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近親相姦 親×子体験告白 RSS icon
※父母とその子の間柄での体験談

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2024/10/11 02:31:30 (p4L5nOSm)
溺愛しすぎる母 原ちとせ
家族の中で男は僕一人。私は1人息子を溺愛しています。
いつも一緒にお風呂にも入るんです。
でも私のママ友姉さんたちに話したら、
大学生の息子と2人で
入浴するのはヤバいと言われました。
そして息子は私を女として意識する様になりました。
実は私達は母子でセックスしています。
お風呂で私に甘える様に、
息子は私に抱きついて、
『ねえ、セックスをしよう』って言って
必死にオチンポをオマンコに挿入しようとするんです。
最初は「私達は親子だから、セックスするのはダメよ」と母さんは拒否したんです。
それでもあきらめないので、私も息子とセックスしたくなりました。
毎日、暇さえあれば、避妊具を使わないでセックスするようになりました。
息子は2人の赤ちゃん妊娠してくれと言うけれど、私は危険日はアフターピルを服用しています。
息子が私に何度も2人の赤ちゃん産んでくれと、あきらめないんです。
母子で赤ちゃん妊娠出産するのは可能でしょうか?
51

母との10年

投稿者:貴一 ◆tLFVxTn4CM
削除依頼
2024/10/09 10:46:27 (a14SvTp8)
俺は29歳、地元の国立大を出てから役所で働いている。
そんな俺だが、大学に進学する直前から母とセックスする中になって10年
近く経つ。
母は49歳、俺が小学校に入いる前に父と離婚し、以来母一人子一人の母子
家庭で母の実家から援助を受けながらも、女手一つで働きながら俺を育て
てくれていて俺のことを小さなころから今現在に至るまで溺愛しており、
よほどのことでない限り俺のお願いを何でもかなえてくれている。

俺は高校の3年間スポーツの関係で県外の高校に進学して寮生活を送ってい
て、その間は年に3度の長い休みの時しか帰宅してなかった。
大学へはスポーツ行くこともできたが、離れて暮らして母に淋しい思いを
させたくなかったので必死に勉強して地元の国立大学に進学して自宅から
通おうと決めたが、3年間の寮生活がいろんな意味で俺を変えたと思う。

その中で一番変わったのは、母に対する感情だった。
変な話し男ばかりの合宿所に3年もいると性に飢えて気が変になり、女なら
ば誰でもいいという気持ちになるが、俺は月に一度の週末外出日は学校か
ら1時間ほどの先輩の家に泊めてもらい、先輩の知り合いのヤリマンを紹介
されて筆降ろししたが、女を知ってしまっていたから余計に耐えるのが苦
痛だった。

男子校で教師も全員男性、学校にいる女性と言えば「ご馳走」って呼んで
いた事務室にオカズにできる若い女(と言っても多分30過ぎ)が一人いた
くらいで、あとは保健室にいた養護教諭の婆さん、食堂や清掃の仕事をし
ているオバサンたちくらいで、そんなオバサンたちでも長くいるうちに良
く見えてくるようになるから不思議で、実際に何人かいたおばさんたちを
日替わりでオカズにしてオナニーしていた寮生がいたほどだった。

俺は事務室の女をオカズにしたことはあったが、清掃や食堂のオバサンた
ちをオカズにすることはなかった、考えたくもなかった。
それは母がまわりの同年代女性と比べても割りときれいな方だったからだ
が、年に3回帰宅した時に久しぶりに会う母が会うたびにどんどん眩しく見
えるようになり、自然と母をオカズにするようになったからだった。

3月早々に卒業式を終え帰宅したが、やはり母が凄く眩しく見えて自宅に戻
ったというのに落ち着かない気分だった。
日中母が仕事に出ている間、俺は母のベッドにもぐりこんでパジャマや下
着の匂いを嗅ぎながらオナニーしたが、射精後に何故だかすごい罪悪感を
感じた。
かと言って止めることなく繰り返していたが、ある日ベッドの中で足に硬
い物に当たった。

何かと思って引っ張り出してみるとけっこう大きなペニス型のバイブだっ
た。
これは息子としては複雑な気分だった、母がバイブでオナニーしているシ
ーンが頭に浮かんだが、俺がいなかった間のことはわからないが、俺を育
てるために再婚どころか男と付き合うこともなく遊ぶことを我慢していた
母の唯一の楽しみだったのかと思うと、ちょっと悲しい気分になったが、
そのシーンを思い浮かべて2回もオナニーした。

その夜、俺は母がオナニーしている音や声だけでも聴きたいと思って、夜
中に紙コップを母の部屋のドアに当てて聞くというコントのようなことを
やってみた。
これがけっこう聞こえるもので、布団の動く音まで鮮明に聞こえて来た。
金曜日の夜だったから今夜はやるんじゃないかと期待して盗聴したわけだ
が、しばらくすると母の抑え気味の喘ぎ声が聞こえて来た。

