ナンネットID のアカウントをお持ちですか? ログイン ログイン

夫婦のSEX・夫婦の営み RSS icon
※夫婦の営み事情、SEX、性生活について報告してください

1 ... 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 ... 100
2024/07/23 08:33:43 (YuQsvcMo)
親父は無類の女好き、母が亡くなったときも女の所へ行っていた。
なのに妻の愛佳二七歳は、「それでも親子でしょ、私に取ってもあなたのお父さんでしょ。」と言って会わせて欲しいと聞かない。
妻は小さい時に両親を亡くしていて、俺に父がいると知って喜んでいた。
この家を建てる時には親父に頭を下げてお金を借り建て前もあり知らない振りは出来なかった。
親父の家へ行き、愛佳を紹介したが妻はべつだん嫌な感じはなかったと言っていた。
後日、親父と会って、「紹介はしたが愛佳の手を出すなよ。」
「ああ、でも愛佳さんから寄ってきたらどうする、、」「どうするって絶対離さない。」
そう言ったのに3か月後には妻と親父は出来てしまった。
証拠の画像を見せられて愕然とした。
愛佳の方から親父の腰に跨り、肉棒を手に取って自分の中へ入れていた。
その1か月後には親父と同居をし、火曜と金曜の夜愛佳は親父と夜の寝床を共にするようになった。
俺と愛佳は夫婦なのでそれ以外の夜は一緒に寝ていた。
ある金曜の夜、俺は親父に呼ばれた。
「私と愛佳さんセックスを見ていけよ。お前が愛佳さんを愛してないと言うなら別にいいが。」
「あ、愛しているよ、、」と言った手前見ないわけにはいかなかった。
最初は恥ずかしがっていた愛佳も、親父に抱かれ愛撫を受けるうちに俺のことなんか眼中にないと、俺の時より大きな声を出して喘いでいた。
裸にされお互いの性器を舐め合っていても、親父が的確に愛佳の感じるところを攻めると親父の物を口から離し涎さえ流していた。
そして我慢できなくなったのか、愛佳の方から親父の腰に跨り肉棒を持って自分の股間へ宛がい腰を下ろしていった。
俺の時には一度もそんなことしたことがないのに、、
あの日から土曜日の夜は妻の愛佳を中に挟み、三人で寝るようになった。
妻の愛佳、週のうち二晩は親父と、一晩は三人で、あとの四晩は俺と、、まだ夫としての権利は持っている。
妻には絶対俺の子供を産ませる、、、

121
2024/07/22 19:18:34 (aXE2UXtD)
結婚して18年、44歳の会社員で、妻は41歳、今でも週3回程度の営みを欠かさない夫婦なんだけど、妻は、俺の一番好きな人ではなかったんだ。
俺が一番好きだった人は、俺が大学を出てすぐ、就職先のそばにあるスーパーのレジ係の女の子と知り合って、当時、俺が大ファンだったAV女優の笠木忍に似たロリ顔に惚れて声をかけた。
笠木忍って、すごい美少女ってわけじゃないんだけど、あどけなくて、未成年の少女にしか見えない容姿が魅力で、同い年には見えなかった。
ゴールデンウィークにはアパートに連れ込むことに成功、見た目は幼くても同い年だったから、処女ではなかったけど、身体つきも少女っぽくて、たまんなかった。

オマンコはやや使い込まれ感があって、ビラビラは紅色に色づき、クンニに濡れて、クリを尖らせた。
フェラも上手で、セックスは少女の見た目を大きく裏切るエロさだった。
翌日、彼女はセーラー服を持参して来て、シャワーの後、上だけセーラーf久を着て、ロリロリなセックスを堪能した。
ハメ撮りもさせてくれて、リアルな女子高生淫行動画を撮影した。
笠木忍を彷彿とさせるハメ撮り、楽しい日々だった。
しかし、翌年の4月、彼女の様子がおかしくなった。
そして、二度目のゴールデンウィークに入る前、別れを告げられた。

