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近親相姦 親×子体験告白 RSS icon
※父母とその子の間柄での体験談

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2024/10/28 05:30:46 (Bc3h4hoC)
「いやだそんなにパンパンにして」
オナニーしている部屋に母が入って来た。
夜食を持って来てくれた母の胸をはだけむしゃぶりついた。
「元気良いのね。オナニーしたくなったら言えば良いのに」
そう言いながらペニスをしこしこしごいてくれるのでドピュッと出した。
指についたザーメンを母が舐めていた。
その母の服を脱がし、裸にしてベッドに入ってもらった。
「ローションつけてよ」
母に言われペニスにローションを塗り付け挿入した。
しがみついてくれる母に正常位で中出し。
「すごいのね。連続で出すなんて。でも来年も浪人しそうね」
母は悲しそうに良い僕のペニスをきれいに拭いてからシャワーに行った。
31
2024/10/27 12:33:21 (VsgfRk35)
私が小6の頃、両親離婚し、母が家を出ました。
一度私宛に年賀状が来たことがあり、それを大切に保管、住所は東京都内
でした。
大学進学で上京した時、母を訪ねました。
その日は、母の手料理を食べ、母のアパートに泊めてもらいました。
入浴中、母が背中をン河岸に入ってきて、十数年ぶりに母子でお風呂、し
かし、当時44歳の母の女体は艶めかしく、不覚にも勃起してしまいまし
た。
それを見た母は、
「浩太。立派になって・・・」
と陰茎を握られ、万事休すでした。

風呂から上がって、母と布団に寝て、母に言われるままに母をクンニ、ド
ドメ色の陰唇を割るように舐め、剥れた陰核を舌先で転がすように舐めま
した。
母にフェラされて、コンドームをして挿入、私は、実母で童貞を卒業しま
した。
44歳の母が、乳房を揺らして喘ぐ姿h、優しいお母さんではなく、淫獣でし
た。
母に感じる女の色kに戸惑いながらも、陰茎の抽挿はやめられず、ついに射
精に導かれました。
コンドームを外すと、母が優しくティッシュで拭いてくれましたが、その
刺激でまた勃起、蓋田保コンドームを被せられ、二回戦は騎乗位で、母の
淫らな腰振りを見上げました。
この夜、計4個のコンドームを消費しました。

大学時代、時間が出来ると母を訪ねました。
尋ねた日は必ずお泊りして、母を抱きました。
セックスに慣れてきたら、母の指導の下、生挿入で膣外射精を学びまし
た。
布団に入って抱き合って、そのまま挿入、親子の愛は男女の愛に変化し、
唇を重ね、舌を絡ませて母子で唾液を混ぜ合いました。
実の母子が濃厚なキスをしながら、生で交わる禁忌な世界に蕩けていきま
した。

夏休みも帰省せず、母のアパートから自動車学校に通いました。
毎晩母を抱き、母の素肌を息子の精液で穢しました。
8月の頭、母が、
「そろそろ生理が来るんだよ・・・浩太、お母さんの中にお出し・・・」
私は、母の膣奥深く陰茎を埋め、ドクドクと息子精液を母の子宮へ送り込
みました。
「ああ・・・浩太の子種汁・・・浩太の子を産めたならどんのに・・・」
そんアハハと濃厚なキスを交わしながら、再び勃起した陰茎で抜かずの二
回戦い挑みました。
母が安全日の時は、こうして抜かずの読ん発を母の子宮に放ちました。

私は、大学の4年間、彼女も作らず母と交わっていました。
常軌を逸した近親相姦に狂乱し、許されざる生姦淫に溺れたのです。
安全日とはいえ、神をも恐れぬ母子中出しに挑み、自分が宿った子宮と、
産まれ出てきた産道を自分の精液で満たしたのです。
ドドメ色の母の陰唇を、息子の子種汁にまみれさせたのです。
禁忌な交わりは、二人で出かけた旅行先でも激しく行われ、片付けに来た
仲居さんは、精液まみれのティッシュの山に驚かれたことでしょう。

私は、東京に就職しようとしましたが、母に説得され、故郷にUターン就
職して、東京を去りました。
就職して最初のゴールデンウィーク、私は故郷のお土産を持って上京し、
母を訪ねました。
母のアパートmの前に立ち、呼び鈴を襲うと思て手を止めました。
表札が変わっていましたorz
母は、私が再び訪ねてくることを分かっていたのです。
きっと、私が東京を去ってすぐ、引っ越したのでしょう。
いつまでも母子で姦淫してはいけない、母は、私の前から消えることで、
私にそれを教えたかったのでしょう。

