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2018/02/21 04:31:41
今四十代後半の私は1970年代に少女期を過ごしました。私の実家は典型的な田舎のいわゆる御大尽の家柄で通りに面した大きな石垣の上に建つ広い屋敷でした。倉があったり離れがあったり大小の小屋物置が敷地内に散在していました。私は父母と姉と弟、五人家族で母屋に暮らし、廊下で繋がった離れ座敷に祖父が暮らしていました。私は大変なお爺ちゃん子で、祖父もまた三人姉弟のなかで特別に私を可愛がっていたのでした。祖父は小学校の校長を勤め上げた謹厳な人柄で姉も弟もどちらかというと怖がっていたと思います。その祖父は私を呼ぶときには「ミッポタン」などと言うのです。母が笑いながら「お爺ちゃんは先生だったとき相当贔屓が激しかったろうね」と評していました。私はよく祖父の部屋に入ってはあちこちひっかき回したり、話し相手になったり、抱っこしてもらったりして過ごしたものでした。そして時々は祖父と一緒にベッドで寝たものです。あの頃ベッドはまだ珍しく家には祖父の部屋にだけあったのです。私が三年生だった夏のある晩、真夜中に突然目覚めてしまいました。身体の中に、とくに下腹部の辺りに熱い感覚が生まれたみたいでした。それまで感じたこともなかった異様な感覚、ジンジンと疼く塊のような。しかしそれは痛みとかいうものではありません、どちらかというと気持ちよさ、なにか満足感を覚えるような不思議な感じ。今考えれば快感に犯されたとでも言えるでしょう。祖父の懐に抱かれてしばらくはその余韻に浸るとともに、ふとお祖父ちゃんは寝てないのじゃないかしら、と感じました。そのことは誰にも言わずに私ひとりの秘密にしていました。

暫くしてまた私は祖父の部屋で泊まりました。あんなことがあったのにどちらかというと進んで祖父のベッドに潜り込んだのでした。もしかすると幼心になにか起きることを期待していたのかもしれません。そして案の定、真夜中に再び快感の波に襲われて目覚めたのです。そして今度ははっきりと誰かの手がパジャマの下パンツの中に差し入れられ股間を優しく撫で回していることがわかりました。驚きましたが怖くはありませんでした。何よりも巧みな愛撫にまりにも快感を覚えてしまったからです。ひとしきり触られた後、私は寝返りを打って祖父の胸に顔を埋めてしまいました。
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投稿者:(無名)
2018/02/26 21:25:30   
何かの遊具によじ登っていく場面も下からあおって撮っているので、私はパンツ丸見えなのでした(笑)。ところでオカシイのは、全く関係ない他の男の子が写り込んでいるんですが、二年生くらいのこの子私のスカートの中、白いパンツをガン見してるんですよ(爆)。全く男はしょうがない生き物なんですねぇ、こんな小さいうちから女の股間をヨダレをながさんばかりに(^o^)
22
投稿者:(無名)
2018/02/26 21:13:41   
髪は背中にかかるロングの真ん中分けでしたね、南沙織ちゃん、知らないかな(笑)
おすまし顔ですね。この歳になって見返すと「あら意外と可愛いかも」などと全く客観的に見られます(笑)。◯◯ヶ丘遊園に家族で出掛けた時のものでしょう。三人姉弟が様々に写っていました。私がトランポリンで跳ねている場面がありましたよ、パンツ丸見えで歓声を上げ口を大きく開けている場面(笑)
21
投稿者:(無名)
2018/02/26 20:53:39   
宅配が来たり宗教が来たり(笑)
閑話休題で子ども時代のファッションでも書きましょうかね。七十年代の少女ファッションは