さすがに俺に気付かれないように声を抑えていたんだと思うが、バイブの
モーター音も微かに聞こえて来た。
何を思い浮かべてオナニーしてるんだろうな、なんて思っていた矢先、母
はかすれた声で「しんちゃん…」と私の名前を言ったのには驚いたが、同
時に母が俺をオカズにしているならやれるかもしれないと思った。

その次の日の夜だったが、週末ということで母が夕食の後、風呂上りにス
トロング系のレモンサワーを飲みながらテレビでネトフリのアクション映
画を見ていた。
俺も母の隣に左隣に座って母のレモンサワーを横から盗み飲みしながらテ
レビを見始めた。
度数が高いらしく、飲みなれてなかった俺はほんの二口ほど飲んだだけな
のに体が熱くなり気持ちも変に高揚したが、母はすでに1本飲み終えていて
少し酔っているようだった。

前日の盗み聞きで母が俺をオナニーのオカズにしていたことを知った俺
は、少し勇気を出して右腕で母お抱き寄せてみたが、母は何の反応もなく
俺にもたれかかって来た。
そのままおっぱいに手を動かして触りながら、それを誤魔化すために「こ
れ、けっこう強くない?」とレモンサワーのことを言った。
母は「ストロングだからね」と言ったが、胸を触っていることには何も言
わなかった。

俺がじわじわという感じで胸を揉み始めると、母が俺の手を上から包み込
むように軽く抑えたが、それを止めさせることはなく妙に押し黙ってテレ
ビの方を見つめていた。
俺は調子に乗ってパジャマ越しに乳首を刺激するように触った。
「んふっ」、母がビクッとして鼻から出たような声尾を漏らしたので、更
に調子に乗って触りまくると、鼻息を荒くして両膝をすり合わせるような
動きをし始めた。

それにしても母は俺がしていることを止めさせようとするそぶりも見せな
い、だから俺も調子に乗ってどんどん攻めていき、パジャマの裾から手を
突っ込んで直に乳首を指で弄ぶと、母はかすれた声の混ざった荒い息を吐
きながら俺の肩の下にもたれていた頭が胸の所まで崩れて来て、これから
セックスする恋人モードになった。
俺が手を止めると、母はその手を上から抑えながら切なそうな目で俺の顔
を見上げた。

絞り出すような声で「ダメ…」と一言言った母に、俺はバイブのことを思
い出しながら「3年間淋しい思いをさせてごめんね」と言うと、その言葉に
ぎこちなく笑う母の唇にキスをすると抵抗することなく自然に応じた。
さすがにベロチューはできなかったけど、けっこう濃いめのキスを交わし
た。
俺はソファーの背もたれを倒しベッド状にすると、母を仰向にしてパジャ
マをまくって乳首に吸いついてしつこくしゃぶった。

母は「だめぇ…やめて…」と口では言っていたが、俺のことを手で押した
り体を捩ったりはせず、むしろ背中を反らせて胸を上に突き上げるような
反応をした。
もう一度キスして、思い切って舌を入れてみると母も応じで舌を絡めて来
た。
母は力のない声で「いやっ」「だめっ」と言ったが、そんな言葉とは裏腹
に喘ぎ声の方が大きく、キスをすれば母の方から舌を使ってきた。

そのままの流れでパジャマの下を脱がしショーツに手をかけた時、一瞬脱
がされまいと掴んだが、その手を軽く撫でると力を抜いたので脱がすこと
ができた。
触ってみるともうびしょびしょに濡れて微かにフェロモン臭を放ってい
た。
俺は迷うことなく母の股間に頭を突っ込んでクンニした、「ダメダメッ」
「やめてっ!」という母の言葉を無視して懸命に舐め回していると、母の
口から抵抗の言葉が消えた。

母は俺がクンニで何度かイッたみたいで、甲高い声を上げて体を震わせて
いた。
そろそろ入れようかと思った時、本当に母に挿入して良いのかと躊躇する
気持ちもあったが欲望には勝てず、母の上に体を重ねた。
チンポに手を添えて割れ目に擦りつけながら入り口を探してゆっくりと挿
入しようとすると、母が「ダメ、それだけはダメよ」と言いながら、その
言葉とは逆に腰を寄せて来た。

ヌルっという感じですんなり置くまで入いると、母が「あぁダメぇっ!」
と言いながら背中を少し逸らした。
すぐに腰を動かすと速攻で射精してしまいそうだったので、母の膣内の感
触を確かめるように何十秒かじっと動かずにいた。
それまで3人の女と20回くらいの経験があったが、入れた感じは母が一番だ
と思った。

