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近親相姦 親×子体験告白 RSS icon
※父母とその子の間柄での体験談

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2025/05/18 10:10:14 (irOeMrDa)
息子とまたセックスする日々になって運動不足も解消できて充実して
きました。
やはりセックスは大切ですね。
息子とはいえ見られるとシェイプアップしようと思うし、普段から
ストレッチしようという気にもなる。
騎乗位で足が痛くてすぐ交代ということから運動不足に気付きますね。
息子とお互いの体をすみずみまで見るし、気付かないところも指摘され
ると気にするようになる。
息子も私も暇さえあればお互いの性器を触っているので、トレイに
行くたびに股間を洗うので清潔になったし、いつもお互いきれいにして
ます。
息子は若いのでこちらが触ってあげると毎日2回でも3回でもすぐ大きく
してのってくれるので安心。
それでも足りないのかこちらが乗り気ではない時も私の足や股間を舐め
たりおちんちんをこすりつけたりして出してます。
今朝も私が寝ている時に、自分でローションつけて入れてくれて
ました。
気持ち良いなあと目覚めると息子に入れられてました。
口開けて寝てる寝顔見られるのも恥ずかしいですが、息子なので大丈夫。
夫も見てる前で突かれるのに興奮して喘いでしまうし、最後は口に出して
くれる時に、おちんちんを抜かれると絶叫してしまう私です。
1
2025/05/17 16:07:12 (2RqhI27d)
私は育った環境もあり、亡くなった母との誰にも言えない大切な思い出を
胸に、還暦をはるかに過ぎながらもパソコンや携帯を駆使して、母子の愛
情に関する様々な書き込みを読ませていただいております。多くは残念な
がら妄想みたいな投稿が多いようですが、いくつかの書き込みは私の経験
や思いと共通するところがあり、これらについてはしっかりと何度も読ま
せていただいております。

さて、私と母との関係は、今思い返してみますと本当に何の抵抗もなく自
然なものだったなと思っています。山間地の小さな村の中でも人里離れた
農家で、祖母をはじめ父母と3歳年下の妹の5人家族で生活していました。
小学校までは片道30分~40分ぐらいかかるので、雨の日は特に大変だった
ことを覚えています。

やがて祖母は亡くなり、私が中学2年生の時に親父が急に農作業が出来なく
なり入院して半年後にガンで他界してしまいました。当時は、生命保険な
どなくて私は中学に行きながら親父がしていた農作業を母と一緒にしてい
ました。妹は私たちが山や畑から帰ってくるまでに風呂の準備をして、私
と母はいつも一緒に風呂に入り、私が先に上がり妹が後から風呂に入っ
て、母と妹が話をして「アハハ!」と二人の笑い声を聞きながら体をふい
ていました。

それから、しばらくして村の酒に酔った男たちが、特段綺麗でもない30代
後半の後家の母を目当てに、いろいろな理由を言って家に来ていましたの
で、私がいつも男達を追い返す役目をしていました。田舎の一軒家では、
娯楽もなく当時はテレビもありませんでしたので、母は父が残していた酒
を風呂上りに飲むようになっていました。

そして、母をしつこく誘っていた男と母が軽トラでドライブに行くとの話
を聞いたので、私は母と風呂に入っているときに、「母ちゃん、お疲れさ
ん、今日は俺が洗ってやるよ!」と言って、母の体を洗いました。洗い終
わって母に思い切って男とのドライブは止めるように言いました。その時
の母は無言でした。妹が「兄ちゃん、私待ってるのよ、早く上がって!」
と怒りましたので、急いで風呂から上がり妹と交代しました。