「ご主人様が帰ってきたの。18歳の処女を捧げて、アソコだけでなくお尻の穴も気持ち良くしてくれたご主人様が、私を迎えに来たの。ごめんなさい。私、マゾ奴隷なの…」
ご主人様とは、四十代の調教師で、最終的に彼女を専属性奴とすべくすべての制度を開放し、彼女を迎えに来たそうだ。
「これから、クリに性奴ピアスを通しに行くの。さよなら…」
セーラー服姿のまま、彼女は去って行った。
スーパーも辞めてて、アパートも引き払ってた。
メールもあて先不明で戻ってきたから、完全に消息不明になった。

その年の梅雨が明けた頃、妻が声をかけてきた。
俺がフリーなのを確信した妻から、妻にとって俺が一番大好きな人だと告げられた。
妻は、当時短大を出て1年目の女の子で、3歳年下だったが、去って行った彼女の方が年下に見えてた。
妻は年齢なりの容姿で、人懐っこい感じの印象があって、小野真弓っぽい感じだった。
一番大好きな人と言われたから、俺も妻を一番大好きな人にしようと努力した。
妻は、優しくてとてもいい人で、親しみやすい顔してて、愛すべき人物だったが、俺の心の中には、あどけなくてスケベな彼女がいつまでも居座っていた。

妻は地元民で、実家住みで、一人暮らしに憧れてて、俺のアパートに来たがってた。
俺は、妻をアパートに連れ込めば、おそらく押し倒すことになると分かってたから、慎重だった。
俺の一番じゃない妻を抱いて良いのか?妻の気持ちに応えたことになるのか、疑問だった。
妻は、遊びで付き合う女じゃないと感じた。
それでも、妻の求めに応じて、俺は妻をアパートに連れ込んだ。
残暑厳しい8月の末のことだった。
部屋に入ると、まずエアコンをつけたが、冷えるまで蒸し暑い室内、汗が妻のTシャツを透けさせ、ブラがはっきり見えた。

上目づかいで見つめられ、見つめ合ったその胸元、胸の谷間が見えて、下半身に血流が生じた。
抱き寄せたら、唇が重なり、俺は妻の口に舌をこじ入れた。
妻のミニスカートのファスナーを降ろし、と眼鏡を外すと、にカートがストンと落ちた。
パンツの上からワレメをなぞると、
「シャワー、浴びたい…」
と言われて、二人で裸になってシャワーを浴びた。
ロリ体形だった彼女とは対照的に、妻の身体はムチッとしててエロかった。
男に抱かれるために発育したかのような、女らしい身体だった。

ベッドではにかむ妻が口を開いた。
「あの…私、初めてだから…その…」
妻が、女として成熟した裸身を初めて晒した男になれたことが嬉しかった。
初めて恥ずかしい股間を晒し、広げて奥まで覗き、触れ、舐め、そしてズブズブと処女膜を突き破った男になれたことに感激した。
あの時の妻の初々しさ、恥じらう仕草、それは俺しか知らない。
その後俺に何度も抱かれ、妻がセックスの快楽を知っていく様子も俺しか知らない。
そして、安全日に初めて子宮に精液を注ぎ込まれたときの戸惑った表情、忘れられない。

妻は、俺の一番好きな人ではなかったが、俺の一番大切な人になった。
俺26歳、妻23歳で結婚、若い夫婦だったが、妻にとってセックスは夫婦の愛情表現の一つになって、自ら俺の肉欲にオマンコを委ね、チンポで自らの性欲をも満たしていった。
毎晩営みを持っていたけど、子供を2人産んでから、営みの回数が減り、週3回程度になった。
やはり子供がいると、父親と母親でいる時間が長く、夫と妻になれる時間が限られた。
俺も男だから、溜まれば出したくなるし、出すなら妻のオマンコで出したい。
現在、上の子は高1、下の子は中1で、結構遅くまで起きてるから、営みは静かにすることが多い。
でも、今日はヤルという雰囲気を夫婦間で共有するから、子供たちも気づいてるのか、早めに自分の部屋に行ってしまう。