気持ちを落ち着けてから腰を突き入れ始めると、母は俺の腰に手を回して
普通に喘ぎ声を上げたが、そこに抵抗の言葉はなかった。
俺は腰を突き入れながらおっぱいを触ったりキスしたりした。
キスしようと顔を近付けると、母の方から口を少し開いて舌をのぞかせ、
俺の口を貪るように吸いながら舌を絡めて来た。

長く入れたたように感じたが、射精感がどんどん高まり3分と持たずに間一
髪外出しした。
射精後、俺は母の上に乗ったままぐたっとしていたが母に重いと言われた
ので、濃いめのキスを交わしてから体を離した。
母が俺が出したもの拭きながら俺のことをぼうっと見て「バカなんだか
ら…」と言ったあと「そんなにしたかったの?」と聞いた。
「うん…ずっと母さんとしたいって思ってた」、と答えると「そうなん
だ」と言った。

俺が「でも母さんは嫌だったろう、ごめんね」と言うと、母は首を軽く横
に振って「嫌じゃなかったよ、嫌じゃなかったけど…」と言って言葉を飲
んだ。
更に「俺、凄く気持ち良かったけど、母さんもすごく感じてたよね」と言
うと、「うん…すごく感じたよ、もしかしたら今までで一番感じたかも」
と素直に認めた。
「これからはずっと一緒にいようよ」と言って抱き寄せると「うん…」と
だけ言って、力を抜いて俺の胸の中に入って来た。

そのあと特に会話はなく、少しの間見詰め合ってはキスを交わしながらま
ったりした。
親子なのに恋人みたいな雰囲気でふざけ合う感じで、「母さん舌伸ばし
て」と言って母に舌を出させてそれをベロベロ舐めたり、反対に俺が舌を
伸ばすと母がそれを舐めたりしては「バカね」「へへへ」「フフフ」って
笑い合ったりした。
そのうち交わすキスが長く激しくなる。舌を絡め合い互いの吐息と唾が行
ったり来たりするくらい激しく吸い合うようなキスになった。

俺はキスを交わしながら母のマンコを触った。
クリを刺激したり指を入れて動かすと、母はキスを交わしながら甘い声を
漏らし始めた。
「ねぇ、こんなになっちゃった。舐めてよ」、俺がフル勃起状態のチンポ
を指さして言うと、母が「えぇ?上手くできるかなぁ」と言ってしゃぶり
始めた。
いやらしいフェラ顔だったが、俺は仰向けになって「母さん、俺も舐めた
いから顔を跨いで」と言うと、「えぇ?恥ずかしいよ」と言いながら俺の
顔を跨いだ。

少しの間お互い口で感じさせ合っていたが、母が「入れても良い?」と言
って俺の返事を待たずに騎乗位で挿入したが、最後は俺が上に乗って外出
しした。
「ねぇ、初めてじゃないでしょ」、セックスのあと母が不意に言った。
俺は「うん」と一言だけ返したけど、「なんか妙に手馴れてるね」と、母
が拗ねた感じで言って俺の二の腕をつねった。

この夜を境に母まるで若い彼女のように俺に接してくるようになったが、
俺もそんな母が可愛くて家の中ではバカップルみたいにイチャラブ状態の
生活になった。
母の行動は早く、初めてセックスした翌日には自分の部屋を片付けてホー
ムセンターに行って、アウトレット品で安かったキングサイズのバカでか
いベッドを買い、それが届くと一緒に寝るようになった。

そうなると、どちらかの体調が悪くなったりしない限り毎晩セックスする
ようになる。
寝ている俺の上に母が乗っかってきて、無茶苦茶濃厚なキスをしてくる、
そうなれば自然にお互いの体を触り合ったり舐め合ったりというふうにな
りセックスする、そんな生活をなんだかんだ言っても、もう10年も続けて
いる。
来年は俺が30、母は50になるが、まだまだ続きそうだ。
52
2024/10/07 18:55:20 (6RXgb/By)
よくネットや雑誌などで息子を東大に入れたお母さんの話が載っています
が、そのお母さんがきれいな方だと、この人も私と同じな手を使ったのか
な、などと思ってしまいます。
同じ手を使ったとはどういうことか書いていきます。

貴志と関係するようになって5年が経ちました。
私は今年で46歳、息子の貴志は23歳の大学院生、貴志とそういう関係にな
るきっかけは大学受験のための勉強の「息抜き」を手伝うようになったこ
とでした。

「受験勉強の息抜き」それはオナニーのことですが、そこからですと6年に
なります。
高3になり追い込まなければならない時期とだいうのに、部屋にこもって雑
誌やAVを見ながらオナニーばかりしていた貴志に勉強に集中させるため
に仕方なくしたことでした。