母は、風呂から上がって晩酌をしながら「あんたどうしたんだい?あの人
が嫌いかい?」と聞いてきたので無言でいたら、妹が「何の話?」と聞い
てきましたので、私は自分の部屋に戻りました。その夜、寝ていたら母が
部屋に来て「怒ってるのかい?あんたが嫌だったらドライブはいかない
よ。それでいいかい?」と言って母は泣きながら布団の上から私を抱きし
めてくれました。翌日は学校が休みだったので、私はすっきりして母と二
人で一日中畑仕事に励んでいました。昼は妹がおにぎりとたくあんを持っ
て来てくれたので畑の片隅で一緒に食べました。

その日は、母は本当に疲れていましたので風呂で「母ちゃんお疲れさ
ん!」と言って母を洗ってやりました。母は「ありがとうね。」と言って
くれました。母は、「今度は私が洗ってあげる。」と言って洗っている
時、私の背中に母の柔らかい胸が押し付けられるたびに何とも言えない興
奮をしてしまいました。そして、前を向いたとき私の下半身が痛いぐらい
大きくなっていましたので、両手で隠しましたが母は「隠さんでもいい
よ。あんたも立派な大人になりようね。でもここだけは自分で洗いなさ
い。」と少し触りながら言って風呂から上がって母が晩酌しているときに
「こっちに来て、黙って飲んでても美味しくない。」と言って話し相手に
なっていたら、日焼けした浅黒い母の顔が時々笑顔になっていました。

今から考えると、母は当時ものすごく孤独で不安で女としてとても寂しか
ったので、それを酒で紛らわせていたのだと思います。

その翌日からは、風呂では母の方が積極的に私の体を洗ってくれるように
なり、だんだんと私の大事なところをしっかり触りながら、にっこり笑っ
て「ここは自分で洗って」と言うようになっていました。また、風呂の順
番も私より妹が先にふろに入って早く寝床に就くように母が言うようにな
っていました。

そして夏休みの夕方、私たちは日照りが強いので早めに仕事を終えて、母
は珍しく先に晩酌をして、私を呼んで「お前もお酒を少し飲んでおくれ」
と言うので飲みました。母が「おいしいかい?」と聞いたので「分から
ん」と言ってもう一杯飲みました。しばらくするとなんとなくフワフワし
た気分になりました。

母がいつものように妹と一緒に先に風呂に入りましたので、その間、私は
もう一杯酒を飲みました。「大人はこんなものを飲んでいるんだ。」と思
いました。妹が「母ちゃんが呼んでるよ。」の声を聴いて風呂に入りまし
たら、母は何と風呂場に酒を持ち込んで「今日はいっぱい飲んじゃった。
うふふ」と言いながら私を洗ってくれました。
石鹸をいっぱい付けて私を抱きしめるように洗い始めたので、酒のせいも
あって私の下半身は爆破しそうになっていました。母が私に立つように言
って、母が「私をタオルではなく両手で洗って」と興奮した声で言うので
私は無我夢中で抱きしめるようにして洗いました。そして母が私の唇を求
めてきたので、生まれて初めてキスをしました。母の唇が柔らかくて興奮
が更に高鳴ると同時に、母の手が私の下半身を触りだして暫くすると、全
身に電気が走ったようにけいれんして「あ~っ」と言って射精しました。
その間母は黙っていましたが、妹が「いつまで入ってるの!」と大きな声
が聞こえてきましたので、「はっ」として二人ともバタバタ風呂から上が
りました。

私は、なんだか全身の力が抜けたようで放心状態でしたが、母の目は私を
いつまでも見つめていました。母は、妹に早く床に就くように言い、私に
は晩酌に付き合うように言いました。

母は「どうだった?」と聞いてきましたので、「もう一回キスしたい。」
と言いまいたら、「いいよ、こっちにおいで」と言うと同時に母に飛びつ
きました。母は「慌てんでもいいよ。私たちはず~と一緒にいるから。」
と言って長い時間キスしていました。母は「少し休みましょう。お酒を飲
ませて。」と言うので、お互い見つめあいながら手を取り合っていました
ら、妹が「眠れないので、母ちゃん一緒に寝て」と来ましたので、その夜
は、私は自分の部屋で長い時間もんもんとした夜を過ごしました。