今年、初めて妻を抱いて、つまり、妻が処女喪失して20年なんだが、気付かば妻は結構なスケベになってて、俺のチンポ見るとニタァ~っていう表情になるし、妻が生理の時は、
「あなたの子種は私のものだから、出してあげるね。」
と言って、手コキで射精させて、その様子を至近距離で観察してる。
夫婦と言えど、俺がアヘアヘしながら射精するのを冷静に見られるのは、恥ずかしいものだ。
ガニ股に足を広げて、セックスではなくて、女に勃起を扱かれて、腰をカクカクさせて精液を拭き上げるのは、やっぱり恥ずかしい。
恥ずかしいけど、妻がそれを見て喜ぶ様子を見てると、生理が終わるまで毎晩させてしまう。

最近、営みが週3回から、週4回になりかけている。
今までは、俺が溜まってきて妻を誘うパターンだったが、最近は、寝る前に、妻がパジャマのズボンの上からチンポを触ってくることがある。
「あ、大きくなったね。したいんでしょ?」
って、お前が大きくさせたんだろって話なんだけど、妻が俺のチンポを欲しがったことが嬉しいし、そんな時、妻のオマンコを触ると既にヌルヌル、即入れで始まる。
入れると、嬉しそうな表情で、
「今日は、なんだかあなたが欲しくて…」
って抱きついてくる。

