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2025/03/20 06:29:05 (Gu8uwToF)
妻のユミは中高と陸上をしてました、現在33歳ですがその当時のスリムな体型を維持してくれています。
出産で一時体重が増しましたが今はまた元に戻りました。
そんな妻の姿に友人等は自分の奥さん等と比べ羨ましがっていたのです。
顔はイマイチですがスタイルは満点です。
その妻に友人等がプレゼントと言って下着を数点持って来たのです。
嬉しそうに開封した中身は全てエロ下着ばかりでした。
ええ~やだこんなの貰っても穿けないよ。
夫婦が刺激用に購入する物ばかりでした。
彼等はこれをユミに着て貰い見せて欲しいとお願いをするのです。
人の嫁にエロ下着を着せ見せろとはあまりにも都合のいい話です。
でも私は彼等の話に乗る事にしたのです。
見せたいエッチな姿の嫁を友人等に見せたい思い願望が沸き上がっていました。
僕はユミに一度だけ着てやれば普段、彼等には世話になってる事だし。
そうなんです彼等からは釣りに行くと魚を貰い、自家栽培した野菜トマトなどを貰っていたのです。
ユミもそれはそうだけどでも恥ずかしいよ。
それから数日説得しました。
そして結論は一度だけならと言ってくれたのです。
131
2025/03/17 19:22:14 (MdzaiLVQ)
10年前に再婚した妻は、一回り年上の57歳、今もかなりの美形ですが、若い頃の写真を見ると、ZARDの坂井泉水さんに似た超絶別嬪さんです。
妻は、女子大生からOLになった若い頃をバブルで過ごし、その美貌で何人ものイケメンを食い散らかしたそうで、一見清楚な美人ですが、内に秘めた淫乱な性癖は、一回り年下の私を惑わせました。
初めて妻を見たのは、もう14年前です。
当時43歳だった妻は、バツイチになって、3歳の娘を抱えた私が頼った託児所の所長さんでした。
一目見て、うわあ、奇麗な人だなと思いましたが、その頃は元妻が男を作って出て行った直後で、情緒gとても不安定でした。

妻と親密になったのは、その2年後、私も少しずつ落ち着いてきて、美人所長に惹かれていました。
年上だろうなとは思いましたが、まさか一回りも上とは思いませんでした。
そしてある時、保育士と妻の会話を耳にしました。
「所長はお奇麗なのに、どうして独身なんですか?」
「若い頃にもてはやされて、モテモテで調子に乗って、男をとっかえひっかえしてたら、気付いたら三十路になってて、景気も悪くなって、結婚どころじゃなくなったのよ。色々あって、ここの運営を引き継いだの。」
独身だと知って、俄然張り切りました。

娘をダシに食事に誘って、それとなく、母親になって欲しな~みたいなことを言ってたら、年齢を言われて一回り上と知り、驚きました。
せいぜい5歳くらい上かと思ってたけど、でも、人を好きになると年齢差はどうでもよくなりました。
押しの一手で交際すると、バブル期に青春を謳歌した妻は、久しぶりのセックスだと言いつつ、セックスを存分に経験していて、男の楽しませ方のツボを知っているので、虜になりました。
男の身体のどこが感じるかもよく知っているので、すっかりアヘアヘ状態にされました。

丁度40代半ばだった妻は、性欲が強くなってて、私というセックスパーtなーを得たらムラムラしっぱなしになって、結婚の話を出したら二つ返事で受けてくれました。
再婚した時、妻はアラフィフ、若い頃に蓄積したセックス経験値の高さから、快感のツボを心得ていて、のたうち回るほどのセックスをしてくれました。
52歳で閉経するまでは、生理が来ると絶品フェラでゴックンしてくれて、閉経してからは毎回中出しで向かれまくる毎日です。

バブル世代の濃厚なセックスにどっぷりハマっています。
特に騎乗位はもの凄く、腰が自由なので、存分に性欲を発散して、スゴイ声をあげて喘ぎます。
普段の見た目が清楚な美形なので、思いっきり感じてれる姿に興奮します。
対面座位は向かい合って挿入するので、結合部が見やすく、何十本ものイケメンペニスが挿し込まれた使い込まれたオマンコのエロいビラビラがめくれる様子にこれまた興奮します。
それに、抱き合うとペニスが奥まで届くので、イキまくりになります。

妻と再婚して、10年間夫婦としてセックスしてきましたが、3歳年下だった前妻と違い、セックス好きなのは、やはり40台50代女性特有の旺盛な性欲からなのでしょう。
この10年、今が性欲のピークなのかなと思い続けてきたから、妻の性欲は全く落ちていないのでしょうね。
幼かった娘も今は高校2年生、3歳の頃から妻に面倒をみてもらっているから、本当の親子のように仲がいいです。
両親の中の良さを理解してるから、夫婦で寝室に入ると寄ってきません。
だから、休日の真昼間にすることもあります。
バブル時代に奔放な性を愉しんだ妻は、性に関して解放的なので、したくなると触ってきます。