次の朝、台所に行って母を抱きしめました。母が振り返ると同時にキスを
しました。
母は妹が起きてくるから離れるように言いました。その日から、私は母と
畑仕事を一緒にしたり、終わって風呂に入ることがとても楽しくなりまし
た。

それから、私たちは風呂でキスをしたり体を抱き合ったりしていました。
母に「母ちゃんは本当は肌が白いんやね。」と言うと「ありがとう」と言
って抱いてキスをしてくれました。そんな日が続いて、しばらくして私は
我慢できずに母を本気で抱こうと母の両足を広げましたら、母は私に落ち
着くように諭しました。
そして、一緒に風呂に入ってキスしながら、母は私にいくつかの約束を守
るように言いました。覚えているだけでも「母との関係を妹はじめ他人に
決して話さないこと」「妹に絶対バレない行動をすること」「勉強を疎か
にしないこと」「子どもができないように母の言うとおりにすること」
「母は私の言うことを聞いて他の男との交際をやめたので母を大事にする
こと」・・・。他にもあったような気がします。

これらの約束を、母に「分かった。俺は母ちゃんを大事にする。」と言う
と母は「ありがとう。あんたは本当に素敵な子やね」と言うと同時に風呂
の中で抱きしめてキスして、母の手で私の下半身をそのまま母の中に導い
てくれました。私はあっという間に果ててしまいました。母は黙って私を
抱いたまま長い時間キスをしてくれました。風呂から上がっても、私たち
はお互いを見つめあっていました。母は妹が寝ているか部屋に確認すると
私に抱き着いてキスをしてきました。「今夜はあんたの部屋で一緒に寝よ
うか。」と言ってくれたので、「うん」と言ってまたキスをしました。

部屋に入るなり、母は服を脱ぎながら「あんたも脱いで」と言って、二人
は子供のように布団に入りました。「さっきは、風呂の中でバタバタやっ
たね。」「今からすることは、人に絶対言うたらいかんよ。」と言いなが
ら母は足を広げだしました。私は、キスをしながら母の首筋や胸を舐めま
わしました。「あんまり強く吸うとキスマークがつくからやめて、優しく
してちょうだい」という母の声を殺した苦しそうな声に私は興奮しいてい
ました。やがて母は、私の爆発しそうな下半身をつかんで、母の中に導い
てくれました。風呂では感じなかった母の中の熱さに更に興奮しました。
母は私のが入ると同時に「うっ」と声を出すと同時に、声を出すのを我慢
している息遣いに興奮していました。私は、やはりあっという間に果てて
しまいました。母は「チリ紙を取ってちょうだい。」と言って拭き始めた
時、私はまた興奮してきました。母は「あれ、また!?」と言いながらも抱
かしてくれました。その夜は、正直何回したのかわからないくらい抱き合
いました。翌朝気づくと、母は夜明け頃に妹が寝ている部屋にこっそり帰
っていたようです。

その日から、母はなんだか以前より元気に、また明るくなったように思い
ます。そして、妹はある時「近頃の兄ちゃんは、なんだかお父さんみた
い」と言って母をハラハラさせました。
でもそんな関係も長続きはしませんでした。それは、私のうぬぼれからで
した。母を通して酒や女を知った私は、同級生の彼女に手を付けていまし
た。彼女の自宅の部屋でこそこそしているところを彼女の妹に見つかり、
彼女の母親から母が厳しく注意をされたので、その日は母からめちゃくち
ゃに怒られ、妹は恥ずかしくて学校にいけないと泣き崩れました。

深夜、妹が床に就いてから母が「最近、私との関係が少ないなと思ってた
ところよ。私が変な事を教えたことにも責任があるわね。どうしたもんか
ね。」といいながら母は疲れて寝てしまいました。