もちろんその現場を見たわけではありませんが、学校に行ってる間に部屋
を片付けてくれと言われ掃除や洗濯のために部屋に入ると、いやらしい本
やDVDが散乱していて、ゴミ箱に捨てられていたティシューの量や臭い
で私だって気が付きます。

最初は夜主人が帰宅する前に手で出させてあげました。
初めのうちはすぐに射精しましたが、私の手の動きに慣れてしまったの
か、10日もするとなかなか射精せずに、次の日に筋肉痛が出るほど時間が
かかるようになりました。

そのうち貴志から「手じゃ感じなくなったから口でしてくれ」と言われま
したが、さすがにそれは無理と断りました。
すると貴志が「じゃぁ模試の結果が良かったらご褒美で口でして」と言い
出しました。

私も私で、言い方は悪いのですが馬の目の前の人参のように、それを餌に
して頑張らせればいいのかなと安易に考えました。
そして貴志の「模試の結果が良ければ口でする」ということを約束してし
まったのです。

模試の結果は良くなるのか?それは私にとっても重大な問題でした。
悪ければ志望校のレベルを下げること考えなければならないし、良ければ
貴志のペニスを口で愛撫してあげなければならない、どっちに転んでも困
るのは私です。

もちろん貴志の成績が上がるのは私にとっても嬉しいことですが、その代
償を考えると、とんでもないことを安易に約束してしまったことへの後悔
でいっぱいでした。
断ろうかとも思いましたが、それをモチベーションに頑張った貴志を裏切
るのも嫌でした。

約束した直後の模試の結果はその前に受けたものの結果と比べて横ばいで
した。
結果を見て「もうちょっと頑張らないとダメね」と言うと、貴志も「そう
だよね、次頑張るわ」」と納得してくれましたが、手でしてあげる時にロ
ーションを使うようにしました。

これは貴志のアイデアでしたが効果覿面で、すぐに射精するようになりま
した。
ローションはエッチな雑誌に載っていたものを通販で買って使いました。
主人もいることですし毎日ではありませんでしたが、そうして次の模試の
日になりました。

私はドキドキしながら模試の結果を待ちましたが、ドキドキというのは希
望や期待を伴ったものではなく、どちらかと言えば「貴志が良い成績を取
ったらどうしよう」という、不安にも似た後ろ向きなものでした。

私も結婚していますし、男性経験も主人を含めて3人ほどありますからフェ
ラチオすることに対しての抵抗はありませんが、その相手が私の生んだ貴
志となると話が違います。
他人には絶対に言えないようなとても悪いことをしなければならないとい
う思いでした。

模試の数日後予備校から結果をもらってきた貴志は嬉々として帰宅しまし
た。
そして私の顔を見るなり「お母さん、これ見て!」と模試の結果が印字さ
れた紙を私に見せつけて「これなら良いでしょう」と言いました。

私はそこに並んだ数字を見て思わず「え?すごい」という言葉を吐きまし
た。
模試の結果は素晴らしいとまでは言えないものの、英数の成績が伸びて志
望校合格も夢でないという、私を満足させるのに十分なものでした。

「あぁ、とうとう約束を果たさなければならなくなった」、私は貴志の成
績が上がったことの喜びとともに、ものすごい背徳感に苛まれました。
「お母さん約束したよね?さっそく頼むよ」、貴志はそう言うとズボンを
を脱ぎました。

「う…うん」、私はそんな返事しかできませんでしたが、取り敢えず貴志
にはシャワーを浴びて体をきれいにするように言いました。
貴志がシャワーを浴びている間、何度も逃げだしたいと思いましたができ
ませんでした。

貴志は裸で戻ってきましたが、何か着るように言いました。
約束は果たすけれど裸になる必要はないし、私も裸になるつもりなど微塵
もありませんでしたから、パジャマでも何でも良いから何か着なさいと言
いました。

数分後、パジャマを着て戻ってきた貴志に下だけ脱いでソファーに座るよ
うに言いました。
私はティシューを10枚ほど用意し貴志の足元に跪きました。
そして威きり起ったペニスを指でそっと持ち上げて目を瞑り口に入れまし
た。

主人にするのと同じように軽く吸いながら舌を動かすと、貴志は呻き声を
吐きながら、あっという私の口の中で間に射精しましたが、驚いたのはそ
の量と濃さです。
若い頃に付き合っていた人と同じことしましたが、それとは比べ物になら
ないほどでした。

特に粘りが凄く、ティシューに吐き出したあとも私の口の中にまとわりつ
いて、洗面所で口を濯いでようやく取れるほどの粘りだったのです。
でも実際にしてみると、不思議なことに背徳感や罪悪感はほとんどありま
せんした。

こうして夏休み中から毎日ではありませんが、勉強に集中させるという名
目で手だけではなく口を使って貴志の射精をサポートすることを続けまし
た。
最初は手で扱いて最後は口でするという感じでしたが、貴志から次のご褒
美のお願いが。