そんな夜は、女にも性欲ってあるんだなあと、可愛く思う。
そして、そんな夜の妻は、俺の腰に腕を回し、腰を押し付けるようにして自らも腰を揺さぶる。
ブチュブチュと愛液が圧縮空気と共に噴き出し、妻は唸りながら白目を剥いてしまう。
終わった後、覚醒した妻は、
「あなたが欲しいって思うときって、心から感じちゃうんだ。あなたに抱かれる時って、安心して、全て曝け出して、無防備になれるから、凄く気持ちいいの。やっぱり、夫婦のセックスっていいわね。」
と、恋人時代には恥じらいや緊張があったけど、長く夫婦をしてるとそういう遠慮がなくなるんだそうで、なるほど、夫婦が開きずにいつまでもセックスするのは、安心感があるからなんだと知った。
そんな、夫婦の営みだった。
122
2024/07/22 11:53:39 (Pb8aR2Ax)
夫婦生活、35年。
60歳の私と57歳の妻
ここ5年、殆どセックスもしていない状態
そんな夫婦生活が変わった事が有った。
ゴルフ仲間に誘われて友達が主催する
ゴルフコンペに参加し景品をゲットした。
何かと中身を見ると大人の玩具セットでビックリ
周りからは笑われてからからかわれ、今晩奥さんと
楽しんでくださいと言われていた。
仕方なく持ち帰り、風呂に入った後寝室で妻に
今日のゴルフの景品さ、こんな物貰ったけど
どうしようと考えてるよと言うと妻は興味があるのか
中を開けてみたいと言い出し俺はバイブやローターなどなどを
出すと妻は関心が有るのかバイブやローターを持って
これってどうやって使うのと聞かれて俺がそれなら試しに
使ってみるかと言って妻を裸にするとローターで
首元から胸にとローターを当てて刺激すると最初は
くすぐったいと言ってた妻が徐々に感じて来たのか
声を出し始め俺はローターを乳首に当てたあと
パンツの上からクリトリスに宛がうと妻はあって声を出し
俺の腕を強く握り凄いよ、気持ちいわと声を出し始めた
そして俺も妙に興奮して着て妻のパンツを脱がしマンコは
ヌルヌルで光っててクリにローターを宛がったり
マンコの穴にローターを入れると妻は身体をピクピクさせて
善がり声を出していた
俺はバイブを取ると俺よりもはるかに太くて長い
米部をマンコに宛がって一気に挿入すると
妻は悲鳴を上げていたがクリにローターを当てて
バイブのスイッチを入れて動かせると今までにない妻を見た
声を出し身体をくねらせて喘ぐ妻は俺のチンポを咥えている
よっぽど興奮したるのか普段のフェラとは大違いで
俺は元々早漏なので妻の激しいフェラに我慢出来なくなり
そのまま口の中に射精した。
普段なら口に出すと俺を殴って怒る妻が今回は違い
俺の精子をグイグイ口で搾り取り俺がバイブを出し入れすると
チンポを離した口から少しは精子が流れてたが
俺の精子を飲み込んだようだ
俺はバイブで攻め続けると妻はイクって、イッちゃうって
もう辞めて本当にイッちゃう、変になりそうと言い
イッタ瞬間にそん便を垂れたのかと思うぐらいの潮を噴いた
体中を痙攣させてベッドで横たわっている
俺はそんな妻に興奮し直ぐに足を広げてマンコに挿入
腰を振りながらバイブやローターをクリにあてながら
腰を風呂と妻はまたイッちゃうと言い潮を噴いた
そして俺も興奮して妻の中に射精した
お互いガックリとベッドに寝て暫くは動けなかった
暫くして妻に、どうだ気持ち良かったかと聞くと
最高よこんなに逝ったの初めてと妻は喜んでいた
その日以来妻とは毎晩か、2日に一度のペースで
セックスを楽しむようになった
妻は初めての玩具で身体に火が付いたようで
自分でバイブを入れて俺に見せつけたりしている
123
2024/07/22 04:21:15 (/jjYPb.w)
妻が他人に抱かれる姿を想像したり、過去に妻を抱いた男たちのことを考えたりしては、異常な興奮を覚えます。
ある夜、ベッドの中でエロサイトの巨根画像を集めたページを見ていて、こんなデカチンに妻が貫かれたらどんな感じになるのか、めっちゃ興奮してしまいました。
その画像を見せながら妻に「こんなチンチンに入れられてみたい?」と聞いたところ、妻はデカチンの画像に興味津々で、
「えーっ、すごーい、あなたのちっさいのと全然違うね」
「奥までググーってきて気持ち良さそうかも」
と言われてしまいました。
そのまま妻を脱がせましたが、アソコはいつもより濡れていて、興奮した私の粗チンは数分も持たずに暴発してしまいました。
124
2024/07/20 18:45:10 (zKJCKP8i)
結婚20年、43歳の妻を持つ46歳のオヤジです。
結婚生活の中で、「足るを知る者は富む」という言葉を噛み締めています。
就職氷河期だった私は、薄給で、結婚することは難しいと思っていました。
だから私は、結婚願望の強かった妻を開放し、稼ぎのある男を探せと言いました。
でも妻は、貧乏でも私と一緒に人生を歩みたいと言ってくれました。
贅沢しなければ生活はできる、慎ましい生活をしてきた私たちですが、それで不満がなかったから、結局は何気ない日常が幸せなんだろうなと思います。
子供も、二人育てるのは無理そうなので、一人で打ち止めにしましたから、今高校生ですが、大学へも行かせてやれそうです。

妻との出会いは23年前、私は大学を出て1年目の社会人になったばかり、妻は短大2年生でした。
夏のイベント開催の時、コンパニオンのアルバイトできてた妻と知り合い、意気投合、メルアドを交換した私たちは、妻のバイトが終わった後に二人で会うようになりました。
恋人というより、親友みたいな、お互い友だちがいない孤独な者同士だったから、分かり合える人が居たことが嬉しかったのです。
でも、男女の親友って成立しないから、次第に惹かれていきました。
そうなると、会って遊ぶのがデートになり、薄給の私は、ロクにごちそうもできず、いつも妻も半分出すみたいな情けない彼氏でした。