その後、母から「彼女は絶対に本番はしていない。」と言い張っていると
聞いたので、私もだんまりをやめて、「セックスは絶対にしていない。」
と母に言ったので、結果は「うやむや」になりました。

しかし、母は「私にだけは本当のことを話して」としつこく聞いてきまし
たので、「絶対にしていない」と言い切り、「でもこんなことで母ちゃん
に迷惑かけてごめん。」と泣きながら言いましたら、母は私を抱きしめて
「分かった」と言って泣いてキスをしてくれました。
それからは、母が私を積極的に誘ってあらゆるところで、口淫行為などい
ろいろなセックスをするようになり、本当の男と女の関係になりました。
今考えると、私の当時のエネルギーを出し切らせて、他の女に気持ちがい
かないようにしていたのかなと思います。

でも、私は若い女の肌の素晴らしさを知ってしまい、母としている時にも
彼女の体を思い浮かべていました。このような私に対する母の激しい愛情
の行為は、やがて妹も気づきはじめていたようで、妹は寝たふりをして私
達の夜の営みを覗き見ていたのではないかと思っています。狭い家ですか
ら、妹は私と母との営みを感じ取ったようで、「けだもの、けがわらし
い、触らないで不潔、あなた達大人は嫌い」と言うようになっていまし
た。

しかし、母は毅然として「兄ちゃんとは何もないよ。ただ、父ちゃんの仕
事をしてくれているから母ちゃんは兄ちゃんを大事にしているんだよ。ち
ょっとベタベタな関係に見えたらごめんね。これから風呂も別々に入る
ね。」と言ってくれて何とか収まりました。

それからは、母は本当に人が変わったように私に距離を置いて接するよう
になりました。朝早く起きて、キスをしに台所に行っても全く相手にして
くれなくなりました。
また、妹がいないときに母は、「早く素敵な彼女をつくりなさい。私は娘
を失いたくないの。分かって!」と言いましたので「分かったよ。」と返
事をして自分の部屋に戻ろうとした時、母が「こっちにおいで」と言って
優しくキスをしてくれました。「私は、あなたを含めて家族を壊したくな
いの。あなたが嫌いじゃないのよ分かって。」と言いましたので、「分か
ってるよ、俺はだから母ちゃんが大好きなんだよ。」と言いながら母を抱
えて私の部屋で久しぶりに抱き合いました。妹がいないこともあって、母
が声を震わせて泣きながら「これが最後よ。お願いこれが最後よ。」と言
いながら興奮して抱き合いました。

その後の私をはじめ、母や妹の経過や現状については具体的にお話しする
ことはできませんが、その母も晩年は、可愛いお婆ちゃんで孫たちの人気
者でした。入院中は個室で二人だけの時に、母の髪と頬を触りながらキス
をしていました。母は恥ずかしそうに、それでもにっこり笑って「人が入
ってくるわよ。」と言っていました。

通夜の深夜、誰にも気づかれず母の冷たい頬を触りながら「長い間ありが
とう、母ちゃんが俺の最初の女で最愛の人だったよね。」と言いながら冷
たい唇にキスをしました。母は亡くなり、今月の中旬が母の命日になりま
す。私も父方の系統で体調が良くありませんので、私がここに思い切って
母とのことを投稿することで、私が近く他界してもこの投稿文が永遠に皆
さんから読んでいただくことにより私達はこの世界に生き続けることがで
きると思い、昔のことを思い出しながら書かせていただきました。実を言
いますと、以前、同じようなお話し(投稿)をさせていただいておりまし
たが、今回はよくよく思い出しながら書いているつもりです。

