2021/06/18 15:37:44
(ORpnx7Ir)
店は7時前から客が入り始め、7時半ごろには満席になった。賑やかな音楽と笑い声が響き渡る明るくて良い雰囲気の店で、客は年齢層の高いバリっとしたスーツのサラリーマンばかりだ。お姉さん方は先程の3人と後からそれぞれ同伴で出勤して来た4人で、ママと合わせて8人だった。昨日は他に若いお姉さんが3人ほどいたがアルバイトのホステスで、まだ出勤していない。最初からいた3人は俺よりはかなり年上で40代半ばから後半ぐらいのベテランで、後から来た4人は俺と同世代、20代後半から30代前半の中堅で、客層から見ておそらくこの4人が人気の中心メンバーだろう。4、5人座れるボックス席が8席でお姉さんがそれぞれに1人ずつで対応している。明らかに人手不足だ。俺はひたすら氷を割ってアイスペールに入れてテーブルに運び、大量の洗い物をしてグラスを拭くを繰り返していた。やがて20代の若いアルバイトホステスが出勤して来ると店は益々活気付いて忙しくなった。アイスピックで氷の固まりを細かく割るのは簡単そうで中々難しい。大き過ぎるとグラスに入らず、小さ過ぎるとすぐ溶けてしまう。無駄が出ないように丁度良い大きさに割るには技術がいる。俺は学生の頃のアルバイトで厳しく仕込まれたので、卒なくこなしていたつもりだったが、よっちゃんが俺の様子を見て
『ケン坊、氷は何度も突っつくんじゃねぇ、一発で割らねえと無駄が出ちまうんだ』
と氷の割り方を見せてくれた。流石にベテランのバーテンらしく面白いように一発で氷が綺麗に割れていく。しかもグラスに丁度良い大きさに揃っていた。
『うわっ、流石っすね。カッコいいっす、どうやるんですか?』
『氷の目を見ろ。お前さんは筋が良いから直ぐに出来るさ』
『はい、やってみます』
カウンターバーには脚の長いスツールが3席あって、そのうちの一つに老紳士が座っていた。老紳士は俺とよっちゃんのやり取りを聞いて懐かしそうに話し出した。
『しかしもう30年も経つのか…。つい昨日の事みたいだよ。そうしてケン坊によっちゃんが氷の割り方教えてたのが…』
『えっ?30年前にもケン坊がいたんですか?』
俺は思わず老紳士に聞き返した。
『ああ、いたよ。あんたにそっくりだったよ。髪型も背格好も声も本当に良く似てるよ。最初にあんた見た時はケン坊が帰って来たのかと思ったよ。まさかあんたケン坊の息子かい?いや、親子でもこんなに似てる人は中々いないよ』
『ああ、いや、その、俺、自分の親父の事は知らないんです。俺が赤ん坊の時にお袋と別れちゃって…』
『そうか、それじゃひょっとして本当にあんたのお父さんはケン坊かもしれないねぇ』
『えっ、いやぁ、まさかぁ、そんな偶然あり得ないっすよ、ねぇ、よっちゃん?』
『さあ、どうかなあ?あいつはモテたからなぁ…。だが、俺が知る限りガキが出来たなんて話を聞いたのはの1度だけだしな…。ここに来る前だとすると歳が合わねえだろ?そんな事より早く氷もって行け』
『あっ、はいっ、すいません』
俺は慌てて氷をアイスペールに入れてテーブル運びながらドキドキしていた。俺は何故か実際の歳より若く見られる事が多い。30を過ぎてからも大学生に見られたりしていた。おそらくよっちゃんも俺の事を20代前半ぐらいに思っているのかもしれない。"ケン坊"がこの店で働いていたのが30年前でお袋と結婚していたのがそれよりも前の話しなら丁度合う事になる。キョウコさんの事を聞きに来たつもりが俺の親父に繋がる話しになろうとは思いもしていなかった。