ハイウエストのワンピースかジャンスカ。白いハイソックス。ウエストには幅広のバンド。これで九割型カバーしましたね(笑)昔のアイドル画像を見ればよくわかります、日本中猫も杓子も同じスタイルでした(笑)しかもだいたい二、三着を着まわしで(笑)女子小学生はだいたい丈が長すぎるか短すぎるか(笑)四年生の私は一学期にはちょうどよかったミニスカが、成長に取り残されて年度の終わりには危険なほどマイクロミニスカになってましたよ(爆)その頃撮ってもらった写真をみると紺色、白レエス襟のハイウェストフォーマルワンピがウエストどころかバストの下あたりにベルトが来ていて、スカートの裾は腰下何センチというくらい上がって、ハイソックスと裾の間に太腿がニョッキリという格好でした、ロリコン大喜び(笑)
20
投稿者:ゆきお ◆h4ONJivhRc
2018/02/26 12:42:48   
こんにちは。はじめて読ませてもらいましたが 大変エロ可愛い娘だったんですね。祖父が大変羨ましく思います。しかも少女がヨダレを垂らして…フル勃起しました!また続きを楽しみにしてます。よろしくお願いします。
19
投稿者:(無名)
2018/02/26 08:55:14   
「祖父の」ズボンが床に落ちて、でしたね、でないと意味不明(笑)
オヤツのクッキーをかじりながら部屋に戻っていた祖父のところに行きました。祖父の膝に腰掛けてポリポリ食べます。食べかけをくわえて振り返り祖父に突き出すと嬉しそうに平らげるのでした。祖父が手をモゾモゾさせるので「今日はもう嫌!」と言って立ち上がってしまいました。オジイチャン可哀想だったかな、残念そうな顔だった

またしばらく間を置いて帰宅すると座敷で祖父に行きあいました。なにしろかなり大きな家だったのです。座敷には七段の雛飾りがだしてありました。ただいまも言わずに向かい合うと祖父が私の肩に手をかけて、意外な力で座敷に押し倒しました。私は腰が抜けたようにされるままになります。雛段の前に据えられた座布団の上に寝かされ、上からのし掛かられました。スカートの下に手を入れられ防寒着のタイツと下着をまとめて引きはがされました。祖父の勃起を入れられるとジワリと快感が湧き上がり、やがて陶酔の歓びの声をあげていました。

