減に諦めろ。この硬いものがお前の中に入るだけの話なんだから、、あくまで逆らうんだったら俺も強引にするしかないよな。」
親父はそう言うと美里の体を親父の方へ向け覆いかぶさっていった。
ただすぐには挿入せずに美里の頭を固定すると唇に唇を重ねていった。
体ががっしりな親父に対して華奢な美里は動くことも出来ず、ただ唇を強く締め付けるしかなかった。
美里の息が止まりしばらくしては~と息を継いだところに親父の舌が入ってきてあとはされるがままだった。
親父の舌を美里が噛むのではないかと思ったがそれはなかった。
「有無、、産む、、」声にならないうめき声、それでも親父は美里の口の中を舌で舐め回し、歯と歯茎の上下そして裏表に至るまで舐め回していた。
その次は顔中を舐め回し両耳、首筋、肩から両乳房乳首に至るまで舌を這わせ舐め吸っていた。
美里は胸を吸われている時、親父の頭をグーで叩いていたが何の効果もなかった。
その後、親父も体は掛け布団の中に入っていったが、美里の抵抗はそこまでだった。
美里は諦めたようにじっとして涙だけ流していた。
多分親父は美里の脚を大きく広げ股間を舐めているに違いなかった。
その後、親父の顔が掛け布団から見えた時、親父の硬いものが美里の中に入ってと思われ、「ああ、、お父さん、痛い、痛いの、もうやめて、、」と叫んでいた。
美里の処女が失われた瞬間だった。
その後、毎晩のように美里は親父に呼ばれ寝床に入っていった。
1週間もすると一緒に風呂にまで入るようになり、美里は親父の体を洗い親父も美里の体を洗っていた。
二人が風呂から出ると裸のまま親父の寝室へ二人して入っていった。
まるで俺が見えないようにして手を繋いで、俺はその時は透明人間だった。
その時初めて美里の裸を見た記憶がある。
16歳の高校1年生、スタイルの良い体つきに白い肌、少しばかりに陰毛が印象的だった。
あの時の俺は美里を自慢していたと思う。
友達みんなに、(この子が俺の妹だ、、)と。
処女喪失から10日も経つと美里はだんだんと感じている声を出し始めていた。
初めて親父の物が入った時は、「痛い、痛い、」と叫んで暴れていたのに、今度は「ああ、、ああ、、いっ、いい、、お父さん凄い、」と言い出し、親父の体にしがみ付いているんです。
そんな美里を見ながら俺は遮っていた襖を少しだけ開けて、美里に向かって自慰行為を行っているんです。
依然母から言われた、「妹の前ではしてはいけないことなのよ。」と言う約束を破って、、
美里は親父に抱かれながらじっと俺のオナニーを見ているんです。
長くなったのでここで一旦終わります。