「母さん・・・分かったよ・・・さよなら・・・」
私はそのまま東京駅に向かい、とんぼ返りしました。
そして、地元で人生二人目の女性と関係し、若い女性の美しい肌を知りま
した。
その女性と結婚し、一女一男を儲け、現在結婚して24年の50歳、先日、伊
豆にある某施設から、実家に母の訃報が届きました。
私は独りその施設を訪れ、母の遺品を受け取り、共同墓地で母に線香と花
を手向けてきました。
母として、そして、私の唯一の元カノとして、母に手を合わせました。

共同墓地を出るとき振り向いたら、40代の母の顔が浮かび、
「浩太、ありがとう。でも、もう、二度とここへ来ちゃダメよ・・・」
そう言ったような気がして、
「分かったよ母さん。さよなら・・・」
そう言って墓地を後にしました。
帰りの新肝線で、母の遺品の中に、私と母がツーショットで写った旅行先
の写真を見つけ、それをスマホで撮影しました。

75歳でこの世を去った母・・・
私の前から消えた後の母の人生は、どんな人生だったのでしょう。
ここに、そんな母との淫蕩な記憶を綴ります。
32
2024/10/27 05:19:23 (V3EwmXcf)
夏休みに高校の部活が急遽取り止めになって家に帰ると、両親の寝
室から喘ぎ声がするので何だろう思ってドアを少し開けると、母39
歳と近所のオジサンがセックスをしていた。
一時間位してオジサンがセックスを終わって帰ってから、俺16歳が
母に「見ちゃた」と言うと暫く沈黙してた母が「お父さんには黙っ
ていてくれない?」と言ったので「俺も母さんとセックスさせて」
と頼むと母は驚いた後に大きくため息を突き「仕方ない、じゃあパ
ンツを脱ぎなさい」と言われズボンとパンツを脱いでチンポを出す
と母はパクッとくわえた。
口の中で舌がチンポに絡み付いて丸で別の生き物に包まれてる気持
ち良さで直ぐに大きくなった。
俺は出そうになったのでベッドに母を押し倒し、ブラウスを脱がせ
紫色の大きなブラジャーも捲り上げ、乳首に吸い付くとやがて母は
喘ぎ始めました。
俺がマンコを舐めようとしたときも、一応抵抗したが足を開いてく
れ、童貞の俺がマンコの膣口が分からず「母さん、何処に入れる
の?」と聞くとチンポを握り膣口まで持って行ってくれた
腰を突き出すと締まりは良いが抵抗なくヌルって感じで根本まで入
ってしまいました。
多分オジサンとさっきまでセックスしてたから濡れていたのだと思
う、オマンコの中はヌルヌルで締め付けてきて、もの凄く気持ち良
かった
母は今まで聞いたことが無い声を上げて感じてるようでメスのよう
に腰を振ってた。
直ぐに気持ち良すぎて母の膣内にドクドク射精してしまい、母に
「もう一回やっていい?」と言うと黙って頷いたのでもう一度挿入
して腰を振ると今度は長く持って、母も「いい~、凄く気持ちいい
~」と言って痙攣して逝ったみたい。
それからは学校から帰ると母とセックスしてます、最近は射精も我
慢出来るようになって母から「焦らさないで早く出して!」と言わ
れるようにセックスが上達した。
33
2024/10/26 12:48:41 (td4CjPqe)
40歳の私は日課として
いろいろなディルドでオナニーしています。
私はずっとセックスレスです。
息子は隠れてディルドでオナニーしている私を覗いて見て勃起していました。
私を見て勃起して、
手コキしている息子のオチンポを見た私は、驚きました。
しっかり皮がむけて、亀頭が張って、太くて長いんです。
私はオナニーしながら、
戸惑いながら息子のオチンポに興奮してしまったんです。
毎夜、ディルドでオナニーをする私です。そんな私のディルドオナニーを覗きにくる息子と私は目が合ったんです。
息子はあわてて、その場からいなくなってしまったんです。
私は急いで裸のまま、息子の後を追いかけました。
私に欲情する息子とセックスしたくてたまらないんです。
私は息子と絶対に秘密にするって約束で、
セックスしました。
息子は童貞でした。
そんな息子も、
今では子宮にあたるオチンポで
私をいかすまでになりました。
今日も、暇さえあれば、
息子からセックスしようと言われて
朝からセックスしています。
34
2024/10/25 17:15:33 (8Pfv73ym)
 今年のはじめに、離婚して帰ってきた娘、そして孫が我が家で同居するようになりました。
 元夫と揉めているあいだはだいぶ憔悴していた娘も、帰ってきてからふた月もすると落ち着きを取り戻したように見え、私としてもひとまず胸を撫で下ろしていました。
 娘は私と同じ勤め人ですので、帰宅が遅くなる時もあります。
 夏、この日は遅く帰ると妻と孫はすでに寝ており、私よりもひと足先に帰ってきた娘が風呂に入っていました。夕飯をチンして食べていると、風呂から上がった娘がビールを取りにやってきました。「おつかれさま」と声をかけると娘も「おつかれ」と食卓に座りぐいぐいとビールを飲みます。