貴志はお褒美に付いた書かれたメモを出して「こういう感じでお願いね」
と言いました。
メモを見ると貴志へのご褒美がスケジュール化されたものが書いてあり、8
月はベロチューと書かれていました。

9月はおっぱいを吸わせる、10月はアソコを触らせる、11月はクンニ、12月
はシックスナイン、第一志望の大学に合格したらセックス、と貴志が一方
的に決めて書かれたもので、「こんなこと無理よ、ダメ」と言いました
が、貴志はニコッと笑うだけでした。

「とにかく次はベロチューだからね、フェラよりもキスの方が良いだ
ろ?」と言ったあと「今してもらっていることにプラスされていくんだ
よ」と付け加えました。
私は「それは…でも最後の方のことは絶対にダメ」としか答えられません
でした。

私は「あんな約束するんじゃなかった」と後悔でいっぱいになりました
が、先にも書いたように、例えいやらしいことだとは言え、貴志がそれを
モチベーションにして頑張れるのであれば、最後のセックスは無理でもそ
れ以外のことは仕方がないと思いました。

それにしてもいやらしいことって男の子を奮い立たせるんでしょうか?
フェラチオ以来貴志の勉強に対する向き合い方がすっかり変わり、模試だ
けではなく高校のテストでも素晴らしい成績を取ってくるようになりまし
た。

それはおそらく第一志望校合格から逆算すると、一回でも成績が上がらな
いと貴志が考えているスケジュール通りにならないから頑張っていたのだ
と思います。
もちろんこの時の私は合格のご褒美で貴志にセックスさせるつもりはあり
ませんでした。

しかし貴志は頑張って勉強し、次の模試でも目標をクリアしました。
貴志は私に模試の結果票を見せながら「お母さん、約束したよね」とドヤ
顔で言ったので、私は「どうして私とキスしたいの?母親よ、気持ち悪く
ないの?」と聞きました。

すると貴志は「気持ち悪くないか?どうして?お母さんはそう思ってる
の?俺は全然思わないよ」と聞き返してきたので、私は「いや、私は気持
ち悪いなんて思わないけど…」と言葉が詰まりましたが、「でも恥ずかし
いわ」と、咄嗟に言いました。

それを聞いた貴志は「どうしてって聞いたよね?それはお母さんが好きだ
からだよ、若くて美人だし」と言いました。
私は「お母さんが好きだから」という言葉に戸惑いを感じました。

それは母親として好きなのか?それとも私を一人の女として見ているの
か?もし後者だとしたらどうしようと思いましたが、勇気が無くてそれを
聞き出すことはできませんでした。
貴志が抱き着いてきましたが、「待って、歯磨きしてからね」と言って離
れました。

私は歯磨きだけでしたが、貴志には歯磨きだけではなく、いつものように
シャワーで体をきれいに洗うように言いました。
そのあと貴志のベッドで激しいディープキスを交わしながら、手で射精さ
せました。

私は貴志が射精したあとも平静を装い後始末しましたが、最近は夫とも交
わさなくなったような長くて激しいキスをしたことで、私は異様に興奮し
ました。
キスはお互いの息遣いが分かるからかもしれませんが、フェラチオよりも
興奮します。

それは貴志にも同じだったようで、ディープキスを交わしながらローショ
ンを付けた手で触ってあげると、あっという間に射精しました。
「これ好きなの?」と聞くと、「なんかすごく興奮するんだ」と言ってい
ました。

本当のことを言うと手でしてもフェラチオをしても、私は事務的に済ませ
ていただけで興奮するようなことはありませんでした。
でもディープキスを沸かすと、いやらしい気持ちになってアソコが濡れて
しまうんです。

それにしても理由は別として、貴志はおかしくなったのではないかと思う
ほど勉強に打ち込むようになり、成績はどんどん向上していきました。
伸びしろが大きかったとはいえ、貴志は模試を受けるたびに成績が良くな
って行きました。

つまりご褒美がどんどん追加されて行くということです。
模試の目標は前回に続きクリアされ、「約束だよ、おっぱい吸わせてくれ
るよね」と貴志に言われると、「わかったけど明日ね」と日延べはしまし
たが拒否できませんでした。

翌日貴志が帰宅する前にシャワーを浴び汗を流しました、この頃は日中は
まだ暖かく家事をしていると汗ばむこともあるからです。
シャワーを終えて着替えると、しばらくたって貴志が帰宅しました。

貴志にいつものようにシャワーと歯磨きをするように言うと、その間にカ
ットソーの下のブラジャーを外しておきました。
ソファーで待っていると貴志も出て来たので、さっそく始めました。

私はカットソーを脱いで貴志を呼び寄せました。
貴志は私の両乳房を揉んだり乳首をいじったりしていましたが、私はそう
されてもそれほど気持ち良いとは感じませんでした。