それに、性の快楽に対して恥じらいがなくなってるから、若い女性とは比べ物にならないような感じ方を遠慮なく披露してくれます。
57歳になった妻は、還暦も見えてきて、私にいつまでも女性として見てほしい思いを抱いているから、女性としての魅力を見せつけようとするところにエロスを感じます。
そして、そのテクニックやエロスの見せ方も最高にエロいです。
そんな、エロさ満点の五十路妻に骨抜きにされて、毎晩の営みが待ち遠しくなるのです。
今夜も、57歳の閉経妻に仲だ啜るのが楽しみです。
132
2022/10/29 14:32:57 (VOWRO2WX)
あの人が乗っていた車はカローラレビン、私はトヨタカローラに勤めていて、店員とお客で出会いました。
昭和から平成にかけてのいわゆるバブルの頃で、私は、顧客だったあの人にドライブに誘われ、あの人の華麗なシフト操作とクラッチワークに惹かれました。
そして、あの人に誘われるままホテルへ入り、今度はあの人の優しい愛撫に蕩けました。
セックスは、短大時代に大学生だった元彼と経験していましたが、あの人の優しくも的確に性感帯を捉えた愛撫と、なにより、元彼はしなかったクンニリングスに気を遣ってしまいました。
嫁入り前の乙女が男性に大股を開いて、恥ずかしい女の割れ目を広げられ、舐められる・・・その羞恥は快感を伴って私を新しい世界に導きました。

あの人のものを口に含み、そして、直接生で貫かれ、心から愛しさを感じながら、子宮を撫でられました。
惚れた男性の生殖器を自分の生殖器で受け入れる・・・動物のメスとして至上の歓びで、その遺伝子を体中に浴びて、いつかは子宮に欲しいと心から願ったのです。
あの人に、身も心も捧げたい、その思いは激しくなり、そして私はあの人と会うたびに激しく交わるようになりました。
あの人は、カローラレビンからセリカに乗り換え、納車の日、
「この助手席は、君のものだよ。一緒に人生を歩もう。」
と言ってくれました。

あの人は、若い頃のご両親を事故で亡くしていて、その時の賠償金で大学まで卒業しました。
それでも残ったお金を資産運用していて、お仕事の収入のほかに、幾ばくかの収入があり、
「経済的に苦労は掛けないよ。いつか、子供が出来たら家庭に入って欲しい。」
と言われ、私はプロポーズを受けました。

あの人と結婚して、毎晩抱かれました。
あんなにアソコで男性を受け入れたいと思ったことはかつてなくて、あの人に抱かれるために私は生きていると思っていました。
結婚して、本来は生殖行為であるセックスだけれども、妻として愛する夫と身体を交えたいと思うのは、人間だけが有するの性だなあと思いました。
セックスによって、夫婦の愛情や信頼を深めていきたいと思えばこそ、女として恥ずかしい格好も厭わずできる、というより、女として恥ずかしい淫らな姿を夫に見て欲しいとさえ思いました。
毎日、恥ずかしい行為のセックスが生活の一部になっているのが結婚生活だと感じていました。

初めての結婚記念日に、
「夫婦水入らずも一年過ぎた、そろそろ、子供を作ろうか・・・」
と言われ、セックスの本来の目的である生殖行為をしました。
夫の生殖器が私の生殖器の奥に差し込まれ、強烈な快感の中、子宮の中にあの人の遺伝子が注がれました。
来る日も来る日も、あの人の遺伝子を子宮に受け、気を失うほどの快楽の中、夫婦を感じていました。
元々、種の保存のためにセックスには快感が伴うようになっているんだなあと思いました。
だから、お布団の中で愛のコミュニケーションの名のもとに、お互いの生殖器をこすり合わせて、快感のやり取りをするのが人間のセックスで、繁殖行為の方がする機会が少ないんだと感じながら抱かれました。

そして長女を出産、2年後、次女を出産し、家族4人で仲良く暮らしました。
その頃、実家の弟も結婚し、奥さんである義妹が妊娠し、弟が実家を建て替えることになりました。
亡くなった祖父母と住んでた私たちが生まれ育った家は、ある私鉄の田舎駅のそばにあって、その家の道を挟んだ北側の畑だった土地に、弟が二世帯住宅を建てるというのです。
祖父母と住んでた実家は、その後取り壊すというのでがっかりしていたら、あの人が建物を買い取り、リフォームして住もうと言ってくれました。
祖父母と住んでた家の土地は、菜園を含むと1,000平米あって、リフォームと共にガレージもできました。
そしてあの人は、土地は父名義なので、借地権を設定して月10万円を借地料として支払ってくれました。
添えは、弟のローンの一部に充てられ、弟はあの人にとても感謝していました。

