二年前の事ですが、当事の思い出を記してみようと思います。医療機器メーカーの営業職に就いていた私が都内からある地方都市へ単身赴任し、二年目を迎えた春でした。当時の私は48歳。支店長として単身赴任していた私には4歳年下の妻がおり、一男一女も授かっていました。そんな家族との暮らしも18年の歳月を経ていたせいか、私が単身赴任する事にも特段反対や支障も無く、妻に至っては『亭主元気で留守が良い』を、地で行く有り様でした。社宅扱いの1LDKのマンションで暮らしていたのですが、世間では本格的にコロナウイルスが蔓延し始め、必然的に自炊を余儀なくされていた事もあり、仕事帰りにはスーパーに立ち寄り、食材を買って帰る生活を続けていました。ですが、日々仕事を終える時刻は遅く、スーパーに立ち寄ってマンションのドアを開ける頃には21時を過ぎ、自炊での食生活に煩わしさを覚え始めた、そんな矢先でした。マンションの集合ポストに投函された宅配食材のチラシを眼に、下調理後に真空パックされた鮮魚や肉類に加え、サイドメニューまである内容も確かめながら、電子レンジで簡易に温め直したり、軽く煮込めば完成する手軽さも気に入り、その週末には電話で申し込んでいたのです。電話での詳細な説明を受ける中、私の住むエリアでの配達時間が15時前後と云う事も聞き、私の部屋のドアの前に保冷用の発泡スチロールに入れられた状態で置かれるのですが、疲れきって帰る私には大変有難く、また助けられてもいました。配達は土日祝祭日を除く平日分で、夕食に伴う食材を依頼していたのですが、私はその年のコロナウイルスの蔓延もあり、夏季休暇にも帰省せず、赴任先での自粛生活をする事としたのです。そんな7連休の初日。独身の頃からお洒落好きで、身だしなみにも気を使っていた私が美容院から戻った時でした。マンション前に宅配チェーン店の名が記された車が横付けされ、ひょっとしたら家かな?と部屋の前迄私が辿り着くと、躰を屈め、保冷ケースを置こうとする女性の姿があったのです。『ご苦労さまです..』と不意に声掛けする私に驚きつつ、被っていたキャップを慌てた手付きで外すと、ポニーテイルにした髪を揺らし、すっと立ち上がってみせた彼女は『いつもありがとうございます』と爽やかな笑顔を滲ませていました。紺色のキャップと同色のスリムパンツを穿きこなし、第三釦まで開けた深紅のポロシャツ姿はとても若々しく、薄いメイクの頬に雀斑を滲ませる笑顔が、とても魅力的に映っていたのです。これからまだ配達されるのですか?と私が尋ねると、私の住むマンション付近が担当エリアの最終地らしく、50数軒の宅配を終えた後は、1時間ほど周辺マンションやアパートのポストに営業チラシを投函し、その後に営業所に戻ると言う彼女。『関根さん、配達先リストに記された年齢には見えないですね!単身赴任と聞きましたけど、どちらからですか?』などと社交辞令も欠かさず口にし、前日に宅配され、部屋の共有通路脇に戻す事になっている空の保冷ケースを手にしようと、再び彼女が躰を前屈みにした瞬間でした。第三釦まで開けたポロシャツに青白く浮かぶ胸の谷間を覗かせ、左手に空の保冷ケースを抱えた彼女が身を起こそうとした瞬間、私は心なしか揺れ動く乳房に釘付けになっていました。そして『今後とも宜しくお願いします』と背中を向けて帰りかけていたのですが、私は冷蔵庫で冷やしていた6本パックの缶ビールを手に、汗を滲ませる彼女を呼び止めていたのです。『ほんのご挨拶代わりなので、良ければご主人と…』と手渡す私に『わぁ、良いんですか?』と屈託の無い笑顔を覗かせ、聞けば彼女のご主人も昨春から東京へ単身赴任され、今春関大に合格した一人息子も大阪で独り暮らしをしていると言うのです。お一人での生活は寂しいでしょう?と言う私に、寧ろ自分一人で暮らす日常に専業主婦で居る必要性もなくなり、再び労働意欲に駆られ、現在の仕事を選んだと言う彼女。
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