ところが貴志が乳首に吸いついてしゃぶり始めると、それには凄く感じて
しまい声を漏らしそうになりました。
そんな声を貴志に聞かせるわけにはいかないと思い、私は必死にこらえま
した。

どれくらいの間しゃぶっていたのかわからなくなるほど感じましたが、そ
のあと更に感じてしまうことが起こりました。
それは貴志がディープキスを交わしながら指で乳首を刺激した時でした。

幸いディープキスを交わしていた時だったので、声を上げるというよりも
「うっ!」と呻いただけでしたが、体はビクッと反応しましたし、そのあ
とも貴志の指が乳首に触れるたびにビクッとしたので、貴志に感じている
と見抜かれたかもしれません。

私はこの状況から早く抜け出したくて、貴志にソファーに横になるように
言いました。
そして乳首を触られないように、貴志の体に胸を密着させてディープキス
を交わしたあと、貴志の手が届かないよう久しぶりにフェラチオで射精さ
せました。

「このままいけばシックスナインまでは確実に行ってしまう、どうしよ
う…」私は悩みましたが、無理やりとはいえ約束してしまった以上仕方あ
りません。
毎日貴志の言う通りのことをしているうちに模試の結果が出る日が来まし
た。

貴志の勝ちでした、4回連続で成績と全国順位が上がっていました。
とうとう下半身に着けたものを全て脱がなければならなくなりましたが、
私は何故か貴志の成績が上がるきがして、貴志の帰宅前にシャワーを浴び
ムダ毛処理までしていました。

帰宅し模試の結果を見せる貴志に「見るだけじゃダメ?」と聞いてみまし
たが、どうしても触ってみたいと言ってきかない貴志に根負けしました。
私はこのことが始まって以来初めて全裸になり、ソファーに座って脚を広
げました。

貴志はソファーの前にしゃがみ込み、息を飲んで私のアソコをじっと見つ
めました。
私は顔から火が出るほど恥ずかしかったのですが、触られて感じてしまわ
ないか、声を漏らしてしまうのではないか、その方が心配でたまりません
でした。

「触るよ」、貴志は私に声をかけてから閉じ合わさっていたあそこを指で
開きました。
「あ、ウィキで見たとおりだ…」貴志はそう言うと、「これが大陰唇、こ
れが小陰唇…」と声に出しながら指で触りました。

貴志を人差し指をしゃぶると「クリトリス…ここが一番感じるところでし
ょ?」そう言って指先で転がすように刺激しました。
その瞬間、私は「あぁんっ!」と声を上げ体が自然に跳ねるように動いて
しまいました。

貴志がその声を聞いて「え?お母さん感じてるの?」と私に聞きいてきま
したが、声を上げてしまったことにすっかり動揺してしまい答えられずに
いると、「あれ大きくなってきた」と言って刺激し続けました。

私は感じてしまいました、クリトリスを刺激されて感じるなという方が無
理です。
手で口を塞いで声を殺しましたが、体が反応してビクビク震えてしまうの
はどうしても抑えられませんでした。

しかし貴志は、私が恥ずかしく思うようなことを言葉にして伝えてきまし
た。
「えっ?なに?お母さん、なんかヌルヌルしたのが出て来たよ」、「俺は
ここから出て来たの?」、そんなふうに言われて、わたしの恥ずかしさも
ピークでした。

「ねぇ、これが濡れるって言うことなの?」、それでも貴志は容赦なく聞
いてきました。
「あぁっ!…」貴志の指が中に入って来たとき、私はとうとう大きな声を
漏らしてしまいましたが、貴志は聞こえなかったように指を動かしまし
た。

貴志が指を動かすたびに厭らしい音がする、私は咄嗟に貴志の腕を掴んで
「これ以上はダメ…辛くなるかららやめて」と言いました。
貴志は私が痛がってると思ったらしく「あ、ごめんね」と言って指を抜き
ました。

あれ以上されていたら、私はイってしまい貴志の目の前で痴態を晒してい
た思います。
この時は何とか乗り切りましたが、これと同じことを次の模試までの間、
毎晩のようにされることを思うと、私は自分を保てる自信がありませんで
した。

このあとディープキスを交わし、胸を揉まれ乳首を吸われ、最後はフェラ
チオで貴志を射精させて終わりましたが、私はアソコを指で掻き回された
ために体の疼きがおさまらずに、その夜は夫にお願いしてまで、ずいぶん
久しぶりにセックスしました。

それにしても貴志に指で触られただけでこんなふうになってしまうのに、
次はクンニ、その次はシックスナインするということになれば、恐らく私
は自分自身を保つことはできないだろう、貴志と最後まで行ってしまうだ
ろうと思いました。