私は当時、5ドアのカローラFXに載っていましたが、家族で遠出するときは排気量に余裕があるセリカで旅行しました。
クーペですが子供が小さいうちはセリカの後部座席で十分で、後ろにドアがない分安全が保てました。
あの人と子供たちと、家族の思い出が増えていきましたが、下の子も小学生になると、セリカの後部座席だと長女がきつくなってきたので、あの人はセリカからセダンに乗り換えました。
これが騒動を引き起こしました。
あの人は、セリカからスポーツセダンのアルテッツアに乗り換えたのですが、アルテッツアはトヨタカローラ店の扱いではなくて、店長が私の父に、
「長い付き合いなのに、娘さんも働いてたのに、他店から新車を買うなんて、そりゃあ無いでしょう。」
と泣きついたことで、あの人は私の父から嫌味を言われるようになってしまいました。

あの人は私の父を避けるようになり、娘たちも私の父の理不尽さに嫌うようになり、ある日、
「いいか、付き合いは義理なんだ。義理を欠くようなことをするんじゃない。」
とあの人が私の父から言われ、あの人は、
「欲しい車がない店から、何を買えというんですか。自分のお金で、欲しい車を買って何が悪いんですか。」
と言い返したら、私の父は何を勘違いしたのか、
「貴様!前の家を安く譲ってやって、土地まで貸して住まわせてやってるのに、生意気言うな!」
この一言が、あの人の逆鱗に触れました。

あの人の行動は早く、翌日には不動産屋を巡って、アルテッツアとカローラの2台が駐車できるスペースがあるアパートを探し、その2週間後には物件を決めて、そのまた2週間後にリフォームした家を出ました。
そして、せっかくリフォームした家を取り壊し、借地権を外して、借地料の振り込みを止めてしまいました。
私の生まれ育った家は、あっという間に無くなってしまいました。
これには弟家族が悲鳴を上げ、義妹がパートに出たり、生まれ育った家が建っていた土地を売ったりして、何とか食いつないでいました。
133
2025/01/07 19:17:12 (ZCkicR2d)
俺は、20代後半から30代半ばまでの8年間、結婚していたことがある。
毎晩初々しい身体だった元妻を抱いていた。
女陰も美しく瑞々しいぬめりを毎晩楽しんだ。
スレンダーだがメリハリのある女体、結婚から1年過ぎたら中出し三昧、娘が生まれ、幸せいっぱいだったあの日・・・
娘が3歳になった頃、元妻の様子がおかしくなった。
初めは、何がおかしくなったのかはわからず、でも、いつもの元妻じゃない感じがした。
そして娘が4歳の時、元妻が倒れた。

あまり良くない状態だった。
入院した元妻は、環境のいい場所での長期静養が必要になった。
義父母に説得され、離婚することになった。
「ごめんね・・・ずっとそばに居れたら良かったのにね。私、いつまで元気で居れるかわからないから、私のことは忘れて、新しい人生を歩んでね。さよなら・・・」
まるで得追い出されるように、山裾の診療所を後にした。
娘は、下唇を噛んで、じっと別れの哀しみに耐えていた。
俺は娘を車に乗せて、街に帰った。

平日は娘を実家の兄夫婦に預けて、俺は週末だけ娘と暮らした。
元妻を忘れられず、再婚することなく、性欲はセフレで満たした。
旦那に相手にされなくなった、四十後半から五十代のおばちゃんで妥協するなら、セックスする相手はなんぼでもいた。
そのうち、恥じらいを捨てて快楽に没頭する四十路五十路の魅力に気づいた。
若い女には無い、一緒にスケベを楽しむという能動的な姿勢、これが熟女の魅力だった。

何十人もの女と爛れた関係を続けた俺は、女という生き物を知り尽くした。
そんな俺が最後に辿り着いたのは、熟れすぎて、もうすぐ腐りそうな果実のような、芳醇な味わいの五十路女だった。
夫婦の営みはとっくになくなり、女陰は閉経、そんな五十路女は男根を見ると目が輝いた。
そんな五十路女達を犯しまくった。
生活感丸出しの五十路ババアにたっぷり中出し、無理矢理凌辱されている自分に酔い痴れて、ヨガりまくった。

そんな俺自身も五十路になり、すっかり性欲も精力もガタ落ちになり、娘も社会に出た頃、普段はめったに行かない、駅の反対側をぶらついていた。
この街に、こんなレトロな街並みが残ってたんだ…と思わせる街角にお似合いのレトロなのスナックに引き寄せられるように、フラッと入った。
薄暗い店内、俺はお通しとビールを貰い、ウイスキーの水割りを追加した。
スナックのママは小奇麗な美熟女で、どこか懐かしい感じがした。
ママと交わす会話は、どこか達観したような悟りを開いたような時間だった。