この歳になって昔の少女時代の写真を見ても
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投稿者:(無名)
2018/02/26 07:23:00   
時系列はかなりいい加減ですよ、順番通りなんてことはありません、あとあとの体験が混じっていることも(笑)了解下さい。もっとも子どもの性欲では毎晩なんてことはありません、その夜中だけでしたね。オジイチャンも歳だからそう毎日は無理だし(笑)
ただ私はセックスの快感も覚えて、呻き声を上げたり腰を動かしたりするようになっていました。母が留守とわかっている日、飛ぶようにして帰宅したことがあります。たまたま祖父が玄関で郵便物を見ていました。「ただいま!オジイチャン抱っこ!」そう叫んで祖父に抱きつきました。祖父はランドセルを背負ったままの私を引きずるように応接室に連れ込みました。すぐに短いスカートの下白いパンツを脱がされます。そしてズボンが床に落ちるとソファーに押し倒され覆い被さられてしまいます。入れられるとたちまち快感が湧き上がりました、エッコエッコが来ると「キャーッ」と声を上げてしまいました。応接室てセックスしてしまった、そんな思いがますます刺激的でした。やったあとで今更のようにドアに鍵を掛け、窓にカーテンを引く祖父でした(笑)ソファーに下半身丸出しで座り込むオジイチャン、私は開脚抱っこでまたがり祖父と交わってしまいます。二度めのエッコエッコで頭が真っ白くなりまた「アヒアヒ」と呻きます。祖父はその日やたら元気でした、床に手を突き四つん這いにさせられ、背後から入れられました。祖父は満足したらしく、私を拭き浄めてくれてからパンツを穿かせてくれました。「さあ、オヤツを食べなさい」優しく言われて、初めてオヤツを頂いてないことを思い出しました(笑)。全くオヤツを忘れてセックスとは(笑)小学生が
17
投稿者:(無名)
2018/02/26 06:50:10   
それは私の小学四年生最後の頃の日々でした。親、特に母、それから姉弟に気付かれないように祖父との交歓を続けていました。二月の頃だったか寒い時期、母は町内旅行に参加して父も仕事先から合流し三泊四日の間、家は祖父と子ども達だけの留守番になりました。子ども達だけでテレビが見られるのです、チャンス(笑)。九時過ぎからの大人番組をドキドキしながら観ましたよ、いまなら他愛もない場面でも、当時は食い入るように観たものです。布団に入ってからなぜか身内が火照るような心持ちで寝られません。エッコエッコを感じたい、そんな幼い欲望だったかも。夜中、姉弟が寝静まった頃私は祖父の部屋に忍び込んでいました。「寒い」小さい声でつぶやき、祖父のベッドに潜り込んでしまいました。小さい頃からオジイチャンと寝るのはあたたりまえだったじゃない、そんなこと思いながら。言い訳だったのかしら(笑)年寄りは眠りが浅い(笑)祖父はすぐに目覚めて私を抱きしめました。私は祖父に包み込まれ、背中で密着しました。祖父の手で真っ平らな胸を撫で回されると力が抜けてしまいます。お尻からパンツに手を入れられ局部を包み込むようにして愛撫されます。その気持ち良さ。すぐにエッコエッコが来そうです。その時祖父が私を仰向かせました、大きく脚を開かせて割り込んできました。すでにパンツはパジャマと絡みながら足首に下げられています。祖父の温かく湿って固いものが敏感なところに押し当てられます。「あぁオジイチャン入れたいのね」
祖父が中に入ってきて何度か動くとエッコエッコが湧き上がりました。今までになかった強い強い快感のエッコエッコ。下腹部に快感が渦巻き頭が白くなりジンジン痺れるようでした。思わず「アヒ、アヒ」っと声が洩れてしまいます。これが性交による快感を初めて覚えた時でした。そして祖父も復活して強く、その夜中、何度も交わったのでした。
16
投稿者:(無名)
2018/02/26 05:10:50   
正直、開脚抱っこの方がはるかに気持ちよかったですね。エッコエッコを何回か味わった後、最後に「セックス」する、それが私と祖父の性生活となりました。不完全ながらの性交でたぶんしばらくは処女のままだったはずですが(爆)
実は処女を喪った日はっきりしません、何度か性器接触を繰り返した後に、本当の性交をしたはずです。祖父の勃起が実際に侵入した時も「あ、オジイチャンが入ってきた」と思ったはずなんですがね(笑)たいした痛みが無かったんだと思います、処女喪失初体験は痛みの記憶らしいですからね。今思うと祖父はコンドームを付けてる様子はなかったな~、可愛い女孫に中出ししてたのかしら(笑)ヒドい~~~~~~
女子小学生妊娠遊び
違うか、女子小学生愛人遊びですね(笑)
15
投稿者:(無名)
2018/02/26 04:44:33   
孫の私にそんなことをしても、祖父は口止めするようなことは一切言いませんでした。その点、実に堂々したもので、ある意味男らしい(笑)もちろん私も一切しゃべることはありませんでしたね。何食わぬ顔で「オジイチャンまたね」などと言ったものです。
その秋から翌年にかけて私は「セックス」が面白くなってしまい何度か祖父の部屋に自分から行ってしまいました。祖父が私を誘うことは一切ありません、私がセックス遊びに出向いて行ったものでた。親、特に母の不在を確認して姉や弟のいないときに、そして私の体内で幼い欲望が萌えだした時に祖父の部屋に足がむくのでした。
14
投稿者:(無名)
2018/02/26 04:27:15   
読み返すと随分言葉がすっ飛んでしまってますね。興奮しながら書いたんですかね(笑)想像して補ってもらわないと意味不です(^o^)すみません、推敲できれば良いのにね
ま、続けます。

祖父は私を開脚抱っこで抱え上げたまま椅子から立ち上がりました。私はエッコエッコの強い快感に犯され祖父の首筋にしがみついています。そして数歩でベッドにたどり着き、私をその上に寝かせて覆い被さってきました。祖父の身体が重石のようにのし掛かります。祖父の手がお尻の辺りでもぞもぞすると、パンツがするりと腰から引き外されて敏感になっている部分が表にさらされました。それからアソコになにか温かく湿った固いものが押し付けられグイグイと私の柔らかい部分を攻めてきました。「ああ、これがセックスなんだな」と思った記憶があります。なにしろ七十年代は小学校における性教育の元年でしたから(笑)私の身体の下の入り口は、祖父の侵入には少し堅かったのかもしれません、いきなり祖父の勃起はフニャリとなり突き上げは止んでしまいました。もちろん今になれば祖父の不首尾は明らかですが、その時の私は「とうとうオジイチャンとセックスしてしまった」という感慨深い(笑)ものでした。祖父の放った体液が私の股間を流れ落ちるのが感ぜられました。なにしろ生理はまだでしたから妊娠なんてことはカケラも頭に浮かびません、一種のエッチな遊びって感じですかね。祖父は少しして立ち上がり、私の上から離れて側の籠からタオルを取り出すと優しく私を拭き浄めてくれました。初めて嗅いだ臭いはよく覚えています、青臭いような独特のニオイ、その後の人生でもよく嗅ぎました(^o^)
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