今も忘れられないのは、少ないながらも冬のボーナスをもらったとき、思い切って妻をラブホへ誘ったときでした。
「えっ?ラブホ?」
って言われて、ああ、ダメかと思ったら、
「お金、もったいないから、あなたのアパートに行きましょう。」
って言われたあの日のことです。

超美麗なオマンコをクンニして、いざ入れようとしたら、
「待って。」
って言われて、ああ、やっぱり生はダメかとコンドームを取ろうとしたら、
「バスタオル、敷いて。たぶん、血が出ると思うから・・・」
妻は、処女でした。
やがて妻も社会に出て、気付けばデートは私の部屋でまったりと、お金を使わないお部屋デートが多くなっていて、それもずっとベッドで裸で抱き合って終始するデートでした。
お互い、セックスが大好きで、裸でくっついていると落ち着きました。

ある日曜日の夕方、妻が、
「ずっと、一緒にいたいよ。帰りたくないよ・・・」
と言いました。
それは、妻なりのプロポーズでしたが、私は、妻を養っていけるだけの経済力がなくて、
「結婚を夢見てるなら、俺から去ったほうがいい。俺とじゃ、貧乏生活が待ってるから・・・決めるなら、早い方ばいい・・・」
そう言ったら、妻は嗚咽して、
「ぜいたくな暮らしなんか要らない。欲しいのはあなた・・・」
エブリシングが流行った後だったので、思い切り頭の中に曲が流れましたね。

私26歳、妻23歳、新居を構えるお金は無かったから、妻が実家を出て、私のアパートに転がり込む形で新婚生活が始まりました。
台所と繋がった六畳のリビングと、六畳の和室、それが私たちの始まりでした。
妻の両親は結婚に反対などせず、娘をよろしくと行ってくれました。
慎ましい生活、お休みの日はずっとお布団の中で過ごし、朝食抜き、お昼ごろ起きて、掃除して、洗濯して、午後二時ころお昼ご飯を食べてました。
二年後に娘が生まれ、それでもアパートを出ることなく親子三人で暮らしました。
娘が寝た後、リビングで夫婦の営みを静かにしていました。

結婚してもうすぐ10年の頃、やっとアパートを出て、少し広めのアパートに移り、娘の部屋を確保して小学校に上がりました。
その娘も高校3年生、何とか大学へ通わせられそうです。
今、妻との生活が20年を迎え、夫婦も板についてきました。
20年一緒にいて、やっぱり妻が愛しいし、妻に愛されているのが分かります。
父と母から夫と妻になって、寝室で裸で抱き合うとき、夫婦っていいなあと思います。
一つに繋がる歓び、確かにセックスは気持ちいいけれど、妻とのセックスは、お互いのツボを知り尽くしているから更に気持ちいいだけでなく、心も満たされます。

広めとはいえアパートですから、妻の喘ぎも控えめ、でも、感じて仰け反る妻を見ていると、私の性器で感じてくれていることがとても嬉しく感じます。
夫婦のセックスは、何年過ぎても止められませんね。
よくも飽きずに、と思われるかもしれませんが、仲の良い夫婦って、いつまでもセックスがあるんだと思います。
性器同士で繋がりあう仲だから、普段も腕を組んだり、手を繋いだりできるんだと思います。
結婚20年を迎えて、夫婦を見つめ直してみると、素敵な関係だなとしみじみ思います。
125
1 ... 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 ... 100
スレッド投稿フォーム
名前
トリップ()
E-mail
 ※任意
タイトル
本文

投稿文に自動改行は行われません、適宜改行を行ってください。 # タグ使用不可
画像認証

上に表示されている文字を半角英数字で入力してください。
◇掲示板利用規定 〔必ずお読み下さい〕
動画掲示板
画像で見せたい女
その他の新着投稿
人気の話題・ネタ
ナンネット人気カテゴリ
information

ご支援ありがとうございます。ナンネットはプレミアム会員様のご支援に支えられております。