次の模試までの間、来る日も来る日も貴志にアソコを触られてイク寸前で
何とかやめさせてフェラチオで射精させる、その繰り返しでした。
いつもは鬱陶しく思う生理も触られずに済むとを思うと待ち遠しく思った
ほどでした。

そして大袈裟ですが運命の日、模試の結果が出る日になりました。
結果は貴志の勝ち、第一志望校の合格率がA判定まで上がっていたので、
私は約束を果たさなければなりません、貴志にクンニさせなければいけな
いということです。

私は諦めました、私とセックスしたくて受験勉強を頑張って、それで成績
が伸びて第一志望の有名大学に入れるのなら、それで良いと思うことにし
ました。
だからこの日も貴志の帰宅前にお風呂に入り、体を隅々まできれいに洗っ
て待ちました。

帰宅した貴志の喜んだ顔を見て結果はわかりましたが、一応結果票を確認
したあと私は貴志にお風呂に入り歯磨きするように言いました。
私は裸の上にニットのワンピースを着てソファーで貴志を待ちました。

貴志を待っていた間中、私の心臓はバクバクでした。
何故いつもソファーかと言うと、貴志を相手にベッドを使うことには漠然
としたものですが抵抗や罪悪感があり、ベッドでは自分自身を失うかもし
れないと思ったからです。

貴志が腰タオル姿で戻って来たので、私は着ていたものを脱いで全裸にな
りソファーに座り脚を広げ貴志に来るように言いました。
これはもう「こんなことで頑張れるのなら好きにしなさい」と言う開き直
りでした。

貴志はソファーの前にしゃがみ込むと私のアソコに顔を近付けて匂いを嗅
ぎました。
それは女性として耐え難いのほどの恥ずかしさです、「やめて!匂いなん
か嗅がないで!」、私がそう言うと、貴志は「あ、ごめん」とだけ言っ
て、指でアソコを開きました。

「よくAVで甘い蜜の香りとか言うから」と言い訳していましたが、その
あと指でクリトリスを刺激し始めました。
私は手で口を抑えて声を漏らさないように必死で耐えました。

「濡れて来たね」貴志はそう言うと、私のアソコに口を密着させて舌を動
かしました。
これはもうダメでした、我慢なんかできるはずがありません。
いくら手で口を抑えても声が出てしまう、貴志も声に気付いて舌の動きを
速くしました。

「んっんっ!…」、口を塞いでいたので多分そんなふうに聞こえたと思い
ますが、貴志のクンニに激しく感じてイッた瞬間に私が上げた呻き声でし
た。
声だけではありません、体が小刻みに震えて止まりませんでした。

夫ならばここで一旦止めますが加減を知らない貴志はやめることなく、な
お一層激しく舌を動かしたりクリトリスを吸ったりしたので、私はイキっ
ぱなしの状態になりました。
口を塞いでいた手もいつの間にか外れ、いやらしい声を漏らしっぱなしに
なりました。

そのうち過呼吸のような感じになって本当に苦しくなり、やっとのことで
貴志に止めるように言って解放されましたが、このまま貴志のペニスを入
れてしまいたい、貴志のペニスで思い切り突かれてみたいという気持ちに
なったのも事実でした。

その気持ちを抑えて、もはやルーティーン化されたと言えるディープキ
ス、乳首責め、フェラチオと続けて貴志に射精させました。
この頃から、私は貴志を夫以上に愛するようになりました。

もちろん夫のことは愛していますが、仕事の忙しさや飲んで夜遅く帰って
くることが多い夫とは、もう何年も月1度程度の夫婦生活しかありませんで
したが、毎日のように私を求め、私をイカセてくれる貴志のことが可愛く
て仕方なくなりました。

11月中は貴志のクンニにイカされてばかりでした、それも毎日何度も。
こんな生活をしていると、頭が変になり、いやらしいことばかりを考える
ようになります。
午後になると貴志に早く帰ってきてクンニして欲しくてたまらない気持ち
になりました。

12月の模試の結果が出る日になると、私は成績が上がらなくても落ちてさ
えいなければ、ご褒美のシックスナインを許そうとまで考えるようになっ
ていました。
結果はほぼ横ばい、少しだけ上がっていましたがシックスナインを許しま
した。

許したというよりも、私自身が貴志とシックスナインをしたいと思ったか
らで、クンニされながらフェラチオで射精させて貴志のザーメンを飲みた
いというのが本音でした。
私はそんなふうに思うほどおかしくなっていたのだと思います。

私は「少しオマケしてあげるから絶対に合格するのよ」と貴志に言いまし
たが、本音を言うと、それは貴志に対してというよりも私自身へのオマケ
でした。
この時点で「ご褒美」は、貴志にエッチなことをさせるための言い訳にな
りました。

