2012/04/07 07:53:40
(Oq.PGtzf)
朝早い時間に沢木のマンションを後にした。
母が7時半過ぎに朝食を作りに来るから、それまでにこのマンションを出ておきたかった。鉢合わせは避けたかった。どっちが家族だか判ったもんじゃない。
この日、母は一体どんな気持ちで、沢木の所へ行こうとしていたのだろうか。私が沢木に会っていたなんて、つゆとも思っていないだろうに。この事を知ったらショックを受けるだろうか、それとも悲しむだろうか。ど
ちらにしても、正常ではいられないだろう。こんな状況でも母の悲しむ姿は見たくなかった。
沢木は母に、私がここへ来たこと、二人の関係を全て知っていること(気づいていること)を伝え、今までの関係に終止符を打とうと提案すると言っていた。そんなことが出来るのだろうか。
母の気持ちになって考えてみようと思ったが、どうしてもできなかった。私は母のことが、全く判らなくなってしまっていた。
気になるのは、帰り際に言われた一言。
母が全てを理解してくれて、そのまま何もなければ、「おばさんは朝の早い時間に家に帰るだろう。しかし・・・」沢木は、嫌な笑顔をしながらいった。
つまり、最後の行為があれば、遅い時間になるということ。
「それくらいは仕方がないよな。いや、もちろんそんなことはない前提だけどね・・・」
まるで自分にはその気はないのだが、お前の母ちゃん、ねだってくるから、と沢木に言われているような気がしてムカついたのだが、実際のところは判らなかった。あの母が、沢木くーん、と猫なで声を出しながら首も
とに抱き付き、キスをせがみ、ったくしょうがねぇな、と沢木が面倒くさそうにそれに応じる、みたいな想像をしたがすぐに脳から消し去った。さっきから胸の奥に何かが引っ掛かったようぬな気がしてならなかった。
自転車を押しながらの帰り道、何度か物陰に隠れて見ていこうかと思ったが、やめた。
とてもじゃないが、怖くて見ていられなかった。
沢木は、「別の部屋で待機して、行為が始まりそうになったら出てきて止めてもいいんだぜ」と言っていたが、到底無理な話だった。私はそんなに強い心臓を持ち合わせてはいなかった。
そうかといって、父も出かけて誰もいないであろう家に戻り、一人で母が帰って来るのを待っていることなんか、できない。
色々考えた末、駅前の二十四時間漫画喫茶に行くことにした。
お世辞にも綺麗とは言えない雑居ビルの二階にあがり受付をすませ、コーヒーを持って個室へ入った。
別に読みたい本がある訳でもなく、ネットなんかをしているうちに、昨日寝ていなかったので疲れていたのだろう、いつのまにか寝てしまっていた。気がつけばお昼を大きく回っていた。こんな時にも腹は減るもので、
安っぽいカレーをなう
それから店を出て、本屋へ寄ったり、レンタル屋へよったり、なんだかんだで五時すぎに家に着いた。
玄関を開けるのが怖かった。
ひよっとして、母が居なかったらどうしよう。本気で沢木のことを好きになっていて、別れるくらいなら、このまま別の土地へ移り一緒に暮らしましょう、何てことになっていたらどうしよう、と頭の中は、どうしよう
で埋めつくされていた。
恐る恐る玄関を開けると、母の靴が揃えてあった。
台所へ行くと母は帰ってきており、一生懸命夕食を作っていた。
母が料理を作る姿をミルのは久しぶりだと思ったが、よく考えたら一週間かそこらぶりだった。
何だかものすごく長い間のような気がしていた。
「おかえり」と元気のいい声で母が言った。汗が額に光っていて、それが母の顔を余計にキラキラと輝かせていた。一瞬、綺麗だと素直に思ったのだが、すぐに、この顔がさっきまで沢木の前でどんな表情をしていたの
かと思うと複雑な心境になったので、無視して自分の部屋へ行った。
いつもなら「こら、帰ってきたらなんて言うんだっけ、と耳の一つもつねられるのだが、それもなかった。やはり、私が沢木との関係を気づいたことについて、何かしらの動揺があったのだろう。
台所からは、再び料理を作る音がした。
定時に父が帰ってきた。風呂、ビール、食卓を囲む家族の姿。久しぶりの光景だった。
「今日でお勤めが終わりました。ご迷惑をお掛けしすいませんでした」仰々しく母が言った。
「終わったのか。そうか」と嬉しそうな父。彼の様態はもういいのか、と沢木のことについてしばしの質問があった後、では久しぶりに家族そろって、いただきます、となった。
今回母はかなり気合いが入った夕食を作った。父には好物の鯵のなめろう、湯豆腐に紅葉おろしと特性ポン酢、季節の野菜のてんぷらなど、お酒のつまみとしてはこれ以上ないという品々。
私には、オムライス。悲しいが、未だにこれが大好物なのだ。
「すごいごちそうだな」と父がはしゃいでいるように見えた。
「今まで本当にすいませんでした、さあお父さん」とお酌をする母。
二人はとてもいい夫婦に見えた。
あんなことがあって、母はよく父とそんないい夫婦を演じていられるな・・・。
私はあまり母のことを見ることができなかった。
いや、そうではない。母は反省したんだ。何かの過ちで・・・、そう、それこそ魔が差したのだ。
だから、改めて父に尽くすということにしたのだ。と都合のいい解釈やらの問答が頭の中を交錯した。
「美味しくないかい、さっきから黙っているけど」
こちらの様子をうかがうように、母が話しかけてきた。
「……ん、旨いよ」
素っ気なく答えた。
「そ」
母も素っ気なく返した。
この食卓を囲んでいる家族は、果てして本物なのか、張りぼての家族愛なのか、わからなかった。