今は体調がいい時に身の回りの整理をしています。特に、母との思いでの
品等、家族がいない時にこっそりと処分しています。今は亡き心から愛す
る母でした。母も私を待っていると思います。
ただ正直に言いまして、妹が私と母との関係をどこまで知っているのかが
今でも気になっています。
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2025/05/17 11:11:43 (HRKwYowd)
中学生で俺を産んだ母親が、中学卒業と同時に失踪。書き置きは残していたらしく、親戚全員誰も探さず。
残された俺は祖父母に育てられた。
祖父母はまともな人たちだったし、今でも感謝しているが、それでも俺はグレてしまっていた。
中学卒業した直後に、母親が突然現れた。
まったく記憶にない。美人と言えば美人。今なら「地方のスナックにでもいそうなスレンダーな女」と表現するかも。当時はただケバい女としか思わなかった。
たぶん心を病んでいたんだと思う。
俺を引き取りたいと騒ぎまくっていた。
祖父母も俺も拒否すると、しつこい嫌がらせが続いた。
1ヶ月くらいで、結局、俺が「わかった一緒に暮らす」と宣言。
カバンひとつで母親の住む他県に行った。
パトロンでもいるのか、それなりのマンションだった。
当時は珍しいオートロック。新築も新築で、同じ階にはまだ入居者が越してきていないと、母親が自慢そうに言っていた。
母親が先に、続いて俺が部屋に入った。
靴を脱ぎ、玄関からリビングに入ったところで振り向いた母親を、俺はぶん殴った。
悲鳴をあげたら殺す。逃げようとしたら殺す。逆らったら殺す。わかったら服を脱げ。そんなことを言った。
すでに涙をこぼしていた母親は、こくこくと頷くと、服を脱いだ。下着だけになって手を止めたので、軽く殴った。ブラを取り手で隠したのでまた殴った。下を脱ぐのを躊躇ったのでさらに殴った。
ムカつくことに母親の体は綺麗だった。
血管が浮かぶほど白い肌に、胸は小ぶりだが整った形をしていて、色もピンク。腰もくびれていて、手足もすらっと長く伸びていた。脇も下も毛はなかった。後で聞いたら天然のパイパンだと言っていた。
腹に縦に傷があり、すぐに俺を産んだ時の帝王切開の跡だとわかった。
本当にムカつくことに、綺麗な体だった。
これも後になってじっくり見てわかったんだが、アナルすら綺麗な形をしていた。
俺のチンポを舐めさせた。抵抗したのでまた殴った。
書き直すの面倒くさいので直さないが、拳で殴ったのは最初だけで、後は頭をこづくとか、頬を平手で叩くとか、そんな感じだったと思う。
俺は童貞じゃなかったが、それでもそれまでしてきた相手は同級生や先輩とかだったから、普通のことしかしてこなかった。
抵抗しない母親にムカついていたのと、興奮していたのとがごちゃまぜになって、AVで見たようなことをいろいろ試した。
目を閉じるな。俺の顔を見ながらしゃぶれ。もっといやらしい音を立てろ。
母親をソファーに寝かせて、自分で広げさせた。
なんだったかな「お母さんに種付けしてください」みたいなことも言わせた。AVでそんなのがあったんだと思う。
挿入した。もちろんゴム無し。
目を閉じる母親をまた殴った。
泣きそうな顔押していたので「嬉しそうに笑え」と命令した。
すぐにしないと殴った。
正常位で腰を振りながら、俺の乳首を弄らせた。子供の頃から乳首が感じるんだよ俺。
「これから先、男とする時は笑顔で乳首を触って中出ししてもらえ」みたいなことを言った。
最後はしっかり覚えている。笑顔のまま、俺の乳首を弄らせながら、「(俺の)弟を孕ませてください」と何度も何度も言わせた。そのまま中に出した。初めての中出しだった。
終わって、そのまま俺はぐったりしている母親を放置して、ひとりで風呂場に行った。シャワーを浴びたら出て行こうと思った。祖父母の家には戻れないから、母親の金をあるだけ奪って東京にでもいくかとか、そんなことをぼんやり考えていた。出したばかりなのになぜかまた勃起していた。
母親から祖父母に連絡が行ったりとか、警察沙汰になったりとか、どうでもよかった。どうにでもなればいいと思っていた。