 そのあと私自身も風呂をもらい、湯を抜いて浴槽を掃除して出ると、食卓にはまだ娘がいました。35缶が4本空いており、娘はスマホでYouTubeを見ているようでした。私としても内心、飲み過ぎではないかな、とは思いつつも、いまは好きにさせてあげようと思い、「父さんもう寝るよ」と言って寝室に行こうとしました。すると娘が「ねー」と私を呼び止めました。「私もそっちのベッドで寝たいんだけど。お母さん〇〇(孫)と一緒に寝てるから」
 はて?と思いましたが、とくに深く考えず「いいよ」と返しました。
 娘にベッドを譲ったので和室に布団を敷いて寝ました。
 深夜2時頃、娘が同じ布団に入ってきて目が覚めました。
 「どうしたの」と訊くと「お父さん私つらいよ」と娘は泣きました。これはいけないと思い、十数年ぶりに娘のことを抱きしめてつらかったなあ、父さんと母さんがついてるからなあと慰めました。
 啜り泣く娘は、本当に何を思ってのことなのか今だに分かりませんが、私にキスをしてきました。
 私はとても驚き、狼狽しましたが、娘なりに甘えたいのかと思い、娘の思うがままにさせました。離婚に関する一連の出来事が娘の中の何かを壊してしまったのかと思い、悔しさが込み上げました。
 しかし、しばらくちゅっ、ちゅっと唇を合わせていると、酒くさい娘の吐息にたいへん不覚にも私の男性機能が反応してしまい、情けないことに男性器がぐんぐん勃起してしまいました。
 娘が生まれてからはじめて、娘に対して性的に興奮してしまったのです。どうかしているとしか言いようがありませんが、若い女の子の触感や匂いは、妻との性交渉がなくなった私にとって刺激が強すぎました。
 これを娘に気付かれたらまずい、父親として顔向けできないと感じた私は、腰を引いて「〇〇(娘の名前)、わかったよ、わかったから」とこの行為を終わらせようとしました。
 けれども娘は「やめないで」と言い、背を向けると、反り腰になって大きな尻をぐっぐっと私の腰に押し付けてきました。娘の言葉の意味もわからず、何を考えているのかもまったく理解できず、ただ狼狽しました。勃起した男性器の腹が娘の柔らかいワレメに食い込むたび、娘は「あっあっ」と艶っぽい声を上げました。
 まずいと思い腰を引きましたが、娘はやめませんでした。
 これ以上は私が我慢できなくなってしまうと感じ、娘の腰を掴んで引き離し「〇〇、だめだよ。もうベッドに戻りなさい」と言って半ば強引に行為を終わらせました。
 手を引いて和室を出ても、娘はずっと下を向いていました。階段を登っている間も私の男性器は痛いくらい勃起していましたが、決して娘に対してよこしまなことは考えまいとしていました。
 寝室に連れて行き「もう寝なさい。お互い明日も仕事だからね」と言って聞かせて、私は踵を返しました。
「お父さん」
 背中に声がかかり、私は思わず「なに?」と振り向きました。
 娘はベッドの上で尻を突き出し、下着に手をかけていました。しまった、と思いました。
「見て」
 娘がするすると下着をおろすと、ワレメが顕になりました。綺麗なスジでした。膣口がぱくっと開いており、中身がぬらぬらと濡れているのが見て分かりました。
 娘は大きな尻を左右にふりふりと動かし「お父さん、来て」と挑発してきました。
 この子はその辺の男にもこうやって媚を売ってきたのか?という怒りや、激しい動悸と興奮に襲われ、眩暈がしました。とにかく、相手は実の娘だというのに、一階で妻も寝ているというのに、私は自分の性欲を我慢することができませんでした。電気を消して、ベッドに戻りました。
 突き出された尻のワレメに男性器を沿わせると、娘は息を荒くしながら尻を前後させて女性器を擦り付けてきました。私は男性器の根本を握ると、ぱくっと開いた膣口に当てがい、娘の腰を引き寄せました。
 膣内を掻き分け、男性器が奥に達すると娘は「おっきい〜、うう〜」と震えて身悶えし、イッてしまいました。
 おぞましいことをやってしまったという自覚がありつつも、今までの人生で一番性的に興奮している自分がいました。
 娘の尻を鷲掴みにして腰を打ち付けつつ、この子の小さい頃のことや、部活の試合を観に行ったり、バイトや進路のことで喧嘩したりしたことが脳裏に浮かびました。
 そして目の前の光景が、その娘が自ら尻を振り、くねらせて、父親である自分の男性器を女性器でねっとりと味わっている光景が、娘との思い出を上書きしたような気がしました。
 「ふっ、あっ、うっ」という押し殺したような娘の喘ぎ声を聞きながら、ゆっくりと性行為を続けました。
 強烈な射精感が込み上げてきた私は娘の膣から男性器を抜いて、自分で扱いて娘の尻に射精しました。年甲斐もなく凄まじい量で、少し恥ずかしい思いでした。
 ティッシュで娘の尻から精液を拭き取り、もう一度抱きしめて、頭を撫でてやり、「ごめん、我慢できなかった。〇〇、これきりにしよう」と娘に謝りました。「お父さん、ごめんなさい」と娘は泣いてしまい、背中をさすって、「悪いのは父さんだから、〇〇はなにも心配しなくていいからね」と声をかけ続けました。