居心地が良くて、2時間くらいいて、そろそろ帰ろうとしたら8,000円と書かれた小さな紙切れを渡され、俺は10,000円を置いて、
「お釣りは要らないよ。いい店だね。また寄らせてもらうよ。」
と言って店を出た。
駅に向かい、電車に乗って家に帰った。
シャワーを浴びて、ぼんやりと布団に潜り込んで目を閉じると、あのスナックのママと元妻の面影が重なった。
もう、20年前に別れた元妻の顔もおぼろげになっていたが、面影だけは残っていた。
そう言えば元妻は、あの後どうなったのだろう…
遠く離れた山裾の診療所のベッドで小さく手を振った元妻…元気になったのだろうか。

一晩寝たら、元妻を思い出していたことさえ忘れていた。
いつもの日常に戻り、娘と当たり障りのない会話をする日々に戻って数か月後、娘に促され、スマホを5Gに更新することになり、データ整理をした。
その時、アドレスに残る元妻の携帯電話の連絡先を見つけ、あのスナックを思い出した。
週末、俺はめったに行かない駅の反対側へ足を運び、レトロな街角に向かった。
しかし、あの日たしかに見たレトロな街角はなく、路地を間違えたのかと辺りをうろついたが、あのスナックはおろか、レトロな街角はどこにもなかった。
キツネにつままれた思いで、帰宅した。

その数週間後、娘が、結婚したい人がいるから、今度会って欲しいと言ってきた。
ついに独りになると言う寂しさと、親の役目が完全に終わる安堵が入り混じった。
そして、このことは、存命かどうかも知らないが、元妻や義父母にも知らせた方が良いと、20年ぶりにはるばる元妻の実家を訪れてみた。
しかしそこは、既に義父母たちは済んでおらず、土地建物は人手に渡っていた。
ボーっと立ち尽くす私に、後ろから声をかけた女性がいた。
「あの…うちに何か…」

かいつまんで事情を離すと、その女性は私を見て、
「ああ、もしかして叔父さん…」
女性は、元義兄の娘だった。
そして、元妻は18年前に亡くなったこと、義父母も最近立て続けに亡くなったことを知った。
俺は、元妻が眠る墓に向かい、娘が嫁ぐことを報告した。
「お前と家族だった頃が、懐かしいなあ…あのチビが、結婚するってさ…」
元妻と義父母に手を合わせ、墓を後にした。

駅に着いて、ローカル線に乗り換える前に喉が渇いて、飲み物の自販機ぬ向かい財布を取り出し、千円札を抜いた。
その時、小さな紙切れが一緒に出てきてヒラヒラと落ちた。
なんだろうと手に取ると、紙切れには8,000円と書いてあった。
俺は駅を出て、滅多に行かない駅の反対側に向かい、レトロな街角を探した。
「たしかこの辺に…」
レトロな街角に、レトロなスナックがあった。

俺はスナックに入った。
ぅ数ぐらい店内に、小奇麗な美熟女ママがいた。
ウイスキーの水割りを頼み、暫しママと会話した。
その日は自棄に酔いが早く回り、早めに切り上げた。
その日は4,000円と書いた紙きれを渡され、5,000円札を置いて、
「お釣りは要らないよ。あ、そう言えば、ママ、どこかで会ったことないかな?」
と言ってみた。
ママは、優しく微笑むと、小さく手を振って、
「また、寄って下さいね…」
と言った。
俺は店を出て、駅に向かった。

娘が嫁いだ。
俺は独りになった。
「久しぶりにあのスナックに行ってみるか…」
俺はめったに行かない駅の反対側へ行った。
そこには、いくら探してもレトロな街角はなかった。
路地という路地を探して回ったが、見つけられなかった。

諦めて駅に向かった。
喉が渇いて、自販機の前に佇んで財布を出し、千円札を抜いた。
ヒラヒラと紙切れが二枚落ちた。
「!!…やっぱりあのスナックは…」
と言ってその紙切れを拾ってみたが、その紙切れには何も書かれてなかった。
俺は、その紙切れを捨てずに、再び財布に戻し、
「あれは、元妻の幻だったのかもしれないなあ…幻でもいいから、また会いたいなあ…」
と呟き、誰も待っていない家路に就いた。
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削除依頼
2025/03/17 14:04:41 (Vvbc23Ds)
20代〜の細身身長高め嫁持ちです。
こんな人妻に興味ある男性いれば
カカオに連絡ください。

食事の場から仲良くなってほしいです。

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