この日から、やはりソファーの上でしたが母子が全裸になりお互いの体を
貪り合うように口で愛撫し合いました。
挿入しないと言うだけで、もはや男女の営みとほぼ同じことをするように
なったのです。

そんなことを続けていたある日、夫の単身赴任が急に決まりました。
仙台にある支社の支社長が12月末で定年を迎え、夫がその後任としてイレ
ギュラーな時期に赴任することになったのです。

夫にとっては栄転になるので私も嬉しく思いましたが、1月からは貴志と二
人きりの生活になるということです。
つまり夫の帰宅時間を考え、その存在を気にしなくても良くなるというこ
とでした。
53
2024/10/06 23:00:29 (pWB7cmj0)
うちには非貫通式のオナホールと貫通式のオナホールの2つが
あるのですが、貫通式のオナホールが少し破れてしまったの
で、新しい貫通式のオナホールを母に買ってもらって、昨日そ
れが届きました。
昨日さっそく、それを試しました。ズボンとパンツを脱いで四
つんばいの状態になって、下に新聞紙を何枚か敷いてから、オ
ナホールを持った母にやってもらいました。オナホールに入り
たくてたまらず勃起している僕のちんちんを、母は優しく持っ
て、オナホールに上手く入れさせてもらいました。
母がオナホールをゆっくりピストンさせると、すぐにオナホー
ルの気持ち良さがちんちんに伝わって、フル勃起の状態になり
ました。そして母がオナホールを動かすペースを速めると、グ
チュグチュという音が聞こえて、ちんちんも、どんどん気持ち
良くなりました。母が「気持ちいいかえ?」と訊いてきたの
で、僕は「すごい気持ちいい」と言いました。
それから少しして、そろそろ射精しそうというところで、母が
オナホールを動かす手を止めました。休んでいるのかと思って
声をかけようとすると、いきなり高速で動かし始めました。た
まらず僕は、「ヤバい!出そう!」と言いました。すると、ま
た母が手を止めました。僕は「もうちょっとゆっくり動かし
て」と言いましたが、母は、「一気に動かしたほうが気持ちい
いで」と言ってきました。そしてもう1度高速で動かし始めま
したが、さすがに限界だったので、「あー無理!出る!出る!」
と言いました。その瞬間、僕の体は、足を小刻みに痙攣させな
がら、ちんちんから大量の精液を噴出させて、下に敷いてあっ
た新聞紙に叩きつけるように降り注ぎました。母がオナホール
を高速で動かしてくれたおかげで、めちゃくちゃ気持ち良かっ
たです。
54
削除依頼
2024/10/06 13:04:27 (MgnlLm1Z)
待望の女児だった。

女児を妊娠しやすいようX精子を増やすための食事・健康管理は全て行い、射精時に膣内を酸性にする医薬部外品ゼリーも使い、性交時は妻をイかせる寸前で焦らし続けた(女性が絶頂するとアルカリ性分泌液で男児が妊娠しやすくなる)

妻には「女児の方が嬉しいけど、どちらでも授かったら大切な子どもに違いないよ。」と言ったものの、妊娠中の性別診断で男児だったら最悪、事故に見せかけた堕胎も考えていた。

娘を初めて抱いた時のあまりにも脆くて未熟だけれど暖かい生命の感触は忘れない。
それと同時に抱きながら生まれて間もない無垢なおまんこを指先でなぞりながら半勃起を抑えていた劣情も忘れないだろう。

生後、1ヶ月───首が座るまでは危険なので間接的なことしかできないが、焦らずに成長を見守りたい。
洗ってないチンポの匂いをたっぷり嗅がせたり、柔らかな手に娘を創り出した肉棒を握らせる背徳と快感は自我が芽生えたら行えない今だけの悦びだ。
あと10数年したら知らない男のモノにも触れる日が来るのだろう。

生後、4ヶ月───待望の首座りも安定した。ここからの日々をどれだけ待ったことか。
妻が出かけている隙にお互い全裸で抱きしめてから仰向けにして、世界一美しい縦スジに屹立したチンポを擦り付ける。
娘の初めての素股と性器の粘膜触れ合いは他の誰でもなく、変態な親父なのだ。

生後、6ヶ月───ハーフバースデーの祝いをした夜に娘と入浴。この日に行うと決めていた事があった。
初めてのクンニとフェラ。今まで指マンや口元にチンポを近づけて無意識に舐めることはあったが、初めての快感を目的とした舐め合い。
大股を開かせ優しく、力強く、執拗に小さすぎるクリトリスを愛撫すると未知の感覚に戸惑いながらも弾ける笑い声を上げ、くすぐったいのか腰をくねらせる。

───続きが読みたい人がいましたらメールまたはテレグラムIDをよろしくお願いします。
ロリ体験談ある方、または娘がいて変態な親父さんだと嬉しいです。
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