 ここで終わればまだ情状酌量の余地があったかもしれませんが、行為は終わりませんでした。
 泣き止んだ娘が囁き声で「お父さんのオチンチン舐めたいよ」と言ってきました。さすがに私も少し呆れて、「だめだめ、〇〇もう寝よう」と諭しました。「寝なさい。父さん和室に戻るから」
「お父さん行っちゃったら、追いかける」
 それはまずいと思った私は、本当に少しの間だけだよと念を押して、小さくなった男性器を差し出しました。
 布団の中に潜った娘は、下着のスリットから出した私の男性器をパクっと咥えると、ずるずると音を立てながらフェラチオを始めました。
 娘のあまりのフェラチオの上手さに、私はすぐ勃起してしまいました。ここで妻を引き合いに出すのは心底、最低だと自分でも思いますが、妻とは比べ物にならないほど、娘のフェラチオは気持ちがいいものでした。ほとんど水商売の女の子のようで、誰に教わったんだと苛立ちまで込み上げてくるほどでした。
 フェラチオをやめて、布団の中から這い上がってきた娘と見つめ合い、またキスをしました。娘のキスは舌を絡ませることのない、可愛いキスでした。男性器を手で扱きながら娘が私の耳元で「お父さん、エッチしたいよ」と囁いてきました。
 一回性行為をしてしまっている以上、私の倫理観がおかしくなっており、娘を抱きたくなってしまいました。
 2回目の性行為は、1回目の時よりも激しく、また「父と娘」ではなく「男女」の行為でした。2人とも汗だくで性行為に及びました。罪悪感は薄まり、私も気持ちが入ってしまって、「愛してるよ」と何度も娘に伝えました。娘をひとりの「女」として扱いました。
 娘も、最初は「ほんとに愛してる?」「もっと言って」と愛情を求めていましたが、途中からは「深い」「おっきい」「気持ちいい」としか言わなくなってしまいました。

 行為のあと、お腹の上に出した精液を拭き取っていると、娘は私の首に腕を回してまたキスをしてきました。何度か頭を撫でてやり「もう寝なさい」と言うと、「うん。おやすみ」と笑顔を見せました。

 この夜以降、私の中で性欲が再燃して、毎晩のように妻を抱くようになりました。妻は当初、寝室で私が尻を撫でたりすると「どうしたんですか?」「こんな歳で、みっともないですよ」と嗜めつつやんわりと拒絶していましたが、何度か誘うと挿入を許してくれるようになりました。最近は妻もまんざらでもないと言った風で、色気のある下着をつけてくれたり、リップを引いてくれたりします。

 娘とは、あれ以来一度もありません。娘からも私からも、お互い性行為を求めるようなことはしていません。とくべつ仲がよくなったわけでも、逆に会話がぎこちなくなったわけでもありません。
 けれども、わが子はあの夜以降、離婚から完全に立ち直ったような、そんな気がしています。笑顔も増え、元々そうだったように、朗らかで溌剌とした子に戻ったと感じます。娘は何かを吹っ切るために、私との行為に及んだのかもしれません。きっと私が他界する日まで、娘とこの話をすることはないのだろうなと、私は思っています。
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