でも、杞憂だった。
不意に風呂場のドアが開き、母親が入ってきた。
無言のまま、勃起していた俺のチンポを自分から舐めた。俺の目を見て、ぐちゅぐちゅとシャワーの音でもかき消えないくらいの音を立てて、さっき俺が言った通りのことをした。俺も振り払わずにそのままにした。
その後の話。俺は出て行かず、母親と爛れた生活を送った。母親も俺にべったりになった。殴られながら自分の子供に犯されるのがたまらないです、みたいなことを言っていた。
全裸で過ごさせたり、母親だけ犬みたいに食事させたり、堕胎したその日の夜にも口で奉仕させたり、やりたい放題したが、母親は嬉しそうにしていた。
俺も働きながら夜学に通うようになり、それでも爛れた生活は続けた。学校の同級生には、母親のことを、歳上の彼女と教えた。特に仲良くなったやつには、性奴隷だといって、そのうちの1人には母親を貸し出した。なぜか後悔して、貸し出しはその1回だけだった。
学校を卒業した翌日に、いつもの通り母親を殴りながら犯して眠り、目が覚めたら、母親はいなかった。
結構な金と、書き置きがあった。「飽きた。バイバイ」とだけ書いてあった。あとは、マンションにはその月しか住めないとか、業者が家財道具を処分しにくるとか、そんなことが事務的に書いてあった。
あれから、母親には会っていない。
数十年前の今日が母親を初めて犯した日なので、思い出して書いてみた。
3
2025/05/17 06:31:42 (Uc3cP9YA)
私は40歳、独身です。
20年前に、一人息子を出産して、
まもなく主人と別れました…。
息子は主人と暮らしています。
そして、4月から大学生になった息子と再会果たしたんです。
私が働くスーパーに、息子がアルバイトすることになって、再会したのですが…。
親子関係だった私と息子は、すぐ仲良くなって…。
息子から、私を母じゃなく、一人の女として見ていると、恋人としてお付き合いして欲しいと、告白されました。
私は悩みました…。
お付き合いすれば、親子でセックスすることになると…。
それを承知で、息子とお付き合いすることになりました。
童貞だった息子と、すぐ、体の関係になりました。
二人きりになると、息子から激しくキスされます。
息子は、パンティの中に、手を入れて、私は膣内をいじられます。
私のオマンコは、すぐびちょびちょになってしまいます。
私のアパートで、セックスする毎日です。
私たちは、『お父さんには、私とセックスしていることは、絶対ナイショにしてね』と約束して、体の関係を続けています。
昨夜から、息子とラブホテルにお泊まりしています。
息子は、お友達と出かけてくると、主人に話したそうです。
息子から、膣内で射精するたびに、『佳奈を妊娠させたい』と言われて…。
私は排卵しているのに、息子と避妊しないでセックスしています。
息子は、私が排卵していること、知っています。
朝まで、5回も射精してくれました。
膣内から、息子の精液が、こぼれています。
夜更かしセックスで、寝不足気味な息子から、『まだ、セックスしたい』と言われてれて…。
息子と寝バックでつながって、ここに投稿させてもらっています。
息子のおちんちんで、子宮を激しく突かれながら、『イク、イク』って言わされています。
息子の女になって、私は、母親失格ですね…。
4
2025/05/17 00:43:07 (ZrfCRyCT)
26年間、母子家庭で母と2人でずっと過ごしてきたので
とても中のいい親子です。
母との初体験は中学生のころで僕自身も童貞だったので色々教えてもらいながらでした。
それからは定期的にするようになって僕も慣れてきて
20歳の時に母からこのナンネを使っているとカミングアウトがありました。
その話の中に母がまだ僕に打ち明けてない性癖やこれまで会った人の話など全て話してくれてよりお互いの気持ちが通じ合えました。
最近はネカフェで声を潜めながらプレイしたり、
軽度な露出を楽しんでいます。
これからも楽しみです。
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